文明と文化2007/09/05 01:07

 今日中国から帰国。関空についたとたん暑くてまいった。向こうでは毎日21度くらいの温度で、夕方以降は長袖でないと寒いくらいだった。暑い国に帰ってきたというところだが、むろん、中国でも上海の方はかなり暑いらしい。

 雲南はもう10年以上も通っているところなので、特に驚くことはないのだが、毎年思うのは、中国がどんどん物質的に変化していくということだ。いわゆる欧米型文明を何の迷いもなく受けいれて、物質的に豊になろうとしている。それは涙ぐましいほどである。アジアの文化を研究してる私としては、その発展のスピードに少し待ったをかけたいほどになる。

 文明とは未来に視線が向き過去を向かない。文化とはむしろ過去を向く視線である。発展途上国も、共産主義国家も、いや資本主義国家も、文明が好きで文化を大切にはしなかった。文化は、国家や民族のアイデンティティくらいにしか思っていなかった。

 文明は若者を価値とするが文化は老人を価値とする。老人は未来を知らないが過去を知っているからだ。今、中国で起こっていることは、老人の非価値化であり、若者の価値化である。それは人間の文明化であり文化化ではない。

 雲南省雲龍県の村を訪れ私はたくさんの老人と会った。彼等は、踏葬歌を演じてくれた。村の誰かが死ぬと、村の多くの歌い手達は葬儀の時に手をつないで輪になり、問答形式で歌を歌う。故人の来歴を歌い、遺されたものの悲しみを歌い、あの世に行くための道筋(指路)を歌う。素晴らしい文化である。

 若者の数が少ないのは、都会に出て行ってしまったからだ。この村には、豊かな文化はあるが文明はない。この文化もこの老人たちがいなくなれば滅ぶだろう。そのように感じた。

 誰かがこの老人達の歌の価値を認めてそれを遺さなければ、この村の若者の未来(文明)はきっと空虚なものになるだろう。私の仕事などは、ささやかなものだが、文明に取り残されたような文化の担い手達の価値を記憶にとどめることなのだ、と思う。

 今回の調査も、ほんのちょっとであるにしろ、彼等の価値を記憶にとどめ、その価値を少しでも広めようとするものであった。そう思えば、疲れる思いをして中国調査に行くことに少しは意味もあるというものだ。

 ほとんどバスの移動ばかりでさすがに疲れた。毎年きつくなるのは歳のせいだろうと思う。この調査もいつまで続けられるか。まだまだ調査を待っている文化はたくさんある。調査に行くたびにそれを発見する。今回も、昆明で、神話研究者である李子賢先生から、ワ族の神話を歌う老人がこのままでは絶えてしまう。そうしたらワ族の神話は永遠に消えてしまう。どうか日本の研究者たちに調査してもらい記録してもらえないか。残念ながら中国ではやる人がいないのだと頼まれた。

 実現できるよう努力しますと答えたが、やることがたくさんあることは確かだ。

       雲南や歌を記して夏を終え

歌師たち2007/09/06 00:52


 8月26日は、羽田12時50分発のJalで関空へ。17時20分発の中国東方航空(日航との共同運行便)で21時10分(日本時間だと22時になる)に昆明着である。翌日、バスで大理へ5時間半。そこでバスを乗り換え、雲龍県の県都へ3時間半。この県都を拠点にすることにした。農家への宿泊はやはり無理ということになった。それにしても、移動で疲れた。一番心配したのが、エコノミー症候群である。特にバスの座席は狭いし長時間乗っているので、血栓が出来やしないかそれが心配だった。

 雲龍県の県都はブーゲンビリヤの長い回廊がなかなかのものだった。

 翌日、役所のお世話でパジェロをチャーターし長新郷へ向かう。そこへ村人が来ているので、そこで歌を歌ってもらうということになっている。歌い手はいくつかの村から来ていて、一番遠いところでは、30キロ先から歩いてくるという。車が通れないからだ。

 村には歌師と呼ばれる上手い歌い手がいて、その歌い手たちが集まっている。案内役は大理学院の先生であるCさんで、30キロ先の村とは彼の故郷である。かれの同級生はこの地域の役所の幹部になっているので、今回の調査でもいろいろと便宜をはかってもらった。こういう人脈がないと実際調査はなかなか難しい。

