選挙雑感 ― 2009/09/01 01:45
選挙は予想通り民主党の圧勝であった。一応民主党に投票したので、まあよかったというところだ。ただ、私はどちらかと言えば無党派層に入るから、政権交代は支持したが、政策には不安なところがある、という大方の世論と同じ気持ちである。
さすがに政権交代というインパクトは強かったのか今日のテレビはそればかりである。日テレだけが、24時間マラソンの珍獣芸人イモトを繰り返し放送していた。それにしても珍獣芸人というのは凄いネーミングである。局の都合とは言え、政権交代の番組と張り合っていたのだからたいしたものだ。もっともほとんど観なかったけれど。
この選挙で感じたのは、弱者という言葉がかなりキーワードとして出てきたこと。これは悪くないことだ。政治とは、自力では生きる術を持てない弱者を救うことである、という基本的なことが見直されたことはいいことである。自民党は、去年のサブプライム大恐慌以降、この基本原則に鈍感であった。派遣村を政治的なパフォーマンスだとし、職に就けないのは努力がたりないからだという自己責任論で切りぬけようとした。この鈍感さが結局は国民の怒りを買ったのだ。
いろんな候補がいたが、感心したのは、長崎で元防衛長官を破った福田衣里子の演説である。あの細い身体で、弱者の視点から聞く者の心に届く言葉はすごかった。昔、全共闘時代、多くの学生がアジテーションをしていた。私もアジテーションをよくしたが、あの時代に戻ればまさに最高のアジテーションだったろう。C型肝炎訴訟団で厚生省とやりあった度胸はきちんと発揮されている。この人政治家としてかなり人気が出るだろうなと思う。
政治の方向はアメリカと同じで、格差を野放図に生むグローバリズム資本主義を抑制しながら、弱者に目を向け、社会の公平性とのバランスをどう取っていくのか、という政治手法になるだろう。中流幻想が崩れ、日本人のほとんどが、自分もワーキングプアになるかも知れないという危機感をもってしまったのである。景気が良くなれば解決するという言葉を信じるものは誰もいない。景気が良くなっても、企業による利益の再配分が労働者にいかない構造があるかぎり、何も解決しないことを知ってしまったのである。だとしたら、収入が低くても失業しても、何とか暮らせるセーフティネットを充実させる政党を選択せざるを得ない。これは日本だけでなく、アメリカでもそうであり世界的に共通の流れとなるはずだ。
とすれば、世界の国々は、資本主義グローバリズムと福祉的国家とのジレンマにみな共通して悩むということになる。おそらくその先頭を走っているのが日本である。セーフティネットに金を使わなければ政権交代となってしまうことが明らかになったのである。とすれば、自民党も同じ政策で対抗せざるを得ない。しかし、金はない。どうするのか、無駄を省くだけでは足りない。増税でも限界があろう。平和主義というのはこういうジレンマの解決策として現実味を帯びる。実は、最大の無駄は軍事費である。何故なら戦争がなければ軍事費はいらないからだ。むろん、戦争を無くすことは不可能なのだとしても、このジレンマがすすめば、軍事費を削らなければならなくなる。アメリカが、核廃絶を言い出したのもそういう理由からだろう。
ということで、この政権交代、とりあえずは少しはましな方向へ進むきっかけになるとと信じたい。
選挙後の勝者敗者に野分かな
さすがに政権交代というインパクトは強かったのか今日のテレビはそればかりである。日テレだけが、24時間マラソンの珍獣芸人イモトを繰り返し放送していた。それにしても珍獣芸人というのは凄いネーミングである。局の都合とは言え、政権交代の番組と張り合っていたのだからたいしたものだ。もっともほとんど観なかったけれど。
この選挙で感じたのは、弱者という言葉がかなりキーワードとして出てきたこと。これは悪くないことだ。政治とは、自力では生きる術を持てない弱者を救うことである、という基本的なことが見直されたことはいいことである。自民党は、去年のサブプライム大恐慌以降、この基本原則に鈍感であった。派遣村を政治的なパフォーマンスだとし、職に就けないのは努力がたりないからだという自己責任論で切りぬけようとした。この鈍感さが結局は国民の怒りを買ったのだ。
いろんな候補がいたが、感心したのは、長崎で元防衛長官を破った福田衣里子の演説である。あの細い身体で、弱者の視点から聞く者の心に届く言葉はすごかった。昔、全共闘時代、多くの学生がアジテーションをしていた。私もアジテーションをよくしたが、あの時代に戻ればまさに最高のアジテーションだったろう。C型肝炎訴訟団で厚生省とやりあった度胸はきちんと発揮されている。この人政治家としてかなり人気が出るだろうなと思う。
政治の方向はアメリカと同じで、格差を野放図に生むグローバリズム資本主義を抑制しながら、弱者に目を向け、社会の公平性とのバランスをどう取っていくのか、という政治手法になるだろう。中流幻想が崩れ、日本人のほとんどが、自分もワーキングプアになるかも知れないという危機感をもってしまったのである。景気が良くなれば解決するという言葉を信じるものは誰もいない。景気が良くなっても、企業による利益の再配分が労働者にいかない構造があるかぎり、何も解決しないことを知ってしまったのである。だとしたら、収入が低くても失業しても、何とか暮らせるセーフティネットを充実させる政党を選択せざるを得ない。これは日本だけでなく、アメリカでもそうであり世界的に共通の流れとなるはずだ。
とすれば、世界の国々は、資本主義グローバリズムと福祉的国家とのジレンマにみな共通して悩むということになる。おそらくその先頭を走っているのが日本である。セーフティネットに金を使わなければ政権交代となってしまうことが明らかになったのである。とすれば、自民党も同じ政策で対抗せざるを得ない。しかし、金はない。どうするのか、無駄を省くだけでは足りない。増税でも限界があろう。平和主義というのはこういうジレンマの解決策として現実味を帯びる。実は、最大の無駄は軍事費である。何故なら戦争がなければ軍事費はいらないからだ。むろん、戦争を無くすことは不可能なのだとしても、このジレンマがすすめば、軍事費を削らなければならなくなる。アメリカが、核廃絶を言い出したのもそういう理由からだろう。
ということで、この政権交代、とりあえずは少しはましな方向へ進むきっかけになるとと信じたい。
