私の読書体験2008/11/01 13:56

 激動の一週間が過ぎた。特に今週はきつかった(いつもきついが)。勤め先の仕事がらみで、会議やら雑務やらが多かったせいだが、何かと頭の痛い問題も次から次へと生じてその対応に神経が時々おいついていかない。私は自分をタフな人間だと思っているのだが、自分で思うほど強くないことがよくわかった。

 モノモライもたぶん疲れて免疫が落ちたせいだろう。抗生物質を飲んでたら今度は蕁麻疹がでるわで、こういうことはいままでなかったので、さすがにこれは休まなきゃいかんということらしい。

 この連休はゆっくり過ごしたいが明日は三浦しをんとの読書をめぐる対談ということで、これもどうなることやらで落ち着かない。司会の橋本氏から、当日はざっくばらんに子どもに読書をさせるにはどうしたらいいかとか、本の選び方とか自分に影響を与えた究極の一冊とかを話して下さい、という文書が送られて来た。

 実を言うと私は子どもの時そんなに本好きな子どもではなかった。だいたい家に本なんてなかったし、家が貧しかったから本を読むような環境ではなかった。貧乏でなかったら本を読んだのかというとそれは分からないが、本好きな子どもにするにはまず貧乏ではだめだということは言えるのではないか。

 だからこういう問に答える資格はないと思うのだが、ただ言えることはきっと子どもが本好きになるのは、親が本を読むからだと思う。つまり、子どもの前で親が読書にふけっていれば、子どもは親のまねをするし興味をそそられて自分も本を読む習慣を持つようになるだろう。読書は強制してもだめで、結局は、本を読みたくなる環境をどう作るかで、確かなのは親が本を自ら読む事の楽しさを見せてやることだろう。そういうことではないか。

 私が本を懸命に読んだのは、学生運動を止めて郷里に戻り働き始めたときのことだ。零細企業に就職し配送の仕事をしながら、毎日仕事帰りに喫茶店や図書館に寄って本を読んだ。不安だったからだ。これから自分がどうなるのかわからなかった。だから本を読むことで現実を耐えようと思ったし、本を読んでいれば、どんな人生が待っていようとそれを受けいれられる余裕のようなものが出来るのではないか、そう考えたのである。

 だから、何を読もうなんて考えずに片っ端から読んだ。文庫が主で、岩波文庫を端から読んでいくという読み方だった。古典と哲学が多かった。黄色の帯の日本の古典はほとんど読んだのではないか。青の帯の哲学本もかなり読んだが、内容はあまり理解出来なかった。内容が分からなくても最後まで読むというのが当時の私の読書の方法であった。本を読むというのは、人と付き合うのと同じで、分からなくても最後まで付き合えば何かが残る。たとえワンフレーズでも心に残る言葉が見つかればいいのだとというよう感じで読んでいった。

 それを4年間続けた。4年間ほぼ毎日仕事帰りに本を読んでいた。時には仕事中に仕事をさぼって本を読んでいた。郷里の本屋の文庫本コーナーにはもう私の読みたい本はなくなってしまったと思うくらいに(小さい本屋なので)、かなり読んだのではないかと思う。

 たぶん今こういう仕事をしていられるのはこのときの読書体験があるからだと思うが、その後、東京に出て大学に入り直し、研究者になってしまうと、あのときのようながむしゃらな読書はなくなってしまった。必要が無いからだが、何となく寂しく思うことはある。仕事がらみで本を読むというのは、どうしてもネタ探しになってしまって、本を読むことの知的な楽しみを損なっている。

 仕事から解放されて暇になったとき、つまり老後のことだが、ふたたびがむしゃらに本を読むことがあるのだろうか。本を読むというのは、心の空洞を埋める作業のようなものである。つまり老後の私に空洞があるかどうかである。たぶんあるだろうが、それを読書で埋められれば、それはそれで良い老後になるのではないだろうか。

         陽だまりに私と犬と読書かな

読書座談会終わる2008/11/03 00:33

 三浦しをんさん、橋本五郎氏との読書をめぐってのセミナー(座談会です)が終わった。290名入る教室だが実数320名来たという。さすが流行作家だけあって人が集まる。橋本氏もテレビでよく見る人だし。

