通夜2008/11/18 00:28

 午前中歯医者。歯の根の部分が化膿していてここのところずっと痛かった。それでいつもの歯医者で相談したところ、歯肉を切開して直接化膿した部分を除去したほうがいいということになった。そこで今日、手術。歯医者だけども点滴までされたから一応手術と言っていいのだろう。

 ということで、また抗生物質を飲み続ける羽目になった。4限の授業を終えて、亡くなられたA氏の通夜に行く。桐ヶ谷葬祭場というところで、西五反田にある。田園都市線の目黒の次不動前で降りる。神保町からだと三田線で乗り換え無しで行ける。五時過ぎに出て、6時前にはついた。

 大きい葬祭場だが、通夜の会場も大きかった。焼香の人が五百名は越えていたろう。長い行列が続いていた。A先生の教え子に話を聞くと、癌だったそうだ。今年の10月に声が出ないというので医者に行ったら、すでに手遅れの食道癌だったそうである。

 年齢は実は私より3歳若かった。そのことに驚いた。私よりずっと歳を取っていると思っていた。K大の副学長もしていたし、著名な人だったし貫禄もあった。とすれば、まさに働き盛りの年齢での突然の死である。だからこんなに弔問の客が多いのだ。国文学の牙城のK大だからA氏の教え子は顔見知りが多い。目を泣きはらしている教え子が目立った。

 帰り、学会の古くからの友人二人と不動前駅の懐石料理屋で故人を偲んで酒と食事。が、手術をしたばかりの私はウーロン茶である。しみじみと話をしたが、死ぬときはひっそりと死にたいものだ。現役で死ぬとこんなにことが大げさになる。それなりに長生きしてひっそりと死ぬのが一番だ。後に残ったものも面倒がないだろう、ということで意見が一致。

 それにしても、国文学の中心的な存在を突然失ったK大は大混乱だろう。卒論は誰が見るのだろうとか、後任探しもいろいろたいへんだろう、とか世俗的な話題にもなる。故人のことを話題に座を持つのも故人への供養だななどといいながら酒を飲んだ(私はウーロン茶)。 

 それでも話題は資本主義後はどうなるのか、というようなところへも行く。柄谷行人が好きなGさんは今の現状は柄谷の言うとおりだと語る。私は、たぶん、資本主義後は、人間や社会が抱え込んでいるアニミズム的なものを、思想の課題として位置づけていかないとだめなのではないかと言った。つまり、近代社会が原始的と片付けたアニミズム的世界がこんなにもあるという事実にわれわれは気付いてしまった。それをどう現在に位置づけていくのかという問題だ、ということで、中沢新一風であるが、Gさんは柄谷もおなじ事を言っていると言う。

 彼等二人は新宿でまた飲むと言って私と別れ、私は帰宅。酒が飲めないときはこういうときはつらい。

                       人を送る日は紅葉散るさびしさ