歌の力2006/12/01 00:59

 ここのところ木曜の夜は学校から山小屋へと向かう。中大に編入したHさんが私の部屋に訪れたが、あまり話も出来ずに残念だった。何でも編入の説明会に呼ばれて話をするとか。また来ればいい。

 今日は授業と教授会。地域文化論は今歌文化についての紹介。奄美大島の歌遊びのビデオを見せた。奄美の歌遊びは現代の日本で歌垣らしき雰囲気を残す数少ない歌の掛け合いと言えようか。こういうビデオを見るとつくづく歌は不思議なものだと思う。歌は言葉の力をほんとにパワーアップさせる。小川学夫氏が語っていたが、奄美ではかつて歌の掛け合いに負けると体調を崩したという。呪いの言葉をかけられたかも知れぬというので、掛け合いのはじめに呪い返しの歌を歌っておくのだという。

 宮本常一の『忘れられた日本人』の中にこういう話が出てくる。作者を案内する馬子は歌がうまく、他所の村を訪れるとその村の娘に歌の掛け合いを挑み、勝つとその晩はその娘と寝ることが出来た、と語ったという。これも歌の力である。

 私が雲南省の少数民族ジンポー族のおばあさんを取材したとき、おばあさんは、若いときは男が村に来て、村の女と歌の掛け合いをした。その時、歌の掛け合いに負けると、女は相手がどんな男であろうと結婚せざるを得なかったという。ある娘は、負けるのがいやで七日七晩歌の掛け合いを続けたと語った。これもまたすさまじい歌の力である。こういう歌の力を現代のわれわれはとても実感できないだろう。だからこそ、それを学ぶ価値があるというものだ。

 山小屋に着いたのは夜の十時過ぎ。星が出ていて、かなり冷え込んでいた。山の向こうではどういうわけか稲光で夜空が時々光る。皎皎とした月明かりで、懐中電灯の必要もなかった。

      ジョバンニもよだかも見しや冬宇宙

悲しき身体2006/12/01 22:42

 今日は研究日にしているので用が無い限りは学校へ行かない。もっとも山小屋に来てしまっているが。でも仕事があれば行かなきゃいけない。いずれにしろ明日は学会の例会だから神楽坂まで出かける。10月と11月はほぼ毎週週末は山小屋だが、ほとんど土曜か日曜は仕事やら学会やらで東京に戻っている。ゆっくりした週末を送ったことがない。それまでして何故山小屋に行くのかというと、どっちかというと山小屋が自宅だと思っているからだ。空気もいいし、温泉もある。なるべくならこっちから通勤したいくらいだ。むろんそうはいかないが。

 今朝から足が痛む。通風かも知れない。ただ、いつもと痛み方が違うのでたんなる関節炎かも知れない。この歳になるといつも身体のどこかが悪くなる。

 さすがに寒くなってきた。八ヶ岳の山頂もすっかり白くなってきた。冬日和の時は山裾は霞んだりするが、天気が冬型になるとさすがに雲が山頂を覆い、風下の方に吹き流されんばかりに細長く伸びている。山もすっかり枯れ木の賑わいといったところだ。今日は、道路から山小屋へ降りるアプローチがだいぶひどくなってきたので階段状に整地するために、ホームセンターに横木を買いに行く。チビの散歩をして、温泉に行って、それでとりあえず一日は終わってしまった。夜に来週の授業の準備と、「抒情」について考えをまとめることをしなきゃいけない。

 言葉が身体を表現し始めたときが「抒情」の始まりではないかと考えている。この場合の身体とは、統御出来ない身体あるいは異界へつながるような自然としての身体のことである。別な言い方をすれば「抒情」の表現とは、「情」という身体性を介した自己表出(価値もしくは美としての表出)と言えばいいか。

