中国の神話研究2010/09/03 00:30

 中国でのシンポジウムは地元のテレビでも放映し、新聞にも出ていた。インターネットにもでているのでごらんになりたい方は以下のアドレスでどうぞ。
http://big5.ce.cn/culture/list02/03/news/201008/27/t20100827_21765992.shtml

 北京の社会科学院の神話研究者であるヤンさんが座談会をしたいというので日本側の研究者と話し合いを持った。実は、ヤンさんは、私や工藤さんの論文を読んでいて引用しているという。実は、大分前に怒江でシンポジウムを行ったとき、その発表の原稿を論文集にして中国で発行した。私の論も中国語訳で載っているというわけだ。そこに「自らのマイナスを語る神話」という論を書いたが、それを読んでいて、高等学校向けの神話のテキストに引用したのだという。やはり、論にしておくと誰かが読んでくれているものである。

 文字の国中国での神話研究はどちらかというと文献研究が主であったが、今では、研究者たちは、フィールドワークを積極的に行っていて、少数民族の口承の神話や祭祀の調査もなかなか盛んである。ただ、まだまだ、方法論はマルクス主義的な方法論から脱却できていないところがある。つまり、歴史を発展段階的にとらえて祭祀や民族文化をそのいずれかの段階に当てはめようとする、という方法である。むろん、今では色んな方法論で研究しているだろうが、共通するのは、神話を失われつつ文化遺産として大事にしようとする意識であり、また、何か哲学的な本質をみつけたいというロマンチシズムである。

 日本の、神話研究にはいろんな歴史や政治のバイアスがかかっていて、それを批判していくことが主流になっているような現状からは牧歌的とは言えるが、ある意味ではうらやましいとは言える。彼らはようやく自分の身近なところに、神話や歌という豊かな声による言語文化を見いだしたばかりであり、それを宝物のように思えるのである。たぶん今の日本にこういう雰囲気はない。神話研究の国際シンポジウムに、市が費用を負担して開催を助ける、というのも、こういった雰囲気があるからこそである。研究者でなくても、神話という言語文化が、町起こしにつながる宝物であることを理解しているのである。

 シンポジウムは成功裏に終わったが、そこには発展し続ける中国と、神話などの自国の埋もれた文化への研究意欲をかき立てつつある研究者の熱意がある。こういう熱気があるかぎり失敗するということはない。むしろ、日本の研究発表が、彼らにどれだけ刺激を与えられたか、それが気になるところである。

 日本側の発表は非常に多様であった。古事記の神話から、日本の民俗、中国少数民族、漢族、ミャンマーのカチン族の神話まで多岐に渡っていた。日本の研究者のフットワークの軽さ、それは、自由に各国に行ける恵まれた研究環境、ということであるが、中国側は、それをうらやましがったのではないか。中国の研究者が日本に調査に来るというのはまだまだ大変である。それができるようになったとき、彼らは日本の研究の程度がわかるのではないかと思う。

  此処には鳴きやまぬ蝉の夜がある

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