連休の花見 ― 2012/05/12 00:09
連休があけて、とたんに忙しくなった。市民講座と学会と授業に校務にと、気ぜわしい。学生には、忙しいときほど合理的に時間を使おうとするから勉強ができる、といっているのだが、この歳になると合理的に時間を使おうとする気力がない。やはり、身体がついていかないので、これ以上無理して倒れたら迷惑かかるだろうなあとつい思ってしまう。もうそんなに忙しくないほうがいいということだ。
連休は長野のほうで過ごす。といっても土曜には学会のために戻ってきたので実質三日間くらいの休暇だったろうか。一日だけ、山小屋の近所の人たちと花見に行ったのが休暇らしい一日だった。長野は場所によっては桜が咲いている。近くの村の川沿いに小彼岸桜が植えられていてそれが今見頃なので、弁当を持って花見に行った。田植えの時期で、田には水が入り始め、新緑の山の際には白い花の樹が植えてある。五月の爽快な日光のもとで、桃源郷のような風景である。
学校が始まって一ヶ月が経つ。わが学科は今のところ何の問題もなく時が過ぎているが、これからどうなるか、である。これから、学生との個人面談が始まり、学生の状況調査の結果も出てくる。学校に来なくなった離脱者がどのくらいいるか。今年は学科長なのでこの数が心配になる。わが校は、今、カードリーダーで出欠を取っているので、学生全員の出欠状況が学校側によって全部把握できる。つまり、一月経って欠席がちの学生の名前がすぐにわかるのである。
一週間後には歌謡学会での発表がある。その準備などで歌垣関係の本を再読している。準備といっても、最近書いた論文に少し新しいことを付け足すだけの発表なので、そんなに大変というわけではない。発表といっても、講演であって質疑応答があるわけではない。ただ、みっともない講演は出来ないので、それなりの準備はいる。
今こだわっているのは、歌垣の問答の起源である。折口信夫の起源論が未だに幅をきかせているが、それに対して、どう違った論理で説明出来るかね考えて居るる折口の論理が間違っていると思っているわけではないが、中国少数民族の歌の掛け合い事例などがたくさん出てきていて、折口の起源論ではなかなか説明できなくなっているのは確かなのである。
三弥生書店から出した『歌垣の起源を探る』という本で、手塚恵子が面白いことを書いている。折口は神と人との問答を想定した。それを垂直の掛け合いだという。手塚が調査している壮族には、霊と歌の掛け合いをすることがあると報告している。シャーマンが神懸かって霊を呼ぶ。その霊と村人が歌の掛け合いをするのだという。これを水平の掛け合いだという。つまり、神や霊というあの世の存在と人との問答には、垂直と水平があるというのだが、実は、これは私がずっと考えていたことであって、この論理を使って発表するつもりである。ちなみに、小川学夫は、奄美でも幽霊と掛け合いをするという話があると書いていて面白い。
問答の関係は原則として垂直ではない。折口のわかりにくさは、起源における神と人との関係はどうみても垂直なのに、それがいつのまにか水平になってしまうところだ。この問題結構面白いと思っている。
連休は長野のほうで過ごす。といっても土曜には学会のために戻ってきたので実質三日間くらいの休暇だったろうか。一日だけ、山小屋の近所の人たちと花見に行ったのが休暇らしい一日だった。長野は場所によっては桜が咲いている。近くの村の川沿いに小彼岸桜が植えられていてそれが今見頃なので、弁当を持って花見に行った。田植えの時期で、田には水が入り始め、新緑の山の際には白い花の樹が植えてある。五月の爽快な日光のもとで、桃源郷のような風景である。
学校が始まって一ヶ月が経つ。わが学科は今のところ何の問題もなく時が過ぎているが、これからどうなるか、である。これから、学生との個人面談が始まり、学生の状況調査の結果も出てくる。学校に来なくなった離脱者がどのくらいいるか。今年は学科長なのでこの数が心配になる。わが校は、今、カードリーダーで出欠を取っているので、学生全員の出欠状況が学校側によって全部把握できる。つまり、一月経って欠席がちの学生の名前がすぐにわかるのである。
一週間後には歌謡学会での発表がある。その準備などで歌垣関係の本を再読している。準備といっても、最近書いた論文に少し新しいことを付け足すだけの発表なので、そんなに大変というわけではない。発表といっても、講演であって質疑応答があるわけではない。ただ、みっともない講演は出来ないので、それなりの準備はいる。
今こだわっているのは、歌垣の問答の起源である。折口信夫の起源論が未だに幅をきかせているが、それに対して、どう違った論理で説明出来るかね考えて居るる折口の論理が間違っていると思っているわけではないが、中国少数民族の歌の掛け合い事例などがたくさん出てきていて、折口の起源論ではなかなか説明できなくなっているのは確かなのである。
三弥生書店から出した『歌垣の起源を探る』という本で、手塚恵子が面白いことを書いている。折口は神と人との問答を想定した。それを垂直の掛け合いだという。手塚が調査している壮族には、霊と歌の掛け合いをすることがあると報告している。シャーマンが神懸かって霊を呼ぶ。その霊と村人が歌の掛け合いをするのだという。これを水平の掛け合いだという。つまり、神や霊というあの世の存在と人との問答には、垂直と水平があるというのだが、実は、これは私がずっと考えていたことであって、この論理を使って発表するつもりである。ちなみに、小川学夫は、奄美でも幽霊と掛け合いをするという話があると書いていて面白い。
問答の関係は原則として垂直ではない。折口のわかりにくさは、起源における神と人との関係はどうみても垂直なのに、それがいつのまにか水平になってしまうところだ。この問題結構面白いと思っている。
連休に入る ― 2012/05/01 00:50
ようやく連休に入った。連休といっても、1日は授業がある。2日は振替休日で休講。それなら1日も休みにすれば9連休なのにと、たぶん、みんな思っているだろう。地方出身の学生はゆっくり故郷に帰れるのに。1日は授業回数を確保するために、どうしても休みに出来なかったらしい。私の場合は、連休にやることもないし、だらだらと過ごすだけだから、時々出校日があると助かる。
28日の土曜は、恒例の地方出身学生との懇談会があった。毎年この時期に開いている。地方から出てきた新入生に集まってもらってケーキを食べながら、地方出身者同士で知り合いになってもらったり、教員ともいろんな会話をしてもらおうという企画だ。連休にはいったので参加者がどれだけいるか不安だったがまあまあ来てくれた。こういう機会があると学生と私的な会話が出来て距離感が近くなる。こういう機会をたくさん作りたいと思っているのだが、なかなか難しい。
今回は2年生でも参加オーケーにしたら、2名参加した。遅れてきた一人は、来るなり自己紹介をするように言われた。すると、恋に破れた辛い体験とか、心が大変なときは学生相談室に通って何でも話したりとか、今は元気で頑張っているとか、明るい調子で、入学してから1年経った自分のことをあけすけに語り出したので、みんな思わず聞き入ってしまった。そして拍手した。とてもいい自己紹介だった。やっぱり、辛いことは心にためちゃいかん、この娘のように率直に他人に語れたらきっと楽しい人生を過ごせる、と少し感動した。
私の「アニメの物語学」を取っている学生がたまたま私の前に坐っていて、いろいろと質問された。この授業けっこう人気があると実感。まだ始まったばかりだが、これは手を抜けないなあと覚悟する。
もう一つ手を抜けないのが、市民講座のほうで、3回目が終わったが、何とか持っている。今のところボロはでていない。先週講師控え室に座っていたら、どこかで見た顔の女性が入ってきて、私の前に坐った。コシノジュンコだった。この日、講師として来たらしく、机には自著らしい本が積まれていて、サインをし始めた。有名人をこんなに近くで見るのもめったにないことであるが、さすがにすごい存在感であった。
29日は、これも毎年恒例だが、農家である北川辺の友人の家を訪問。田植えの頃なので、友人たちが田植えを少しは手伝おうということで始まった訪問行事なのだが、今では、ただ訪れて田んぼを散歩していろいろ野菜などをもらって帰ってくるだけの行事になった。ただ、今回は、友人が娘夫婦とその子供と、それから、娘夫婦の知り合いの家族三組を一緒に連れてきた。子供が全部で10人近くいて、何とも賑やかな一日となった。
それにしても、子供はいるところにはいる。チビも連れて行ったが、子供達にカワイイ!とか言われて撫で回されていた。チビは吠えもせずじっと耐えていた。大人しいものだからまた撫でまわされる。チビにとっては災難な一日であった。
田植え機を荷台にのせて走りたり
28日の土曜は、恒例の地方出身学生との懇談会があった。毎年この時期に開いている。地方から出てきた新入生に集まってもらってケーキを食べながら、地方出身者同士で知り合いになってもらったり、教員ともいろんな会話をしてもらおうという企画だ。連休にはいったので参加者がどれだけいるか不安だったがまあまあ来てくれた。こういう機会があると学生と私的な会話が出来て距離感が近くなる。こういう機会をたくさん作りたいと思っているのだが、なかなか難しい。