 たとえば、「悲し」という身体性を介した表現が、統御できない、向こう側の世界へ通じる何かを抱え込むように感受されるレベルを言葉が獲得したとき、「悲し」は「抒情」表現になったと言えるのではないか。それが万葉集における「悲し」の成立だと考えている。いろいろ考えてきてこんな風にまとまったが、問題はここからだ。この思いつきで二、三本論文を書かなきゃたんなる思いつきで終わっちゃう。論文書く暇はなさそうだから、忘れないようにとりあえずここに書き留めておくというわけだ。

    春までは冬木のように立ち尽くす

    冬霞鋭き峰も靴を脱ぎ

   冬の朝「悲しき」身体痛みだし

和歌のゲーム理論2006/12/03 09:50


 昨日は梓で東京へ。学会の例会で神楽坂へ行く。茅野から新宿は回数券だと片道4千円である。ちなみに正規で買うと5千5百円(指定)する。昨日は往復したから8千円かかったことになる。山小屋に帰ってもすぐにまた川越に帰るのだから無駄なことをしているといえば言えるが、一日でもこっちにいた方が楽しいのでそうしている。まあこの先あんまり長くもなさそうなので(案外しぶとく生きるかもしれませんが)少しは快適に過ごしたい。

 最終の梓(新宿9時発)で茅野には11時23分着。奥さんが迎えに来ない。山は雪だそうでそれで遅れたとのこと。家に着くと雪が積もっていた。月明かりで星もよく見えて、しかも雪明かりで、真夜中であったが不思議なほどに明るかった。遠くに見える山の上の雲が光っているのは、スキー場の光で昨日がスキー場開きだという。いよいよ本格的に冬シーズンの到来である。

 昨日の例会は沖縄の大学にいるYさんの発表。彼とは久しぶりである。和歌のネットワークとでも言える発表で、古今以降の和歌の言葉がネットワークの中で変容し増殖していくということを論じていた。これは一種のゲーム理論としても考えられそうで、そこに興味がひかれた。

 複雑系という理論がある。個の因子が一定量を超えると相互に影響しあって全体の性格を決定づけてしまう。そして、その全体がさらに個の因子に影響しあってまた全体を左右していくという考え方である。遺伝子の理論や経済学の理論、天気の予測等最近は様々な分野に応用されている。ゲーム理論もこの複雑系の一つと言っていいが、この基礎になる理論を作り上げた一人が映画「ビューティフル・マインド」の主人公のモデル、数学者で統合失調症だったジョン・ナッシュである。彼は非均衡理論というゲーム理論でノーベル経済学賞をもらっている。

 つまり、ある言葉と言葉がネットワークの中で相互に影響しあいながら変容し増殖しあいさらにネットワークを構築していく、まさに言葉のゲーム理論である。和歌の言葉の発生を個の内面の問題でなく、このようなゲーム理論によって説明することも可能なのではないか。そう感じさせた発表であった。もっとも、本人はそういうことは何も考えていなかったが。

 今朝は昨日の朝に作った野鳥のえさ台に早速鳥が来ている。ひまわりの種を入れておくのだが、シジュウカラ、ヤマガラ、ゴジュウカラ、ウソ、シメ等の鳥がやってくる。時にはリスも来る。こういうのを見ているのが楽しい。

     雪明かり何やら覗く異界から

     霜月や和歌の言葉のおもしろさ

やっぱり笙野頼子2006/12/04 00:26

 夕方山小屋を出て、川越に戻る。途中高速は空いていた、夕食は横川で釜飯を食す。帰ったのは8時半頃。

 三浦さんから本が届いていた。以前から志賀島から出た金印は偽物に違いない。それについて本にするといっていたその本がついに出た。題名『金印偽造事件 「漢委奴國王」のまぼろし』(幻冬社新書)である。さっそく読み始め、読了した。なかなか面白かった。だいたいの内容は聞いていたが、これで三浦さんの言っていた偽造の根拠がよくわかった。