 河原で踏葬歌を演じてもらった。最初宿でやってもらおうとしたが宿の主人が縁起が悪いというので、郷から少し離れた河原でやることにしたのである。

 調査は午後で終わったのだが、郷の人と話をしていたら、近くで馬鹿歌というものがあるという。白語では耳子歌というもので、結婚式の時に、老人が馬鹿な新郎・新婦に子どもの作り方や農耕のやり方を教えるという演劇仕立ての歌らしい。それを取材したいと言うと、その村にはとても車ではいけないという。そして、今、若い歌い手は不在で老人が一人いるだけだという。その老人でもいいから取材出来ないかというと、明日、近くの郷に村から降りて来てもらうということで話がついた。

 次の日に、この老人から話を聞くと、息子はこの歌を演じに日本に行ったという。しかも、日本からは政府の関係者が取材に来たという。たぶん文化庁のHさんだろうと思ったが、数日後、県都でその取材のビデオがあるというので見せてもらったところやはりHさんだった。Hさんはこんなところまで調査に来ていたのだ。少々驚いた。

 ただ、実際の結婚式ではなく、その馬鹿歌(耳子歌)を再現してもらったもので、村の人の話だとかなりオーバーで実際にはやらない獅子舞まで入っているということだった。せっかく日本からお役人が来たのだから精一杯サービスをしたのだろう。

 つまり、本物はまだ調査されていないということである。俄然、同行のYさんと取材したいなあという話になったが、結婚式がないと取材出来ない。農閑期から旧正月にかけて結婚式は多いという。しかし、大学に勤める身としては一番忙しい時期だ。やはり無理そうだ。

 その日は、別の村にジープで入った。こんな悪路ははじめてである。これじゃ車は無理だ。とにかく、車で河を渡り、ドロドロのぬかるみを滑りながら山道を行く。山の上の村はなかなかよかった。

       野分の夜異国の歌人らを思ふ

歌の徳2007/09/07 00:13

 8月29日に訪れた大達村は山の上にあり、途中はかなりの悪路で行くのに大変であった。パジェロで何とか行くことは出来たが、何度も降りて歩かねばならなかった。最初は車が入らないので歩いて登るという予定であったが、何とか車で上がることが出来たのはラッキーだった。

 それにしても、雲南の山岳地域では山の上に多くの村がある。ほとんど道路もなく、山の下にある道路に降りたりあるいは村に帰るために上がるのは大変な労力であろう。どうしてなのかといつも疑問に思うのだが、理由としては、まずそのような村の多くは水田稲作を中心とせず畑作なので、山の上の方が耕作には便利がいいということ。それから、山の下は気温が高くマラリアにやられる畏れがあるということである。もう一つ理由を挙げれば、山の下の平地は力の強い民族が占めているため、力の弱いものたちは山の上に住まざるを得ないということもある。

 大達村の下は谷になっていてそこには棚田がある。山の上に住んでも稲作を営む民族はこのように棚田を作るのである。特に有名なのがハニ族で、3000㍍級の山の2000㍍のところに彼等は村を作り、2000㍍から500㍍までの斜面に棚田を作っている。3000㍍から2000メートルは森林で、そこに貯えられた水が下の棚田を潤すのである。下に住まないのは暑いからで、ハニ族の地域では標高500メートルのところは気温は30度を超える。2000㍍のところはとても涼しいのである。

 大達村には劇団がある。村には舞台があり、行事があるとそこで劇を演じる。この村の劇団は有名らしくあちこちに呼ばれて講演するという。馬鹿歌(耳子歌)を伝承している近くの村もそうだが、雲龍県の村はこういった芸能文化がとても豊かである。劇団といっても村人が演じる獅子舞や京劇に似た素朴な芸能といったらいいだろうか。高倉健主演の中国映画で『単騎千里を走る』があったが、あの中で、高倉健演じる父が研究者である息子の遺志をついでビデオカメラに記録しようとした仮面劇も、ここの村人が演じているものと同じものと見ていいだろう。