 橋本氏が司会のような形で始まった。最初、三浦さんの『信仰が人を殺す時』の話題から始まって、宗教と暴力の話になり、橋本氏がいきなり私に世界各地で起こっている宗教紛争についてどう思うか、とふってきた。おいおい、読書の座談会じゃないのか、何でそんな難しい話をしをこの私に聞くんだ、聴衆が引くだろう、とかなりあせった。

 私はシャーマニズムの話から入って、宗教紛争の宗教はたかだか2千年前に起こった教団宗教だから、もっとシャーマニズムのような地域に根ざした宗教文化に寛容になれば違ってくるのではないか、というように返したが、かなり冷や汗をかいた。

 どうもこれは最初にちょっと堅い話で緊張させてから徐々にくだけた話に持って行く作戦だったようで、さすがこういう場に慣れている人の司会ぶりであった。

 2時間はかなり長かった。でも、まあ聴衆を飽きさせずに何とか2時間保てたのではないか。しをんさんも橋本さんもこういうトークには慣れているらしく、自然体でいたのだが、私はやはり緊張していて、胃のあたり痛んでしょうがなかった。終わってから、けっこうたくさんしゃべりましたねと、聴いていた関係者から言われたが、どうもこういうときはハイになってしまうらしい。振り返ってもっと上手く言えたのにと後悔することしきりだったが、ま、こういうものである。

 終わって正直ほっとした。この企画が持ち上がってから、しをんさんの本とか推薦本をけっこうを読んでいたから、これで読まなくてすむという安堵感もある。が、少し寂しくもある。推薦本のうち、結局『神聖喜劇は』第三巻の途中でタイムリミット。いたずらに長い小説である。

 何で『神聖喜劇』をえらんだの?と聞いたら、古本屋でバイトしていたとき、年寄りが『神聖喜劇』はあるかと買いに来たから、どんな本だろうと興味がわき、最近新装版で出たので読んでみたらはまってしまったということらしい。それで納得。

 何となく力が抜けて、帰宅。奥さんは犬と山小屋に行っている。成城石井で晩のおかずを買い、もう本を読む気になれず借りてきたDVDを観る。10年も前の映画だが、イギリス映画の「リトルボイス」を観る。「ブラス」の監督と同じ監督ということだ。なかなか良かった。

 自閉的な少女が奇跡の歌声を持っていることが知られ、一儲けしようとする連中に舞台に出されてしまう。最初は歌わなかった少女は、客席に亡き父の姿を見つけ、突然別人格になってスターのように歌い出す。それはまるで憑依そのもので、すごかった。ジェーン・ホロックスという女優が少女を演じているのだが歌も自分の声で歌っているという。

 「リトルダンサー」も好い映画だったが、この映画と似た作品である。「フル・モンティ」や「カレンダーガールズ」など、イギリス映画にはこういう佳作が多い。

   冬めく日ことばの力にたじろぎぬ

文化とは2008/11/06 23:00

 今週もへとへとである。授業はそんなに持っていないのだが、それでもけっこう準備に時間がかかる。会議は相変わらず多い。

 昨日の午後東京駅近くに昼頃抜け出して行ってきた。姪が勤めている会社がイベントを企画していて、社員は客を集めなくてはならないらしい。ノルマが決まっていて、それで、おじさん来てくれと言われて行ってきたというわけ。つまりサクラである。

 営業も大変である。何でもこの会社では、社員全員集められて、経営が厳しいので40代以上は営業になるか、第二の人生を探すか選択して欲しいと言われたそうな。超大変と姪はいつものギャル言葉で語っていた。

 そういう企業に比べれば、わが大学は勤め先としては悪くはないが、2050年には入学者の人口が半減すると言われている。その意味では教育分野は典型的な斜陽産業であるには違いない。大学生が半減すれば半分の大学が潰れてもおかしくないのである。潰れる大学に入らないようにするにはどうしたらいいのか、と考えるのは経営者の仕事だが、何故か、そういう会議にここんとこ私もかり出されている。

 今私たちに決定的に欠けているのは余裕である。私にもないし社会にもない。余裕を作るためには必要以上の欲望を持たないと意志的に生きることであろう。欲望が持てないというのと、持たないというのとは違う。持てなくても、持たないのだと思うことが大事だ。