 確かに、志賀島から何故王に授けられた金印が出てきたのか、しかも、田んぼから副葬品も無くただそれだけが出てきたというのは不可解である。雲南省から出土した滇国之印はちゃんと墓から出土している。

 この本の偽造説はかなり説得力がある。本人は95%確かだといっているが、そのように思えるのは確かだ。結局、金印が出土したときその鑑定をした儒学者が偽造したという説だが、その動機についての推測もなるほどと思わせる。

 本当のところは分からないにしても、ただ、その出土の経緯は疑うに充分であって、三浦さんが指摘するように何故みんな疑わないのか、そのことは確かに不思議だ。そこには、やはり権威というものがあるのだろう。国家という権威である。その意味で国宝というのは重いし、また、微妙に国家のアイデンティティにかかわるものであるということもあろう。その意味でこの本は権威に挑戦するというスタンスを持っていて、なかなか読ませるのである。

 今日もう一冊読了した本がある。笙野頼子の『一、二、三、四、今日を生きよう-成田参拝』(集英社)である。読み始めたのは一昨日なのだが、今日読み終えた。前作『金比羅』は笙野頼子の傑作であり、日本の文学を代表すると言っていい小説だと私などは思っているが、この本もなかなか面白い。

 成田の東峰神社に参拝するところから始まるところに、まず目を奪われる。昔の記憶が引き起こされてといろいろと思うところがあったがそれはそれとして、とにかく、笙野頼子は、ついにシャーマニックな文体を自分のものにした、というよりついに自分の地の文として自在に使いこなせるようになってしまった。そのことに感心した。

 以前私は笙野頼子論を書いたことがあるが、そのとき描写の暴走という言い方をしたが、もう暴走ではなく、暴走というならその書き手の存在が暴走めいてはいるにしても、それが日常の文体になっている。いわば中山ミキの「おふでさき」のような呪文めいた文章が、日常の語り言葉として、語り手の存在そのものを構成する文体になり得ている。

 その意味で希有な文体をついに笙野頼子は作り上げてしまった。神話はこうして巫女の口から語られたに違いないというような文体である。古事記のような文字で後から構成された書かれた文体ではない。

 T君もCoccoもいいけどやはり笙野頼子を読むべきだ。意味の言語の限界がこんな風に乗り越えられる言葉の光景にきっと驚くと思うよ。

    冬ざれや夢かうつつか神が居る

    霙降る鳥居の脇の猫二匹

鬼神も感動する2006/12/06 00:51

12月5日
 どうも首が痛くて何となく体調が良くない。寒さも絡んでいるのだろうが、かといって、休むほどでもない。こういうのが一番困る。今日は会議日だから簡単には休むわけにはいかないのだ。

 それでも、『中国の鬼』(徐華竜著)という本を百頁ほど読む。今年の春に行った彝族の火祭調査報告をそろそろ書き始めないといけないので、参考文献をいろいろと読み始めている。「古今集」仮名序に「目に見えぬ鬼神もあはれと思ほせ」とあるが、この鬼神という呼び方は中国の鬼神から来ている。中国では死者が鬼神となる。この場合、神と鬼の区別がない。徐華竜は、もともと鬼が最も古い観念で、それが悪鬼と善鬼に分かれ、善鬼が神と呼ばれ、悪鬼が鬼とよばれるようになり、両者が相対立存在になっていったのだと述べている。そんなにうまく整理できるかどうか怪しいのだが、大筋ではそんなところかもしれない。

 古今集仮名序の「目に見えぬ鬼神」は近代的な解釈がはいっているだろう。風土記に出てくる鬼は形があるし、中国の鬼も動物のような形だという。それ自体は目に見えないものではない。ただ、簡単には見えないものとしてあるのは確かだ。その動きは素早いはずだし、何よりも見えたらこっちがやられてしまうのだ。それよりも、「鬼神」が和歌を聞いて「あはれ」に思うというのが面白い。