 本当は村では踏葬歌は歌わないはずだったが、演劇の舞台の建物は公的な空間でありそこで歌うならばいいだろうということで、歌ってもらった。村の人達は親切だった。

 30日は大理へ戻り、31日は麗江に向かった。麗江に向かう途中、鶴慶という町に寄り、漢調という白族の歌謡の調査をした。これは、張先生の教え子がたまたまこの町にいるということでその教え子の家族の案内で、有名な漢調の歌い手に取材できることになったのである。漢調とは、白族の歌謡なのだが白語ではなく漢語で歌うところに特色がある。
鶴慶には漢族が多く、彼等も白族の歌に参加できるよう白族調の歌謡が変化していったらしい。田蛙調とも呼ばれている。この漢調の歌は前々から気になっていたので、思いがけず取材が出来てとてもラッキーだった。これも張先生のおかげである。調査とは、人脈が大切なのだと改めて感じた次第である。

 歌い手はほとんど目が見えない人で、彼はそのようなハンディがあるにもかかわらず若いときから歌がうまいので、歌のおかげで結婚相手が見つかり、家庭を営むことが出来たのだという。日本ではこういう物語を歌徳説話というが、まさに、歌の徳によって人生を歩んだ人である。確かに歌は声量があり、うまいなあと感じさせる。私は歌が歌えないので、歌の徳とは無縁である。だから歌がうまい人はとてもうらやましいと思うのだ。

増殖する麗江2007/09/08 01:16

 
 8月31日と9月1日は麗江に泊まった。実は、麗江に泊まる予定はなかったのだが、雲龍県での調査が早く終わったので、麗江に行くことにした。目的は、観光もあるが、と東巴博物館に行って確かめたいことがあったからである。去年も行ったのだが、その時はよく確認できなかったので、今回どうしても行って確認したかったのである。

 納西族の儀礼の展示に、署を祭る儀礼というのがあり、その説明には、人間は森林を伐採し水を汚染し動物を殺すなどして自然を破壊している。だから自然の神である署の神の怒りを鎮めるためにこの祭りを行うとある。学会で環境をテーマにしたことがあり、そこでこの祭りのことが気になっていた。この祭りについて展示を詳しく確認し、文献があるかどうか調べるのが第一の目的である。観光はせっかくきたのだから玉龍雪山に登ろうということになった。この山は6千㍍ある。リフトで上がっていくらしい。

 結局1日は雨で玉龍雪山は雨で中止。この観光に乗り気でなかった私はとりあえずほつとした。東巴博物館に行き、署の儀礼についていくつかの文献を買い求め、だいたいの内容を確認することができた。面白いのは、この署神は上半身は人間だが下半身が蛇である半獣の神であるということである。

 できればこの儀礼を実際に見て調査したいが、科研をとらないと無理かもしれない。けっこう費用がかかりそうだ。日程の問題もある。授業を休んでいつでも調査に行くというわけにはいかない。とりあえず、調査が可能かどうか、著名な納西族研究者に張先生から打診をしてもらい、後日を期すことにした。張先生はとても顔が広くこういうときは本当に頼りになる。  

 世界遺産にも登録されている麗江の街は来る度に増殖し、派手になっている。古い街並みの一つ一つの家は、全部といっていいくらい土産物屋で、路地の屋根の軒先には全部ライトがしかけてあって、屋根が光で浮かび上がるようになっている。中国人はこのライトアップが本当に好きである。

 ホテルは当日の予約だったが、出来たばかりの三つ星というふれこみのホテルに泊まった。民族調の二階建てで、確かに部屋は洒落ているが、トイレはレバーが壊れていて、蓋を持ち上げないと水が流れない。私の部屋だけか思ったら、同行のYさんの部屋もそうらしい。二ヶ月前にオープンしたばかりのホテルなのにである。二日目に上の部屋に家族連れが泊まったのだが、これがうるさい。足音がはっきりと聞こえ、夜遅くまで子どもは駆け回る。かなりの安普請のホテルである。

 とにかく、麗江の俗化はすごい。経済という面では、かなりの雇用を生んでいるのは確かだ。あちこちの店で服務員(従業員)の募集をしていた。特に女性の募集が多い。この地域の少数民族の若い女性達はみんな麗江に働きに来ているのだろう。ただ、彼女たちが民族衣装を着て、レストランで民族の踊りなのかただのダンスなのかわからない踊りを、客寄せにやらされているのをみると、複雑な気持ちになる。

