悲哀の仕事2008/12/04 00:04

 学長が昨日決まった。わが大学はずっと学長代行という形でやってきたのだが、さすがに、こういうイレギュラーな形は良くないということになり、学長を決めるということになった。やはり、学長を決めるというのは大変なことで、私も管理職にあるからいろいろとかかわらざるを得なかったが、何とかレギュラーな学校運営の体制が整いほっとしたというところである。

 授業の準備も大変なのだが、こういう人事の問題もあって、また、わが学科では来年度二人の採用を計画していて、その候補者選考もあり、私はここんとこいろいろと心労が重なる時を過ごしている。

 今日の自己開発トレーニングの授業では、小此木圭吾の『対象喪失』の説明。ストレスによる哀しみから立ち直るプロセスを「悲哀の仕事」というが、悲哀の仕事には、感情の自然な流れに身を任せる事が大事だと説明。下手に逆らって、失ったものを心の中に遺そうとするとずっと哀しみにとらわれて、ストレスから回復できない。

 人の生きる力とは、忘れる力である。どんなに辛い悲しい出来事、失恋とか、肉親の死とか、でも人は必ず忘れることが出来る。心はそういう仕組みになっていて、それが生きる力なのである。ところが、人間は、哀しみを後生大事に心に遺そうとする。実は、それも人間が人間であることの根拠であって、だから、人に哀しみの感情を引き起こす文学作品を書く事ができるのだ。

 とすると、人間は、哀しみを忘れ去ろうとする本能的な力と、哀しみを心に遺そうとするこれまた人間であることを証明する働きとの二つの力に引き裂かれていることになる。この危ういバランスの上で生きている、というのが本当のところだ。

 このバランスを失うと、だいたい失うとは哀しみを遺そうとする側が過剰になってしまうことで、心の病になる。一方、忘却の側に過剰に傾斜すれば、それは自分の心を封印するか鈍感になることで、自分や他者の心に無関心になることだ。これも不自然である。

 泣きなさい、笑いなさい、という歌がある。これは悲哀の仕事のことを歌った歌だ。このように、感情を豊にして自分の哀しみと付き合いながら、その哀しみを克服していくというのが、理想的な悲哀の仕事である。そう解説しながら私自身、泣くこともあまりないし、笑うことも余りないなあ、と思う。そういう意味では私は悲哀の仕事の下手な人間である。

 「自分さがしの心理学」というテキストに載っている、自己分析の心理テストで、学生達のストレス度の平均が、ほとんど健康に害があるという高いレベルであった。みんなかなりストレスを抱えていることが数値に出ているのだが、どう考えても、明るいし、よくしゃべるし、悩んでいるようには見えない。隠れたストレスがあるのか、それとも、いい加減にテストをやった結果なのか、不思議である。どうもこの子達は、私よりはるかに悲哀の仕事が上手なのは確かなようだ。

                         冬ざれも笑いなさあい泣きなさい

人間ドック2008/12/05 22:50

 今日人間ドッグ検診。午前中、神田駿河台の日医大総合検診センターへ。朝のラッシュ時(7時半)の小田急に初めて遭遇した。いつもはこんなに早くは乗らないのだ。いやあすごかった。足が浮くほどの混雑である。

 私は以前東武東上線で通勤していて朝の混雑も経験しているが、こんなではなかった。噂には聞いていたが、すごいね。どう考えても毎日こんな混雑の中を通勤するのは、合理的ではない。経済効率からしてもかなりの損失だろう。最近、小田急や京王線沿線沿いの地価が下がっているのは、この混雑が原因であると聞いたことがある。電鉄会社の不動産会社が沿線をやたらに開発だけして輸送の問題を解決しなかったつけがまわってきたということなのだろう。

 私は朝一限の授業をもっていないので、この時間帯に乗ることはないが、朝早い授業の学生も教員も大変だなあと、特に小田急沿線の人同情します。地方から来た学生が最初にショックを受けるのはこの通勤ラッシュで、これに耐えられなくて学校に来られなくなる学生が年に何人かはいるということだ。私の学科の学生にも一人そういう子がいた。

