兄妹始祖廟2010/09/02 01:09

 今日も暑い中を出校。バス停でバスを待つのが大変。とてもじゃないが歩いて駅まで行けない。いよいよ日本も亜熱帯になってきた、ということか。雲南省では、昼休みが2時間ある。12時から2時までで、食事のあとは昼寝タイムのようだ。南の方はだいたいがむしゃらに働かないのだ。日本人もこれからは、そんな風にしていかないと、身体が持たないと思う。

 さて24日は人祖廟を祭るイ族の村へとみんなで視察。総勢五〇人以上はいる。小型バスと車の車列が何台も続き、例によってパトカー先導で移動である。人祖廟というのは、中国では割合あちこちにある。だいたい伏羲と女媧という中国の古代神話上の始祖神を祭るのがほとんどである。が、ここで、村に伝わる兄妹洪水神話の兄妹を始祖として祭っていて、これはかなり珍しいということだ。もともとは山神だったのではないかという説も出ていた。

 村の背後は聖樹の森になっていて、此処だけは伐採されていない。やはり聖域の環境はそれなりに守られるのである。日本の鎮守の森が守られているのと一緒である。面白かったのは、この森の後方にいる仙人洞という洞窟には神がいて、その神にお願いをすると椀などの食器を貸してくれるという伝説があることである。いわゆる椀貸し伝承で、日本にもたくさんある。

 25日は、かなり遠い山奥のイ族の村に入った。国際シンポジウムのご一行がくるというので、村では大騒ぎであった。村の近くの聖なる山で龍樹祭りを行ってくれた。いわゆる聖樹の祭祀である。その前の広場では、踊りあり、民族衣装をきた娘さん達の合唱ありで、なかなか賑やかであった。だが、あいにくの雨で、かなり下がすべりやすくなっていてた。特に道路から山の傾斜地を登って行かねばならない。下は赤土でかなり滑りやすい。 村人にみんな支えられて登って行ったが、何人かは見事に滑って転び、身体の半分ほどを泥まみれにしていた。

 この村で兄妹始祖神話をビモが歌っているのを聞くことができた。まだこのように神話が歌われている村がある、ということを確認。開遠市の人たちがわざわざこの村に連れてきた理由がよくわかる。できれば、中国の研究者が、ビモの歌う歌を全部逐一録画して、その言葉を国際音声記号にして、逐語訳をする、という作業をするべきなのだが。できなければわれわれがやるしかないのだが、誰かやってくれないだろうか。

 闘牛も行われていた。郷の街では歌や踊りの舞台があってものすごい人出である。どうもわれわれを歓迎してのことらしい。とにかく、外国から大勢学者がきたということで、お祭り騒ぎなのである。たぶん、役人達がそのようにお膳立てをしたのであろうが、ここまで歓迎されると戸惑うばかりであるが、その歓待はとてもうれしかった。

                         兄妹の始祖に送り火手向けする

中国の神話研究2010/09/03 00:30

 中国でのシンポジウムは地元のテレビでも放映し、新聞にも出ていた。インターネットにもでているのでごらんになりたい方は以下のアドレスでどうぞ。
http://big5.ce.cn/culture/list02/03/news/201008/27/t20100827_21765992.shtml

 北京の社会科学院の神話研究者であるヤンさんが座談会をしたいというので日本側の研究者と話し合いを持った。実は、ヤンさんは、私や工藤さんの論文を読んでいて引用しているという。実は、大分前に怒江でシンポジウムを行ったとき、その発表の原稿を論文集にして中国で発行した。私の論も中国語訳で載っているというわけだ。そこに「自らのマイナスを語る神話」という論を書いたが、それを読んでいて、高等学校向けの神話のテキストに引用したのだという。やはり、論にしておくと誰かが読んでくれているものである。

 文字の国中国での神話研究はどちらかというと文献研究が主であったが、今では、研究者たちは、フィールドワークを積極的に行っていて、少数民族の口承の神話や祭祀の調査もなかなか盛んである。ただ、まだまだ、方法論はマルクス主義的な方法論から脱却できていないところがある。つまり、歴史を発展段階的にとらえて祭祀や民族文化をそのいずれかの段階に当てはめようとする、という方法である。むろん、今では色んな方法論で研究しているだろうが、共通するのは、神話を失われつつ文化遺産として大事にしようとする意識であり、また、何か哲学的な本質をみつけたいというロマンチシズムである。