    夏過ぎて赤ら顔の客帰る

飽きない国2007/09/09 00:10


 昨日今日と校務で出校。会議やらAO入試の面接やらといろいろ仕事はある。仕事をしていると中国へ行ってきたのがはるか昔のことのように思われる。

 9月2日、昆明の雲南民族博物館へ行ったのだが、月曜と言うことで休館。ただ、目的はそこの書店だったので、交渉したら、係の者がいるというので入れてもらった。ここの本屋は、少数民族文化関係の本は昆明で一番充実していて、雲南に来ると必ず寄る。そして、持って帰れないほど買う。この本屋のいいところは、送料を渡すと日本に送ってくれるところで、それでつい多めに買ってしまうのだ。

 今回もかなりの本を買って、送る手続きをして、さあどうしようかということになった。月曜なので他の博物館も閉まっている。そこで隣の民族村に行こうということになった。実は10年以上通っているのに、いまだここの民族村を見ていない。理由は、観光用に作ったテーマパークみたいなものでつまらないと聞いていたからだ。でも、入ってこの目で見てみなければどのようにつまらないかはわからない。ということで入ることにした。

 確かに、テーマパークで、観光用の民族村である。ただ、建物とかは移築したものらしくそれなりに本物だ。が、中に入るとほとんどお土産物売り場になっている。どの村に行っても、民族音楽というよりは、今流行している若者向けのポップスが大音量で流れていて、雰囲気を見事に壊している。

 ただ、白族村の展示はなかなかよかった。婚姻儀礼のプロセスが人形で展示されていて、これはとてもよくわかった。こういうのは面白い。それから、怒江流域では橋がないので人々は橋の代わりに張り巡らしたワイヤーに滑車をつけてすべるように対岸に渡るが、それを人工的に作った池の上で再現しているのには驚いた。むろん、観光客に有料でやっている。

 タイ族の村では本物の像がいて観光客を乗せては写真を撮って料金をもらう。日本の多くのテーマパークが潰れていったが、この民族村もこのままじゃ潰れるなあというのが感想である。細かなところに目が行き届いていないし、民族の文化を真剣に紹介しようという気もないし、観光客を楽しませようというのもなさそうで、どうやったら金を落とさせるかという作り方になっている。かつての日本のテーマパークが見事に再現されていた。

 入り口に巨大なガジュマルの樹があった。同行のYさんは感動してすごいと叫んだ。その生い茂ったガジュマルの中に入って巨木を見ると、樹はコンクリートで出来ていた。コンクリートの樹に蔓をからませて巨木に見せていたのだ。なんだこれはとYさんはさすがに絶句。まあこれで驚いてはいけない。むしろ、こういう知恵の働かせ方に感心したほうがいいのかも知れない。

 中国はいろんな意味で飽きない国である。

      思い出し笑い抑え秋草踏む

人治主義と法治主義2007/09/11 00:43

 9日は友人が家を建て替えたのでその新築披露ということで出かけた。末期癌と闘っているI君も行きたいというので友人と一緒に彼を車に乗せて行った。I君もかなり弱ってきているが、それでもよくしゃべるしやはり顔を見ると少しほっとした。

 最近の病院は末期癌でも治療以外の入院をさせない。抗ガン治療以外は自宅で療養という方針だそうである。家族がいる人はいいが、彼のように独身の場合、しかも、自分で料理を作ることもままならない病状の場合は大変である。介護のヘルパー制度はあるらしいのだが、毎日くるわけではないし、安心というわけにはいかない。かといって、入院させてしまえばいいというものでもない。彼は彼なりに毎日本を読んだり音楽を聴いたりして静かな時間を自宅で過ごしている。病院ではそれが出来ないだろう。在宅治療と言うのは聞こえはいいが、病院側からは余分な治療費を抑えて面倒な病人を切り捨てるという手段にもなり得る。在宅でいながら手厚い看護が受けられるそういう体制にはまだほど遠いようだ。

 ここのところ中国から帰ったばかりなので、どうしても中国論が多くなる。友人のブログにNHKの中国特集シリーズで「民が官を訴える」の番組についての感想があったが、確かになかなか考えさせる内容ではあった。要するに官と企業の癒着によって、地上げが行われ、住民が不当に立ち退きを要求され、住民が裁判で官を訴えるというものである。官の腐敗を象徴的に暴き出した番組だが、似たようなことは、バブルの日本でもあったし、世界中で起こっていることである。

