選挙に行く/行かない2009/09/18 23:52

 私の世代で、かつて学生運動をやっていたものは選挙にいかないものが多い。なかには選挙なんか絶対にいかないと言っているものもいた。私なども初めはそうだったのだが、そのうち、ゲームに参加しないとゲームを楽しめないという理屈に負けて、選挙に行くようになった。信念だったかどうかは別として、革命というような民主主義と違う理念を放言していた身としては、さすがに選挙に行きづらかったのは確かだ。でも、社会の変革を望んだ情念はそれぞれ失ったしまったわけではない。生活者として生きていくしかないのだとしても、悪くなる社会に怒る感性は無くしたわけではない。ただ、一度けっこうぼろぼろになるまで抵抗した身としては、世の中の変革を口にすることは、今さらきまり悪くて何となく口に出来ないというところなのだ。が、世捨て人になるわけにはいかず、それなりに社会とは関わらなくてはいけない、という意味で、選挙ぐらいは行っているのである。

 今回の選挙で、それでも絶対に選挙なんかいくものかと我を張っていた友人が、とうとう選挙に行った。それも不在者投票をしたそうである。意外であったが、気持ちは分かる。さすがに、政権交代という変革に参加しようとしたのだと思う。ゲームに参加しなければゲームは楽しめないということだ。世の中を変革したいという情念はまだくすぶっているのである。40年近く選挙にいかなかった友人を選挙に行かせるくらい、今回の選挙はインパクトがあったということだ。

 変革は起きたが、それが果たして生活を良くする変革なのかどうかはまだわからない。が、とりあえずは良くなると信じていくしかないだろう。

 今雲南省タイ族についての本を読んでいるのだが、タイ族はアニミズム的精霊信仰と、仏教の信仰を持っている。仏教は国家支配の始まりととともに入ってきたらしい。というのは、仏教では、庶民の生活が苦しいのは前世が原因であり、王や支配者層が豊かであるのは前世が原因であると説くことによって、支配者の権威を絶対化できるからだというのである。支配する根拠を前世の側から説明されれば、反論出来ない。それに対して精霊信仰は、幸不幸が自然との緊張関係のなかで説明されるだけであり、それは誰にも平等に訪れるものである。その意味で、仏教が支配者の宗教だとすれば、精霊信仰は底辺の宗教だと言える。

 例えば国の政治は仏教みたいなものである。人々を階層化し、支配者の慈悲によって人々を救うという論理を構築する。が、精霊信仰は、共同で祭らないとだめな信仰である。その意味では、村落的な共同体の範囲における宗教である。

 私はやはり共同体でお互いを助け合うようなところで成立する精霊信仰にシンパシーを感じる。わたしたちが住む社会はすでにそういう社会ではない、その意味では選挙の必要な社会である。が、それでも、選挙とは無縁なところで、人は社会を良くしようとしているし助け合っている。どちらかというと、そっちの方に関心のある私などは、選挙に行くが、でも選挙をそんなに信じちゃいない、というところがある。

                      秋天やひとの生き死に無きが如