 今日授業で、少数民族の文化を教えていてこの持てないと持たないとの差を説明した。持てないは文化ではないが、持たないは文化なのだと。つまり、厳しい自然環境にあって生産性の低い暮らしで欲望が持てなくても、自分たちは欲望を必要としないのだと説明づける言説を生み出せばそれは文化なのだ。

 例えば怒江の少数民族は、自分たちの貧しさを起源神話のなかで、漢族はかしこいから支配者になったが、自分たちは失敗したりかしこくなかったからここで生活しているのだと語る。神話で語るということは、貧しさは自分たちのアイデンティティだと納得することである。これが文化である。

 こういう文化は、前向きな生き方を邪魔するかも知れない。が、前向きな生き方がもたらす弊害をあらかじめ防いでくれる。現代社会で、傷ついたり心の病んだ人たちに必ず言う言い方がある。失敗するのが人間なんだとか、誰だって欠点を持っているとか、ダメな自分を許容しろとか。それって、結局、自分のマイナスを自分のアイデンティティとして語っていく怒江の少数民族の人たちのように生きろ、と言っているのと同じではないか。

 そう考えれば、彼等の文化はある意味不合理なものかも知れないが、一方では、充分に現代に必要とされるものなのだ。

 ここんとこ、目と歯の治療で化膿止めの抗生物質を一週間ほど飲み続けているので、ずっと酒の類を飲んでいない。酒を飲まないと確かに仕事は出来るが、時々どっと疲れが出る。酒の効用というのもあるのだなと実感。

                         立冬やこんな身体と生きてけり

週末はリハビリ2008/11/09 22:53

 
昨日は土曜日だが出校。やり残した仕事があるので雑務を片付け、近くの明治大学での研究会に顔をだす。例会にはでられなかったが、委員会に出席。学会の運営は財政的に大変である。何処の学会も同じである。私が代表を務めるアジア民族文化学会も基本的には赤字である。がそれでも何とかやっていけている。自転車操業だが、運営費が足りなければカンパするなど何とかしながらやっているので、今のところ持っている。

 学会の活動は結局は、研究にどういう貢献が出来るかだろう。そのことに確かな手応えがあれば、金は何とかなるものだ、と楽観視している。問題は、研究よりただ組織を維持するための組織になってしまうことで、こうなると会の運営の金の意味がまったく違ってしまう。他人の金を集めて動き出した組織を終わりにするのはなかなか難しい。何の成果もなくだらだらと続けていればそれは詐欺か出資金違反の犯罪とはいかないまでも、罪なことである。むろん、すぐに潰れるとは思うが。

 会の後で久しぶりに学会の人たちと飲み会に行く。といっても私はアルコールが今飲めないので、ウーロン茶で二次会まで付き合った。久しぶりにいろんな話をした。自分の今のテーマについて酒の席の気軽さも手伝って話をしたように思う。こういう話をしていると研究を始めた頃の25年前に時間が戻る。時々こうやって時間を戻さないと行けないのだが、忙しさにかまけて、こういう場に顔をださなくなってしまったことに、反省である。

 ここのところ週末は仕事が無ければリハビリである。10月から私は月曜から土曜までサラリーマンのように出校している。こういう勤務形態は考えて見れば20代の時に働いていたとき以来で、身体がなかなか慣れていなくて、さすがに週末は何もする気がしない。
チビとの散歩と、奥さんと三鷹のJマートに行っていろいろと買い物するとかして一日が過ぎてしまう。夜少し本を読んで、そろそろ原稿を書かなきゃと思うが、気力がなく後回しになる。

 明日からまたきつい。今度の週は月曜から金曜まで出校。土曜だけが休みで日曜は推薦入試で出校。11月はこんな調子である。

 夜、インディジョーンズの最新版を観る。ハリソンフォードもさすがに歳を取った。実年齢60代半ばだということだ。が映画の世界では相変わらずである。時代設定は1950年代、敵はナチからソ連に変わった。この手の映画もさすがに飽きてきたな、というのが感想。ただ、ここまでやるなら、ハリソンフォードが80歳、90歳のインディジョーンズがあってもいいだろう。