 問題はそれが共産主義の一党独裁の中国で、しかも、20年前には土地の私的所有すらなかった中国で起こっているということである。しかも、中国は法治主義は未熟で人治主義の国だという見方がある。つまり、住民が私的所有の象徴である土地の権利を求めて(正確には所有権でなく使用権。所有権は依然として国にある)官を訴えるということ自体が、今までの中国では考えられないことで、それが可能になったというところに、今の中国の変貌があるということである。つまり、この番組は中国の矛盾を映し出すと言うより、ここまでよく中国が変わってきたものだという驚きを伝える番組なのでもある。

 中国映画に『正義の行方』(1994)というのがある。共産党の方針をかたくなに信じ、個人の自由を認めず、村の発展のために懸命に努力する四川省のある村の村長の悲劇を描いた映画だ。村長は村人から恐れられるがしかし私を顧みない努力と高潔な人柄によつて村人から慕われている。ところが、その村長が公安当局の取り調べを受け逮捕されてしまうのである。

 理由は、村長のやり方は典型的な人治主義で、村人の裁判も自分で行い罰も下す。いわゆる伝統的な村落共同体の長でもある。それが近代的に生まれ変わろうとしている中国の方針、つまり法治主義に抵触してしまったというわけだ。人治主義と法治主義との衝突を描いたなかなか良い映画である。実は、村長を告発したのは村長の孫であった。小学生の孫は、学校で法治主義を教わり、村長の村の政治が時代遅れなのかどうか試しに役所に訴えてみたのである。その結果村長は逮捕され、村人の悲しみの中護送されるところで映画は終わる。

 すでに10年前から法治主義と人治主義との衝突は中国でテーマになっていたのである。高倉健主演の『単騎千里を走る』の映画の監督、チャン・イーモウは彼の映画の中でしばしば人知主義のよいところを描く。たとえば高倉健扮する主人公が刑務所に入れられている仮面劇の役者である囚人の劇を撮影したいと頼むところがあるが、規則ではそれはできない、そこで、権限を持つ役人に情で訴えてその要求を認めさせる。チャン・イーモウは、役人に情で訴えてルールを超えさせるのが好きで、「あの子を探して」では、13歳の先生が迷子の生徒を捜すのに、テレビで訴えればいいと教えられ、テレビ局に行くが、受付にそれは無理だ、局長がいいと言えば別だが、と断られる、そこで女の子はひたすら局長を待ち続けついに局長に願いをかなえさせてしまう。これも情の力がルールを超えた場面である。

 人知主義は、官と民の癒着というような種々の害悪を生むが、一方このように法の力では救えない人を救う情を発揮する力にもなり得る。今中国は確実に人知主義から法治主義に変わりつつある。たぶん、チャン・イーモウの描く人情劇はだんだんと成立しなくなるだろう。すでに日本では消えてしまったようにである。

 法治主義になることは歴史の必然であって悪いことではない。が、どんなに法治主義になろうとも、現場での法の運用はあいまいさや手加減が横行する。それは良い場合もあれば悪い場合もある。法治主義の日本だって、生活保護を必要とする病人に自治体も赤字だからという理由で餓死に追い込むことがある。役人の汚職がなくなるわけでもない。結局は社会の倫理の水準が問われるということだろうが、少なくとも、個々の倫理を問わなくても、理不尽さが横行しないようなシステムは作るべきで、それは法治主義でやるしかないのである。

 中国は一党独裁の国だからそれは無理だろうという考えもある。つまり、権力を握れば反対者がいないから法を破っても罰せられない。従って権力者に倫理がなければ社会の矛盾は増大し、このままでは中国は矛盾に押しつぶされて崩壊するだろうという意見もあるようだ。確かに、格差社会や農民の犠牲には胸が痛むし、そういう痛みが政治的な主張になり得る政治のシステムを作らなければならないのは確かだ。

 10年ほど前に中国が経済発展をし始めたとき、中国嫌いの日本の保守派は、そのうち中国は国内矛盾に耐えきれず四分五裂すると盛んに発言した。が現実はそうなってはいない。今でもそういう声はあるがたぶん中国はうまく乗り切るだろう。なぜなら、中国には政治的自由はないが経済的な自由はあるからである。格差が広がったのは、経済的な自由のためで、アメリカとそれは同じである。

