介護民俗学2009/09/16 00:01

 日曜に実家に帰り墓参り。彼岸の日は連休で混みそうだし用事もあるので一週間前にした。あいにくの雨であったが、午後は雨もやんで何とか墓参りが出来た。霊園には曼殊沙華の赤い花がもう咲き出した。父が死んでもう三十年近くになる。父といっても養父だが、貧しい時代を育ててもらった。

 時間とは不思議なもので、確かに死んだ者は歳をとらない。私も母も歳を取り、母はもう八十を越えた。こんなに歳をとるなんて思ったことはなかった。あっというまだったと言うつもりはないが、時間はとめようがないということはよく分かった気がする。

 今週は校務の毎日である。入試関係の雑務や第三者評価の実地調査の準備等々、今日は朝から一日会議であった。こんなに長く会議をしたのは久しぶりなので、さすがに家に帰ったら、チビの散歩をする気力がなかった。

 秋の学会のシンポジウムの準備も今週中にしなくてはならない。文書を作り、発送する。印刷所に頼んであるポスターも発送しなくては。ということで相変わらずの忙しい日々が戻って来た。

 知りあいの民俗学者からメールが届いた。月刊「新潮」10月号に掲載されたエッセイを送ってきた。彼女は優秀な民俗学者なのだけれど、今たまたま介護施設で働いている。その介護の現場でお年寄りからいろいろ話を聞いているのだが、実は、それがとても面白いのだという。というのは、お年寄りの話は、昔の生活に関わることが多く、しかも今では失われた伝統的な生活を含む。この話をきちんと受け止めてコミュニケーション出来るのは、民俗学という学問の方法を身につけているからこそだと彼女は書いている。まさに、介護の現場で民俗学は機能しているのである。彼女はそれを「介護民俗学」と名付けている。

 柳田国男は、日本人が伝承してきた生活の中の知識を日本の国家の教育は排除していった、というようなことを書いている。老人たちの居る介護の現場は、ひょっとすると今消えかかっているそのような知識を記録する最後の場所なのかも知れない。そして、そのような知識を共有することとしないこととが、老人の生き方やあるいは若い人達の生き方にとってどんな意味を持つのか、それを考えるきっかけにもなるだろう。そのエッセイはなかなか面白かった。

                       蜩が泣きやむ頃に寝入りけり