 チビは相変わらずソファーの背に脚をかけては時々窓の外を眺める。犬が通ると吠えるのだが、どうもそればかりではなく、ただ外の景色をみるのが好きなようだ。時々人も通っていない窓の外の景色をじいっと見ている。変な犬である。

                       冬めく街生き急ぐものばかりなり

訃報2008/11/12 23:15

 今日メールでK大の国文学研究者A氏の訃報が届いた。大変驚いた。私よりは歳は上だがまだお若いはず。上代の大会でも、来年の会場校なので挨拶をしていらした。私と同じ痛風で、血圧も高そうで、同病相憐れむという感じで話をしたことがあるのだが、まさかこんなに急に亡くなられるなんて…。

 六十代の働き盛りの研究者の訃報がこのところ相次いでいる。このご時世みんなムリをしているんだろうなあと思う。私も他人事ではない。

 これはサバイバルになってきたという感じだ。生き残ったものが勝ちだとは思わないが、生き残らないと研究成果は世に問えない。研究者は長生きしなくちゃだめだというのはKさんの言葉。白川静だってあれだけ長生きしたから研究成果が世に出たと言う。だから、雑務なんか辞めて研究に時間を使えと会う度にいつも言われる。

 もちろん分かってはいるが、そんなに簡単にはいかない。私はきっと必要とされるているはずだと思うほど職場は私を必要としていないというのは、どんな職場、いや社会の基本的法則である。それはわかっているが、だからといって、頼まれた仕事を嫌と言えないのは、前にも書いたが、仕事というのは何割かは奉仕だからだ。この奉仕の部分があるから、仕事というドライな関係にすぎない場であっても、人と人とは仲良くなれるし、給与労働の価値に還元されない人間関係が可能になるのである。

 自分の研究は社会に貢献する重要な価値を帯びているという揺るぎない自信があれば話が違うが、そういう自信はそう簡単には持てないだろう。とすれば、研究者は研究も大事だが、人のために奉仕するという仕事もまた引き受けてしまうものだ。それが自分の持ち時間を少なくし、身体を酷使するとしても。

 亡くなられたA氏もまたそういう人だったのではないかと思う。管理職をやられていて、面倒見の良い先生だったと聞く。そういう人が少ない世の中になってきた。だから、そういう人にしわ寄せがくる。ご冥福を祈りたい。

                          神無月働いて働いて逝く

女子大2008/11/15 00:19

 今週、私が出た会議件数は10件です。一つの会議時間は30分から一時間なので、平均45分ということになるか。とすると計450分。7時間30分を会議に費やしていたことになる。これを多いと見るか少ないと見るか。少ないわけないよなあ。

 定例の会議が3件で、後はいわゆる各種委員会というもので不定期なもの。たぶん私の所属する学校で教員では私が一番会議に出ているのではないか。まあこれが仕事と言えば仕事だから仕方がない。

 今週の最後の会議は正課外講座に関する会議。私もこの正課外講座の教養講座で教えている。かつては学生だけの講座だったが、2年前から社会人にも開放している。地の利もあって現在では全体の3割が一般社会人の受講者であるということだ。大学の地域貢献という観点から、こういう取組は進めなければならないのだが、女子大ということもあって、一般の人を校舎内に入れるのは簡単にはいかないようだ。

 女性だけならいいが、社会人に開放する市民講座となると当然男性にも開放しなくてはならない。が、女子大では学外者の男性を中に入れるのはけっこう神経を使うのである。それは女性だって同じだという意見もあるのだが、やはり学外者のチェックは男性には厳しい。そういう事情もあり、女子大での市民講座というのは、共学の大学での市民講座のようには簡単にはいかないのである。

 私の万葉集の講座もおばさんばかり(失礼!若い人もいます)である。私などは別に女性ばかりの市民講座でもいいのではと思っている。女子大なのだから。

 女子大は大学の一つの個性である。女子大廃止論がかつてさかんに言われて、私どもの大学・短大でもそれを言う教員がいた。女子大の役割は終わったとか、女性の自立を妨げるとかいろいろ言われた。が、いつのまにかそういう声が聞かれなくなったのは、別に教育に性差が残ったというよりは、女子校というありかたも別に不自然ではないと皆が思ってきたからではないか。