選挙後の勝者敗者に野分かな
雪女と山姥 ― 2009/09/05 00:39
ここのところ毎日、勤め先の短大の第三者評価の準備と、遠野物語研究会での発表の準備とで一日の時間が消えていく。毎日ではないが、打ち合わせ等で出勤している。第三者評価は極めて事務的な作業なのでどうということはないが、遠野物語の発表の方はなかなかはかどらない。
毎年、学生に遠野物語の発表をさせている身なのだが、いざ自分で発表するとなると、なかなかいいアイデアが浮かばない。困ったものである。今回は、「雪女」で何か言えたらと思っている。「雪女」は一般的にはラフカディオハーンの話が有名だが、実はいろんなバージョンがある。
遠野物語にある雪女は、小正月に子どもを引き連れて遊ぶ雪女で、子どもを異界へ連れて行ってしまうと怖がられている。私はこの話がとても好きで、これで何か言えないか悩んでいる。何故好きなのかというと、そんなに怖くないからである。そして、小正月の満月の夜、たくさんの子ども達を引き連れて遊ぶという光景が幻想的でいいなあと思うのである。
実は、ドイツの「ハーメルンの笛吹き男」の伝説とこれはよく似ている。それで、両者を比較しながら、何か言えたらいいなと思っている。ただ、オリジナルなことが展開出来るわけでもなく、この話をおもしろがっている私の興味が伝わればいいというだけの気の抜けたサイダーみたいな話になりそうだ。
7日に遠野に出かけて9日まで遠野で研究会なのだが、7日に第三者評価の会議が入ってしまった。さらに実は9日にも会議がある。自分で言うのもなんだが、実に忙しいのである。7日の会議を少し早めの時間にしてもらって、遠野には遅れて着くことにした。9日は、どうあがいても会議に間に合わないので、というのは、9日に私の発表があるので、これを優先させると会議に出られない、それで、会議を欠席するということにした。まあ、私がいなくても何とかなる会議なので。
雪女には産女のバージョンもあり、山姥と重なる。山姥については『山姥たちの物語』(水田宗子・北田幸恵著)、『山姥、山を降りる』(山口素子著)の2冊を読んだ。発表につながればと思ったが結局つながらなかった。だが、なかなか面白かった。『山姥たちの物語』はジェンダー論から見た山姥論で、簡単に言えば、山姥とは抑圧された女性性の解放された姿であるという論点である。このような視点から現代の女性作家がけっこう山姥をモティーフにした小説を描いている。
『山姥、山を降りる』はユング心理学からみた山姥論で、山姥のイメージとは、日本人の集合的な無意識に深く根付いた一つの元型イメージであるとする。ユングによれば人間の無意識の元型には「偉大なる女神」イメージがあり、その日本的表象が山姥だというのである。そう言われればそうかなという気がする。心理学から読む解釈というのはいつもそうである。ただ、やはり、山姥というのは、なかなか奥が深いということがよくわかった。私たちの無意識の奥底にある元型なのであるから。
邯鄲しずまり山姥降りてくる
毎年、学生に遠野物語の発表をさせている身なのだが、いざ自分で発表するとなると、なかなかいいアイデアが浮かばない。困ったものである。今回は、「雪女」で何か言えたらと思っている。「雪女」は一般的にはラフカディオハーンの話が有名だが、実はいろんなバージョンがある。
遠野物語にある雪女は、小正月に子どもを引き連れて遊ぶ雪女で、子どもを異界へ連れて行ってしまうと怖がられている。私はこの話がとても好きで、これで何か言えないか悩んでいる。何故好きなのかというと、そんなに怖くないからである。そして、小正月の満月の夜、たくさんの子ども達を引き連れて遊ぶという光景が幻想的でいいなあと思うのである。
実は、ドイツの「ハーメルンの笛吹き男」の伝説とこれはよく似ている。それで、両者を比較しながら、何か言えたらいいなと思っている。ただ、オリジナルなことが展開出来るわけでもなく、この話をおもしろがっている私の興味が伝わればいいというだけの気の抜けたサイダーみたいな話になりそうだ。
7日に遠野に出かけて9日まで遠野で研究会なのだが、7日に第三者評価の会議が入ってしまった。さらに実は9日にも会議がある。自分で言うのもなんだが、実に忙しいのである。7日の会議を少し早めの時間にしてもらって、遠野には遅れて着くことにした。9日は、どうあがいても会議に間に合わないので、というのは、9日に私の発表があるので、これを優先させると会議に出られない、それで、会議を欠席するということにした。まあ、私がいなくても何とかなる会議なので。
雪女には産女のバージョンもあり、山姥と重なる。山姥については『山姥たちの物語』(水田宗子・北田幸恵著)、『山姥、山を降りる』(山口素子著)の2冊を読んだ。発表につながればと思ったが結局つながらなかった。だが、なかなか面白かった。『山姥たちの物語』はジェンダー論から見た山姥論で、簡単に言えば、山姥とは抑圧された女性性の解放された姿であるという論点である。このような視点から現代の女性作家がけっこう山姥をモティーフにした小説を描いている。
『山姥、山を降りる』はユング心理学からみた山姥論で、山姥のイメージとは、日本人の集合的な無意識に深く根付いた一つの元型イメージであるとする。ユングによれば人間の無意識の元型には「偉大なる女神」イメージがあり、その日本的表象が山姥だというのである。そう言われればそうかなという気がする。心理学から読む解釈というのはいつもそうである。ただ、やはり、山姥というのは、なかなか奥が深いということがよくわかった。私たちの無意識の奥底にある元型なのであるから。
邯鄲しずまり山姥降りてくる
還暦 ― 2009/09/07 00:37
土曜日は久しぶりにとある学会の委員会に出かけた。別の学会との例会にぶつかっていたが、ずっと欠席していたので、たまにはでないとまずいので顔を出した。たぶんこれで義務はすんだとおもうが、来年の運営委員の候補に私の名前があって、やっぱりと覚悟した。夏の箱根のセミナーで、来年引き受けてもらえないかと打診され、断る理由を探していたのだが、面倒になってまあいいかというような返事をしてしまった。来年は学科長を辞めるので少しは自由になる。そういうこともあった。本当は断るべきなのだが、どうも断るのが苦手で、いつもいろいろと引き受けてしまう。困ったものである。ただ、こういう役につくことで、普段は会えない人と会えたり出来て、面白いこともある。そう考えれば、まあいいかと納得した。
