雪が降る2006/12/29 01:38


 今年は雪がないとおもっていたら今日雪が降った。午後3時頃には10センチは積もったろうか。どうやら根雪になりそうだ。この位の雪では除雪も必要ないのか除雪車は動いていない。とりあえず玄関から道路までのアプローチまでの雪かきだけはしておいた。

 今年はほんとに雪が少なくスキー場もこれで少しは安心といったところか。山小屋を建てたのはスキーをしたいというのも理由である。が、最近、スキーになかなか行く機会がない。忙しいということもあるが、それなりに身体が動かなくなっておっくうになってきているのもある。数年前までは、独りで、八方尾根や苗場のスキー場に日帰りで行ったものだが、今はとてもそんな元気はない。

 雪が降ると、やはり風景が一変する。チビをつれての散歩もまた普段とは違ったものになる。夕方には晴れてきて八ヶ岳がくっくりと見える。散歩の途中その八ヶ岳をバックにチビの写真を撮る。チビは、八ヶ岳などどうでもよく、雪の下に埋もれた動物のにおいをかぐことに夢中だ。

 ここのところBS1で中国の文革についてのドキュメンタリーをやっている。これに思わず見入ってしまった。当時下放青年や幹部や警官や労働者だった人たちのインタビューを中心に構成されているのだが、中国の悲劇がよく伝わってきた。面白いのは、文革の当事者たちがこれは何かおかしいと皆感じながら文革を推進していたことだ。異を唱えたものもいたがみな牢獄に送り込まれた。下放青年はほぼ私と同じ年である。現在でも下放の地にとどまっていて帰れない者もいる。中国はこんなに豊かになっても、地方から都市に戸籍を移すのは禁止されているのだ。強制的に下放されたのに何故この年になって北京に戻れないのだともと下放青年だった私との同じ年の男は嘆いていた。

 文革は今から思えば一種の原理主義運動で、経済や生活の現実かうまくいかない根拠を、内部の思想の脆弱さにあると決めつけ、政治的に純化すれば(政敵を倒す)問題は解決すると人々を煽動していく。経済の破綻や貧困は思想の純化では解決出来るはずがないが、確実に政敵は倒せるので、この原理主義が荒れ狂うと、誰も止められなくなる。今の北朝鮮もある意味では文革みたいなものである。

 この原理主義運動からよく中国は立ち直ったものだと思う。中国人はしたたかで、実は共産主義なんて原理主義をそんなに信じてなかったのではないか。毛沢東が死んだとき、当時の証言者の一人が、涙はでなかった、でも悲しまないとまずいので唐辛子を塗った布で目を拭いた。そうすると涙がでてくるのだ、と語っていた。たぶん、こんな調子で民衆は革命に参加していたのだ。

 中国国家は文革が終わると手のひらを返すように価値観を変えたが、民衆は別に価値観を変えたわけではない。生活のレベルで常に豊かになることを考えていただけであり、改革開放という今度の革命はいままでよりはましだと思っているだけなのだ。日本も戦前と戦後ではがらっと価値観を変えたが、その変化は中国の方がすごい。共産主義から資本主義に変えたのであり、しかも、他の発展途上国のように、開発独裁型の、一部の金持ちと大多数の貧困層といった停滞した資本主義ではなく、膨大な中流層を生み出すまでに資本主義化を成功させた(膨大な貧困農民層はいるが、都市部の中流層の数は日本の人口を越えている)。

 日本の高度成長は世界史的に例がないと言われたが、中国の資本主義化もまた例がないであろう。これは、ほとんどの中国人が原理主義と無縁だったからだ。そして、その生活者の合理的な感覚で、支配者の矛盾を声をあげることもなくじいっと見つめていた。従って、その生活者のしたたかさを解放する政治政策があれば、中国人のエネルギーは爆発する。それをやったのが、鄧小平である。豊かになれるものから先に豊かになれという彼のスローガンは、原理主義でも何でもなく、生活や経済をただ優先させたスローガンに過ぎない。共産主義という理念を否定せずに、生活者的スローガンを唱える、その柔軟さがすごい。

 日本人もまた同じである。日本人も生活者のしたたかさを持っていて、為政者の矛盾をじいっと見つめている。むろん声を上げることもせずに耐えながら。そして、そのしたたかさを解放する政策があればその胸にしまっていた欲望を爆発させる。明治の近代化や戦後の高度成長がそうだった。

 これはいい意味でも悪い意味でもアジア的なのだと思う。政治に矛盾を感じても耐えてしまうアジアの生活者的感覚は、悪くふれればポルポトや北朝鮮の独裁化の悲劇を生み出す。いや、日本だって中国だってけっこう悲劇的だった。その欲望をうまく解放させれば日本や中国の高度成長になる。その両極端が、欧米のような民主主義的な成熟を経ずにとなり合わさっているところがアジア的と言えばよいか。

 やっぱり、日本が北朝鮮にならないためには、生活者であろうと言いたいことは胸にしまわずに言うべきだということだ。「美しい国」が矛盾だらけならそれはおかしいと言うべきだということだ。日本が今の中国よりましなのは、まだ言いたいことが言える国だということである。しかし、この番組を見ていたら、けっこう中国人も言いたいことを言い始めている。そのうち日本の方が、言いたいことの言えない国になってしまいそうな気がする。そうならないことを願うばかりだ。

      冬の川それでも大海に流れいる

      吹雪いても時雨れてもただ待つ人ら