訃報2008/11/12 23:15

 今日メールでK大の国文学研究者A氏の訃報が届いた。大変驚いた。私よりは歳は上だがまだお若いはず。上代の大会でも、来年の会場校なので挨拶をしていらした。私と同じ痛風で、血圧も高そうで、同病相憐れむという感じで話をしたことがあるのだが、まさかこんなに急に亡くなられるなんて…。

 六十代の働き盛りの研究者の訃報がこのところ相次いでいる。このご時世みんなムリをしているんだろうなあと思う。私も他人事ではない。

 これはサバイバルになってきたという感じだ。生き残ったものが勝ちだとは思わないが、生き残らないと研究成果は世に問えない。研究者は長生きしなくちゃだめだというのはKさんの言葉。白川静だってあれだけ長生きしたから研究成果が世に出たと言う。だから、雑務なんか辞めて研究に時間を使えと会う度にいつも言われる。

 もちろん分かってはいるが、そんなに簡単にはいかない。私はきっと必要とされるているはずだと思うほど職場は私を必要としていないというのは、どんな職場、いや社会の基本的法則である。それはわかっているが、だからといって、頼まれた仕事を嫌と言えないのは、前にも書いたが、仕事というのは何割かは奉仕だからだ。この奉仕の部分があるから、仕事というドライな関係にすぎない場であっても、人と人とは仲良くなれるし、給与労働の価値に還元されない人間関係が可能になるのである。

 自分の研究は社会に貢献する重要な価値を帯びているという揺るぎない自信があれば話が違うが、そういう自信はそう簡単には持てないだろう。とすれば、研究者は研究も大事だが、人のために奉仕するという仕事もまた引き受けてしまうものだ。それが自分の持ち時間を少なくし、身体を酷使するとしても。

 亡くなられたA氏もまたそういう人だったのではないかと思う。管理職をやられていて、面倒見の良い先生だったと聞く。そういう人が少ない世の中になってきた。だから、そういう人にしわ寄せがくる。ご冥福を祈りたい。

                          神無月働いて働いて逝く

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