今回は2年生でも参加オーケーにしたら、2名参加した。遅れてきた一人は、来るなり自己紹介をするように言われた。すると、恋に破れた辛い体験とか、心が大変なときは学生相談室に通って何でも話したりとか、今は元気で頑張っているとか、明るい調子で、入学してから1年経った自分のことをあけすけに語り出したので、みんな思わず聞き入ってしまった。そして拍手した。とてもいい自己紹介だった。やっぱり、辛いことは心にためちゃいかん、この娘のように率直に他人に語れたらきっと楽しい人生を過ごせる、と少し感動した。
私の「アニメの物語学」を取っている学生がたまたま私の前に坐っていて、いろいろと質問された。この授業けっこう人気があると実感。まだ始まったばかりだが、これは手を抜けないなあと覚悟する。
もう一つ手を抜けないのが、市民講座のほうで、3回目が終わったが、何とか持っている。今のところボロはでていない。先週講師控え室に座っていたら、どこかで見た顔の女性が入ってきて、私の前に坐った。コシノジュンコだった。この日、講師として来たらしく、机には自著らしい本が積まれていて、サインをし始めた。有名人をこんなに近くで見るのもめったにないことであるが、さすがにすごい存在感であった。
29日は、これも毎年恒例だが、農家である北川辺の友人の家を訪問。田植えの頃なので、友人たちが田植えを少しは手伝おうということで始まった訪問行事なのだが、今では、ただ訪れて田んぼを散歩していろいろ野菜などをもらって帰ってくるだけの行事になった。ただ、今回は、友人が娘夫婦とその子供と、それから、娘夫婦の知り合いの家族三組を一緒に連れてきた。子供が全部で10人近くいて、何とも賑やかな一日となった。
それにしても、子供はいるところにはいる。チビも連れて行ったが、子供達にカワイイ!とか言われて撫で回されていた。チビは吠えもせずじっと耐えていた。大人しいものだからまた撫でまわされる。チビにとっては災難な一日であった。
田植え機を荷台にのせて走りたり
呪術の話 ― 2012/04/19 12:38
授業も始まり、学科長の仕事も始まり、市民講座も始まり、労働の日々が続く。こういう日々はあっという間に過ぎ去って、気がつくと一年が終わっていたりする。この歳になると、新しい何かに挑戦することはあまりないので、時間は基本的に生活のくり返しのなかで消費されていくだけだ。だから、時間の経つのは早い。
昨日は「アジア民族文化研究11号」の発送作業である。今回の機関誌は300頁ほどあり、かなり厚い。しかし、よくこれだけの厚い機関誌が発行出来るものだと我ながら感心する。もともと、わが学会は一次資料をなるべくたくさん掲載することを方針としてきたので、これだけの厚さになった。貴重な資料を持っている研究者が、発表の機会のないまま、その資料を埋もれさせてしまうということはよくあることである。わが学会はそういう資料の発掘もまた目指している。
ただ、これだけ厚いと発送作業が大変である。資金のない学会なので、会員への封筒の印刷は自前。最初は大会のポスターまで自分で印刷していた。それが自前でなくなったのは、印刷費が安くなったおかげ。デフレさまさまである。機関誌の印刷費もかなり安い。こちらは安くて助かるのだが、一方で、この安さじゃ印刷業界の人は大変だろうなあと心配になる。何人の人が職を失ったのか。インフレ政策はやはり必要だろうなあ、と思うことはある。ただ、自分のところだけはデフレでいて欲しい(給料を除いて)というのはみんなに共通したわがままだろうが。
毎年、会員に住所不明の人がけっこういる。退会者を含めると無視できない数になる。まだ何とか機関誌発行を維持できる会員数だが、そのうち危うくなるかも知れない。その時をいかに先延ばしにするのか、今その努力の日々だが、そのためにも学会活動のレベルを維持し、絶えず刺激を与え続ける学会にならなければならない。
青山で始まった市民講座はまだ二回ほどだが、とりあえず好調である。受講者はほとんど私より年配の方だが、シャーマニズムについてとても好奇心を持って聞いてくれる。ただ、これから歴史の講義に入っていく。今までは、映像をつかったりして楽しくできたが、文字資料が主である歴史の講義は気が重い。
講義のために平安時代の呪術関係の文献を読んでいて思うのは、結局これって関係の不安ではないのか、ということである。呪術の記録というのは、ほとんどが、権力闘争に敗れたものたちの、勝者への呪詛である。その呪詛を陰陽師が請け負うのだが、その呪詛返しもまた陰陽師が請け負う。
呪詛の代表的なのは人形による呪いである。私と奥さんは今韓流時代劇の「トンイ」にはまっているのだが、王妃が病で亡くなる場面がある。王妃は「トンイ」を次の王妃にしたいと思っている。それを阻みたい側室で韓国三大悪女の一人「ヒビン」の側は、王妃を早く亡き者にしたいと巫女を使って呪詛を行う。それが、人形を使うものだった。
人形に呪符を書き、呪う相手の近くに埋めるというものである。これは実際に史実であったようである。この呪詛が発覚してヒビンは窮地に陥るのだが、この呪詛は日本の奈良時代や平安時代の呪詛と同じである。呪詛の容疑は勝者側の捏造である場合が多いが、実際にも行われていた。人形を相手方の建物の床下に埋めるというもので、この人形が発見されて呪詛が発覚する、ということがある。
この人形を使った呪詛は中国からもたらされたものであろうが、民間ではなく王族や貴族が行っていた、というところが面白い。韓国王朝は儒教によって国を治めていたはずだが、やはり呪術文化は消えていないということだ。日本は、もっと消えていない。
権力の取り合いになったとき、相手が病気になってくれればと誰もが思う。それは神の所為だから誰も異を唱えられない。その神の意思を人の側が直接コントロールしようとするというのが呪術である。呪術の要点は、その作用が神もしくは超自然的な力に起因するように見させることにある。
失恋もそうだし、権力闘争のそうだが、人と人との関係が最悪になったとき、神の力を利用してこちらの都合の良いように相手を傷つけたい。そういう願望がある限り、呪術はなくならないだろう。疎ましい話だが、これも人間の一面と言うことだ。
傷つけて傷つけてしまう春の闇
昨日は「アジア民族文化研究11号」の発送作業である。今回の機関誌は300頁ほどあり、かなり厚い。しかし、よくこれだけの厚い機関誌が発行出来るものだと我ながら感心する。もともと、わが学会は一次資料をなるべくたくさん掲載することを方針としてきたので、これだけの厚さになった。貴重な資料を持っている研究者が、発表の機会のないまま、その資料を埋もれさせてしまうということはよくあることである。わが学会はそういう資料の発掘もまた目指している。
ただ、これだけ厚いと発送作業が大変である。資金のない学会なので、会員への封筒の印刷は自前。最初は大会のポスターまで自分で印刷していた。それが自前でなくなったのは、印刷費が安くなったおかげ。デフレさまさまである。機関誌の印刷費もかなり安い。こちらは安くて助かるのだが、一方で、この安さじゃ印刷業界の人は大変だろうなあと心配になる。何人の人が職を失ったのか。インフレ政策はやはり必要だろうなあ、と思うことはある。ただ、自分のところだけはデフレでいて欲しい(給料を除いて)というのはみんなに共通したわがままだろうが。
毎年、会員に住所不明の人がけっこういる。退会者を含めると無視できない数になる。まだ何とか機関誌発行を維持できる会員数だが、そのうち危うくなるかも知れない。その時をいかに先延ばしにするのか、今その努力の日々だが、そのためにも学会活動のレベルを維持し、絶えず刺激を与え続ける学会にならなければならない。
青山で始まった市民講座はまだ二回ほどだが、とりあえず好調である。受講者はほとんど私より年配の方だが、シャーマニズムについてとても好奇心を持って聞いてくれる。ただ、これから歴史の講義に入っていく。今までは、映像をつかったりして楽しくできたが、文字資料が主である歴史の講義は気が重い。
講義のために平安時代の呪術関係の文献を読んでいて思うのは、結局これって関係の不安ではないのか、ということである。呪術の記録というのは、ほとんどが、権力闘争に敗れたものたちの、勝者への呪詛である。その呪詛を陰陽師が請け負うのだが、その呪詛返しもまた陰陽師が請け負う。
呪詛の代表的なのは人形による呪いである。私と奥さんは今韓流時代劇の「トンイ」にはまっているのだが、王妃が病で亡くなる場面がある。王妃は「トンイ」を次の王妃にしたいと思っている。それを阻みたい側室で韓国三大悪女の一人「ヒビン」の側は、王妃を早く亡き者にしたいと巫女を使って呪詛を行う。それが、人形を使うものだった。
人形に呪符を書き、呪う相手の近くに埋めるというものである。これは実際に史実であったようである。この呪詛が発覚してヒビンは窮地に陥るのだが、この呪詛は日本の奈良時代や平安時代の呪詛と同じである。呪詛の容疑は勝者側の捏造である場合が多いが、実際にも行われていた。人形を相手方の建物の床下に埋めるというもので、この人形が発見されて呪詛が発覚する、ということがある。