 男女平等ならば、女子校があってもおかしくはない。男女平等なのだから絶対に共学にしろという理屈は変である。共学であろうと、男子校であろうと、女子校であろうと、それは学校の個性化であり競争原理に基づいた差別化である。みんな生き残りに必死なので、女子大であることが生き残れる条件なら、共学を女子大にする大学が出てきてもおかしくはないのである。女子大がだめだという声が高かったのは、共学の大学に競争で負けそうだったからである。が、どういうわけか女子大は案外に強かった。

 女子大が残る理由は、教育環境が共学よりいいからである。私はいろんな大学で教えてきたが、偏差値が高い共学の大学より、偏差値の低い女子大の学生の方が教えていて優秀だったし、教え甲斐があった。男の学生がいるとどうしても学問の場の雰囲気がかなり損なわれる。これは、男は学問に向かないと言っているのではない。少なくとも学問に無関心な層が女性より男に多いと言うことは言える。こんなコト勉強してもしょうがねえ、他にやることあるし、という態度のやつは女の子より男の子の方が圧倒的に多い。

 そういう男に引っぱられることのない女子大は、女の子らしい真面目さや、社会に出たときに直面する差別への危機意識からそれなりに勉強しようとする意欲を持っている。だから教育環境は共学の大学より良く感じるのである。たぶんそれが女子大が生き延びている一つの理由であると思う。

 私は今その女子大の競争力をいかに強くするか、考える立場にいる。だから会議が多くなる。一つ悟ったことは、会議が多いから競争力が強くなるなんてことはないということである。    

        神の旅女神たちは賑やかに

ぜんぶ、フィデルのせい2008/11/15 23:49

今日は家で休む。明日は入試。リハビリの日だが、そろそろ原稿を書かなくてはいけないので、少し焦ってきている。が、集中する気力が湧かないのは、やはり疲れが溜まっているせいか。

 が、何とか少しばかり原稿書き始める。笙野頼子論なのだが、ほぼ構想も出来ていて、学会のシンポジウムで発表したレジュメを肉付けしていく作業なので、余計に力が入らない。原稿を書き始めると、どんなに疲れていても、スイッチが入ってそれなりに集中できるものだが、そのためには面白いものを書いているという高揚感が必要だ。まだそこまでいっていない。

 笙野頼子は憑依そのものを小説の方法として意識化しようとしたユニークな作家である。言葉とか構想とか、無意識から飛び出たようにあえて投げ出して書く。新興宗教の教祖による神のことばのようなものだと考えればいいだろう。むろん、それはあくまで小説であって、そのように書く自分も登場させながら、神のことばを演じる小説の言葉を紡ぎ出すのである。なかなかユニークである。来年、私の所属する学会でシンポジウムに招く計画があるそうだ。打診したところ、今飼っている猫が病気でそれどころじゃないと断られたそうだ。こういう断り方もまたユニークである。

 夜、奥さんが借りてきたDVDをつい一緒に見てしまう。原稿書かなきゃならないのだが。「ぜんぶ、フィデルのせい」というフランス/イタリア映画(2006年)。フィデルとはカストロのこと。舞台は1970年のフランス。左翼運動に共鳴し活動に夢中になっていく夫婦を両親に持つ女の子が、戸惑いながらも、両親を冷ややかに眺めたり理解を示したりもしながら成長していくという物語。両親がかかわるのは左翼政権として誕生しクーデーターで倒れたチリのアジェンダ政権を支える活動である。

 キューバから亡命してきた家政婦が、お前の両親はコミュニストだ、これもフィデル・カストロのせいだと女の子に語る。「ぜんぶ、フィデルのせいなの」と女の子は返す。この言葉が原題になっている。

 左翼の両親は、私より上の世代の話だが、たぶんあんな風に私も振る舞っていた。見ていて滑稽で、思わず笑ってしまうのだが、恥ずかしいような、しょうがねえなあという感じでつい最後まで見てしまった。正義を信じてなりふり構わず振る舞うことが、こんなに滑稽に見えるということは、いったい何だろう、という思いだけが不思議に残る。