 中国人は今経済的な自由を日本人より満喫している。今中国では成金のチャンスが膨大にある。だから、一攫千金を夢見て偽物も毒入り食品も作るのである。こういう夢のある国家はつぶれない。歴史を見れば分かるがこういう夢を人々から奪った国家が結局は潰れていくのである。

 中国は、現在、発展段階論的に言えば、原始的なアジア・アフリカ的段階から、欧米や日本の高度資本主義の段階まで、全部を含みこんだ社会になっている。多層的で多元的で多時間的である。その意味では矛盾も半端ではないが、流動的であると言う意味では、健全なのである。その流動性が止まったとき、中国は四分五裂するかも知れない。

 流動的になったときに四分五裂したソ連と逆だが、ソ連は、四分五裂しなければ流動的にならなかったからだ。ところが、中国は一党独裁の国家のままでしかも十数億の人口を抱えたまま流動的な資本主義の流れに乗り、それを何とか乗りこなしている。この知恵を過小評価してはならないだろう。中国が法治主義を今徹底させようとしているのは、法治主義でないと、資本主義による巨大な経済活動を統御するのは無理だからだ。

 中国のこの壮大な実験がどうなるかわからないが、すでに充分にその実験に巻き込まれている日本は、そのうち潰れるさと冷ややかに見ているわけにいかないのは確かだ。中国の経済が潰れれば日本の経済も間違いなく潰れるからである。

      其処此所の秋の野花を一掴み

夏の終わり2007/09/12 01:02

 10日から山小屋に来ているのだが雨ばかりである。気温も低く、もう秋と言ったところだ。明日(12日)には帰らなくてはいけないが、結局ほとんど寝てばかりいた。一応万葉集と心理学の入門書を持ってきて、論文や授業の準備などをしようと考えていたのだが、疲れがたまっているせいか、ほとんど何も出来なかった。まあいつもそうなのだが。

 心理学の入門書の方はだいたい読んだが、結局、心理学とは、分類と定義付けの学問なのだということがよくわかった。意識や心の動きをどう切り取ってどう概念化するか、そのオリジナリティをめぐっていろんな研究がひしめいていることもよく理解できた。

 後期から私も授業を一つ持つことになっている。といっても、それほど専門的な科目ではなく、テキストの心理テストを学生にやらせながら、学生が自分の心理の世界に向き合い自己を認識していくお手伝いをするという、演習の授業で、講義科目ではない。専門でもない私にも出来るというわけだが、それでもそれなりに準備は必要なので、今心理学関係の本を読んでいるところだ。

 秋のアジア民族文化学会の大会ポスターの原稿を書いてそれを発注するという作業をこの二日間で行った。まったくメールというのは便利で、出版社から図案もメールでとどき、とりあえずポスターの発注は何とか終えた。今度の大会(10月27日)は「アジアの歌の音数律」がテーマである。

 日本の和歌や中国の漢詩、少数民族の歌が同じように5音・7音なのはなぜなのだろうという単純な疑問からこのシンポジウムの企画を立てられた。立てたのは私であるが。アジアの歌の文化を音数律という視点から探ろうというはじめての試みで、うまくいけばかなり面白くなると思う。

 こっちに来る出がけに、k先生の古希を祝う論集のはがきが届いた。その論集に私はある語彙について原稿を書くことになっていた。そのことをまったく忘れていた。もっとも向こうは忘れているだろうと念押しの通知を出したのだろうが。締め切りは別の原稿の締め切りと重なっている。書けるだろうか。さすがに不安になってきた。

ということで、私の夏休みはとっくに終わっているのである。

    葛かづらまとわれし樹のある如く

月の雫2007/09/13 01:12

 午前11時半に山小屋を出て、中央高速で帰る。途中双葉のサービスエリアで山梨の有名らしい土産物の菓子「月の雫」(わたしはこの菓子を知らなかった)を二箱買う。この菓子は、葡萄一個をただ砂糖でくるんだシンプルな菓子で、葡萄の収穫期である秋の季節限定の山梨の名物菓子らしい。実は、癌で闘病中のI君が是非「月の雫」が食べたいというので、買ったというわけだ。食べてみたがかなり甘い。糖分の取りすぎに気をつけなければならない私などは避けた方がいい菓子だ。