今日は遠野物語研究会での発表のレジュメを作成。何とか仕上げる。実は、10日までに短歌時評の原稿を書かなくてはいけない。明日から遠野に出かけ9日に帰ってくる予定だが、その間、時評の原稿の内容を考えておかないとまずいだろう。昨日文芸詩『月光』の次号の校正原稿が届いた。これは帰ったからやることにする。明日も第三者評価の会議で帰ってもまたその会議、そして入試業務も待っている。
私の知りあいは還暦記念だといって一ヶ月の休暇をもらってタイに遊びに行っている。彼は社長だから会社は危ないのではないかとみんな心配しているのだが。同じ年だから私も還暦である。祝うなんてとんでもないことである。それにしても馬齢を重ねてしまった。わけもわからず、いろんなことを考えながら、いろんなことに手を出し、人様に迷惑をかけながも人の世話になりながらよくここまできたなと我ながら感心する。
残りの人生、普通に明るく、出来れば健康でいられるのが一番いいのだろう。だれもが思う願いだ。私もそう願うが、だが、そうはいかないだろう。仕事がら悩むことが多い。そういう気質もあるが、まだ生きる意味を求めようとする欲がある。文章を書く仕事をしていると、やはり、社会のあり方や人間の存在について意味を求めざるをえない。それは、自分そのものの意味に関わることだ。意味を求めるのは、求めないことそのものに誰もが耐えられないからである。つまり不安だからである。別の言い方をすれば、不安があるからこそ意味を求めるわけで、不安など虚構だと言い切れれば、そこはもう宗教的な意味での達観の世界だ。
私はどうも不安という奴と終生付き合わざるを得ないようだ。それほど哲学的な人間ではないのだが、いつも何か考えてないと、あるいはそういうふりをしいてないと、一日をうまく過ごせない。趣味もスポーツも一通りやるのだが、たぶんあまり楽しいと思っていない。まあ悩むのが趣味なのだということかも知れない。悩むことで文章を書いてきたから、これも一種のワーカホリック、もしくは後遺症なのかも知れない。
言えることは、人が楽しければ自分も楽しいし、悲しければ悲しい、ということである。その人の範囲をどの程度に狭めるかで、その人の人生はだいぶ変わる。世界中の人にまで広げるとこれは大変だ。世界には悲しい人のほうが多いからだ。ものを考えて生きるということは、この範囲を広くとることである。だから悩むことになる。狭めればあんまり考えて生きる必要もない。歳を重ねることの良さとは、範囲を広げても悲しまなくてもよいこつを身につけられることだと思っていたが、そうではないらしい。どうやら私は悩みながらぐたぐだと生きるのが似合っていそうである。そういう老人にはなりたくないのだが。
悩まぬ日は枝豆を茹でビール飲む
今日は遠野物語研究会での発表のレジュメを作成。何とか仕上げる。実は、10日までに短歌時評の原稿を書かなくてはいけない。明日から遠野に出かけ9日に帰ってくる予定だが、その間、時評の原稿の内容を考えておかないとまずいだろう。昨日文芸詩『月光』の次号の校正原稿が届いた。これは帰ったからやることにする。明日も第三者評価の会議で帰ってもまたその会議、そして入試業務も待っている。
私の知りあいは還暦記念だといって一ヶ月の休暇をもらってタイに遊びに行っている。彼は社長だから会社は危ないのではないかとみんな心配しているのだが。同じ年だから私も還暦である。祝うなんてとんでもないことである。それにしても馬齢を重ねてしまった。わけもわからず、いろんなことを考えながら、いろんなことに手を出し、人様に迷惑をかけながも人の世話になりながらよくここまできたなと我ながら感心する。
残りの人生、普通に明るく、出来れば健康でいられるのが一番いいのだろう。だれもが思う願いだ。私もそう願うが、だが、そうはいかないだろう。仕事がら悩むことが多い。そういう気質もあるが、まだ生きる意味を求めようとする欲がある。文章を書く仕事をしていると、やはり、社会のあり方や人間の存在について意味を求めざるをえない。それは、自分そのものの意味に関わることだ。意味を求めるのは、求めないことそのものに誰もが耐えられないからである。つまり不安だからである。別の言い方をすれば、不安があるからこそ意味を求めるわけで、不安など虚構だと言い切れれば、そこはもう宗教的な意味での達観の世界だ。
私はどうも不安という奴と終生付き合わざるを得ないようだ。それほど哲学的な人間ではないのだが、いつも何か考えてないと、あるいはそういうふりをしいてないと、一日をうまく過ごせない。趣味もスポーツも一通りやるのだが、たぶんあまり楽しいと思っていない。まあ悩むのが趣味なのだということかも知れない。悩むことで文章を書いてきたから、これも一種のワーカホリック、もしくは後遺症なのかも知れない。
言えることは、人が楽しければ自分も楽しいし、悲しければ悲しい、ということである。その人の範囲をどの程度に狭めるかで、その人の人生はだいぶ変わる。世界中の人にまで広げるとこれは大変だ。世界には悲しい人のほうが多いからだ。ものを考えて生きるということは、この範囲を広くとることである。だから悩むことになる。狭めればあんまり考えて生きる必要もない。歳を重ねることの良さとは、範囲を広げても悲しまなくてもよいこつを身につけられることだと思っていたが、そうではないらしい。どうやら私は悩みながらぐたぐだと生きるのが似合っていそうである。そういう老人にはなりたくないのだが。
悩まぬ日は枝豆を茹でビール飲む
遠野から帰る ― 2009/09/12 00:09
7日に遠野に行く。昼間学校で会議だったが、結局人が集まらず、簡単な打ち合わせに。これなら来るんじゃなかった。朝から遠野に行けば、午後の遠野散策には間に合ったのに。というわけで、昼の新幹線に乗り夕方遠野着。
心理学を専門とする人達との遠野物語を読む研究会で、年に何回か開いているのだが、今回、遠野でやろうということになった。8日は午前中は遠野散策。いつも学生たちの行くコースだったが、民俗学者のA氏の案内と解説で、いろいろと教わった。まだ勉強が足りないと反省。河童淵も相変わらずである。観光用にオシラ様をたくさん飾ってあるお堂は、臨床心理士には不評だったようだ。彼等は霊的な雰囲気に敏感で、何か感じてしまうらしい。しきりにここはきついきついと言っていた。午後、山の中の五百羅漢に行ったが、ここは、何も感じないらしくいいところだと誉める。変な人達である。