 東京に出てきて生活するということはこういうことなんだよ、慣れなくては、と言った記憶があるが、でも、これに慣れろというのは酷なような気がする。どう考えても電車にすし詰めにされているのは人間とは思えないからだ。貨物車に積まれた労働機械のようなものだ。むしろこのラッシュに慣れてしまう方がおかしいのだろう。

 人間ドッグ検診を受けながら、生きるのは面倒くさいことだと思いながら、あちこちの検査室を回っていた。健康である事をわたしたちは義務づけられている。だからこの検診も一年に一回受けなければならないのだ。国と医者が作った健康という尺度があって、その基準値で人間を一人一人測定して、健康と病に分類していく。私はいつも境界線上にあって、どちらかというと病の側に分類される。

 むろん、誰だって健康の方がいいに決まっているから、こういう検診は悪いことではない。面倒だと感じるのは、検診を受けている時の自分は徹底してモノとして扱われてていると感じるからでもあろう。この検診センターの扱いが悪いということではない。とても親切にやってくれてはいるのだが、やはり短時間に大勢の人間の検診をこなすために、受診者はどうしてもモノのように扱われる。

 モノとして扱われることには慣れているので、そのこと自体は面倒ではないのだが、やはり時にモノとしてそこにいることを受けいれるのはとても面倒なことである。こんなふうに引き回されて健康をチェックしなければならない自分、というその自分が面倒なのだ。こういうのってひょっとしたら鬱なのかも知れない、などと思いながらこの文章を書いているのだが、鬱の理由は、この歳で検診を受けるのは、まだ死ななくてすむか、という確認を国や会社にされているようなものだからだろう。

 一週間後に結果が送られてくる。どうせ、いつものように何処何処に異常値があります、と書いてあるのか、それてもサプライズがあるのか、この歳になるとそういうことを考えてしまう。毎年こういう事を考えることを義務づけられているのだ。鬱にもなろうというものだ。

                あなたより長生きしてます漱石忌

古稀を祝う会2008/12/08 00:32

 昨日の土曜は、午前中歯医者。午後は学会の例会。私の勤め先で行うので、早めに行って雑務をこなし、そして例会に参加。E君の葬式の哭歌の発表である。彝族の葬式の記録を取っていて、それをベースに葬式における女の哭歌と男の指路経の分業について論じていた。その分業というのがなかなか面白かった。ただ、それを日本の葬歌の分析に持って行く手法はやや強引かなと感じた。これは、中国や少数民族の資料をモデルにして日本古代の表現分析を行うときに必ず問題になることで、比較ということの難しさでもある。

 が、大事なのは、彝族の哭歌や指路経の分析であって、この分析を通して葬儀における歌の役割というものがある普遍性を持って抽出できれば、比較はそれほど難しいものではない。その普遍化の未熟なうちにあせって比較するとたいてい強引になる。自戒せねばと思う。

 例会が終わって神保町のイタメシ屋で飲み会。私は適度に切り上げ、新宿に。今度は私の昔からの友人たちとの忘年会。ただし、これも簡単に切り上げて帰る。体調がよくないので酒がのめないし、疲れたくないので早めに帰る。付き合いが悪くなったなと自分でも思う。昔はこういう飲み会はたいてい最後までつきあったものだが。

 今日は、K先生の古稀のお祝いの会。渋谷の東急エクセルで行われる。160人が集まる。盛況な会である。最近葬式でしかあうことのない人たちと会う。こういう場で会うのは楽しくていいね、と皆で頷く。私も執筆者に名を連ねているが古稀記念論集である『修辞論』(おうふう)が出版され、皆に配られた。

 帰り渋谷東急ビル内の銀座ライオンで軽くビールを飲んで研究者仲間と歓談。みな私より年上の人たちである。従ってみな会社なら定年か、間近の連中で、定年退職組で研究会を作らないかという話で盛り上がる。シニア研究会とでも言うべきか。結構意気盛んであった。私はまだ当分現役なので、参加は当面なさそうであるが。