 普段は中央高速ではなく上信越と関越で帰るのだが、上信越が通行止めらしいのと、「月の雫」を買うのと、それから車を修理に出すという目的があって、中央道で帰った。

 奥さんの実家は武蔵村山なのたが、そこの修理工場に車の修理を頼むことになった。修理と言っても以前に奥さんがドアをこすってへこませたところを直してもらうだけなのだが、普通の修理工場にだすと結構金がかかる。そこで、以前直してもらった奥さんの実家近くの修理工場に持っていくことにした。この工場は、もう老人といっていい職人が一人でやっている小さな工場で、その人は、以前日産に勤めていた人だということだ。

 この付近は日産の工場があった関係で車関係の修理工場がかなり多い。奥さんの父親は、浜松にいたが、昔プリンスの技術者で日産に吸収された後、ここにやってきた。その父親の知りあいで、かなり腕がよく、以前やはりドアをへこませて修理に頼んだらたった3万円で見事に直してくれた。ディーラーに見積もりを頼んだら20万円と言われた修理をである。それでもう一度頼むことにした。

 問題はここからで、その工場の名前をわたしたちは忘れていた。それで父親に連絡して聞いたところ、I自動車修理だろうと電話番号を教えてくれた。そこで、その工場と奥さんが電話でやりとりしながら、今日車を出しに行くことになったのである。

 まず奥さんの実家に行き、父親の車を借りてそれに荷物を乗せ替え、私たちの車を修理工場に持っていくことにしたが、場所がうろおぼえではっきりとわからない。近くに行ってみたが、どうしても見つからないので、近所の人に尋ねたところ、あそこだよと場所を教えてくれた。が、場所は以前の工場とは違うところだ。おかしいと思いながらそこへ行ってみると、確かにI自動車修理工場とあるが、けっこう大きな工場で、やはり前に車を出したあの職人の工場とは違う。そこで、電話のやりとりをしたのだからと中に入って尋ねると、どうやらこの工場の電話に間違いないことがわかった。

 ええーっ、うそだろう、ここじゃないよ、と私は奥さんに言ったが、奥さんが今日行きますと電話で話をした相手は確かにここなのである。つまり、父親が前とは違う別の工場の電話を教え、私たちはこの工場の人を前の工場の職人と思いこんで話をしていたというわけである。ここは大きいところだし安くはなさそうだし、あの腕の良い職人の工場に出したかったのに、と思ったが、すでに約束したのはここだし、今更、違ってましたとは言えないし、仕方なく、車を置いて帰ってきた。

 父親に確かめたところ、前に頼んだところは忘れてしまったということだ。なにせ84歳だから仕方ない。帰り道、その工場の場所を思い出した。しかし、もう遅い。

 帰りに、I君の家に寄り「月の雫」を渡す。利尿作用のある西瓜が食べたいというので、ダイヤモンドシティで、西瓜とそれから食事もままならないというので、チューブに入ったゼリーのエネルギーインを10袋買って行った。

 彼は今治療で使っている抗ガン剤があまり合わないらしく体調は良くないという。が、まだ自分で生活できる元気さは充分にある。少し安堵して彼の家を後にした。

 そんなこんなで川越に帰ったら、安倍首相辞任のニュースである。これにも驚いた。とにかくいろいろある一日であった。

自己分析2007/09/15 00:55

 昨日(13日)は出校したが、今日は家で仕事。授業の準備や来週の万葉の発表の準備とやることはいろいろとあるが、心理学の本を一冊読んだだけで万葉の方は手つかずの状態だ。

 心理学の入門書を何冊か読んでいるが、今日読んだのは自己分析の手引きみたいな本で、読み物というより、自分を知るためのいろいろな分析テストが載っていて、これは使えるなとかいろいろと参考にしている。時折自分の分析もしてみるが、その中にタイプAとタイプBという二つの性格分析があった。タイプAは流動的で競争社会である現代にあって病的と言えるほど能動的なタイプ、タイプBはその反対。

 タイプAのいくつかの行動パターンのチェックリストがあり、チェックしていってある点数を超えれば典型的なタイプAということになる。そしたらほとんどの項目を私はチェックしていた。つまり、私は典型的なタイプAであるということだ。実は、タイプAは心臓疾患で死ぬ割合が高いと統計学的に出ているということだ。その予防にこういう分析テストが開発されたということらしい。