 中国の小説には、鬼が人間に化けて人間の異性と情を交わすという話がたくさんある。鬼も情のある人間になるのである。そのような小説にヒントを得て書かれたのが、上田秋成の『雨月物語』の「蛇性の淫」である。ただ、ここでは鬼は極めてエロス的な蛇(女性)として現れる。

 中国の人間と情を交わす鬼の物語は、和歌に感動する鬼ではない。やはり日本では中国の鬼神も叙情を解する神として解釈し直されるのだ。日本の叙情の力は強いというところか。
 
  今日とても疲れているのは、首のせいだけでもない。昨夜チビが寝床に潜り込んできたのでよく眠れなかったのだ。まったく猫みたいな犬である。それでいて、近寄るとさっと身をかわすのだ。今日はチビは自分の寝床で丸くなって寝ている。よかった。

      鬼も寝てゐるぼうぼうと枯れ葎

      手間かけて冬芽を守るや親の愛


12月4日
 どうもまた頸椎症が出てきて、気分が悪い。少し本の読み過ぎかもしれない。かといってそんなに読んでいるわけではないんだが。姿勢がよくないのだなあ。

 読みかけの本があっちこっちにある。電車で読む本、トイレで読む本。仕事場で読む本。どうも集中して読むということがない。ただ、仕事柄どうしても読まなきゃいけない資料などは集中して読むが。たぶん、本を読むのがあんまり好きじゃないのだと思う。それじゃ困るから、あっちこっちに本を置いておいて、読まなきゃいけないというようにしているわけだ。

 ただ、書評などを読むと読みたいとつい思ってしまう。ほんとは読むのが好きじゃないくせに、とは思うがそこが矛盾しているところだ。好奇心と怠惰な性格と、頸椎症と、本を読まなきゃいけない仕事と、私は、困った状態にある。

 定年退職した研究者が毎日むさぼるように本を読んでいるという話を聞いた。そんなことしたら私は首が上がらなくなってすぐに死ぬな…。寺山修司は書を捨てて街に出でよとか言ったが、あれは若者向けで、歳を喰った私向けの言葉ではない。

 最近の学生は確かに本を読まなくなった。ただ、本を読む代わりに、それなりの知識や教養は、いろんなメディア媒体を通して一応知ってはいる。この厳しい社会を生きていくのにそれで差し障りがないのだったらそれでいいのかなとも思うが、経験から言うと、やっぱり本を読んでいる人と読んでいない人とは差が出る(読んでる本にもよるが)。

 寺山修司の言葉は若者は本なんか読んでいないで世の中を変えくらいの行動をしろ!というアジテーションで、簡単に信用してはいけない。寺山修司はちゃんとたくさん本を読んでいるのだから。

 教養を身につけるのはいいことだという一般論ではなく、たくさんの情報と、創造する力と、考える力を少しでも身につけておかないと、これからの世の中けっこうきついよ、というくらいの意味だ。

 実は、私は商業高校出身で、大学だって夜間だし、たいした学歴ではないが、何とか本を読む量の多さだけで、今の職業につけたと思っている。本が身を助ける場合もあるということだが、それなのに、どうして私は本を読むのが好きではないと自分で思うのか。よくわからないが、これも一つの人生の見え方なのかもしれない。とすればそれは寂しい見え方のような気もする…。

    短日や読みたき本は見つからず

私語は許しません2006/12/07 00:32

 私の学科では「千字エッセイ」というのを学生から募集し、優秀作を表彰しているのだが、作品がなかなか集まらない。三年目で、前期・後期とやっているのでさすがに学生も疲れてきたのかもしれない。だが、わが学科は文章を書かせるということを一つの目的にしているので、だからと言ってやめるわけにはいかない。ここに入ったら嫌でも文章を書かなきゃいけない、という雰囲気をどう作るかが大事だ。

