座談会を終えて…2006/12/24 00:06

 今日は雑誌の座談会。和歌の掛詞がテーマ。こういうところに参加しなければ真剣に考えなかったテーマだ。いろいろ勉強してみて面白かった。最近、叙情の身体性ということを考えているので、そういう視点から見ると、掛詞はどう見えるのか、そのようなことをしゃべってみた。

 ただ、私のだめなところはついしゃべりすぎるところ。話の流れに今回はうまく乗れずに何か言いたいことだけしゃべった感じで、ちょっと自己嫌悪に陥った。調子に乗らなければ話を切りだせないし、調子に乗ればしゃべりすぎる。上手くいかないものだ。

 韻律とは後戻りのない時間あるいは身体の動きのようなものではないか、それに対して、掛詞はその韻律に抵抗するものだ。とすれば、韻律という強力な定型の身体性があって、その中で韻律に逆らうような言葉のはたらきがあるということになる。実は、それが和歌のある意味での理想的なあり方ではないかと言うようなことをしゃべった。やや抽象的過ぎたかもしれない。

 終わった後の食事の席で、Yさんから、歌の掛け合いを学生にやらせることは出来ないものか、と考えていると言われた。常日頃、渋谷のような場所でのナンパは歌で行うべきだと、言っている私としては大賛成だと答えた。欲望を直接ぶつけるゆとりのないナンパではなく、歌というちょっと面倒な文化を介したナンパが出来れば、楽しいし、豊かな気分になれるというものだ。

 単純なメロディと、言葉をある一定の長さに決めてしまえば、できるはずだ。ラップの乗りでもいいのではないかという意見も出た。とりあえず演技でもいいから試みてもいいなと思う。要するに花いちもんめのような遊びの若者版を作ればいいわけだ。考えてみよう。

 だいたい、こういう食事や飲み会の席での話の方が面白い。活字にならないし責任がないからかもしれないからか、結構大胆なあるいは個人的な話が出てくる。案外こういう場で教えられたり、ヒントを得たりするケースが多い。だから、人と付き合うことが大事なのだと思う。

 次回は私がテーマを出すことになってしまった。さあ大変だ。どうしよう。どうやら四月までは、かなりきつい日々になりそうだ。と、毎年書いているのだが、相変わらずだ。

 でも、今年のイベントは今日で終わり。ホッとした。明日は山小屋に行くつもり。山荘で仕事だ。中国の少数民族イ族の神観念や儀礼についてまとめなくてはならない。休んでいる暇は無いのだが、果たして仕事が出来るかどうか… 自信はない。

      これはこれは犬も主人も冬休み

      通帳の記帳もしてよ年用意