自己分析2007/09/15 00:55

 昨日(13日)は出校したが、今日は家で仕事。授業の準備や来週の万葉の発表の準備とやることはいろいろとあるが、心理学の本を一冊読んだだけで万葉の方は手つかずの状態だ。

 心理学の入門書を何冊か読んでいるが、今日読んだのは自己分析の手引きみたいな本で、読み物というより、自分を知るためのいろいろな分析テストが載っていて、これは使えるなとかいろいろと参考にしている。時折自分の分析もしてみるが、その中にタイプAとタイプBという二つの性格分析があった。タイプAは流動的で競争社会である現代にあって病的と言えるほど能動的なタイプ、タイプBはその反対。

 タイプAのいくつかの行動パターンのチェックリストがあり、チェックしていってある点数を超えれば典型的なタイプAということになる。そしたらほとんどの項目を私はチェックしていた。つまり、私は典型的なタイプAであるということだ。実は、タイプAは心臓疾患で死ぬ割合が高いと統計学的に出ているということだ。その予防にこういう分析テストが開発されたということらしい。

 結局忙しければ誰だってタイプAになるということだ。むろん、タイプAの人じゃなければ忙しく振る舞うことは出来ないとも言えるが。まあ、そんなことあらためてテストしなくてもわかることだが、結局、こういう分析の大事なことは、こういう生き方はそこにどんな意味づけをしようと一つのパターンであって、私は一つのパターンを生きているに過ぎないということを知らしめることだろう。

 そういうように自分を客観化したときに、改めて私が忙しく働くことの意味を考えなければならないということだ。誰だって心臓病では死にたくない。だが、ほとんどの現代人は、忙しい生き方を止めずに心臓病の薬を飲んで対処する。忙しく働くことの意味を考えたとき、生きるとはそういうことだとまずは誰もが思う。反省するのは、ほんとうに心臓病で倒れて命の助かった人であろう。

 忙しすぎて抑うつになる人もいれば楽しくやっている人もいる。全員が心臓病になるわけではない。私は、何とか楽しくやっている方だとは思うが、時々忙しさが限界を超えるときもある。そういう時はさすがにきついが、それでも何とか持っているのは、たぶんに自分で自分を忙しくしている要素の方が多いので、だれにも文句は言えないというところだ。やりたくないことを忙しくやらざるを得ないとしたらたぶんそれは限界を超える。そういう時は、まずは楽しくできる方法を懸命に考え、考えられなかったら、適度にブレーキをかけるしかない。

 問題はそれでもブレーキを掛けられない場合で、そういう人は強迫観念が強いはずだからとてもやっかいだ。心理テストは、そういう人に自分の病を知らせ、一応直すマニュアルはありますよ、というシグナルは送れるだろう。

 とりあえず私はその部類にははいっていないと思うのだが、これは思い込みで、本当はすでに病の範疇なのかも知れない。

       白萩の白が消えゆく黄昏や

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