午後は、研究会で、臨床心理士の人達の遠野物語の解読を聞く。話はなかなか難しい。ただ、カウンセラーとして経験した事例等を例に出して語るところはとても面白い。考えてみれば、遠野物語の一つ一つの話は、クライエントの事例そのものであろう。彼等はいつも遠野物語のような不思議な話を聞き、それを分析することを仕事にしているのだ。
9日の午前中は私の発表。私は、「雪女」の話である。「ハーメルンの笛吹き男」と比較したり、異人との遭遇というのは、憑依のような体験に近づくというような話をする。ついでに、臨床心理士とクライエントの関係というのは、山中で異人と遭遇する里人との関係に似ているのではないかと締めくくった。というのは、出会いは、互いに警戒し緊張する。そして、両者が一つの空間を共有して話し始める。その後、その遭遇体験の分析がある。分析とは、異人に出会って話をしたがあれは狐に化かされた、というよう落ちのことでもある。分析する前の、互いが場を共有出来ている瞬間、そういう瞬間を豊に持てることが大事なのではないか。というようなことを話して締めくくったが、けっこう頷いてくれた。
昼に終わり、M氏と一緒にM氏の車で帰る。三菱のアウトランダーで、なかなか乗り心地は良かった。昼に遠野をでて、自宅についたのは午後7時半頃。さすがに車で帰ると時間がかかる。自宅近くまで送ってくれたので助かった。何でも来年の初めには、近所に越してくるとのこと。
10日、11日(今日)と出校。第三者評価の準備などをする。今日は、K氏と一緒に学校近くの大修館書店に行き、出版の企画などを相談。アジア民族文化学会で行った「アジアの歌の音数律」のシンポジウムを単行本にするという企画である。出すなら研究書でなく一般向けという注文がついた。これがなかなか難しい。タイトルをどうするかいろいろ考えた。たぶん「七五調のアジア」になるだろう。私は編者になるが、けっこう難解な各自の論文をどう平易に書き直してもらうか、一番の難問である。
短歌時評の締め切りが10日であるが、今日何とか書き上げる。原稿用紙8枚程度の短い文章だが、1冊の歌集を読んで、論じるべきテーマを見つけて、短いながら一つの文章に仕立てていくのは、さすがに簡単ではない。こういう事を十数年やりつづけているが、書けないというこはまずない。それなりに物書きになってきたということか。
夜長原稿を書きだして眠れず
心理学を専門とする人達との遠野物語を読む研究会で、年に何回か開いているのだが、今回、遠野でやろうということになった。8日は午前中は遠野散策。いつも学生たちの行くコースだったが、民俗学者のA氏の案内と解説で、いろいろと教わった。まだ勉強が足りないと反省。河童淵も相変わらずである。観光用にオシラ様をたくさん飾ってあるお堂は、臨床心理士には不評だったようだ。彼等は霊的な雰囲気に敏感で、何か感じてしまうらしい。しきりにここはきついきついと言っていた。午後、山の中の五百羅漢に行ったが、ここは、何も感じないらしくいいところだと誉める。変な人達である。
午後は、研究会で、臨床心理士の人達の遠野物語の解読を聞く。話はなかなか難しい。ただ、カウンセラーとして経験した事例等を例に出して語るところはとても面白い。考えてみれば、遠野物語の一つ一つの話は、クライエントの事例そのものであろう。彼等はいつも遠野物語のような不思議な話を聞き、それを分析することを仕事にしているのだ。
9日の午前中は私の発表。私は、「雪女」の話である。「ハーメルンの笛吹き男」と比較したり、異人との遭遇というのは、憑依のような体験に近づくというような話をする。ついでに、臨床心理士とクライエントの関係というのは、山中で異人と遭遇する里人との関係に似ているのではないかと締めくくった。というのは、出会いは、互いに警戒し緊張する。そして、両者が一つの空間を共有して話し始める。その後、その遭遇体験の分析がある。分析とは、異人に出会って話をしたがあれは狐に化かされた、というよう落ちのことでもある。分析する前の、互いが場を共有出来ている瞬間、そういう瞬間を豊に持てることが大事なのではないか。というようなことを話して締めくくったが、けっこう頷いてくれた。
昼に終わり、M氏と一緒にM氏の車で帰る。三菱のアウトランダーで、なかなか乗り心地は良かった。昼に遠野をでて、自宅についたのは午後7時半頃。さすがに車で帰ると時間がかかる。自宅近くまで送ってくれたので助かった。何でも来年の初めには、近所に越してくるとのこと。
10日、11日(今日)と出校。第三者評価の準備などをする。今日は、K氏と一緒に学校近くの大修館書店に行き、出版の企画などを相談。アジア民族文化学会で行った「アジアの歌の音数律」のシンポジウムを単行本にするという企画である。出すなら研究書でなく一般向けという注文がついた。これがなかなか難しい。タイトルをどうするかいろいろ考えた。たぶん「七五調のアジア」になるだろう。私は編者になるが、けっこう難解な各自の論文をどう平易に書き直してもらうか、一番の難問である。
短歌時評の締め切りが10日であるが、今日何とか書き上げる。原稿用紙8枚程度の短い文章だが、1冊の歌集を読んで、論じるべきテーマを見つけて、短いながら一つの文章に仕立てていくのは、さすがに簡単ではない。こういう事を十数年やりつづけているが、書けないというこはまずない。それなりに物書きになってきたということか。
夜長原稿を書きだして眠れず
介護民俗学 ― 2009/09/16 00:01
日曜に実家に帰り墓参り。彼岸の日は連休で混みそうだし用事もあるので一週間前にした。あいにくの雨であったが、午後は雨もやんで何とか墓参りが出来た。霊園には曼殊沙華の赤い花がもう咲き出した。父が死んでもう三十年近くになる。父といっても養父だが、貧しい時代を育ててもらった。
時間とは不思議なもので、確かに死んだ者は歳をとらない。私も母も歳を取り、母はもう八十を越えた。こんなに歳をとるなんて思ったことはなかった。あっというまだったと言うつもりはないが、時間はとめようがないということはよく分かった気がする。
今週は校務の毎日である。入試関係の雑務や第三者評価の実地調査の準備等々、今日は朝から一日会議であった。こんなに長く会議をしたのは久しぶりなので、さすがに家に帰ったら、チビの散歩をする気力がなかった。