 帰って、夜には、歌誌に頼まれた原稿を書き始める。最近癌で亡くなられた歌人についての原稿である。四枚ほど書いたところでダウン。明日には何とか書けそうだ。

              生き残った者らは酒を飲む師走

みなし労働2008/12/11 00:22

 11月の出勤簿を見たら(わたしの勤め先はタイムカードがあるのです。)、毎週6日出勤していた。しかも皆勤である。職員よりもわたしの方が出勤数が多い。むろん朝9時から5時までというのではないが、でも、仕事は夜もしているので、労働時間はかなりになるだろう。

 教員もタイムカードをとるようになったのは出退勤の記録を取るためだということで、決して労働管理ではない、過労死を防ぐという意味合いもある、という説明がなされた。私が組合の副委員長の時で一応抵抗したのだが、押し切られた。

 教員は、実態はみなし労働である。みなし労働というのは、労働時間を週何時間と決めない労働のことである。自宅の研究時間も労働時間に入ると考えると、学校に居る時間だけを労働時間とするわけにはいかない。そこで、週6コマの授業をやっていれば、だいたい定量の労働をしているとみなすのである。

 成果主義とは違う。教員は授業時間が原則として労働時間なので、成果主義ではない。たとえば研究機関に属してる場合は、一定期間成果をあげないと解雇されるというのがあるが(アメリカではそうだ)、こういう成果主義のところでは、原則として労働時間は管理されない。

 普通、みなし労働はこういう成果主義の労働形態で使われる。だから、教員の労働はみなし労働ではない、というのが従来の見解(国の)であった。つまり、労働時間に本人の自由はないということである。これがみなし労働になったのは、国公立の大学が独立法人化して、教員が公務員から民間の労働者になったことで、教員の労働管理の見直しが行われた結果らしい。

 いずれにしろ、みなし労働というわけなのだが、このみなし労働の最大の問題は、教員が過労死した場合、その証明が難しいということである。教員が過労死するほど働く時は、だいたい自宅で研究している時間がオーバーになることである。学校での労働時間はある程度管理されているが、自宅での労働時間は、記録でもつけていないとわからない。従って、それが原因で過労死しても労災は降りない、ということになる。

 まあ、過労死するほど研究している奴はめったにいないし、研究ばかりしている者は学校の雑務など絶対にやらない連中ばかりだから、結局、過労死なんか誰もしないのだけど。だが、例外がいる。私である。私は、研究もするし、学校の雑務もする。ブログも書く。つまり、過労死してもおかしくない。そのうち死ぬとみなから言われている(特に奥さんから)。

 さて、労働というのはアルコールと同じで一定量を超えると中毒になる。そういうのをワーカーホリックというが、私の場合すでに中毒であり症状も出ていると言っていいであろう。

 かんがえてみれば、この年末仕事がなくてリストラされる人たちがたくさんいるというのに、私のように仕事のやり過ぎというのは、罪悪である。私が仕事を半分にすれば、きっと誰かがリストラされずにすむのではないか(てなことはないが)。

 ワークシェアリングをすべきだが、それが出来ないのは、人より働かなくてはという競争原理に侵されているからでもある。そろそろ労働に対する考えを見直すべきなのだが、もう遅い。

                  短日やキリギリスうらやむ蟻もいる

忘年会2008/12/13 01:01

 今日は会議のみ。ただ昼に中国人の学生に英語のレッスン。4月から続けてきたが、ようやく今日で修了。中1、中2、中3の英語の参考書をやり終える。初めほとんど英語が読めなかったが、今ではかなり読めるようになったし、授業の英語も不安がなくなったと言っていた。英語の苦手な私も少しは勉強になった。ただ、私自身の中国語の勉強ができなかったことが心残りである。

 夜はわがマンションの忘年会。私どもは幹事なのである。近くの料理屋できりたんぽ鍋を囲みながら食事会。15件のマンションだが、現在は13件(2件は売りに出てます)で、1件を除いてみなさん出席。

 私は初めて会う人もいる。むろん、私を初めて見る人ばかりであろう。奥さんは、会合などに出で居るのでんなと会っているが、私はほとんどマンションの住人と顔を会わせない。ただ、こういう機会でないと皆なかなか顔を会わせないものだと言ってはいたが。

