対唱文化2007/09/17 17:12

 それにしてもなんて暑さなのだ。この暑さにはチビもさすがにぐったりしてクーラーの効いた部屋から出ようとしない。台風の影響とはいえ、おかしな天候が続く。日本は温帯から亜熱帯になったという説がある。亜熱帯は四季がなく、雨季と乾季がある。私の通う雲南がそうだ。ただ雲南は高地だから過ごしやすく、高原地帯は常春の国と言われている。が、標高がさがれば、とても暑い。マラリアもある。だから標高の高い山岳に住む民族が多い。稲作には不便だが、高いほうが暮らしやすいのである。日本が亜熱帯になったら、私は長野の山小屋に移住する(逃げ出す)つもりだ。

 15日はオープンキャンパスで一日出校。模擬授業も行った。昨日今日と家で少数民族の歌垣と万葉集の相聞歌の比較に没頭。アジアの対唱歌という視点から万葉の歌を眺めてみようという試みである。22日の発表はこの線で行くことにした。ただ、うまくいくかどうかはわからないが。対唱歌の概念をどう構築するかが難しい。日本の歌の掛け合い歌は、基本的に折口信夫のマレビト神と土地の精霊の問答という論理があって、だいたいそれで説明される。この論理をアジアの対唱歌というレベルにまで広げたときに、どのように有効なのか、まずその検討も必要。むろんそのままで通用する論理ではないが、生かせないことはないと思っている。

 アジアの対唱文化圏は照葉樹林帯だという説が中尾佐助等によって唱えられたが、どうしてかというところまでは説明はされなかった。気候的には亜熱帯である。一つの理由は、山岳地帯かもしくは島であるという条件があるだろう。つまり、耕作地も大規模なものではなく、大規模耕作に適さないから統一国家を作らない。だから、文字を持たず、狭い地域に分散して居住し、それぞれ閉じられながら適度に交流してきた文化である。

 対唱性とは二分的な対立構造を作るということであるが、それは、世界を二分的に分けることで、その地域の精神性が表現できることを示す。その意味で言えばシンプルな世界である。日本では、律令国家を作ったとき、この対唱文化が急速に失われたと言える。その代わりに、文字による和歌文化を相聞歌として発達させた。これもまた面白いことである。統一国家を作った日本は、歌のレベルでは、対唱文化圏から完全には離脱出来なかったのである。工藤さんは『古事記の起源』で、日本は少数民族文化を引きずる国だと論じたが、歌においても、そのことは言えるだろう。

       地球では野分のあとの熱き風