秋の学会のシンポジウムの準備も今週中にしなくてはならない。文書を作り、発送する。印刷所に頼んであるポスターも発送しなくては。ということで相変わらずの忙しい日々が戻って来た。
知りあいの民俗学者からメールが届いた。月刊「新潮」10月号に掲載されたエッセイを送ってきた。彼女は優秀な民俗学者なのだけれど、今たまたま介護施設で働いている。その介護の現場でお年寄りからいろいろ話を聞いているのだが、実は、それがとても面白いのだという。というのは、お年寄りの話は、昔の生活に関わることが多く、しかも今では失われた伝統的な生活を含む。この話をきちんと受け止めてコミュニケーション出来るのは、民俗学という学問の方法を身につけているからこそだと彼女は書いている。まさに、介護の現場で民俗学は機能しているのである。彼女はそれを「介護民俗学」と名付けている。
柳田国男は、日本人が伝承してきた生活の中の知識を日本の国家の教育は排除していった、というようなことを書いている。老人たちの居る介護の現場は、ひょっとすると今消えかかっているそのような知識を記録する最後の場所なのかも知れない。そして、そのような知識を共有することとしないこととが、老人の生き方やあるいは若い人達の生き方にとってどんな意味を持つのか、それを考えるきっかけにもなるだろう。そのエッセイはなかなか面白かった。
蜩が泣きやむ頃に寝入りけり
時間とは不思議なもので、確かに死んだ者は歳をとらない。私も母も歳を取り、母はもう八十を越えた。こんなに歳をとるなんて思ったことはなかった。あっというまだったと言うつもりはないが、時間はとめようがないということはよく分かった気がする。
今週は校務の毎日である。入試関係の雑務や第三者評価の実地調査の準備等々、今日は朝から一日会議であった。こんなに長く会議をしたのは久しぶりなので、さすがに家に帰ったら、チビの散歩をする気力がなかった。
秋の学会のシンポジウムの準備も今週中にしなくてはならない。文書を作り、発送する。印刷所に頼んであるポスターも発送しなくては。ということで相変わらずの忙しい日々が戻って来た。
知りあいの民俗学者からメールが届いた。月刊「新潮」10月号に掲載されたエッセイを送ってきた。彼女は優秀な民俗学者なのだけれど、今たまたま介護施設で働いている。その介護の現場でお年寄りからいろいろ話を聞いているのだが、実は、それがとても面白いのだという。というのは、お年寄りの話は、昔の生活に関わることが多く、しかも今では失われた伝統的な生活を含む。この話をきちんと受け止めてコミュニケーション出来るのは、民俗学という学問の方法を身につけているからこそだと彼女は書いている。まさに、介護の現場で民俗学は機能しているのである。彼女はそれを「介護民俗学」と名付けている。
柳田国男は、日本人が伝承してきた生活の中の知識を日本の国家の教育は排除していった、というようなことを書いている。老人たちの居る介護の現場は、ひょっとすると今消えかかっているそのような知識を記録する最後の場所なのかも知れない。そして、そのような知識を共有することとしないこととが、老人の生き方やあるいは若い人達の生き方にとってどんな意味を持つのか、それを考えるきっかけにもなるだろう。そのエッセイはなかなか面白かった。
蜩が泣きやむ頃に寝入りけり
選挙に行く/行かない ― 2009/09/18 23:52
私の世代で、かつて学生運動をやっていたものは選挙にいかないものが多い。なかには選挙なんか絶対にいかないと言っているものもいた。私なども初めはそうだったのだが、そのうち、ゲームに参加しないとゲームを楽しめないという理屈に負けて、選挙に行くようになった。信念だったかどうかは別として、革命というような民主主義と違う理念を放言していた身としては、さすがに選挙に行きづらかったのは確かだ。でも、社会の変革を望んだ情念はそれぞれ失ったしまったわけではない。生活者として生きていくしかないのだとしても、悪くなる社会に怒る感性は無くしたわけではない。ただ、一度けっこうぼろぼろになるまで抵抗した身としては、世の中の変革を口にすることは、今さらきまり悪くて何となく口に出来ないというところなのだ。が、世捨て人になるわけにはいかず、それなりに社会とは関わらなくてはいけない、という意味で、選挙ぐらいは行っているのである。
今回の選挙で、それでも絶対に選挙なんかいくものかと我を張っていた友人が、とうとう選挙に行った。それも不在者投票をしたそうである。意外であったが、気持ちは分かる。さすがに、政権交代という変革に参加しようとしたのだと思う。ゲームに参加しなければゲームは楽しめないということだ。世の中を変革したいという情念はまだくすぶっているのである。40年近く選挙にいかなかった友人を選挙に行かせるくらい、今回の選挙はインパクトがあったということだ。
変革は起きたが、それが果たして生活を良くする変革なのかどうかはまだわからない。が、とりあえずは良くなると信じていくしかないだろう。
今雲南省タイ族についての本を読んでいるのだが、タイ族はアニミズム的精霊信仰と、仏教の信仰を持っている。仏教は国家支配の始まりととともに入ってきたらしい。というのは、仏教では、庶民の生活が苦しいのは前世が原因であり、王や支配者層が豊かであるのは前世が原因であると説くことによって、支配者の権威を絶対化できるからだというのである。支配する根拠を前世の側から説明されれば、反論出来ない。それに対して精霊信仰は、幸不幸が自然との緊張関係のなかで説明されるだけであり、それは誰にも平等に訪れるものである。その意味で、仏教が支配者の宗教だとすれば、精霊信仰は底辺の宗教だと言える。
例えば国の政治は仏教みたいなものである。人々を階層化し、支配者の慈悲によって人々を救うという論理を構築する。が、精霊信仰は、共同で祭らないとだめな信仰である。その意味では、村落的な共同体の範囲における宗教である。
私はやはり共同体でお互いを助け合うようなところで成立する精霊信仰にシンパシーを感じる。わたしたちが住む社会はすでにそういう社会ではない、その意味では選挙の必要な社会である。が、それでも、選挙とは無縁なところで、人は社会を良くしようとしているし助け合っている。どちらかというと、そっちの方に関心のある私などは、選挙に行くが、でも選挙をそんなに信じちゃいない、というところがある。