 音楽家、翻訳家、版画家、デザイナーとこのマンションはなかなか変わった職種の人が多い。版画家の女性から自製の絵はがきをもらう。メルヘンチックなきれいな絵である。人からどうやってこのマンションを見つけたのかとよく聞かれるのだが、たまたま、偶然にインターネットの検索で見つけただけである。でも、今の所、実に幸運だったと思っている。緑は多いし、ペットは飼えるし、静かだし、交通の便も駅から結構歩くけど、それでも通勤時間は短くなった。

 来年3月で丁度築30年になるという。けれど、コンクリートはかなり厚くして作ってあって、地震にもびくともしないというのが自慢らしい。ほんとならいいが。

 ただこういう宴席は研究会などの飲み会とはまた違う雰囲気で、私はあまり酒が飲めずどうも人の話を聞くばかりで、居心地が悪い。それでも、同じマンションの人たちと顔見知りになれるのは悪くはない。とにかくそれなりに話はしたが、たぶん無口な人と思われたろう。

 明日は研究会。夜は飲み会になるだろう。さすが12月、飲み会が続く。

                     寄せ鍋やみなさんそれじゃと言うてから

ぐだぐだと過ごす2008/12/15 01:00

 忘年会が二日続き、日曜の今日は久しぶりに家で過ごす。一応仕事はあるがやる気が起きない。買い物をし、チビの散歩をし、篤姫の最終回を見て、少し仕事をし、何となく一日が終わる。こういう過ごし方は久しぶりである。一応頭の中では原稿書かなきゃとか、調査資料を整理しなきゃとかと思いつつ、身体は抵抗するように動かない。このぐたぐださが貴重である。せっぱつまると、スイッチが入る。スイッチがはいるまで、ぐだぐだと抵抗している。今ちょうど抵抗している時である。

 今年は、あまり論文を書かないで過ごした。といっても、何本かは書いているはずだが忘れた。来年は大変だ。まず基礎ゼミナールのテキスト作りをこれから始める。この原稿を私が書いたりまとめたりする。それが終わると、すぐに、「アジア民族文化研究」の原稿を書いて、それで1月が終わる。二月は、柳田国男論50枚を2月末締め切りで頼まれているので、それを仕上げる。三月は短大の自己評価報告書をまとめる作業でたぶん休み無しになるだろう。

 四月以降、共編著の本を二冊編集予定。その原稿を来年中に書き上げる。それから、勤め先の研究所の紀要も今年書かないとまずい。研究費をもらっているので。ということで来年はまたハードな年になりそうだ。

 今頭が痛いのは柳田国男論のことである。引き受けなきゃよかったといつも後から思うが、引き受ける時は書けそうに思う。が、具代的に構想を練り始めるとこれはけっこうやっかいだなといつも思う。

 柳田国男と日本というテーマで、私はかつて「柳田国男の民族観」(1995)という論文を書いたことがある。その論文がとても面白いので、その続編を書いてくれと頼まれたのだ。気軽に引き受けたが、これはけっこう難問である。

 以前は、ポストコロニアル批評や、カルスタ批評に柳田がワンパターンで批判されるのが面白くなくて柳田論を書いたのだが、今それらの潮流がほとんど力を失っている。その今改めて柳田と民族主義とを論じるのは困難であるように思える。

 柳田にとって、日本という国家や民族はどのようにあったのか。それを検証するという作業になるだろうが、私はたぶん『先祖の話』あたりから検証できるのではないかと思っている。この本を柳田は、戦争によって外地で死ぬ日本の青年の魂を鎮魂するために書いた。外地で死んだその魂は日本の家に戻って先祖になると考えた。

 これは靖国問題と重なってなかなか微妙なところがある。柳田の固有信仰論が村ではなくて日本という問題に拡大したとき、揺らぎ始めたという問題なのであるが、そこいら辺から何か言えないかと思っている。どうなることになりますやら。お楽しみといいうことである。

                            忘年会森の烏は愉しそう

社会主義的2008/12/17 01:21

 私の学科の来年度採用人事が今日決まり一安心。ニュースでは毎日失業の話ばかりで暗い気分になるが、ほんのささやかでも職を得られる人の手伝いが出来たことは嬉しいことである。職場が危なくなってこの逆が起きないことを祈るばかりである。

