企業セミナー2006/12/27 00:45

 今日は校務で学校へ(茅野から往復です)。年末だが学内で企業セミナーを開催していて、参加企業の人事担当者との挨拶や名刺交換が仕事。たったの30分だが、これも必要な仕事なのだ。企業はどんな人材を求めていますかという教員側からの質問に、何人かの人事担当者から発言があった。

 毎年同じようなこと問いかけ同じようなことを答えてもらっているという印象だが、今年は、人との応対や会話の力が必要ということを力説していた。コミュニケーションの力ということである。女子大生や短大生に求められているもののリアルな現実がそこにある。女子大生がつく仕事はとにかく人前で話す職種になりがちだ。だからこその要望ということだろう。

 いわゆる第三次産業がほとんどの就職先だから、それは当たり前といえば当たり前だ。高度資本主義社会では、記号化された情報のやりとりが利益を生むが、実は、この情報のやりとりには人と人との「情」が介在している。それは、情報の発信者も受信者も個人ではなく組織であり社会そのものであるからだ。日記を交換しているのとは違うのである。

 従って情報の価値判断は人と人との関係の中でもまれることになる。情報がどんなに正確でも人と人との関係が悪ければその情報は悪いものになる。人への応対が悪ければ、情報もゆがむだろう。情報のやりとりで金を儲けているヒルズ族が、村を作って、その中でパーティなどを盛んに行って親交を深めているのは、結局「情」の欠けた情報が信用できないからである。

 テクノクラートが機械によって代わられてしまった分、人間関係の情緒的な領域における技術が、新たなテクノクラートとして重要視されるようになってきたということであろう。大学の教科に、話す技術、プレゼンテーションといったコミュニケーション科目が増えたのはそういうことである。他人を快適にもてなしながら仕事の話をする技術が、大学で学ぶべき知識や技術として必要とされてきたということである。

 それは大学で学ぶべきことではないというならそれは違う。自動車を作る技術を学ぶことと基本的には違わない。人との応対もまだ技術と言えば技術なのだ。時にはカウンセラー的な知識も必要になるだろう。それほど現代社会は人との関係は難しくなっている。

 ただ人間の「情」はマニュアルによって左右されるほど簡単なものではない。その人の人となりが大きく関わる。その人の外見や性格、生き方は技術を超えたもので、時にそういうことが全てを決定してしまう場合がある。ホリエモンや村上ファンドを見ていると、やっぱり、あれは地の性格が災いしているよなあ、と思ったのは私だけではないだろう。
結局、技術だけではなく、自分の性格や生き方も磨かなくては、という結論になる。最後は教師らしくまとめました。学生諸君、就職活動がんばって!

      頭下げ名刺を切らし年の暮れ

      冬の星なくばおのれが輝けば

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