秋天やひとの生き死に無きが如
今回の選挙で、それでも絶対に選挙なんかいくものかと我を張っていた友人が、とうとう選挙に行った。それも不在者投票をしたそうである。意外であったが、気持ちは分かる。さすがに、政権交代という変革に参加しようとしたのだと思う。ゲームに参加しなければゲームは楽しめないということだ。世の中を変革したいという情念はまだくすぶっているのである。40年近く選挙にいかなかった友人を選挙に行かせるくらい、今回の選挙はインパクトがあったということだ。
変革は起きたが、それが果たして生活を良くする変革なのかどうかはまだわからない。が、とりあえずは良くなると信じていくしかないだろう。
今雲南省タイ族についての本を読んでいるのだが、タイ族はアニミズム的精霊信仰と、仏教の信仰を持っている。仏教は国家支配の始まりととともに入ってきたらしい。というのは、仏教では、庶民の生活が苦しいのは前世が原因であり、王や支配者層が豊かであるのは前世が原因であると説くことによって、支配者の権威を絶対化できるからだというのである。支配する根拠を前世の側から説明されれば、反論出来ない。それに対して精霊信仰は、幸不幸が自然との緊張関係のなかで説明されるだけであり、それは誰にも平等に訪れるものである。その意味で、仏教が支配者の宗教だとすれば、精霊信仰は底辺の宗教だと言える。
例えば国の政治は仏教みたいなものである。人々を階層化し、支配者の慈悲によって人々を救うという論理を構築する。が、精霊信仰は、共同で祭らないとだめな信仰である。その意味では、村落的な共同体の範囲における宗教である。
私はやはり共同体でお互いを助け合うようなところで成立する精霊信仰にシンパシーを感じる。わたしたちが住む社会はすでにそういう社会ではない、その意味では選挙の必要な社会である。が、それでも、選挙とは無縁なところで、人は社会を良くしようとしているし助け合っている。どちらかというと、そっちの方に関心のある私などは、選挙に行くが、でも選挙をそんなに信じちゃいない、というところがある。
秋天やひとの生き死に無きが如
老後を自然の中で… ― 2009/09/23 12:24

シルバーウィークは山小屋で過ごす。仕事を持ち込んでと意気込んだが、結局、半分ほどしか出来ない。いつもこんな調子である。でも、半分は出来た。私の場合、だから、余分に仕事の予定を立てて、最低半分の仕事はこなす、ということにしている。そのようにしておけば、仕事はそれなりにはかどるというわけだ。
ただ、今回は、山小屋での肉体労働で背中を痛めてしまい、屈伸ができなくなり、思うように身体が動かなくなってしまった。重いものを運ぶときなど時々やるのだが、今回もやってしまった。
山小屋の近所で樹木の伐採をしていて、伐った樹をくれるというので薪ストーブを使っている何軒かの家に声をかけて樹を取りに行った。けっこう重い丸太で長さは1メートル50はある。それが山の斜面に積んであり、みんなで運んだのだが、結構な量である。家に戻って、道路際に樹を積んで、雨に濡れないように透明の板を載せて覆った。
実は、前日に何処かへ植えたらと植木屋がブルーベリーの樹を持って来た。ブルーベリーを植えなくてはということで、薪を運んだ後に、敷地の石ころだらけの斜面を掘ってブルーベリーを植えた。これがけっこうきつい作業で、それだけで、私の肉体は軋みを立てていたらしく、突然、背中の脇の筋肉に鋭い痛みが走り、力が入らなくなった。
それからが大変である。坐るのにも立つのにも腰に痛みが走り、顔をひきつりながら身体を動かしている。
昨日は渋滞だろうということで夜遅くに山小屋を出る。ところが中央高速の大月から小仏トンネルまで30キロの渋滞である。夜中の11時でである。渋滞を抜けるのに2時間以上はかかるというので、あきらめて大月から河口湖へ、有料道路を走って御殿場に出た。大月から東名の御殿場インターまで45分。そこから用賀インターまですいていれば1時間ほどだが、やはり渋滞していたので、一時間半。それでも大月から2時間ちょっとで用賀に着いた。用賀から自宅まですぐなので、結果的にこっちのほうが早かった。
別荘地にはいろんな人が定住している。ほとんど定年後の人生を自然の中で暮らそうと移ってきた人達である。が、暮らすとなるとそう簡単ではない。それなりに人との付き合いもあるし、身体を動かしたり、前向きにいろんなことに興味を持って生きないと、すぐに辛くなる。自然が豊かな地域は、一人で生きることが出来ない地域ということでもある。夜は暗くて寂しい。やることがないとほんとに退屈でもある。
私などはほとんは山小屋で暮らしたいのだが、ただ、健康でないとまず無理である。最近その健康に自信がない。自然は好きなのだが、自然とつきあうのはけっこう体力がいる。和田峠に名水を汲み行ったが、途中道路を横切る狐を三匹見た。痩せているのもいれば太っているのもいた。彼らも体力勝負である。体力が無ければたちまち死ぬ。それも自然の摂理だとしても、狐だって長生きはしたいだろう。長生きなんぞしたくないと強がりを言うのは人間だけだ。
近所で、一人で山小屋に住んでいる老人は、ここで私は狐のように動物になって生きていますと言っていた。定住はしていないが、詩集を何冊も出しているこれも近所に住む元教師は、自然の中に住んでしまうと自然のことがよくわからなくなる。だから、時々来るのがいいんです、と言っていた。人それぞれであるが、みな老後を、あえて自然のなかですごそうと選択した人達だ。贅沢なのか、あるいは人としての本能のようなものに動かされているのか。それとも、これは私たちの極めて伝統な文化なのか。自然の中にいると、実は、生きものの死に出会うことがとても多い。そういうことも、また自然の中で人生の後半を過ごしたいと思うひとつの理由になっているのかも知れない。
秋天に生きものどもは走りたり
ただ、今回は、山小屋での肉体労働で背中を痛めてしまい、屈伸ができなくなり、思うように身体が動かなくなってしまった。重いものを運ぶときなど時々やるのだが、今回もやってしまった。
山小屋の近所で樹木の伐採をしていて、伐った樹をくれるというので薪ストーブを使っている何軒かの家に声をかけて樹を取りに行った。けっこう重い丸太で長さは1メートル50はある。それが山の斜面に積んであり、みんなで運んだのだが、結構な量である。家に戻って、道路際に樹を積んで、雨に濡れないように透明の板を載せて覆った。