 自由主義市場経済が曲がり角に来ていることは誰の目にも明らかだろう。民主党の出した緊急雇用経済対策に自民党が、これじゃ社会主義だと反発している。が、アメリカのオバマがやろうとしていることはもっと大胆な税金を投入した福祉や企業への支援策だから、その論法でいけば今やアメリカの方が社会主義である。

 例えばアメリカもヨーロッパも自動車会社に資金援助をするが、していないのは日本だけである。だから、日本も資金援助しろとゴーン社長が主張していると今日のニュースが伝えている。つまり、自由な資本主義経済の本家の方が、社会主義的な政策、つまり自由主義市場経済に逆行する政策を行っているということである。

 国家の役割は、国民の生活を成り立たせるために冨の分配を差配することである。それが出来なければ国家ではない。不況下では、冨の分配は強者に偏るから国家は弱者に流れるように差配しなければならない。それが、雇用対策であり減税であり、生活保護である。これを社会主義的といって批判するのは、基本的にわれわれの社会の原理がわかっていないということである。社会の基本原理とは、人類が社会を生み出した時以来、社会の構成員を飢え死にさせない仕組みを作ることであって、その原理は、何々主義であろうと変わるものではない。

 ひどい天災が起こってどんなに頑張っても飢え死にしてしまうというのと違って、経済不況は、何とか冨の分配をコントロールすれば飢え死には防げる。それをするのが政治の役割であるとすれば、日本の政治はそのように機能していない、というべきか。

 かつて吉本隆明は、資本主義は社会主義に近づいていかざるを得ない、と語っていた。社会主義になるとは言っていないが、社会主義的なセーフティネットを作った上で、競争原理による市場経済を機能させる、ということであろう。今、ほとんどの経済学者が言っていることである。

 飢え死にしない安心の上で資本主義的競争が成り立つ、というのは、人類が生み出した社会の基本原理に基づく、資本主義ということであろう。飢え死にするものをださないために、人類はいろんな社会システムを考えてきた。いつも上手くいったわけではないが、その原理は不変であるはずである。

 その意味で、飢え死にしそうな人たちを助けようとすると、社会主義的だとイデオロギー批判にすり替え、その原理に基づく義務を放棄するのは、情けない限りである。

 そういえばこの間の忘年会で、文芸評論家のSと会ったが、彼は今吉本バブルだと言っていた。確かに吉本の本が大きな活字本でたくさん出ている。みな年寄りが買っているのだろうか。時々私も気になって買ったりする。たいしたこと言ってるわけではないんだが、つい本を買うのは、充分に教組であるということだろうか。  

                         枯野行く富者と貧者の違いなく

関係を豊に2008/12/19 01:08

 ようやく授業もだいたい終わった。ただ、会議で明日は出校。22日も授業はあるが、これは卒業レポートの仕上がり具合の確認。

 今日は忙しかった。午前中一コマ。午後は公開講座の講義。万葉集である。それから会議が三つ。終わったのは6時過ぎ。

 午前中の授業は地域文化論。雲南の少数民族文化を教える授業。最近余り人が集まらない。一時は百人入る授業だったのだが。少数民族の人たちの貧しいが屈託のないその生活や文化を学ぶ事にどういう意義があるのか、つい今の大不況と重ねて熱弁を振るう。

 君たち、こういう生き方(少数民族の人たちの)があるということを知ることは、自分の生き方の選択の幅を広げることになるんだ。これは、この大不況の時代にはとても重要なことだ。自給自足の現金収入の少ない生き方でもけっこうやっていける。別にそういう生活をしてみたらということじゃなく、幸不幸の基準は必ずしも物質的な豊かさではないというということを知っておくことは悪い事じゃない。

 それから、人と人との関係を築くことが大事だということもわかったろう。独龍族は他人の家に勝手に上がり込んで食べものを勝手に食べる。それが許されている。そうしないと生きていけないからだ。つまり、彼等は人と人との関係を豊にしないと生きていけないほど厳しい環境の中で生きている。物質的に豊になると人は孤独になる。関係を豊にする必要が薄れるからだ。不況で職を失っても豊かな関係を失わなければ何とか生きていける。そういうことを知っておくことも大事だ。