 結局忙しければ誰だってタイプAになるということだ。むろん、タイプAの人じゃなければ忙しく振る舞うことは出来ないとも言えるが。まあ、そんなことあらためてテストしなくてもわかることだが、結局、こういう分析の大事なことは、こういう生き方はそこにどんな意味づけをしようと一つのパターンであって、私は一つのパターンを生きているに過ぎないということを知らしめることだろう。

 そういうように自分を客観化したときに、改めて私が忙しく働くことの意味を考えなければならないということだ。誰だって心臓病では死にたくない。だが、ほとんどの現代人は、忙しい生き方を止めずに心臓病の薬を飲んで対処する。忙しく働くことの意味を考えたとき、生きるとはそういうことだとまずは誰もが思う。反省するのは、ほんとうに心臓病で倒れて命の助かった人であろう。

 忙しすぎて抑うつになる人もいれば楽しくやっている人もいる。全員が心臓病になるわけではない。私は、何とか楽しくやっている方だとは思うが、時々忙しさが限界を超えるときもある。そういう時はさすがにきついが、それでも何とか持っているのは、たぶんに自分で自分を忙しくしている要素の方が多いので、だれにも文句は言えないというところだ。やりたくないことを忙しくやらざるを得ないとしたらたぶんそれは限界を超える。そういう時は、まずは楽しくできる方法を懸命に考え、考えられなかったら、適度にブレーキをかけるしかない。

 問題はそれでもブレーキを掛けられない場合で、そういう人は強迫観念が強いはずだからとてもやっかいだ。心理テストは、そういう人に自分の病を知らせ、一応直すマニュアルはありますよ、というシグナルは送れるだろう。

 とりあえず私はその部類にははいっていないと思うのだが、これは思い込みで、本当はすでに病の範疇なのかも知れない。

       白萩の白が消えゆく黄昏や

対唱文化2007/09/17 17:12

 それにしてもなんて暑さなのだ。この暑さにはチビもさすがにぐったりしてクーラーの効いた部屋から出ようとしない。台風の影響とはいえ、おかしな天候が続く。日本は温帯から亜熱帯になったという説がある。亜熱帯は四季がなく、雨季と乾季がある。私の通う雲南がそうだ。ただ雲南は高地だから過ごしやすく、高原地帯は常春の国と言われている。が、標高がさがれば、とても暑い。マラリアもある。だから標高の高い山岳に住む民族が多い。稲作には不便だが、高いほうが暮らしやすいのである。日本が亜熱帯になったら、私は長野の山小屋に移住する(逃げ出す)つもりだ。

 15日はオープンキャンパスで一日出校。模擬授業も行った。昨日今日と家で少数民族の歌垣と万葉集の相聞歌の比較に没頭。アジアの対唱歌という視点から万葉の歌を眺めてみようという試みである。22日の発表はこの線で行くことにした。ただ、うまくいくかどうかはわからないが。対唱歌の概念をどう構築するかが難しい。日本の歌の掛け合い歌は、基本的に折口信夫のマレビト神と土地の精霊の問答という論理があって、だいたいそれで説明される。この論理をアジアの対唱歌というレベルにまで広げたときに、どのように有効なのか、まずその検討も必要。むろんそのままで通用する論理ではないが、生かせないことはないと思っている。

 アジアの対唱文化圏は照葉樹林帯だという説が中尾佐助等によって唱えられたが、どうしてかというところまでは説明はされなかった。気候的には亜熱帯である。一つの理由は、山岳地帯かもしくは島であるという条件があるだろう。つまり、耕作地も大規模なものではなく、大規模耕作に適さないから統一国家を作らない。だから、文字を持たず、狭い地域に分散して居住し、それぞれ閉じられながら適度に交流してきた文化である。

 対唱性とは二分的な対立構造を作るということであるが、それは、世界を二分的に分けることで、その地域の精神性が表現できることを示す。その意味で言えばシンプルな世界である。日本では、律令国家を作ったとき、この対唱文化が急速に失われたと言える。その代わりに、文字による和歌文化を相聞歌として発達させた。これもまた面白いことである。統一国家を作った日本は、歌のレベルでは、対唱文化圏から完全には離脱出来なかったのである。工藤さんは『古事記の起源』で、日本は少数民族文化を引きずる国だと論じたが、歌においても、そのことは言えるだろう。

       地球では野分のあとの熱き風