この人形を使った呪詛は中国からもたらされたものであろうが、民間ではなく王族や貴族が行っていた、というところが面白い。韓国王朝は儒教によって国を治めていたはずだが、やはり呪術文化は消えていないということだ。日本は、もっと消えていない。
権力の取り合いになったとき、相手が病気になってくれればと誰もが思う。それは神の所為だから誰も異を唱えられない。その神の意思を人の側が直接コントロールしようとするというのが呪術である。呪術の要点は、その作用が神もしくは超自然的な力に起因するように見させることにある。
失恋もそうだし、権力闘争のそうだが、人と人との関係が最悪になったとき、神の力を利用してこちらの都合の良いように相手を傷つけたい。そういう願望がある限り、呪術はなくならないだろう。疎ましい話だが、これも人間の一面と言うことだ。
傷つけて傷つけてしまう春の闇
吉本の通訳 ― 2012/04/14 00:28
今週は毎日出校。アジア民族文化学会の発送準備で忙しい。ポスターの発送、機関誌の発送準備といろいろある。ほとんど一人でやる。手伝いを頼むことも可能だが、みんな忙しく、結局合間を見て自分でやるのが一番効率がよい。
水曜は市民講座の最初の授業。シニア文化講座ということで、受講者は年配の人ばかり。教室は、地下鉄の青山一丁目の駅の上のビルにある。「日本史におけるシャーマニズム」というテーマで、まずシャーマニズムの紹介から入った。私はいつも女性ばかりに教えているのだが、今回は男性の割合が多い。歴史と銘打った授業だからだろうか。私は歴史は専門でないので、歴史好きの受講者から結構突っ込まれれそうだ。準備が大変である。
それにしてもだ。私より年配の人たちの学習意欲とはすごいものだなとつくづく感心する。みんな若い時にはそれなりの教育を受けた人たちだろうに。「シャーマニズム」について一体どういう興味なのだろうか。冒頭一番、みなさん本当に好奇心の強い方々ですね、と語りかけた。好奇心こそが長生きの秘訣なのかも知れない。私も好奇心だけは負けないと思っている。そうでなきゃ、こういう講座を引き受けない。
今日、夜8時からのBSフジのプライムニュースで、吉本隆明特集をやっていた。この保守的な番組で吉本を取り上げるのが面白く、つい見てしまった。ゲストは、三浦雅士と芹沢俊介。司会者が、どうして吉本はそんなに若者に影響をあたえたのか、という質問に、二人のゲストが彼の思想はこうなんだ、と答えるのだが、三浦雅士がやたらに早口で饒舌で、こんいう人だったんだと初めて知った。
感想は、吉本隆明は、世代や人によって違った読まれ方をするのだなあ、というものである。テレビでの短い発言だから、簡単には決めつけられないにしても、吉本の偉さを一言で言うときに、やはり、世代やどういう生き方をしたか、というところで大分違うのだなと感じた。むろん、理解力という問題もあるだろうが、二人の吉本の思想の褒め方と私のとは大分違うように感じた。
私は、吉本の思想の一つのポイントは、知識や観念を突き詰めて生きることが、人間にとっての自然過程だとしながらも、それが何故時に無力なのか、あるいは、何故間違うのかという問題を徹底的に極めようとしたことだと思っている。転向論から始まるのは、理念的に生きることの脆さをそこに見たからだ。吉本の出した一つの答えは「大衆の原像」だった。つまり、理念的に生きる事がどうしても抱え込む超越的な位置取りを、いったん生活の側に下ろさないと、その理念が無力になったり間違うことがある、ということである。
知識人を評価するとき、知識人とは、知識を積極的に肯定しながらその知識の高ピーな位置取りをいかに無効にするかという矛盾にさらされること、を理解しているかどうか、という見方をした。吉本が最も理想とした知識人は親鸞だった。親鸞は、その矛盾をみごとに自覚して生きた思想家だったと考えたからだ。
今日の吉本特集の番組を見ていて、ゲストはこのようなことを一言も語らなかった。それでどうも、私とは理解の角度が違うのだなと思ったのである。別に私の見方が正しいなどとは思っているわけではないが、改めて、吉本は人それぞれにそれぞれの吉本像で読まれていると感心したのである。司会は二人のゲストを吉本の思想の通訳者と紹介していたが、あまりいい通訳をしていなかったように思うのだが。
水曜は市民講座の最初の授業。シニア文化講座ということで、受講者は年配の人ばかり。教室は、地下鉄の青山一丁目の駅の上のビルにある。「日本史におけるシャーマニズム」というテーマで、まずシャーマニズムの紹介から入った。私はいつも女性ばかりに教えているのだが、今回は男性の割合が多い。歴史と銘打った授業だからだろうか。私は歴史は専門でないので、歴史好きの受講者から結構突っ込まれれそうだ。準備が大変である。
それにしてもだ。私より年配の人たちの学習意欲とはすごいものだなとつくづく感心する。みんな若い時にはそれなりの教育を受けた人たちだろうに。「シャーマニズム」について一体どういう興味なのだろうか。冒頭一番、みなさん本当に好奇心の強い方々ですね、と語りかけた。好奇心こそが長生きの秘訣なのかも知れない。私も好奇心だけは負けないと思っている。そうでなきゃ、こういう講座を引き受けない。
今日、夜8時からのBSフジのプライムニュースで、吉本隆明特集をやっていた。この保守的な番組で吉本を取り上げるのが面白く、つい見てしまった。ゲストは、三浦雅士と芹沢俊介。司会者が、どうして吉本はそんなに若者に影響をあたえたのか、という質問に、二人のゲストが彼の思想はこうなんだ、と答えるのだが、三浦雅士がやたらに早口で饒舌で、こんいう人だったんだと初めて知った。
感想は、吉本隆明は、世代や人によって違った読まれ方をするのだなあ、というものである。テレビでの短い発言だから、簡単には決めつけられないにしても、吉本の偉さを一言で言うときに、やはり、世代やどういう生き方をしたか、というところで大分違うのだなと感じた。むろん、理解力という問題もあるだろうが、二人の吉本の思想の褒め方と私のとは大分違うように感じた。
私は、吉本の思想の一つのポイントは、知識や観念を突き詰めて生きることが、人間にとっての自然過程だとしながらも、それが何故時に無力なのか、あるいは、何故間違うのかという問題を徹底的に極めようとしたことだと思っている。転向論から始まるのは、理念的に生きることの脆さをそこに見たからだ。吉本の出した一つの答えは「大衆の原像」だった。つまり、理念的に生きる事がどうしても抱え込む超越的な位置取りを、いったん生活の側に下ろさないと、その理念が無力になったり間違うことがある、ということである。
知識人を評価するとき、知識人とは、知識を積極的に肯定しながらその知識の高ピーな位置取りをいかに無効にするかという矛盾にさらされること、を理解しているかどうか、という見方をした。吉本が最も理想とした知識人は親鸞だった。親鸞は、その矛盾をみごとに自覚して生きた思想家だったと考えたからだ。
今日の吉本特集の番組を見ていて、ゲストはこのようなことを一言も語らなかった。それでどうも、私とは理解の角度が違うのだなと思ったのである。別に私の見方が正しいなどとは思っているわけではないが、改めて、吉本は人それぞれにそれぞれの吉本像で読まれていると感心したのである。司会は二人のゲストを吉本の思想の通訳者と紹介していたが、あまりいい通訳をしていなかったように思うのだが。
恒例の花見 ― 2012/04/10 01:19
先週の土日はたぶんみんな花見の週末ではなかったろうか。私も、土曜は友人達と狭山湖での花見だった。これは毎年恒例なのだが、今年は寒くて、狭山湖畔にはほとんど花見客がいない。桜もまだ五分咲きといったところである。とにかく風が冷たい。ということで、近くの友人宅で花見ということになった。これも恒例である。
日曜は、マンションの花見。これも恒例である。日曜は天気もよく花見日和。マンションの庭の桜の下で住人達がそれぞれ食べ物や酒を持ち寄って一日宴会をする、というもので、マンションが出来てから毎年やっているという。このマンション35年経つから35年はやっているということになる。
まずアプローチの連絡ボードに、係が花見の候補日をあげ、住人がそれぞれ自分の部屋の記号の箇所に出られる日に○を入れる。実は、始め多数決で土曜日の7日に決まったのだが、新しく入居したひとなどが日曜日の法が都合がいいということもあり、日曜の希望者が多くなったので、日曜に変更となったが、これは正解であった。土曜日だったら寒くて震えながらの花見であったろう。
このマンションは入居者が設計から建築まで共同して行ったいわゆるコーポラティブハウスなので、入居者同士のつながりが強い。創始の時からの住人(15戸)は少なくなってきていて、かなり入れ替わっている。私たちも5年前に越してきた。それでも、伝統というものはたいしたもので、長屋のように住人が顔見知りである。ただ。中には一度も顔を見たことのない人もいるが、それはそれなりに了解されている。例えば有名な翻訳家のY氏は一二度すれ違っただけで、顔をほとなんど見たことがない。みんなも同じである。奥さんの話によると生活がほとんど夜昼逆転しているので、みんなと合うことはないという。
