歌師たち2007/09/06 00:52


 8月26日は、羽田12時50分発のJalで関空へ。17時20分発の中国東方航空(日航との共同運行便)で21時10分(日本時間だと22時になる)に昆明着である。翌日、バスで大理へ5時間半。そこでバスを乗り換え、雲龍県の県都へ3時間半。この県都を拠点にすることにした。農家への宿泊はやはり無理ということになった。それにしても、移動で疲れた。一番心配したのが、エコノミー症候群である。特にバスの座席は狭いし長時間乗っているので、血栓が出来やしないかそれが心配だった。

 雲龍県の県都はブーゲンビリヤの長い回廊がなかなかのものだった。

 翌日、役所のお世話でパジェロをチャーターし長新郷へ向かう。そこへ村人が来ているので、そこで歌を歌ってもらうということになっている。歌い手はいくつかの村から来ていて、一番遠いところでは、30キロ先から歩いてくるという。車が通れないからだ。

 村には歌師と呼ばれる上手い歌い手がいて、その歌い手たちが集まっている。案内役は大理学院の先生であるCさんで、30キロ先の村とは彼の故郷である。かれの同級生はこの地域の役所の幹部になっているので、今回の調査でもいろいろと便宜をはかってもらった。こういう人脈がないと実際調査はなかなか難しい。

 河原で踏葬歌を演じてもらった。最初宿でやってもらおうとしたが宿の主人が縁起が悪いというので、郷から少し離れた河原でやることにしたのである。

 調査は午後で終わったのだが、郷の人と話をしていたら、近くで馬鹿歌というものがあるという。白語では耳子歌というもので、結婚式の時に、老人が馬鹿な新郎・新婦に子どもの作り方や農耕のやり方を教えるという演劇仕立ての歌らしい。それを取材したいと言うと、その村にはとても車ではいけないという。そして、今、若い歌い手は不在で老人が一人いるだけだという。その老人でもいいから取材出来ないかというと、明日、近くの郷に村から降りて来てもらうということで話がついた。

 次の日に、この老人から話を聞くと、息子はこの歌を演じに日本に行ったという。しかも、日本からは政府の関係者が取材に来たという。たぶん文化庁のHさんだろうと思ったが、数日後、県都でその取材のビデオがあるというので見せてもらったところやはりHさんだった。Hさんはこんなところまで調査に来ていたのだ。少々驚いた。

 ただ、実際の結婚式ではなく、その馬鹿歌(耳子歌)を再現してもらったもので、村の人の話だとかなりオーバーで実際にはやらない獅子舞まで入っているということだった。せっかく日本からお役人が来たのだから精一杯サービスをしたのだろう。

 つまり、本物はまだ調査されていないということである。俄然、同行のYさんと取材したいなあという話になったが、結婚式がないと取材出来ない。農閑期から旧正月にかけて結婚式は多いという。しかし、大学に勤める身としては一番忙しい時期だ。やはり無理そうだ。

 その日は、別の村にジープで入った。こんな悪路ははじめてである。これじゃ車は無理だ。とにかく、車で河を渡り、ドロドロのぬかるみを滑りながら山道を行く。山の上の村はなかなかよかった。

       野分の夜異国の歌人らを思ふ

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://okanokabe.asablo.jp/blog/2007/09/06/1774327/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。