実は、前日に何処かへ植えたらと植木屋がブルーベリーの樹を持って来た。ブルーベリーを植えなくてはということで、薪を運んだ後に、敷地の石ころだらけの斜面を掘ってブルーベリーを植えた。これがけっこうきつい作業で、それだけで、私の肉体は軋みを立てていたらしく、突然、背中の脇の筋肉に鋭い痛みが走り、力が入らなくなった。
それからが大変である。坐るのにも立つのにも腰に痛みが走り、顔をひきつりながら身体を動かしている。
昨日は渋滞だろうということで夜遅くに山小屋を出る。ところが中央高速の大月から小仏トンネルまで30キロの渋滞である。夜中の11時でである。渋滞を抜けるのに2時間以上はかかるというので、あきらめて大月から河口湖へ、有料道路を走って御殿場に出た。大月から東名の御殿場インターまで45分。そこから用賀インターまですいていれば1時間ほどだが、やはり渋滞していたので、一時間半。それでも大月から2時間ちょっとで用賀に着いた。用賀から自宅まですぐなので、結果的にこっちのほうが早かった。
別荘地にはいろんな人が定住している。ほとんど定年後の人生を自然の中で暮らそうと移ってきた人達である。が、暮らすとなるとそう簡単ではない。それなりに人との付き合いもあるし、身体を動かしたり、前向きにいろんなことに興味を持って生きないと、すぐに辛くなる。自然が豊かな地域は、一人で生きることが出来ない地域ということでもある。夜は暗くて寂しい。やることがないとほんとに退屈でもある。
私などはほとんは山小屋で暮らしたいのだが、ただ、健康でないとまず無理である。最近その健康に自信がない。自然は好きなのだが、自然とつきあうのはけっこう体力がいる。和田峠に名水を汲み行ったが、途中道路を横切る狐を三匹見た。痩せているのもいれば太っているのもいた。彼らも体力勝負である。体力が無ければたちまち死ぬ。それも自然の摂理だとしても、狐だって長生きはしたいだろう。長生きなんぞしたくないと強がりを言うのは人間だけだ。
近所で、一人で山小屋に住んでいる老人は、ここで私は狐のように動物になって生きていますと言っていた。定住はしていないが、詩集を何冊も出しているこれも近所に住む元教師は、自然の中に住んでしまうと自然のことがよくわからなくなる。だから、時々来るのがいいんです、と言っていた。人それぞれであるが、みな老後を、あえて自然のなかですごそうと選択した人達だ。贅沢なのか、あるいは人としての本能のようなものに動かされているのか。それとも、これは私たちの極めて伝統な文化なのか。自然の中にいると、実は、生きものの死に出会うことがとても多い。そういうことも、また自然の中で人生の後半を過ごしたいと思うひとつの理由になっているのかも知れない。
秋天に生きものどもは走りたり
実地調査終わる ― 2009/09/25 23:58

昨日、今日と第三者評価の実地調査である。評価委員の人が5名わが短大にやってきて、二日間、われわれの作った調査報告書を元に、面接調査をする。要するに、質問攻めにして、報告書の内容を確認し、短大の教育や経営が健全であるかどうか調査するのである。
私は調査される側の責任者であるので、二日間この調査に貼り付いていた。面接調査は延べ時間で行くと6時間行われた。これは大変な時間で、6時間、ずっと質疑応答があったということである。
相手もさすがにこちらの痛いところをついてくるし、報告書の矛盾しているところや洩れがあるところわ見逃さない。それなりの予行演習はしてのぞんだが、それでも冷や汗ものである。
評価委員の5人を前にして、こちらは学長や学科長、事務局長や事務局の管理職がずらつと並び、私が質問を受け、答えたり、答えをわりふったりした。一日目は、疲れていたせいか、質問が時々のわからなくなり、相手に確かめたりして、緊張気味のところを見せてしまった。いつもと違う人になってますよ、と後で言われて、さすがにこういう場にのぞむ事の役回りを呪ったものである。
二日目、今日は何とかそつなくこなし、何とか実地調査を乗り切った。どういう評価がくだされるかはまだわからないが、とりあえず、そんなに悪いはずはないだろうと思っている。昼に評価委員の方々を見送って、力が抜けたようなすっといろんなものが軽くなった気がした。なにしろ、この調査にのぞむために1年半以上も準備していたのである。その努力が終わり、もう準備しなくてもいいのだから、やはり力は抜けるというものだ。
さて、おそらく、私は来年は評価委員として何処かの短大に実地調査に行かなくてはならないことになっている。つまり今回の逆の立場になるわけである。これも実は大変な事であることを、今回身にしみるほどに悟った。つくづく嫌な役回りである。
腰もまだ痛い。明日は京都で研究会。明後日は奈良の万葉ミュージアムでシンポジウム。その発表の準備もある。月曜からは授業。実は授業はもう始まっているのだが、私は今回の実地調査にかかりきりで休講にした。補講は次の土曜日である。補講は絶対にしろというお達しである。また忙しい日々に突入である。
家に帰ってチビと遊ぶのがささやかな楽しみなのだが、チビは呼んでも来てくれない。悲しいのだが、そういうチビもまた可愛いのである。
彼岸過ぎ負いたるものの消えにけり
私は調査される側の責任者であるので、二日間この調査に貼り付いていた。面接調査は延べ時間で行くと6時間行われた。これは大変な時間で、6時間、ずっと質疑応答があったということである。
相手もさすがにこちらの痛いところをついてくるし、報告書の矛盾しているところや洩れがあるところわ見逃さない。それなりの予行演習はしてのぞんだが、それでも冷や汗ものである。
評価委員の5人を前にして、こちらは学長や学科長、事務局長や事務局の管理職がずらつと並び、私が質問を受け、答えたり、答えをわりふったりした。一日目は、疲れていたせいか、質問が時々のわからなくなり、相手に確かめたりして、緊張気味のところを見せてしまった。いつもと違う人になってますよ、と後で言われて、さすがにこういう場にのぞむ事の役回りを呪ったものである。
二日目、今日は何とかそつなくこなし、何とか実地調査を乗り切った。どういう評価がくだされるかはまだわからないが、とりあえず、そんなに悪いはずはないだろうと思っている。昼に評価委員の方々を見送って、力が抜けたようなすっといろんなものが軽くなった気がした。なにしろ、この調査にのぞむために1年半以上も準備していたのである。その努力が終わり、もう準備しなくてもいいのだから、やはり力は抜けるというものだ。