去年越していった人も花見に来た。また、引っ越していったが、オーナーとして部屋を賃貸にしている創始の住人も来てくれた。新しく越してきた二戸の住人も顔を出した。さらに、空き家になっていて賃貸物件になっている部屋があるのだが、たまたま花見の当日にそれを見に来た若い夫婦をだれかが連れてきて、花見に参加してもらった。というわけで、かなり賑やかな花見となった、5年住んでいるが、初めて顔を見る人もいる。同じ建物に住んでいるのに、顔を知らないというのも不思議と言えば不思議だが、日本ではこれが普通である。
花見が終わり今日(月)は出校。11日から授業。市民文化講座も始まる。その講義ノート作りでかなり時間を費やしたが、こういうのもそれなりに楽しいものである。5月の学会の準備もあり、やることは多い。
DVDを何本か見る。原田芳雄の『大鹿村騒動記』はともて面白かった。芸達者な役者たちが楽しんで演じているのがよくわかる。新しい映画ではないが『アンノウン』は、スパイものだが、展開の先が読めなくて、けっこう面白い。『ボーンアイデンティティ』と設定は似ているが、こっちの方がサスペンスとしてはよく出来ている。それからニールジョーダンの『プルートで朝食を』。『クライングゲーム』と同じような設定だが、こっちは完全にお姉エ系が主人公。こけれがなかなか泣かせる。それでいてとても洒落ている。さすがニールジョーダンである。それから、1983年の古い映画だがクローネンバーク監督の『デッドゾーン』。事故で予知能力を持ってしまった男の物語だが、傑作という評価が高いのも頷ける。
DVDは原則として旧作しか見ない。ツタヤで四本千円だから。だから、良い映画を観たときはとても得した気分になる。今回はとても得した気分になった。
日曜は、マンションの花見。これも恒例である。日曜は天気もよく花見日和。マンションの庭の桜の下で住人達がそれぞれ食べ物や酒を持ち寄って一日宴会をする、というもので、マンションが出来てから毎年やっているという。このマンション35年経つから35年はやっているということになる。
まずアプローチの連絡ボードに、係が花見の候補日をあげ、住人がそれぞれ自分の部屋の記号の箇所に出られる日に○を入れる。実は、始め多数決で土曜日の7日に決まったのだが、新しく入居したひとなどが日曜日の法が都合がいいということもあり、日曜の希望者が多くなったので、日曜に変更となったが、これは正解であった。土曜日だったら寒くて震えながらの花見であったろう。
このマンションは入居者が設計から建築まで共同して行ったいわゆるコーポラティブハウスなので、入居者同士のつながりが強い。創始の時からの住人(15戸)は少なくなってきていて、かなり入れ替わっている。私たちも5年前に越してきた。それでも、伝統というものはたいしたもので、長屋のように住人が顔見知りである。ただ。中には一度も顔を見たことのない人もいるが、それはそれなりに了解されている。例えば有名な翻訳家のY氏は一二度すれ違っただけで、顔をほとなんど見たことがない。みんなも同じである。奥さんの話によると生活がほとんど夜昼逆転しているので、みんなと合うことはないという。
去年越していった人も花見に来た。また、引っ越していったが、オーナーとして部屋を賃貸にしている創始の住人も来てくれた。新しく越してきた二戸の住人も顔を出した。さらに、空き家になっていて賃貸物件になっている部屋があるのだが、たまたま花見の当日にそれを見に来た若い夫婦をだれかが連れてきて、花見に参加してもらった。というわけで、かなり賑やかな花見となった、5年住んでいるが、初めて顔を見る人もいる。同じ建物に住んでいるのに、顔を知らないというのも不思議と言えば不思議だが、日本ではこれが普通である。
花見が終わり今日(月)は出校。11日から授業。市民文化講座も始まる。その講義ノート作りでかなり時間を費やしたが、こういうのもそれなりに楽しいものである。5月の学会の準備もあり、やることは多い。
DVDを何本か見る。原田芳雄の『大鹿村騒動記』はともて面白かった。芸達者な役者たちが楽しんで演じているのがよくわかる。新しい映画ではないが『アンノウン』は、スパイものだが、展開の先が読めなくて、けっこう面白い。『ボーンアイデンティティ』と設定は似ているが、こっちの方がサスペンスとしてはよく出来ている。それからニールジョーダンの『プルートで朝食を』。『クライングゲーム』と同じような設定だが、こっちは完全にお姉エ系が主人公。こけれがなかなか泣かせる。それでいてとても洒落ている。さすがニールジョーダンである。それから、1983年の古い映画だがクローネンバーク監督の『デッドゾーン』。事故で予知能力を持ってしまった男の物語だが、傑作という評価が高いのも頷ける。
DVDは原則として旧作しか見ない。ツタヤで四本千円だから。だから、良い映画を観たときはとても得した気分になる。今回はとても得した気分になった。
入学式で思うこと ― 2012/04/03 00:56
今日(2日)は入学式である。今年は桜の咲くのが遅いが、大学前のしだれ桜はすっすり咲いていた。天気も良かったので、入学式日和というところだ。いつものように、セレモニーがある。私はこの四月から学科長なので壇上で挨拶をさせられた。
今年はわが学科の新入生は定員を割り込んだ。覚悟はしていたが、やはり届かなかった。こういう時に学科長をやるのは楽しくはない。どうやったら、学生を集められるのか、知恵をださないといけない。これは時代の問題だからどうやっても無理だろう、という思いはあるが、そうは言ってられない。とりあえず大学も企業だからそこで働く者は生活がかかっている。時代のせいにする訳にはいかない。
毎年だが、壇上で新入生の顔を見ると、少し不安と緊張のせいか、みんな一様にやや暗めである。だが、しばらくすると、この顔がとても元気になっていく。それを感じ取れるのが教員としてなかなか楽しいのである。ただ、短大は2年だが、2年後には社会に送り出さなくてはならない。ちゃんと鍛えてしっかりとした大人にしていかなくては、といつも入学式に思うが、鍛えるなんて出来るわけはない。むしろ、学生たちが自分で成長していくその手伝いをほんの少しするだけ、といったほうが実際は正しいのだろう。むしろ、鍛えられるのは、わたしたちのほうだ。
就職の厳しい時代である。楽しくやろうよ、社会に出れば何とか食べていけるさ、などと明るく言えないことが、寂しい。老婆心でつい、将来はたいへんだよ努力しなくては、と言ってしまう。そんなことわかっているだろうに、一応教員の立場として言わざるを得ない。本当は、たくさん本を読んでいろいろ考える2年間を持つことだけでそれで十分。そういう2年間を持てれば、就職出来なくてもやっていける、と自信を持って言えればいいのだが。これは高度成長期の私の若い頃の感覚が入っているから、そのまま言うのは無責任になる。
とにかく、どんな職業でもいいから、食べていける道を探せ。そのうえで、好きなことを探せ、勉強もしろ、というのが最も現実的だが、これだと夢がない。しかし、夢を持って、その実現を目指せ、などと脳天気に言える時代でもない。
私の家は貧しかった。だから、高校を出て就職して地道に働いて親を楽にする、という生き方をどうして選ばなかったのか、とふと今でも思うことがある。少なくとも、私の周囲はみんな貧しかったから、私の同世代はそのように選択した者が大半だった。それと真逆な生き方をして親不孝をしたことを悔やむことがないわけではない。そういう私が、地道に生きろ、などという資格があるだろうか、といつも思うのである。地道に生きなかったからそれを言う資格があるとも言える。よくわからない。
入学式のあとのガイダンス。新入生は教員を興味津々と眺め品定めをしている。私たちもそうだ。双方期待したほどではないと思いながら、でも心の中では期待は大きく膨らんでいる。毎年そうだが、教員にとって入学式のこの時期がとても心地よいときなのである。
入学式みんな同じ目で見る宙(そら)
今年はわが学科の新入生は定員を割り込んだ。覚悟はしていたが、やはり届かなかった。こういう時に学科長をやるのは楽しくはない。どうやったら、学生を集められるのか、知恵をださないといけない。これは時代の問題だからどうやっても無理だろう、という思いはあるが、そうは言ってられない。とりあえず大学も企業だからそこで働く者は生活がかかっている。時代のせいにする訳にはいかない。
毎年だが、壇上で新入生の顔を見ると、少し不安と緊張のせいか、みんな一様にやや暗めである。だが、しばらくすると、この顔がとても元気になっていく。それを感じ取れるのが教員としてなかなか楽しいのである。ただ、短大は2年だが、2年後には社会に送り出さなくてはならない。ちゃんと鍛えてしっかりとした大人にしていかなくては、といつも入学式に思うが、鍛えるなんて出来るわけはない。むしろ、学生たちが自分で成長していくその手伝いをほんの少しするだけ、といったほうが実際は正しいのだろう。むしろ、鍛えられるのは、わたしたちのほうだ。