 自由に生きたいと叫ぶ女の子が、両親より大人に見える。けっこういい映画であった。

                         寒竹の子大人をじっと見つめてる

通夜2008/11/18 00:28

 午前中歯医者。歯の根の部分が化膿していてここのところずっと痛かった。それでいつもの歯医者で相談したところ、歯肉を切開して直接化膿した部分を除去したほうがいいということになった。そこで今日、手術。歯医者だけども点滴までされたから一応手術と言っていいのだろう。

 ということで、また抗生物質を飲み続ける羽目になった。4限の授業を終えて、亡くなられたA氏の通夜に行く。桐ヶ谷葬祭場というところで、西五反田にある。田園都市線の目黒の次不動前で降りる。神保町からだと三田線で乗り換え無しで行ける。五時過ぎに出て、6時前にはついた。

 大きい葬祭場だが、通夜の会場も大きかった。焼香の人が五百名は越えていたろう。長い行列が続いていた。A先生の教え子に話を聞くと、癌だったそうだ。今年の10月に声が出ないというので医者に行ったら、すでに手遅れの食道癌だったそうである。

 年齢は実は私より3歳若かった。そのことに驚いた。私よりずっと歳を取っていると思っていた。K大の副学長もしていたし、著名な人だったし貫禄もあった。とすれば、まさに働き盛りの年齢での突然の死である。だからこんなに弔問の客が多いのだ。国文学の牙城のK大だからA氏の教え子は顔見知りが多い。目を泣きはらしている教え子が目立った。

 帰り、学会の古くからの友人二人と不動前駅の懐石料理屋で故人を偲んで酒と食事。が、手術をしたばかりの私はウーロン茶である。しみじみと話をしたが、死ぬときはひっそりと死にたいものだ。現役で死ぬとこんなにことが大げさになる。それなりに長生きしてひっそりと死ぬのが一番だ。後に残ったものも面倒がないだろう、ということで意見が一致。

 それにしても、国文学の中心的な存在を突然失ったK大は大混乱だろう。卒論は誰が見るのだろうとか、後任探しもいろいろたいへんだろう、とか世俗的な話題にもなる。故人のことを話題に座を持つのも故人への供養だななどといいながら酒を飲んだ(私はウーロン茶)。 

 それでも話題は資本主義後はどうなるのか、というようなところへも行く。柄谷行人が好きなGさんは今の現状は柄谷の言うとおりだと語る。私は、たぶん、資本主義後は、人間や社会が抱え込んでいるアニミズム的なものを、思想の課題として位置づけていかないとだめなのではないかと言った。つまり、近代社会が原始的と片付けたアニミズム的世界がこんなにもあるという事実にわれわれは気付いてしまった。それをどう現在に位置づけていくのかという問題だ、ということで、中沢新一風であるが、Gさんは柄谷もおなじ事を言っていると言う。

 彼等二人は新宿でまた飲むと言って私と別れ、私は帰宅。酒が飲めないときはこういうときはつらい。

                       人を送る日は紅葉散るさびしさ

漢字が読めない2008/11/19 23:35

 今日、読売新聞から、この間の三浦しをんとの対談の掲載紙の校正が届く。11月29日(土)の読売新聞に載るそうだ。大きく扱われているわけではないが、写真も出ている。

 最近、麻生首相の、漢字が読めないという話題で持ちきりだ。アメリカではブッシュがよく言い間違いをするので、それが話題になったが、まあそれと同じだ。権力者の弱点やからかいどころはそれ自体面白いしニュース性がある。

 漢字は私もよく間違うのであまり笑う気にはなれない。むろん踏襲をさすがに「ふしゅう」とは読まないが。これは、私のところの学生の間違いのレベルである。日々、こういう間違いを目の当たりにして、どうしたら誤字や読み間違いを減らして学生を社会に送り出したものか、頭を悩ませている。

 別に、漢字読めなくたって首相になれるじゃん、と学生が勘違いしないことを祈るばかりである。確かに漢字が読めなくたってそのことでだめな人間だと決めつけるつもりは毛頭ない。ただ、世の中というのは、甘くはないのであって、履歴書に一つでも誤字があればそれで内定がとれずに人生が変わってしまうということはいくらでもあるのである。私だって、入試の小論文や志望動機の欄に、さすがにこの漢字を間違えるのはやばいよなあ、という誤字を見つければ落とす。その学生の程度というものがその誤字で見えてしまう気がするからである。

