還暦2009/09/07 00:37

 土曜日は久しぶりにとある学会の委員会に出かけた。別の学会との例会にぶつかっていたが、ずっと欠席していたので、たまにはでないとまずいので顔を出した。たぶんこれで義務はすんだとおもうが、来年の運営委員の候補に私の名前があって、やっぱりと覚悟した。夏の箱根のセミナーで、来年引き受けてもらえないかと打診され、断る理由を探していたのだが、面倒になってまあいいかというような返事をしてしまった。来年は学科長を辞めるので少しは自由になる。そういうこともあった。本当は断るべきなのだが、どうも断るのが苦手で、いつもいろいろと引き受けてしまう。困ったものである。ただ、こういう役につくことで、普段は会えない人と会えたり出来て、面白いこともある。そう考えれば、まあいいかと納得した。

 今日は遠野物語研究会での発表のレジュメを作成。何とか仕上げる。実は、10日までに短歌時評の原稿を書かなくてはいけない。明日から遠野に出かけ9日に帰ってくる予定だが、その間、時評の原稿の内容を考えておかないとまずいだろう。昨日文芸詩『月光』の次号の校正原稿が届いた。これは帰ったからやることにする。明日も第三者評価の会議で帰ってもまたその会議、そして入試業務も待っている。

 私の知りあいは還暦記念だといって一ヶ月の休暇をもらってタイに遊びに行っている。彼は社長だから会社は危ないのではないかとみんな心配しているのだが。同じ年だから私も還暦である。祝うなんてとんでもないことである。それにしても馬齢を重ねてしまった。わけもわからず、いろんなことを考えながら、いろんなことに手を出し、人様に迷惑をかけながも人の世話になりながらよくここまできたなと我ながら感心する。

 残りの人生、普通に明るく、出来れば健康でいられるのが一番いいのだろう。だれもが思う願いだ。私もそう願うが、だが、そうはいかないだろう。仕事がら悩むことが多い。そういう気質もあるが、まだ生きる意味を求めようとする欲がある。文章を書く仕事をしていると、やはり、社会のあり方や人間の存在について意味を求めざるをえない。それは、自分そのものの意味に関わることだ。意味を求めるのは、求めないことそのものに誰もが耐えられないからである。つまり不安だからである。別の言い方をすれば、不安があるからこそ意味を求めるわけで、不安など虚構だと言い切れれば、そこはもう宗教的な意味での達観の世界だ。

 私はどうも不安という奴と終生付き合わざるを得ないようだ。それほど哲学的な人間ではないのだが、いつも何か考えてないと、あるいはそういうふりをしいてないと、一日をうまく過ごせない。趣味もスポーツも一通りやるのだが、たぶんあまり楽しいと思っていない。まあ悩むのが趣味なのだということかも知れない。悩むことで文章を書いてきたから、これも一種のワーカホリック、もしくは後遺症なのかも知れない。

 言えることは、人が楽しければ自分も楽しいし、悲しければ悲しい、ということである。その人の範囲をどの程度に狭めるかで、その人の人生はだいぶ変わる。世界中の人にまで広げるとこれは大変だ。世界には悲しい人のほうが多いからだ。ものを考えて生きるということは、この範囲を広くとることである。だから悩むことになる。狭めればあんまり考えて生きる必要もない。歳を重ねることの良さとは、範囲を広げても悲しまなくてもよいこつを身につけられることだと思っていたが、そうではないらしい。どうやら私は悩みながらぐたぐだと生きるのが似合っていそうである。そういう老人にはなりたくないのだが。

悩まぬ日は枝豆を茹でビール飲む