 てなことを語ったのだが、学生達はあんまり真剣に聞いていなかった気がする。でも、どこか心には引っかかったはずだ。あのとき教師が変なことを語っていたがこういうことだったんだと分かる時があるかも知れない。それでいい。

 一番遅い会議は短大の自己評価報告書作成ワーキングの会合。スケジュールの確認だが今度新学長が決まったので、新学長に出席してもらい作業の分担などを確認した。終わってワーキングのメンバーで新学長を交えて忘年会。最近職場関係での飲み会がなかったので、久しぶりである。こういうコミュニケーションの取り方の方が楽しくていい。

                          咳をする人と語らう酒を飲む

プレゼンテーション2008/12/20 01:30

 今日は会議だけだが、出校前に神保町の本屋で、レポートの書き方とか、プレゼンテーションマニュアルの本など買い込む。いままで集めたものを併せると10冊以上になる。一応全部読んで、基礎ゼミナールのテキストを書かなくてはいけない。

 プレゼンテーションのマニュアルは書く予定ではなかったのだが、必要ではないかという声があり、書くことにした。それにしても、プレゼンテーションを教えるということは、大変なことになってきた気がする。

 日本人の美徳に不言実行というのがある。プレゼンテーションというのはこの美徳を真っ向から否定するものである。黙っていてはいけない、積極的に言いたいことを伝え相手を説得しないとこの世の中生きていけないという、そういう論理なのだ。

 競争社会でありかつ情報社会では、人の存在そのものが一つの情報であり、その情報は誰かに発信され認知されなければ無いに等しい。つまり、黙っていたら存在したことにならないということである。こういう欧米的な人間味のないコミュニケーションの方法に、ついに日本は侵略されてしまったというわけだ。共同体を解体する資本主義とグローバリズムを生きる以上、避け得ないことではあるが。

 アメリカの大統領選挙は、まさにプレゼンテーションの見本市のようなものだった。声、外見、話し方、内容、どれもが競争相手に勝ること、これがプレゼンテーションの核心である。競争相手がいなければプレゼンテーションなんて必要ないのだ。どうすれば大衆に自分の方が優れていると思わせられるか。それがプレゼンテーションの技術なのである。

 オバマはプレゼンテーションにおいて相手に勝っていた。ただし、外見や話し方のうまさだけで勝てるのか。そこが問題だ。そう簡単には表に現せない、思想や人柄、内面はどうなのか。プレゼンテーションのマニュアル本を読むと、最後はそれが決めてだと書いてある。

 例えばそれは熱意のようなものであったり、誠実さであったり、目の輝きだったりする。計算を超えたパフォーマンスということか。プレゼンテーションとは説得するパフォーマンスをマニュアル化することである。それなのに、結論はマニュアル化出来ないところが重要だとする。結局そういうことになるだ。

 でも、である。プレゼンのマニュアルは基礎的な文章の書き方みたいなものなのだ。この時代では。自分をアピールするパフォーマンスがである。考えてみたが、授業もプレゼンテーションだよなと思う。とりあえず技術やマニュアルが必要だ。が、結局ものを言うのは、マニュアルを超えた教員の熱意や生き方である。

 ところで、しゃべるのが上手でなく戸惑いながら説得していく方法というのがあってもいいと思う。それもまた一つのパフォーマンスではないかと思う、そういう控えめなプレゼンテーションのマニュアルが作れたら面白いのではないか。などと考えるのだが、年末年始はこんなことを考えながら仕事である。

                       一人では生きるのつらいぜ年の暮れ

反グローバリズムのグローバリズム2008/12/24 15:12

 ようやく授業も終わり休みに入ったのだが、いつものようにというか、体調を崩した。風邪なのだが、体がだるいだけでインフルエンザではない。要するに疲労が出てきたというところだ。仕事中は気が張っているからか何とか持つが、休みに入ると、この時とばかりに出てくる。要するに、もう働くなということだろう。