就職の厳しい時代である。楽しくやろうよ、社会に出れば何とか食べていけるさ、などと明るく言えないことが、寂しい。老婆心でつい、将来はたいへんだよ努力しなくては、と言ってしまう。そんなことわかっているだろうに、一応教員の立場として言わざるを得ない。本当は、たくさん本を読んでいろいろ考える2年間を持つことだけでそれで十分。そういう2年間を持てれば、就職出来なくてもやっていける、と自信を持って言えればいいのだが。これは高度成長期の私の若い頃の感覚が入っているから、そのまま言うのは無責任になる。
とにかく、どんな職業でもいいから、食べていける道を探せ。そのうえで、好きなことを探せ、勉強もしろ、というのが最も現実的だが、これだと夢がない。しかし、夢を持って、その実現を目指せ、などと脳天気に言える時代でもない。
私の家は貧しかった。だから、高校を出て就職して地道に働いて親を楽にする、という生き方をどうして選ばなかったのか、とふと今でも思うことがある。少なくとも、私の周囲はみんな貧しかったから、私の同世代はそのように選択した者が大半だった。それと真逆な生き方をして親不孝をしたことを悔やむことがないわけではない。そういう私が、地道に生きろ、などという資格があるだろうか、といつも思うのである。地道に生きなかったからそれを言う資格があるとも言える。よくわからない。
入学式のあとのガイダンス。新入生は教員を興味津々と眺め品定めをしている。私たちもそうだ。双方期待したほどではないと思いながら、でも心の中では期待は大きく膨らんでいる。毎年そうだが、教員にとって入学式のこの時期がとても心地よいときなのである。
入学式みんな同じ目で見る宙(そら)
民俗学につて語る ― 2012/03/26 02:05
昨日は柳田の研究会に誘われ参加する。勤め先の近くの女子大学に行く。実は、奥さんと知り合いとで、東中野に井上井月の「ほかひ人」を観に行く予定だったが、Nさんから出てくれとのメールがあって、映画をキャンセルして急遽参加することにした。
二〇何年やっていた柳田研究会をそろそろ終わりにするにあたって、座談会をするので参加して何かしゃべってくれという誘いである。テーマは、柳田研究会を立ち上げた後藤総一郎をどう超えていくか、ということや、社会変革と民俗学というなかなか難しいテーマである。特に、社会変革というと、いまさら、という感じのテーマだが、このいまさらをどう説明していくのか、それはそれで大事なテーマではあろう。
とりあえず私の発言だけ簡単に記す。まず吉本隆明の柳田論から。吉本は、柳田は内視鏡で村の内部をなめるように描いた人で、外部(歴史的視点や世界からのまなざし)からのまなざしを禁じた人だと語っている。だから、柳田の文章は、液状化したような数珠つなぎのような文章なのだと言う。私は、この吉本のとらえ方が気に入っていて、実は、多くの知識人、例えば吉本が批判する丸山真男などは、その逆だと言うことがわかる。つまり、内部にいる自分のまなざしを禁じて、外部からの(西欧の思想)まなざしによって論じようとする。日本の近代における社会変革の思想がだめになっていったのは、外部からのまなざしだけで内部を遅れた前近代的なものとみなしたからだ。その遅れたもののなかに、自分が抜きがたく存在している事実を見ない態度において成立した思想だったからである。
柳田はその反対だったが、しかし、外部を禁じれば、自分が入り込んだ内部をどう変革するのか、その方向を見いだせないはずだ。とりあえず、今ある危機への現実的対処は出来ようが、どう変革していくのか未来図は描けない。柳田は、常民が自分たちの生活史を知ることで自らがかんがえていくものだと考えてはいたが、それでも、不親切ではあろう。
つまり、内部に入り込んでいる自分のまなざしと外部からのまなざしを一致させるのは難しいのだ。言い換えれば、そういうことがどうも日本における思想の課題になっているということでもある。柳田は外部からの眼差しを禁じて、内部からだけで膨大な日本人の生活史、もしくは生活誌を記述した。だから、外部からの思想で革命運動に身を投じ挫折した知識人は、自分たちとはまったく違う方法で、自分たちが変革の対象とした、民衆を記述している柳田に惹かれたのである。柳田の門下生や、戦後の柳田への信奉者は元左翼が多いのはそのためである。
私だってまあ、似たようなところはある。だが、柳田と違って、内部に入ろうとした多くの知識人は、やはり、外部の思想なしには未来図を描けない。そこに葛藤というかジレンマが生まれる。柳田の言う常民という位置にあることを肯定して、それを外部の思想で語ることは困難であり、ためらいがあろう。後藤総一郎という人は、そのためらいがなかった人であった。だから、常民大学を社会変革という外部的な思考の運動体として、あちこちに作ることが出来た。その意味では、希有な人であった。
葛藤がなかったことはないとは思うが、それを表に出さず、とにかく、常民大学で社会を変えようと本気で思った人だと思う。それが出来たのは、後藤さんが南信州の山村の出身だった、ということが大きいだろう。彼は、自分が村の内部に位置する存在であることを疑わずに外部の思想を語る、力業が出来た人なのである。批判もあったろうが、常民大学で、多くの人材を育てた功績は大きいと思う。
それから、私は、柳田民俗学に、社会を変革するといった大きな物語を期待するのはやめた方がいいと語った。柳田はそれほど大きな物語を語ったわけではない。ただ、柳田の信奉者や柳田の批判者が、柳田を大きな物語の枠組みで捉えようとし、あるいはとらえたいと思っているところがある。むしろ、柳田は、近代によって変容していく生活の中で、村や村人、あるいは村から都市に移り住んだ人達の危機に対処できる学問を作ろうした。それは、社会や国家の変革という大きな物語を作ることではなかったはずなのである。
むしろ、一人一人の中の共同性(民俗文化といったもの)を見つめ直すことだと考えたのである。その意味では、民俗学で「小さな物語」を紡ごうとしたと言える。
私はたまたま読んだばかりの六車由実の『驚きの介護民俗学』の話をした。ここには、民俗学の方法が、社会的な快適さから見放された一人一人の心や身体の問題と直接向き合うことの出来ることが記述されている。その民俗学の方法とは、社会から取り残された老人たちから個人史を聞くことだが、それは、老人達と新たな関係(ささやかな社会といつてもいい)を創り上げる共同作業とでも言える方法であり、民俗学の一つの方向性を示しているのではないか、というようなことを話した。
学会で六車さんの論文の審査をした人もその会にいて、感心して聞き入っていたから、少しは、『驚きの介護民俗学』の宣伝は出来たかなと思う。
久しぶりに難しい話を人前でしゃべってかなり疲れた。
まだ咲かぬ桜並木を横に見る
二〇何年やっていた柳田研究会をそろそろ終わりにするにあたって、座談会をするので参加して何かしゃべってくれという誘いである。テーマは、柳田研究会を立ち上げた後藤総一郎をどう超えていくか、ということや、社会変革と民俗学というなかなか難しいテーマである。特に、社会変革というと、いまさら、という感じのテーマだが、このいまさらをどう説明していくのか、それはそれで大事なテーマではあろう。
とりあえず私の発言だけ簡単に記す。まず吉本隆明の柳田論から。吉本は、柳田は内視鏡で村の内部をなめるように描いた人で、外部(歴史的視点や世界からのまなざし)からのまなざしを禁じた人だと語っている。だから、柳田の文章は、液状化したような数珠つなぎのような文章なのだと言う。私は、この吉本のとらえ方が気に入っていて、実は、多くの知識人、例えば吉本が批判する丸山真男などは、その逆だと言うことがわかる。つまり、内部にいる自分のまなざしを禁じて、外部からの(西欧の思想)まなざしによって論じようとする。日本の近代における社会変革の思想がだめになっていったのは、外部からのまなざしだけで内部を遅れた前近代的なものとみなしたからだ。その遅れたもののなかに、自分が抜きがたく存在している事実を見ない態度において成立した思想だったからである。
柳田はその反対だったが、しかし、外部を禁じれば、自分が入り込んだ内部をどう変革するのか、その方向を見いだせないはずだ。とりあえず、今ある危機への現実的対処は出来ようが、どう変革していくのか未来図は描けない。柳田は、常民が自分たちの生活史を知ることで自らがかんがえていくものだと考えてはいたが、それでも、不親切ではあろう。
つまり、内部に入り込んでいる自分のまなざしと外部からのまなざしを一致させるのは難しいのだ。言い換えれば、そういうことがどうも日本における思想の課題になっているということでもある。柳田は外部からの眼差しを禁じて、内部からだけで膨大な日本人の生活史、もしくは生活誌を記述した。だから、外部からの思想で革命運動に身を投じ挫折した知識人は、自分たちとはまったく違う方法で、自分たちが変革の対象とした、民衆を記述している柳田に惹かれたのである。柳田の門下生や、戦後の柳田への信奉者は元左翼が多いのはそのためである。
