歌の力2006/12/01 00:59

 ここのところ木曜の夜は学校から山小屋へと向かう。中大に編入したHさんが私の部屋に訪れたが、あまり話も出来ずに残念だった。何でも編入の説明会に呼ばれて話をするとか。また来ればいい。

 今日は授業と教授会。地域文化論は今歌文化についての紹介。奄美大島の歌遊びのビデオを見せた。奄美の歌遊びは現代の日本で歌垣らしき雰囲気を残す数少ない歌の掛け合いと言えようか。こういうビデオを見るとつくづく歌は不思議なものだと思う。歌は言葉の力をほんとにパワーアップさせる。小川学夫氏が語っていたが、奄美ではかつて歌の掛け合いに負けると体調を崩したという。呪いの言葉をかけられたかも知れぬというので、掛け合いのはじめに呪い返しの歌を歌っておくのだという。

 宮本常一の『忘れられた日本人』の中にこういう話が出てくる。作者を案内する馬子は歌がうまく、他所の村を訪れるとその村の娘に歌の掛け合いを挑み、勝つとその晩はその娘と寝ることが出来た、と語ったという。これも歌の力である。

 私が雲南省の少数民族ジンポー族のおばあさんを取材したとき、おばあさんは、若いときは男が村に来て、村の女と歌の掛け合いをした。その時、歌の掛け合いに負けると、女は相手がどんな男であろうと結婚せざるを得なかったという。ある娘は、負けるのがいやで七日七晩歌の掛け合いを続けたと語った。これもまたすさまじい歌の力である。こういう歌の力を現代のわれわれはとても実感できないだろう。だからこそ、それを学ぶ価値があるというものだ。

 山小屋に着いたのは夜の十時過ぎ。星が出ていて、かなり冷え込んでいた。山の向こうではどういうわけか稲光で夜空が時々光る。皎皎とした月明かりで、懐中電灯の必要もなかった。

      ジョバンニもよだかも見しや冬宇宙

悲しき身体2006/12/01 22:42

 今日は研究日にしているので用が無い限りは学校へ行かない。もっとも山小屋に来てしまっているが。でも仕事があれば行かなきゃいけない。いずれにしろ明日は学会の例会だから神楽坂まで出かける。10月と11月はほぼ毎週週末は山小屋だが、ほとんど土曜か日曜は仕事やら学会やらで東京に戻っている。ゆっくりした週末を送ったことがない。それまでして何故山小屋に行くのかというと、どっちかというと山小屋が自宅だと思っているからだ。空気もいいし、温泉もある。なるべくならこっちから通勤したいくらいだ。むろんそうはいかないが。

 今朝から足が痛む。通風かも知れない。ただ、いつもと痛み方が違うのでたんなる関節炎かも知れない。この歳になるといつも身体のどこかが悪くなる。

 さすがに寒くなってきた。八ヶ岳の山頂もすっかり白くなってきた。冬日和の時は山裾は霞んだりするが、天気が冬型になるとさすがに雲が山頂を覆い、風下の方に吹き流されんばかりに細長く伸びている。山もすっかり枯れ木の賑わいといったところだ。今日は、道路から山小屋へ降りるアプローチがだいぶひどくなってきたので階段状に整地するために、ホームセンターに横木を買いに行く。チビの散歩をして、温泉に行って、それでとりあえず一日は終わってしまった。夜に来週の授業の準備と、「抒情」について考えをまとめることをしなきゃいけない。

 言葉が身体を表現し始めたときが「抒情」の始まりではないかと考えている。この場合の身体とは、統御出来ない身体あるいは異界へつながるような自然としての身体のことである。別な言い方をすれば「抒情」の表現とは、「情」という身体性を介した自己表出(価値もしくは美としての表出)と言えばいいか。

 たとえば、「悲し」という身体性を介した表現が、統御できない、向こう側の世界へ通じる何かを抱え込むように感受されるレベルを言葉が獲得したとき、「悲し」は「抒情」表現になったと言えるのではないか。それが万葉集における「悲し」の成立だと考えている。いろいろ考えてきてこんな風にまとまったが、問題はここからだ。この思いつきで二、三本論文を書かなきゃたんなる思いつきで終わっちゃう。論文書く暇はなさそうだから、忘れないようにとりあえずここに書き留めておくというわけだ。

    春までは冬木のように立ち尽くす

    冬霞鋭き峰も靴を脱ぎ

   冬の朝「悲しき」身体痛みだし