 気分的にはそんなに働いた気がしていないのだが、こういう限界を知ろうとしない私の脳みその構造自体が問題なのだということだ。身体はもう充分に衰えているのに、頭はそれを認めない。それに気付いたときにはすでに手遅れ…なんてことになる。

 土曜から体調を崩し、今日あたりは何とか回復の兆し。昨日は、北川辺のYのところへ恒例の餅つき。体がだるいのでどうしようか迷ったが、奥さんに運転してもらって行くことにした。Yは北川辺で塾を経営していて、年末に塾の生徒達と餅つきをする。Yの友人達がそれに参加して、一緒に餅つきをするというもの。

 久しぶりにUが参加していて、今年新築したYの家でいろいろと話をする。Uが真面目にグローバリズムはどうなるんだと聞いてくる。どうなるんだろう、と適当に思いつくことをしゃべったが、そのあといろいろ考えてみた。

 金融資本主義が崩壊した今、グローバリズムそのものへの反省があちこちで言われている。当然だろうと思うが、ただそれなら反グローバリズムに世界は動くのかというと、そうはならないだろう。反グローバリズムだと食料の自給率が5割を切っている日本はたちまち困ってしまう。

 経済が国境を越えるのは当然であり、人がまた国境を越えて移動するのも止めようがない流れである。そこには、経済活動や移動という名の自由があり、それを制限することは出来ない。つまり、グローバリズムはそういった自由を価値とする社会が必然的にもたらしたものであり、そのことを悪とは言えない。

 問題は、そういった自由が地域の中の狭い範囲である場合には、例え格差が生じても何とかその格差を是正するシステムが築けるのだが、グローバリズムは、その範囲が広すぎてそのような格差を放置するしかないということだ。

 むろん、格差を生まないような経済活動を保証するような制限をグローバリズム経済に設けるという手もあるだろう。が、現実問題として、格差を生まないほどの制限は難しい。それはグローバリズムそのものを否定することになる。反グローバリズムが今やかつての左翼運動にかわる反政府運動になっているのは、反グローバリズムが今の社会システムの否定、つまり革命になるからである。

 だが、反グローバリズムを今実践しているのは北朝鮮である。えっ、結局、北朝鮮なの?じゃ、反クローバリズムもあまり説得力を持たない。といって今のグローバリズムを認めたくないとすればどう考えればばいいのか。

 そこで問われるのが国家の役割だろう。今世界的な不況の中で国家は財政出動して懸命に失業対策や弱者救済に当たっているが、それが効果的な策かどうかは別として、これは本来の国家のあるべき姿である。グローバリズムの最大の欠点は、グローバリズムという規模では、それぞれの地域の弱者を救えないし救うという発想がないということである。弱者を救うのは、グローバリズムがその境界を楽々と越えてしまうところの、国家や地域共同体である。

 今回の不況でグローバリズムを先頭立っておしすすめた大企業は、格差是正や弱者救済などこれっぽっちも考えない存在であることを示した。それはある意味で当然なのである。彼等に、労働者をモノとして扱うなと言っても無駄なのである。もともと利益を追求する組織だからだというのではない。グローバリズムによって地域を越えてしまった企業は、もとも国家間格差や地域間格差の落差を利用することで利益を上げてきた(例えば人件費の落差)。その企業がその格差を是正する活動に積極的になるはずがない。

 とすれば、グローバリズムの課題は、グローバリズムが前提とするところの格差構造によって生じる弱者を救済するセーフティネットをどう作るか、ということであろう。反グローバリズムはそのセーフティネットを作る運動であるべきだろう。また、国家や地域共同体もそうあるべきだ。

 そう考えれば反グローバリズムのグローバリズムが必要である。つまり、セーフティネットのグローバリズムである。これだけの世界不況になると、セーフティネットも一国的な取組では限界がある。例えばブラジルからの労働者が職を失っている時に、当然ブラジル政府と日本との連携が必要だろう。

 グローバリズムが進んでくれば、国家や地域共同体の役割がより鮮明になる。現在の世界的不況はそのことを明らかにした。セーフティネットに特化した国家、セーフティネットの世界的な連帯、という道筋が見えたのではないか。それはそれでよいことであると思う。  

                          温石を無くしてひとり峠越ゆ