私だってまあ、似たようなところはある。だが、柳田と違って、内部に入ろうとした多くの知識人は、やはり、外部の思想なしには未来図を描けない。そこに葛藤というかジレンマが生まれる。柳田の言う常民という位置にあることを肯定して、それを外部の思想で語ることは困難であり、ためらいがあろう。後藤総一郎という人は、そのためらいがなかった人であった。だから、常民大学を社会変革という外部的な思考の運動体として、あちこちに作ることが出来た。その意味では、希有な人であった。
葛藤がなかったことはないとは思うが、それを表に出さず、とにかく、常民大学で社会を変えようと本気で思った人だと思う。それが出来たのは、後藤さんが南信州の山村の出身だった、ということが大きいだろう。彼は、自分が村の内部に位置する存在であることを疑わずに外部の思想を語る、力業が出来た人なのである。批判もあったろうが、常民大学で、多くの人材を育てた功績は大きいと思う。
それから、私は、柳田民俗学に、社会を変革するといった大きな物語を期待するのはやめた方がいいと語った。柳田はそれほど大きな物語を語ったわけではない。ただ、柳田の信奉者や柳田の批判者が、柳田を大きな物語の枠組みで捉えようとし、あるいはとらえたいと思っているところがある。むしろ、柳田は、近代によって変容していく生活の中で、村や村人、あるいは村から都市に移り住んだ人達の危機に対処できる学問を作ろうした。それは、社会や国家の変革という大きな物語を作ることではなかったはずなのである。
むしろ、一人一人の中の共同性(民俗文化といったもの)を見つめ直すことだと考えたのである。その意味では、民俗学で「小さな物語」を紡ごうとしたと言える。
私はたまたま読んだばかりの六車由実の『驚きの介護民俗学』の話をした。ここには、民俗学の方法が、社会的な快適さから見放された一人一人の心や身体の問題と直接向き合うことの出来ることが記述されている。その民俗学の方法とは、社会から取り残された老人たちから個人史を聞くことだが、それは、老人達と新たな関係(ささやかな社会といつてもいい)を創り上げる共同作業とでも言える方法であり、民俗学の一つの方向性を示しているのではないか、というようなことを話した。
学会で六車さんの論文の審査をした人もその会にいて、感心して聞き入っていたから、少しは、『驚きの介護民俗学』の宣伝は出来たかなと思う。
久しぶりに難しい話を人前でしゃべってかなり疲れた。
まだ咲かぬ桜並木を横に見る
『驚きの介護民俗学』はお薦め ― 2012/03/23 00:30
二冊の本を読んだ。山崎正和『世界文明史の試み 神話と舞踊』(中央公論社)、六車由実『驚きの介護民俗学』(医学書院)である。『世界文明史の試み』は分厚い本で、期待して読んだが期待はずれ。やっぱりかという感じ。身体論という視座から世界史をどうやって料理するのか楽しみしたのだが、雑ぱくすぎて、身体論の視座が伝わってこない。「する」と「ある」という二つの存在の仕方に世界史を分類するという方法なのだが、これも、分類のための分類になっていて、そう分類したことで世界史が違って見える、という感動がない。これは読まなくても良かった本である。
六車由実の『驚きの介護民俗学』は、送っていただいた本だが、こちらはむしろ感動した本である。雑誌やウェブで連載していた時から読んでいたが、一冊の本になると、また違った印象で読める。
六車さんは民俗学者。『神、人を喰う』という奇抜なタイトルの、人身御供に関する本でサントリー文芸賞をもらった。昔からの知り合いである。大学の教員を辞め、現在介護の資格をとって介護の仕事をしている。だが、やはり民俗学者で、介護をしながら、老人達の聞き書きをし、それを仕事にいかしながら、かつ新たな学問領域にまで高めてしまった。その成果がこの『驚きの介護民俗学』である。
宮本常一の『忘れられた日本人』を、介護の現場で実践したと言えば、そういうことに近いが、しかし介護の現場でそれを実践することは、民俗学者がフィールドするのとはまつたく意味合いが違ってくる。それでも、やはり、そこには「語り」の驚くような面白さがある。とにかく、『忘れられた日本人』が示した生活者の「語り」の豊かさを、また再発見した本だと言ってもいいだろう。
老人の「語り」を伝える民俗学の本であると言ってもいいが、それ以上に介護の実践の報告書であり立派な介護論にもなっている。あるいは、人は何故「語る」のか、という、従来の「語り」論では見えなかった「語り」の様相が見える本でもある。広く文学研究者にも読んで欲しい本である。読み出すとあっと言う間に読めてしまう本であるが、様々な学問が交錯しているという意味で、いろいろと考えさせる。
正直、私は『神、人を喰う』よりこっちの本の方が優れていると思う。『驚きの介護民俗学』の方は、著者が全身全霊で対象にぶつかって書いているところが伝わってくるし、ここからいろんな方向に向かっていきそうな知的好奇心にも満ちあふれている。何より、「介護民俗学」という誰にも思いつかなかった領域を創り上げた、その興奮が伝わってくる。民俗学者が介護という現場に出会ったというより、この本を書かせるために介護の現場が六車さんを呼び寄せた、ということではないのか。そう思わせる本である。
とにかく、老人たちの話が面白い。たぶん私の親の世代の人生の物語である。こういってはなんだが、ここに出てくる老人に負けないくらい、私の親も波瀾万丈の人生を送っている。六車さんに出会って話が出来たら六車さんはとても喜んだろうにと思う。
この本の中で、「何処の町に住んでいる」と必ず最初に聞くおばあさんの話が出てくる。そうやって必ず同じ言葉を儀式のように繰り返すことが、このおばあさんにとっては意味があるのだと書いているが、私は、ふと、昔、川越のある病院の待合室で、見知らぬ同士の二人のおばあさんが互いに話を始めた光景を思い出した。一人が相手に「何処の町に住んでいる?」とまず声を掛けたのである。何処何処の町だと答える。親戚の誰々がヨメに言っているのだが、知らないか、とまた尋ねる。知らないと答えると、今度は誰々がいるかと聞く。何人か目にその人は知っていると返事が返ると、突然、二人の会話は活発になり、二人の接点となった人物を介して、様々な話題が飛び交うのだ。私はそれを近くの席で聴きながら、こうやって他者同士が情報を交換し、接点を見出して、語り合う関係になっていくのだと、なんだか妙に感動した。その始まりが「何処の町に住んでいる?」という言葉であった。この言葉なかなかのものなのである。
六車由実の『驚きの介護民俗学』は、送っていただいた本だが、こちらはむしろ感動した本である。雑誌やウェブで連載していた時から読んでいたが、一冊の本になると、また違った印象で読める。
六車さんは民俗学者。『神、人を喰う』という奇抜なタイトルの、人身御供に関する本でサントリー文芸賞をもらった。昔からの知り合いである。大学の教員を辞め、現在介護の資格をとって介護の仕事をしている。だが、やはり民俗学者で、介護をしながら、老人達の聞き書きをし、それを仕事にいかしながら、かつ新たな学問領域にまで高めてしまった。その成果がこの『驚きの介護民俗学』である。
宮本常一の『忘れられた日本人』を、介護の現場で実践したと言えば、そういうことに近いが、しかし介護の現場でそれを実践することは、民俗学者がフィールドするのとはまつたく意味合いが違ってくる。それでも、やはり、そこには「語り」の驚くような面白さがある。とにかく、『忘れられた日本人』が示した生活者の「語り」の豊かさを、また再発見した本だと言ってもいいだろう。
老人の「語り」を伝える民俗学の本であると言ってもいいが、それ以上に介護の実践の報告書であり立派な介護論にもなっている。あるいは、人は何故「語る」のか、という、従来の「語り」論では見えなかった「語り」の様相が見える本でもある。広く文学研究者にも読んで欲しい本である。読み出すとあっと言う間に読めてしまう本であるが、様々な学問が交錯しているという意味で、いろいろと考えさせる。
正直、私は『神、人を喰う』よりこっちの本の方が優れていると思う。『驚きの介護民俗学』の方は、著者が全身全霊で対象にぶつかって書いているところが伝わってくるし、ここからいろんな方向に向かっていきそうな知的好奇心にも満ちあふれている。何より、「介護民俗学」という誰にも思いつかなかった領域を創り上げた、その興奮が伝わってくる。民俗学者が介護という現場に出会ったというより、この本を書かせるために介護の現場が六車さんを呼び寄せた、ということではないのか。そう思わせる本である。
とにかく、老人たちの話が面白い。たぶん私の親の世代の人生の物語である。こういってはなんだが、ここに出てくる老人に負けないくらい、私の親も波瀾万丈の人生を送っている。六車さんに出会って話が出来たら六車さんはとても喜んだろうにと思う。
