私の読書体験2008/11/01 13:56

 激動の一週間が過ぎた。特に今週はきつかった(いつもきついが)。勤め先の仕事がらみで、会議やら雑務やらが多かったせいだが、何かと頭の痛い問題も次から次へと生じてその対応に神経が時々おいついていかない。私は自分をタフな人間だと思っているのだが、自分で思うほど強くないことがよくわかった。

 モノモライもたぶん疲れて免疫が落ちたせいだろう。抗生物質を飲んでたら今度は蕁麻疹がでるわで、こういうことはいままでなかったので、さすがにこれは休まなきゃいかんということらしい。

 この連休はゆっくり過ごしたいが明日は三浦しをんとの読書をめぐる対談ということで、これもどうなることやらで落ち着かない。司会の橋本氏から、当日はざっくばらんに子どもに読書をさせるにはどうしたらいいかとか、本の選び方とか自分に影響を与えた究極の一冊とかを話して下さい、という文書が送られて来た。

 実を言うと私は子どもの時そんなに本好きな子どもではなかった。だいたい家に本なんてなかったし、家が貧しかったから本を読むような環境ではなかった。貧乏でなかったら本を読んだのかというとそれは分からないが、本好きな子どもにするにはまず貧乏ではだめだということは言えるのではないか。

 だからこういう問に答える資格はないと思うのだが、ただ言えることはきっと子どもが本好きになるのは、親が本を読むからだと思う。つまり、子どもの前で親が読書にふけっていれば、子どもは親のまねをするし興味をそそられて自分も本を読む習慣を持つようになるだろう。読書は強制してもだめで、結局は、本を読みたくなる環境をどう作るかで、確かなのは親が本を自ら読む事の楽しさを見せてやることだろう。そういうことではないか。

 私が本を懸命に読んだのは、学生運動を止めて郷里に戻り働き始めたときのことだ。零細企業に就職し配送の仕事をしながら、毎日仕事帰りに喫茶店や図書館に寄って本を読んだ。不安だったからだ。これから自分がどうなるのかわからなかった。だから本を読むことで現実を耐えようと思ったし、本を読んでいれば、どんな人生が待っていようとそれを受けいれられる余裕のようなものが出来るのではないか、そう考えたのである。

 だから、何を読もうなんて考えずに片っ端から読んだ。文庫が主で、岩波文庫を端から読んでいくという読み方だった。古典と哲学が多かった。黄色の帯の日本の古典はほとんど読んだのではないか。青の帯の哲学本もかなり読んだが、内容はあまり理解出来なかった。内容が分からなくても最後まで読むというのが当時の私の読書の方法であった。本を読むというのは、人と付き合うのと同じで、分からなくても最後まで付き合えば何かが残る。たとえワンフレーズでも心に残る言葉が見つかればいいのだとというよう感じで読んでいった。

 それを4年間続けた。4年間ほぼ毎日仕事帰りに本を読んでいた。時には仕事中に仕事をさぼって本を読んでいた。郷里の本屋の文庫本コーナーにはもう私の読みたい本はなくなってしまったと思うくらいに(小さい本屋なので)、かなり読んだのではないかと思う。

 たぶん今こういう仕事をしていられるのはこのときの読書体験があるからだと思うが、その後、東京に出て大学に入り直し、研究者になってしまうと、あのときのようながむしゃらな読書はなくなってしまった。必要が無いからだが、何となく寂しく思うことはある。仕事がらみで本を読むというのは、どうしてもネタ探しになってしまって、本を読むことの知的な楽しみを損なっている。

 仕事から解放されて暇になったとき、つまり老後のことだが、ふたたびがむしゃらに本を読むことがあるのだろうか。本を読むというのは、心の空洞を埋める作業のようなものである。つまり老後の私に空洞があるかどうかである。たぶんあるだろうが、それを読書で埋められれば、それはそれで良い老後になるのではないだろうか。

         陽だまりに私と犬と読書かな

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