 こういった試みというのは、最初はいいがそのうちに必ずだれてくる。教員側がだれると学生はすぐにそれを見透かすから努力をしなくなる。どうやらこういう悪循環に陥り始めているようだ。解決策は教員に頑張ってもらうしかないのだが、これが難しい。学科の長として頭が痛い。私が頑張っても空回りするばかりで、だめなのだ。人をその気にさせるというのは、教育も職場もまったく難しい。

 でも、こつはわかっている。褒美をあげることなのだ。実に単純なのだが、これには金がかかるので別の意味での困難さがつきまとう。いやはやなかなか思う通りにはいかないものです。

 大学では、学生に対して出欠の管理を含めて厳しくしようとしている。教員に対しても遅刻や休講に対して厳しい。シラバスを授業日数分書くように指導しているし、シラバス通りに授業しろという。これも、実は、授業料という高額のお金に見合う価値を生産しろということである。学生に厳しいのは、お金を出す親の期待を裏切らないためである。
 
 何故、こんなに厳しくなったのか。大学で得る知識が現実的な金額によって計算できるようにみんなが思い始めたからである。つまり、お金に換算できない人間の内面的な価値やその将来については、教育というシステムには入れないようにし始めたからである。これは、大学が変わったというより、社会がそうなってきているからだ。

 徹底して功利主義的になってきているということだ。学生はどうやって授業をさぼるかに工夫をこらし、休講を喜び、教員もいい加減に成績をつけ、今日は何をしゃべろうかな、などとその日の気分で授業内容を決める、なんてうらやましい大学はすでに過去の話で、それが可能だったのは、企業も終身雇用で、負け組をそれほど生み出さない安定した社会だったからだ。今は、とんでもない。社会はけっこうきつくなっている。

 こういう社会に学生を送り出すことを引き受けている以上、おおらかなゆるい教育など出来ないというのが私の置かれた立場だ。好きな立場ではないが、仕方がないことだ。でもそれでも楽しくはやれるはず。そう思って、学生とはなるべく楽しく付き合っているが、授業中の私語は絶対に許しません。けじめはつけなきゃ。

     ボーナスの頃なのに行く顔暗し

     冬の空歌あれば鬼神も涙す

情愛の人2006/12/07 23:49

 富岡多恵子の『釈超空ノート』をほぼ読み終える。ほぼというのはまだ数頁のこしているから。これはトイレの読書。富岡多恵子には悪いが。折口と同じ大阪生まれの富岡は、徹底して、大阪人のしかも同性愛者の折口信夫にこだわる。この本でだいぶ教えられることが多かった。

 とにかくこの本によれば、折口というのは徹底して「情愛」の人である。それも同性のものに対する。折口が東京に出た折に同居した藤無染の存在が、折口という存在のキーワードになっているが、藤無染ばかりではなく、教え子への情愛の激しさにも改めて驚かされる。

 たぶん、釈超空の歌を、徹底して同性への激しい情愛の現れとして解釈した本はこの本以外そうはないだろう。ちょっと解釈のしすぎではないかと思うところもあるが、説得力はあった。ただ、万葉の歌を読むとわかることだが、「情愛」を描く関係は、必ずしも男女の関係とは限らない。同性同士でも親子でも、相聞と変わらない「情愛」の表現はある。もともと、和歌とは、「情愛」を表現の価値とするところがあるからだ。つまり、まず先に「情」の迸りが価値(美)としてあって、その「情」を生み出す様々な関係が後からついてくる、ということだ。

 だから、教え子に対する「情愛」の歌を、そのまま同性愛という異性愛とことさら区別する言葉の響きで強調するのは、やや危ないという気がする。

 それにしても、富岡多恵子の立場というのが実に見えてこない本だ。ある意味でねちねちした文体は、本音を語らない文体だと言えようか。簡単には本音をさらすまいと言う無意識の防御が、軟体動物のような身のくねらせ方のような文体ともなっている。その態度は、短歌に対する語り方にも現れている。徹底して、その短所を小野十三郎の言葉を使って語るが、かといって、批判するわけでもない。