 普通の人は、履歴書を書いて就職活動などしなかったであろう麻生財閥の御曹司とは違うのである。厳しい競争原理にさらされる社会では誤字は勝ち負けを判断するわかりやすい一つの目印になる。気をつけた方がいい。

                         もう終わりかと思えば返り花咲く

英語のレッスン2008/11/23 00:14

 連休というのに今日は一日原稿書き。奥さんはチビと山小屋へ。林檎の樹のオーナーになっているので、今日は林檎の収穫であろう。手伝いに奥さんの妹が来ているらしい。たくさんなれば300個は取れる。値段的には安いのだが、結局そんなに食べられるわけじゃなく、人にあげたりジャムにしたり、そして、傷んでダメになってしまうのもけっこうある。来週からは毎日林檎だ。私は、嫌いじゃないが剥くのが面倒なので余り食べない。ただ、血圧にいいので、奥さんは毎日食べろとうるさい。

 明日は指定校推薦の入試、明後日は授業。今日書いていた原稿は笙野頼子論だが、何とかなりそうだ。今年は私が編集委員なのでその私が原稿をかなり遅らすのはよくないので、必死に書いている。

 歯の治療で化膿止めの薬をいまだ飲んでいる。それでアルコール無しでいるのだが、この生活も一ヶ月近い。最初はものもらいで目の縁を切開し、今度は歯肉である。抗生物質をこんなに長く飲んで大丈夫なのか、と心配になるほどだ。歯肉とは言え切開するとなるとやっぱり回復までには時間がかかる。抜糸は来週になる。それまではアルコールは飲めない。別に中毒じゃないからどうってことないが、食事の時間が短くなったのは確かだ。

 それが、体にいいことなのかどうか。何となく基本的な人間の愉しみが無いような気はしないでもない。

 昨日は午前中歯医者、昼に英語のレッスン。午後会議。実は、中国人の学生がいて英語はまったく習っていない。日本語は文章が書けるほど達者である。が、必修で英語の授業を受けなくてはいけない。実は、何処の大学でもそうだが、英語を初習外国語としては想定していない。基礎英語といっても高校基礎程度の英語は習っていることを前提とした授業である。

 その学生に相談されてみんな困ってしまった。短大では、以前は、外国語の単位として、ドイツ語やフランス語を外国語として英語の代わりに受けることが出来た。が、制度がかわって、新入生は英語が全員必修になったのである。しかも大学も短大も区別なく、能力別に応じてクラス分けされる。英語をまだ習ったことのない人のクラスはない。

 相談されて英語の教員はどうしようか悩んだ。制度を変えて例外を作るわけにもいかない。一番低いレベルのクラスに入れるしかないが、それでもついていけないだろう。とにかく解決策としては、その学生に特別の補習授業をして英語を最初から教えるしかない。が、問題は誰がやるかである。正規の授業ではないので、それこそボランティアである。英語の教員はみんな忙しくて誰もやりますと言う者はいない。それで、学科の長である私がレッスンをやるということになったのである。

 私は英語は得意ではない。語学は基本的に苦手である。中国語もいまだにだめである。私が引き受けたのは、中学程度の英語なら何とかなりそうだというのと、私が中国語を習うというのもあるよな、ということでだった(このこと確か以前ブログで書いた気がする。どうもおなじ事を何回か書いている。惚けてきたのか)。

 私も忙しいので、週二回昼、30分ずつレッスンしている。もうすぐ、中三が終わる。学生も何とか授業に出てくる英語が全く分からないということはなくなってきたと言っていた。私も中一の英語から復習しているということになる。けっこう忘れていたことに気付いた。

 ふと西暦の読み方がわからなくなった。確か、二桁ずつ読むはずだよな、と思いながら、でも2008年は何と読めばいいのか、などと混乱してしまった。だいたい忘れているからこういう混乱はよくある。調べたら、基本は二桁ずつの読みだが、2008年はだいたいツウーサウザンドエイトの読みらしい。まったく冷や汗をかきながらのレッスンである。
   
                         神楽舞う山里のこと聞かせたり