この本の中で、「何処の町に住んでいる」と必ず最初に聞くおばあさんの話が出てくる。そうやって必ず同じ言葉を儀式のように繰り返すことが、このおばあさんにとっては意味があるのだと書いているが、私は、ふと、昔、川越のある病院の待合室で、見知らぬ同士の二人のおばあさんが互いに話を始めた光景を思い出した。一人が相手に「何処の町に住んでいる?」とまず声を掛けたのである。何処何処の町だと答える。親戚の誰々がヨメに言っているのだが、知らないか、とまた尋ねる。知らないと答えると、今度は誰々がいるかと聞く。何人か目にその人は知っていると返事が返ると、突然、二人の会話は活発になり、二人の接点となった人物を介して、様々な話題が飛び交うのだ。私はそれを近くの席で聴きながら、こうやって他者同士が情報を交換し、接点を見出して、語り合う関係になっていくのだと、なんだか妙に感動した。その始まりが「何処の町に住んでいる?」という言葉であった。この言葉なかなかのものなのである。
吉本逝く ― 2012/03/17 11:11
15日卒業式、16日卒業パーティ。昨年は震災で中止だったから、予定通り行われることの貴重さを実感という感じである。いつものように、ディズニーホテルだが、今年は、ディズニーシーのホテルミラコスタ。いつものように、ミッキーやドナルドがやって来てみんなと記念撮影。私など毎年、ミッキーと握手している。ちなみに、うちのチビは、私どもにもらわれる前、ボランティアの人にミーニーちゃんと呼ばれていた。うちではミーニーは呼びづらいので、別の名前にしようということになったが、思いつく前にチビ、チビと言っていたのがそのまま名前になってしまった。だから、卒業パーティにミーニーちゃんが来る度にチビのことを思い出す。
家に帰ったら、吉本隆明の訃報が報じられる。ついに亡くなったか、という思い。糖尿病でかなり悪いと聞いていたし、歳も歳だからそのうち、と思ってはいた。それにしても長生きしたのではないかと思う。本屋にはいつも新刊が並んでいた。そのこともスゴイと思う。私の本棚には吉本隆明の本が何冊あるだろう。数えたことはないが、ほぼ揃っているのではないか。五十冊は間違いなく越えている。百冊近くなるかもしれない。
ただ、最近書く本はかつての繰り返しだから余り買ってはいない。私は、よく人から吉本主義者と言われる。自分では余りそう思ってはいないが、ただ、ものの考え方とか、論理の構成の仕方とか、知識に対する態度とか、ほとんど吉本隆明の本を読んで身につけたようなものだから、そう呼ばれても仕方がないだろう。
だから何を学んだのかと具体的に聞かれると上手く答えられない。一つあげるとすれば、知識を学んでも、いわゆる知識人になってはいけないという、屈折した身の処し方を教えられたということだろうか。吉本は知識の普遍性を信じたが、知識人の普遍性を否定した人である。そこに大学の教員にならなかった理由があろう。
その根拠として「大衆の原像」という言い方をしたが、いわゆる大衆に価値を置いたの
ではなく、知識は常に生活者の側から相対化されるべきだという考え方である。知識の普遍性が、生活の側でどう活きられるのか、という問い方は、柳田国男を除いて、日本の知識人は余りしてこなかったと思うのだ。この教えは、私の骨身にしみている。幸いなことに、私は、偉い知識人と言えるほど頭もいいわけではないし優れた仕事もしていないので、そんなに悩むことなどないのだが、結局、これは、近代以降のするどい知識人批判であったし、現在の日本の思想が、百花繚乱であっても、生活の側からほとんどスルーされてしまう現状への批判でもあろう。
今度の原発問題でも、科学への進歩というものは決して退歩しない、原子を取り出す技術を得てしまった以上、それに見合う最大限の努力で安全性を担保していくしかないのだ、と一貫して論じていたのはさすが吉本らしかった。
ただ、私が吉本の思想にやや違和感があったとすれば、それは個をめぐる問題である。吉本の言う、「自己表出」も「共同幻想」も、結局は、個の価値を基盤にすえたものである。私のように古代を専門とするものにとって、個は曖昧なものである。むしろ、人間の共同的なあり方の中に人間のリアリティというものを見つめる。だから、「自己表出」は、万葉集や、神話などの表出を、文学として置き換えて論じていくときにはあまりうまくいかない方法概念だった。
吉本が個に普遍性を置くのは、人間は(あるいは歴史は)普遍的な場所を目指すものだという信念があるからだろう。ある意味ではヘーゲル的な段階論を使った論理展開をしていた。つまり、人間は共同的に生きる段階から個的に生きる段階へと進むものだという認識の仕方である。それを否定するものではないが、そう簡単にはすすまないのもまた人間であり、人間の社会である。そして、その上手くいかないところが、私の研究領域なのである。
いずれにしろ、戦後を象徴した吉本さんの死は、間違い無く、一つの時代の終わりを意味しているのだろう。が、そうであるにもかかわらず、日本の思想の現状は相変わらずだなあと思う。何が相変わらずなのかはうまく言えないのだが。
逝きし人春の揺らぎに何想う
家に帰ったら、吉本隆明の訃報が報じられる。ついに亡くなったか、という思い。糖尿病でかなり悪いと聞いていたし、歳も歳だからそのうち、と思ってはいた。それにしても長生きしたのではないかと思う。本屋にはいつも新刊が並んでいた。そのこともスゴイと思う。私の本棚には吉本隆明の本が何冊あるだろう。数えたことはないが、ほぼ揃っているのではないか。五十冊は間違いなく越えている。百冊近くなるかもしれない。
ただ、最近書く本はかつての繰り返しだから余り買ってはいない。私は、よく人から吉本主義者と言われる。自分では余りそう思ってはいないが、ただ、ものの考え方とか、論理の構成の仕方とか、知識に対する態度とか、ほとんど吉本隆明の本を読んで身につけたようなものだから、そう呼ばれても仕方がないだろう。
だから何を学んだのかと具体的に聞かれると上手く答えられない。一つあげるとすれば、知識を学んでも、いわゆる知識人になってはいけないという、屈折した身の処し方を教えられたということだろうか。吉本は知識の普遍性を信じたが、知識人の普遍性を否定した人である。そこに大学の教員にならなかった理由があろう。
その根拠として「大衆の原像」という言い方をしたが、いわゆる大衆に価値を置いたの
ではなく、知識は常に生活者の側から相対化されるべきだという考え方である。知識の普遍性が、生活の側でどう活きられるのか、という問い方は、柳田国男を除いて、日本の知識人は余りしてこなかったと思うのだ。この教えは、私の骨身にしみている。幸いなことに、私は、偉い知識人と言えるほど頭もいいわけではないし優れた仕事もしていないので、そんなに悩むことなどないのだが、結局、これは、近代以降のするどい知識人批判であったし、現在の日本の思想が、百花繚乱であっても、生活の側からほとんどスルーされてしまう現状への批判でもあろう。
今度の原発問題でも、科学への進歩というものは決して退歩しない、原子を取り出す技術を得てしまった以上、それに見合う最大限の努力で安全性を担保していくしかないのだ、と一貫して論じていたのはさすが吉本らしかった。
ただ、私が吉本の思想にやや違和感があったとすれば、それは個をめぐる問題である。吉本の言う、「自己表出」も「共同幻想」も、結局は、個の価値を基盤にすえたものである。私のように古代を専門とするものにとって、個は曖昧なものである。むしろ、人間の共同的なあり方の中に人間のリアリティというものを見つめる。だから、「自己表出」は、万葉集や、神話などの表出を、文学として置き換えて論じていくときにはあまりうまくいかない方法概念だった。
吉本が個に普遍性を置くのは、人間は(あるいは歴史は)普遍的な場所を目指すものだという信念があるからだろう。ある意味ではヘーゲル的な段階論を使った論理展開をしていた。つまり、人間は共同的に生きる段階から個的に生きる段階へと進むものだという認識の仕方である。それを否定するものではないが、そう簡単にはすすまないのもまた人間であり、人間の社会である。そして、その上手くいかないところが、私の研究領域なのである。
いずれにしろ、戦後を象徴した吉本さんの死は、間違い無く、一つの時代の終わりを意味しているのだろう。が、そうであるにもかかわらず、日本の思想の現状は相変わらずだなあと思う。何が相変わらずなのかはうまく言えないのだが。
逝きし人春の揺らぎに何想う
最初の一押し ― 2012/03/08 00:54
今日は勤め先のFD研修会があり、出席。自己発見のグループワーキングのプログラムを、教員が実際にやってみる、という研修である。本来は、企業の新人研修とか、学生の就活支援プログラムの一貫として行われるものてある。私は、昨年、他大学へ研修で行っているので、内容は知っているのだが、FD委員ということもあり参加した。
40名ほどの参加者がいた。中には半ば強制で出席させられた教員もいたようだ。いろんな方式による自己紹介や、課題をみんなで解決するグループワーキングなど、実際に始まってみると、学生気分になれてみんな盛り上がっていた。学校の中でもあまり話したこともない先生と自己紹介したりするのは、恥ずかしいが、知り合いになれたという意味では良い機会だった。