 富岡多恵子は「叙情」が好きなのか、嫌いなのか。好きでないのは確かだが、嫌うわけでもない。ただ執着して論じている。頭で語るのではなくて、身体に根ざした力で語っているということか。いかにも詩人で、浄瑠璃のような語り芸にこだわる人の文章だと感心した。

埋み火を見つめているや釈超空

忘年会2006/12/09 01:49

 今日は、午前中に奥さんが山小屋に出かける。私は仕事で学校へ。午後に中大に編入したUさん来訪。まだ三年なのにもう就活だそうだ。正式ではないが一応の内定も出てしまうそうだ。青田刈りもいいとこだ。Uさんはマスコミ関係志望で今日内定の電話がかかってくるかも知れないという。そういう体験のない私などは大変だなあ、と思うしかない。

 来年私の属する学科の二部が募集停止になる。ということは、来年は二年生だけになり、来年で二部は廃止ということだ。ところがだ、留年する学生が出てきたら、廃止は出来ない。学生との契約というものがある。同じことだが、来年は一年生の授業はない。ところが単位を落とした学生については授業を用意しなくてはいけない。つまり教員一人に学生一人なんていう授業をいくつか作らなきゃいけないこともあり得る。

 今それで頭を痛めている。学生のことを考えれば授業を用意するのが当然だが、かといって授業科目を用意したのに結果的に誰も受けなかったというのも困る。受けても一人、それも受けるかどうかわからない、そういう授業を用意するのはなかなか難しい。単位を落とすかどうかは来年の二月までわからない。しかし来年の授業の時間割はもう作らなくてはいけない。どうしたらいい…。こういう苦労で私も大変なんです。

 七時までいろいろ対策を考えたが結論が出ず、私は新宿へ。新宿の居酒屋で忘年会。昔からのつきあいの連中との忘年会で、みんな歳をとった。私と同じように。一時間ほどいて新宿駅に。9時の梓で私は山小屋行きだ。梓の中で『中国の鬼』を百ページほど読む。それから岩波『文学』の和歌関係の論文を読む。また気持ちが悪くなってきた。車中で本を読むのはよくなかったのだ。けれど、座談会やら、研究報告の期日が迫ってきて、そうも言っていられない。私も師走らしく忙しくなってきた。

       師走なり走れど走れど足ゆかず

       忘年会赫ら顔も歳を取り

外部の語り方2006/12/10 00:52

 今日は一日雨。普通なら雪になる季節だが、暖冬なのか雨である。昨日の夜中、別荘地の中の道路を走っていたら、道路を見下ろす繁みから鹿が十頭近く並んでこちらを見ていた。ライトで目が光ってなかなかシュールな光景であった。

 今日は一日本を読む予定であったが、なかなか手につかない。散歩して、買い物に出て、昼を食べて、温泉に行ってと、だらだらと一日を過ごす。読みかけの『中国の鬼』の主要な部分は読んだが、あまり面白くなかった。少数民族の鬼観念を、全て、無知であるとか生産性が低い段階とか、そういう唯物史観的段階論であっさり語るところが、いかにも中国の論という感じだ。

 最近の和歌関係の論文をいくつか読んだが、いずれの論も和歌の表現を論じている。当たり前だが、どうも限界があるのではないかと感じる。歌の言葉は、外部にその端がはみ出しているようなところがあり、境界の不分明さをどう語るかが、たぶん、今の和歌論には必要なのではないかと思う。

 テキストの「表現」に外部はなく、テキストの「表現」が外部を作り出すといった最近の表現唯一主義は、ある意味で自分がいるから世界が存在するのだといったジコチュー的思考であろう。誰もが自己の存在を中心に置けないように、「表現」は中心に置けない。とすれば、「表現」はその不完全さゆえに外部にさらされているはずで、ただ、アプリオリに外部があるというと、何やら二元論ぽくなるが、自己の不完全さの向こう側をどう語るかぐらいのこととして外部を考えればいいだろう。