さて、おそらく、私は来年は評価委員として何処かの短大に実地調査に行かなくてはならないことになっている。つまり今回の逆の立場になるわけである。これも実は大変な事であることを、今回身にしみるほどに悟った。つくづく嫌な役回りである。
腰もまだ痛い。明日は京都で研究会。明後日は奈良の万葉ミュージアムでシンポジウム。その発表の準備もある。月曜からは授業。実は授業はもう始まっているのだが、私は今回の実地調査にかかりきりで休講にした。補講は次の土曜日である。補講は絶対にしろというお達しである。また忙しい日々に突入である。
家に帰ってチビと遊ぶのがささやかな楽しみなのだが、チビは呼んでも来てくれない。悲しいのだが、そういうチビもまた可愛いのである。
彼岸過ぎ負いたるものの消えにけり
万葉のシンポジウム ― 2009/09/27 23:33

昨日の土曜は、京都で研究会。京都学園大学の町屋キャンパスというところで開かれた。ようするに、京都の民家である町屋を借り受け、そこを会議や授業なども出来る小さなキャンパスにしたというわけだ。さすが京都で、こういうキャンパスは東京じゃ無理だろうなと思う。京都の町屋の雰囲気があってなかなかいいところだった。雨が降ったら、靴下を替えて上がらなくてはいけないなどと注意されていた。
その夜メンバーで飲み会。私は最後まで付き合わなかったが、M氏がかなり酩酊状態になったと聞いた。彼は京都在住で、タクシーで深夜帰った。京都のいいところは、京都市内や郊外に住んで居ればの話だが、飲み会になっても、タクシーで家までそう料金がかからないということだそうだ。つまり、東京のように終電を気にせず飲めるということで、そのせいかM氏はかなり飲んだようだ。
今日(日曜)は、奈良の明日香にある万葉文化館でシンポジウム。研究会のメンバー6人の発表だった。80名近くの聴衆。地味な企画によくぞこれだけ集まった。関西の知りあいの研究者も来ていた。万葉文化館の玄関には奈良のゆるキャラ「せんと君」も立派に鎮座ましましていた。
テーマは「アジアの歌と万葉集」というもので、なかなかおもしろかったのではないかと思う。特に壮(チュアン)族の歌垣研究者であるTさんの発表はなかなか興味深いものだった。壮族は歌垣が盛んだが、声で歌のやり取りをするのではなく、歌を手紙(要するにラブレター)に書き留めてそれを相手に渡し、相手も手紙で歌を書いてよこす場合があるのだという。ほとんど、日本の贈答歌の世界である。
女性は字が読めないし書けないので、男から手紙をもらうと誰かに読んでもらう。そしてまた男に代作を頼む。つまり、実際は男が歌のやり取りをているわけになる。重要なのは、その歌の内容が、書かれた場合には、声で歌う即興の場合とはやや違うということである。ある流布された詩句を手本にした類型的な内容になるという。何が興味深いかというと、万葉集の贈答のレベルもまたそのような傾向にあるのではないかと思われるから、そのような、字で書かれた万葉の歌の詩の生成を、ある意味で、こういうところで、つまり壮族の手紙での歌のやりとりというところで確認できる、というところが面白いのである。
私の発表は、言わば、掛け合い歌の力学といったもの。つまり、歌を掛け合うということは、相手との一定の距離を保つ、という力学がはたらくのではないかというもので、従って、近づき過ぎれば離れようし、離れすぎれば近づこうとする。こういう力学は万葉集においても見いだせるというもの。まだ十分に練られていないなあ、というのが発表が終わってからの感想である。
夕方、シンポジウムが終わって、そのまま京都に戻り、東京へ。そんなこんなで忙しい二日間であった。
大和路の万葉人に彼岸花
その夜メンバーで飲み会。私は最後まで付き合わなかったが、M氏がかなり酩酊状態になったと聞いた。彼は京都在住で、タクシーで深夜帰った。京都のいいところは、京都市内や郊外に住んで居ればの話だが、飲み会になっても、タクシーで家までそう料金がかからないということだそうだ。つまり、東京のように終電を気にせず飲めるということで、そのせいかM氏はかなり飲んだようだ。
今日(日曜)は、奈良の明日香にある万葉文化館でシンポジウム。研究会のメンバー6人の発表だった。80名近くの聴衆。地味な企画によくぞこれだけ集まった。関西の知りあいの研究者も来ていた。万葉文化館の玄関には奈良のゆるキャラ「せんと君」も立派に鎮座ましましていた。
テーマは「アジアの歌と万葉集」というもので、なかなかおもしろかったのではないかと思う。特に壮(チュアン)族の歌垣研究者であるTさんの発表はなかなか興味深いものだった。壮族は歌垣が盛んだが、声で歌のやり取りをするのではなく、歌を手紙(要するにラブレター)に書き留めてそれを相手に渡し、相手も手紙で歌を書いてよこす場合があるのだという。ほとんど、日本の贈答歌の世界である。
女性は字が読めないし書けないので、男から手紙をもらうと誰かに読んでもらう。そしてまた男に代作を頼む。つまり、実際は男が歌のやり取りをているわけになる。重要なのは、その歌の内容が、書かれた場合には、声で歌う即興の場合とはやや違うということである。ある流布された詩句を手本にした類型的な内容になるという。何が興味深いかというと、万葉集の贈答のレベルもまたそのような傾向にあるのではないかと思われるから、そのような、字で書かれた万葉の歌の詩の生成を、ある意味で、こういうところで、つまり壮族の手紙での歌のやりとりというところで確認できる、というところが面白いのである。
私の発表は、言わば、掛け合い歌の力学といったもの。つまり、歌を掛け合うということは、相手との一定の距離を保つ、という力学がはたらくのではないかというもので、従って、近づき過ぎれば離れようし、離れすぎれば近づこうとする。こういう力学は万葉集においても見いだせるというもの。まだ十分に練られていないなあ、というのが発表が終わってからの感想である。
夕方、シンポジウムが終わって、そのまま京都に戻り、東京へ。そんなこんなで忙しい二日間であった。
大和路の万葉人に彼岸花
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