終わっての懇親会では、酒を飲みながらだが、ある先生の意外な面を知ることが出来た。鶴岡八幡宮で正月に神楽を舞っている、というのだ。それももう二〇年も。むろん、そういうこととは全く縁のない別の専門の先生である。授業で神楽を教えている身としては、大変興味をそそられた。一度学校で神楽をやってよと注文をした。別の先生は、すぐ近くに住んでいて、野川沿いを犬の散歩で歩くという。ということは、私と、出会っているかも知れないということだ。いつも会議で一緒だが、こういう話をしたことがなかったので、なかなか楽しかった。
『銃・病原菌・鉄』読了。それほど刺激的という本ではないが、いろいろ勉強にはなった。結局、人類の間の、文明の不均衡発展は何が原因かを追求した書、ということになろうか。結論としては、たまたま、発展した文明を持った人類が、他の発展しなかった人類より、地理的、環境的諸条件に恵まれていただけ、ということになる。つまり、ある人種が優秀だからでもなく、また、これが肝要だが、発展段階的に文明は進歩していくという法則があるから、ということでもない、ということだ。要するに、たまたま恵まれたある条件下に存在した偶然性が、食料生産を増やし、人口を増やすことで、「銃・病原菌・鉄」を生みだし、そのことが、他の条件に恵まれなかった他の人類に圧倒的に差を付けることになった。その始まりは、だいたい1万3千年前頃、だというのである。
その恵まれた条件はユーラシア大陸にあり、チグリス、ユーフラテスの肥沃な三日月地帯、中国にあったという。
この本で教えられたのは家畜の重要さである。ユーラシア大陸が何故他大陸より優れたのか、というとそれは家畜を持ったからだという。家畜を飼う飼わないは、食料の供給に大きな差がでる。また、戦争の仕方にも影響をあたえる。例えば、スペインがインカ帝国を滅ぼした一つの要因は、馬を飼っていたかどうかの差でもあったというのだ。スペイン人は馬に乗って戦った。インカ帝国は馬を持っていない。その違いは、戦争において圧倒的な戦力さであったという。それから、インカ帝国を滅ぼした「病原菌」もまた、家畜を媒介にして生まれたものであつた。家畜を飼育していたヨーロッパ人はだから免疫を持っていた。その差も大きかった。
世界の主たる家畜は、羊・山羊・豚・馬・牛の5種類である。この5種類を飼う地理的あるいは環境的条件のあるなしが、人類の不均衡発展の大きな理由になったということである。
前にこの本の発想は「複雑系」だと書いたが、それは間違っていなかった。この書では「カオス理論」と言っているが、ある一定の条件のもとに住んでいる人々が、何らかのきっかけで、家畜を飼い栽培農耕を始める。そうすると、余剰生産物がうまれ、人口が増大し、農耕以外の専門職が生まれ、文字が生まれ、武器が作られ、というように自己増殖的に展開していく。この展開を、ヘーゲル的な「発展段階論」で説明せずに、ある最初の一撃で自己増殖的に展開する動的な集合体、といったとらえ方だ。
発展段階論なら、最初の発展地域の文明に他の地域もやがて追いついていく、というようにも説明出来るが、この本では、最初の発展が伝播すると、その地域は主体的な発展を止めて、先進地域を模倣する。その方が効率的だからとする。それなら、次第に他地域が発展していくかというと、そこに地理的条件が立ちはだかり、例え途中に砂漠があれば、伝播しないし、また、環境が整っていないとやはり伝播しないということになる。
つまり、どういう環境に生まれたかが、文明格差の決定的要因ということにもなる。でも筆者は環境決定論ではないという。というのは、環境もまた絶対的ではないからだ。人間との関わりによって環境は変化する。その変化がたまたま良い方向に向いたということであって、その変化に絶対的な法則などないということだろう。
オーストラリアのアボリジニはずっと狩猟生活だった。たまたま農耕栽培や家畜を飼う条件を持っていなかった、ということだが、その条件があれば、必ず農耕や家畜生産を始めるというようには言えないだろう。
結局。こういう理論は、最初の一押しは何だったのかというところへ行き着く。野生動物を飼ってみようと促した一押し。野生種を栽培しようと試みさせた一押し。どのようにでも説明出来るが、たまたまだというスタンスがこの本の基本的態度である。そこがこの本の新しさ、と言えるだろうか。
40名ほどの参加者がいた。中には半ば強制で出席させられた教員もいたようだ。いろんな方式による自己紹介や、課題をみんなで解決するグループワーキングなど、実際に始まってみると、学生気分になれてみんな盛り上がっていた。学校の中でもあまり話したこともない先生と自己紹介したりするのは、恥ずかしいが、知り合いになれたという意味では良い機会だった。
終わっての懇親会では、酒を飲みながらだが、ある先生の意外な面を知ることが出来た。鶴岡八幡宮で正月に神楽を舞っている、というのだ。それももう二〇年も。むろん、そういうこととは全く縁のない別の専門の先生である。授業で神楽を教えている身としては、大変興味をそそられた。一度学校で神楽をやってよと注文をした。別の先生は、すぐ近くに住んでいて、野川沿いを犬の散歩で歩くという。ということは、私と、出会っているかも知れないということだ。いつも会議で一緒だが、こういう話をしたことがなかったので、なかなか楽しかった。
『銃・病原菌・鉄』読了。それほど刺激的という本ではないが、いろいろ勉強にはなった。結局、人類の間の、文明の不均衡発展は何が原因かを追求した書、ということになろうか。結論としては、たまたま、発展した文明を持った人類が、他の発展しなかった人類より、地理的、環境的諸条件に恵まれていただけ、ということになる。つまり、ある人種が優秀だからでもなく、また、これが肝要だが、発展段階的に文明は進歩していくという法則があるから、ということでもない、ということだ。要するに、たまたま恵まれたある条件下に存在した偶然性が、食料生産を増やし、人口を増やすことで、「銃・病原菌・鉄」を生みだし、そのことが、他の条件に恵まれなかった他の人類に圧倒的に差を付けることになった。その始まりは、だいたい1万3千年前頃、だというのである。
その恵まれた条件はユーラシア大陸にあり、チグリス、ユーフラテスの肥沃な三日月地帯、中国にあったという。
この本で教えられたのは家畜の重要さである。ユーラシア大陸が何故他大陸より優れたのか、というとそれは家畜を持ったからだという。家畜を飼う飼わないは、食料の供給に大きな差がでる。また、戦争の仕方にも影響をあたえる。例えば、スペインがインカ帝国を滅ぼした一つの要因は、馬を飼っていたかどうかの差でもあったというのだ。スペイン人は馬に乗って戦った。インカ帝国は馬を持っていない。その違いは、戦争において圧倒的な戦力さであったという。それから、インカ帝国を滅ぼした「病原菌」もまた、家畜を媒介にして生まれたものであつた。家畜を飼育していたヨーロッパ人はだから免疫を持っていた。その差も大きかった。
世界の主たる家畜は、羊・山羊・豚・馬・牛の5種類である。この5種類を飼う地理的あるいは環境的条件のあるなしが、人類の不均衡発展の大きな理由になったということである。
前にこの本の発想は「複雑系」だと書いたが、それは間違っていなかった。この書では「カオス理論」と言っているが、ある一定の条件のもとに住んでいる人々が、何らかのきっかけで、家畜を飼い栽培農耕を始める。そうすると、余剰生産物がうまれ、人口が増大し、農耕以外の専門職が生まれ、文字が生まれ、武器が作られ、というように自己増殖的に展開していく。この展開を、ヘーゲル的な「発展段階論」で説明せずに、ある最初の一撃で自己増殖的に展開する動的な集合体、といったとらえ方だ。
発展段階論なら、最初の発展地域の文明に他の地域もやがて追いついていく、というようにも説明出来るが、この本では、最初の発展が伝播すると、その地域は主体的な発展を止めて、先進地域を模倣する。その方が効率的だからとする。それなら、次第に他地域が発展していくかというと、そこに地理的条件が立ちはだかり、例え途中に砂漠があれば、伝播しないし、また、環境が整っていないとやはり伝播しないということになる。
つまり、どういう環境に生まれたかが、文明格差の決定的要因ということにもなる。でも筆者は環境決定論ではないという。というのは、環境もまた絶対的ではないからだ。人間との関わりによって環境は変化する。その変化がたまたま良い方向に向いたということであって、その変化に絶対的な法則などないということだろう。
オーストラリアのアボリジニはずっと狩猟生活だった。たまたま農耕栽培や家畜を飼う条件を持っていなかった、ということだが、その条件があれば、必ず農耕や家畜生産を始めるというようには言えないだろう。
結局。こういう理論は、最初の一押しは何だったのかというところへ行き着く。野生動物を飼ってみようと促した一押し。野生種を栽培しようと試みさせた一押し。どのようにでも説明出来るが、たまたまだというスタンスがこの本の基本的態度である。そこがこの本の新しさ、と言えるだろうか。
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