 たとえば古代文学研究の領域で使われた「呪性」というタームは、「表現」の不完全さの向こう側を語ろうとする言葉だったが、今はあんまり使わなくなった。「表現」唯一主義に負けてしまったからだ。

 和歌を語る時に付随する、音の問題も、場の問題も、あるいは、言語そのものの問題も、実は外部に開いてしまっている問題である。とすれば、もっと大胆に、「表現」の不完全さを認識して、外部にせり出している領域をどう語るのか、というように論を展開していかないと、表現の中の違和を表現の中でこねくりまわしているだけの論に終始してしまう。どの論も楽しく論じていないのはそのためだろう。かといって私に楽しく論じられるのか、というと論じられない。私は、少数民族の歌垣ばかりやっていて、つまり外部ばかりやっているから、どうも和歌の表現に降りたって、そこから論じることができないからだ。
だから、この感想は、やや無責任なところがあることを断っておく。

      黙しおれば寒禽も啼かずあらわれず

したたかさが大事2006/12/12 00:30

12月11日
 今日は学校へ行くと決めていた日だが、休ませてもらった。今週は土曜まで仕事がびっしりと入っていて、先週も月曜から金曜まで出校で、まあ会社勤めはこれが普通なのでしょうが、研究日が取れなかったので、今日は家で本を読もうと思ったのである。

 私は管理職で会議が多いのでその分授業が少ないのであるが、それでも授業の準備は一日かかる。もし、レベルの高い内容で、しかも、学生サービスを丁寧にやるつもりだつたら、授業は週3コマくらいが限度だろう(普通教員は週6コマ)。そのくらい授業の準備には手間暇がかかる。むろん、新しい内容ではなく、繰り返しのものであるなら少しは楽だが、それを学生に分かりやすく工夫するのは、毎回同じというわけにはいかない。例えば、講義形式の授業では、私は、毎回学生に質問や感想を書かせ、それを読んで、必要な質問や感想にはコメントをつけ、それをワープロに打ちこんで、プリントに印刷して次回の授業に配布する。口頭でしゃべることもあるが、それをやると授業が予定通りすすまなくなるので、プリントを配ることにしている。

 演習の授業も、学生の発表に対して他の学生にコメントを求めるが、それでも全員に質問・感想を書かせ、それをまとめたものを次回の授業までにワープロで打ちこんで全員に配る。講義形式の時は、質問、感想の学生の名前を書くが、演習の時は書かない。というのは発表者への批判もあるからで、名前を出すと誰も批判めいたことは書かなくなるからである。講義形式の場合私への批判は書いてこないかというとさすがに名前を書かせるからそれはない。が、どうせアンケートがあるから、その時はいろいろと書くだろうと思う。

 私はなるべく分かりやすいように、興味を持たせるように授業をしているつもりであるし努力は惜しんでいないが、それでも、そんなに評価が高いというわけではない。人間、向き不向きというのもあるしなかなか思うようにはいかないというのが世の常ということだ。

 私は予備校時代の時は、不人気講師だったこともあるし人気講師だったときもある。いつもうまくいっていたわけではない。教員は天職だと思ったことは一度もない。人と付き合うのが苦手で、しゃべるのも上手くないし、声も通らないし、よく人前でしゃべる職業についたな、昔の私を知っている人は驚くだろう。ただ、何事も懸命にやればそれなりにはうまくいくということが私の場合あてはまっているにすぎないのだ。まあ生きるためにはどんなことでもこなすという、それなりのしたたかさは身につけたかなあとは思う。

 今の学生に望むことはそういうしたたかさだ。どんな職業に就こうとそんなに上手くいくわけではないが、努力すれば何とかなるものだ。私も、授業が上手くいかなかったときや、学生のアンケートが良くないときはそれなりに落ち込むが、そういえばそこんとこはあんまり努力しなかったなあ、しかたねえ努力するか、ぐらいに気持ちを切り替えてそういうことは忘れることにしている。

 失敗したときの自己嫌悪にどれだけ耐えうるか、それをストレス耐性というらしいが、企業で出世するかどうかを見極める時のポイントだそうだ。ストレス耐性を作る教育というのがあるのかどうか。私の学科では来年度から心理学コースを作るが、そこで教えられればいいのだが。

 そういえば、宗教人類学のS氏からメールをいただいた。今、彼は自らを“流しの非常勤”と称して、授業の中で学生に学生自身の応援歌を作らせそれを彼がライブで歌うそうだ。それが意外にセラピー効果になるそうだ。一度私の授業に出て、流しをしてくれと頼んでおいた。

冬服を脱いでしまえよしたたかに

12月10日
 知人が蓼科に中古のログハウスを買い、今日はその山荘に荷物を運び入れるというので手伝い。20年もののログハウスで、なかなか古びてて、苔むすログハウスといったところか。建物自体はしっかりしているのだが、内装はほとんど手つかずで、天井の張られていない部屋があるし、素人が張ったような安っぽい壁紙もある。その割には立派な薪ストーブがあり、床もチークの無垢材で、何となくアンバランスな家であった。それにしても20年経つのに、何で内装が未完成なのか、20年間よくこのログハウスで使っていたものだと感心し、前のオーナーはかなり変わった人ではいなかという話になった。

 ログハウスは20年ものがいいらしい。丸太と丸太との隙間が20年経つと密着してくるからで、家自体が安定してくるらしい。確かに、ログハウスの欠点は、丸太と丸太を重ねていくのだがどうしても隙間が出来てしまうところだ。パテを塗り込んで隙間を埋めるのだが、なかなか埋めきれないらしい。私の家は、ありきたりの在来工法の山小屋なので、そういう心配はない。

 耐久性という点からはログハウスは長持ちする。が、窓が少ないというのが難点だ。もともと北欧で発達した寒冷地用の家だから、窓は少なく小さい。窓は丸太をくりぬくわけだから窓が多いとログハウス自体の構造が弱くなる。日本の在来工法は、屋根を柱で支える吊り壁方式(照葉樹林文化地域によく見られる建築)だから、壁は竹で編んだようなものでもかまわない。この方式だと南側の壁のほとんどを出入り口を兼ねた掃き出し窓に出来る。陽が部屋の中まで入り冬暖かい。私の山小屋がそうである。が、ログハウスは、壁で屋根を支える方式だから、基本的に太陽は部屋の中には入らない構造になっている。最近は、破風の部分をガラス張りにして太陽を入れる工夫をしたログハウスもあるが、かなり高価になる。

 別荘はログハウスがいいと誰しも思うから人気があるが、高温多湿の地域で日当たりがいいか悪いかにこだわる日本では必ずしも住みやすくないのである。私の住む山小屋は外が零下になっても日が当たれば部屋は温室効果で暖房はいらない。だが、ログハウスは、暖房なしでは過ごせない時期が多いのである。

 ログハウスの人気は、やはりそれが日本にはなじまない非日常の建築だからだろう。非日常を味わいたくて別荘を持つのだから、日当たりなど気にしないのだ。私の山小屋はほとんど私の生活にとって日常そのものだから、日当たりは大事なのである。だから、ログハウスは最初あこがれたけど、今になって和風の在来工法でよかったと思っている。

 ところで知人は、あまり頻繁に使うわけではないらしいので、ログハウスが気に入ったらしい。ちなみに、400坪近い土地(地上権)と30坪程度のログハウス20年ものいくらだと思いますか。一千万円を超えない値段です。

 さすがに昨日今日と寒くなってきた。八ヶ岳もだいぶ白くなった。厚手の手袋なしでは散歩もつらくなってきた。

     冬帝も身震いするや頬被り

     オリオンの星だねと独り寒天に