 日本の、神話研究にはいろんな歴史や政治のバイアスがかかっていて、それを批判していくことが主流になっているような現状からは牧歌的とは言えるが、ある意味ではうらやましいとは言える。彼らはようやく自分の身近なところに、神話や歌という豊かな声による言語文化を見いだしたばかりであり、それを宝物のように思えるのである。たぶん今の日本にこういう雰囲気はない。神話研究の国際シンポジウムに、市が費用を負担して開催を助ける、というのも、こういった雰囲気があるからこそである。研究者でなくても、神話という言語文化が、町起こしにつながる宝物であることを理解しているのである。

 シンポジウムは成功裏に終わったが、そこには発展し続ける中国と、神話などの自国の埋もれた文化への研究意欲をかき立てつつある研究者の熱意がある。こういう熱気があるかぎり失敗するということはない。むしろ、日本の研究発表が、彼らにどれだけ刺激を与えられたか、それが気になるところである。

 日本側の発表は非常に多様であった。古事記の神話から、日本の民俗、中国少数民族、漢族、ミャンマーのカチン族の神話まで多岐に渡っていた。日本の研究者のフットワークの軽さ、それは、自由に各国に行ける恵まれた研究環境、ということであるが、中国側は、それをうらやましがったのではないか。中国の研究者が日本に調査に来るというのはまだまだ大変である。それができるようになったとき、彼らは日本の研究の程度がわかるのではないかと思う。

  此処には鳴きやまぬ蝉の夜がある

就職難の時代2010/09/07 01:11

 四日から山小屋に来ている。こんなに暑いと疎開という言い方がふさわしい。今年は異常気象だが、来年から続けば異常ということではなくなる。将来猛暑日はさらに二十日は増えるだろうと環境庁の予測。いったいどういうことになるのであろうか。

 山小屋ではベランダを修復した。安くあげるために防腐剤を塗るのは自分たちでやることにした。それで、昨日今日と、私が防腐剤を塗った。キシラデコールという塗料で、においがきつい。このにおいが鼻についてなかなか取れない。家中がまだにおっている。さらに、廃材の後始末やらで一日中肉体労働ということになった。おかげで少しやせた。中国で少し太り気味になって帰ってきたので、ちょうどいいというところである。

 ただ、論文の構想を練る目的で来てはいるが、そっちが少しも進まない。今構想が二つある。一つだけなら、とにかくそれで書くしかないのだが、二つあるので悩んでいるのだ。どっちにしたらいいのか、どっちも捨てがたい、というのもあるが、どっちも、同じくらいに、何となくの構想だけで具体的な面のイメージがわいてこない、ということもある。ちなみに、資料はどちらもあるのだが、資料だけでは書けないのである。

 もう少し悩んで、決断して書き進めるしかないだろう。そのうちいいアイデアが浮かんでくるのを待つしかない。

 BSフジのプライムニュースを時々みるのだが、今日は大学の就職特集である。とにかく、昨年度の就職は厳しかった。私の学科でも、かろうじて内定率が80パーセントを確保したが、最初はこれは70パーセント前半かなとあきらめていた。短大なので、就職難の波をもろに受ける。

 結局、二時間近くコメンテーターの話を聞いていたが、結局、解決策はほとんどないということだけがよくわかった。IT企業の経営者が、大学新卒に税金で補助して就職対策するより、高齢者の就職対策した方が社会にとって有益だと話していて、それが妙に説得力があった。実は、若者は職を選ばなければ就職口がないわけではない。今の就職難の一つの理由は若者の甘えにある、というような口調である。企業側だから言える言葉であるだろう。大学関係者としてはなかな言えない。

 若者の総人口が激減しつつあるが、経済規模はそれほど縮小しているわけではない。とすれば、贅沢を言わない限りは就職口はあるというわけだ。むしろ、何でもいいから働き口を見つけたいが、その働き口がない高齢者の方が深刻である。特に、就職しないで家に引きこもる若者の面倒を見る高齢者に職がないと、どうなるか。NHKの無縁社会の特集でやっていたが、あっというまに地域から孤立し、悲惨な結末を迎える。

 とにかく生きるために働く、というのも就職の考え方である。私の親はそうやって働いていたし、私も就職とはそのようなものだと考えていた。たぶん私の世代や上の世代も多くはそのように考えていたのではないか。だから、就職しないということは、働かないということでなく、人と違う生き方をしたいということであって、自分の力で食い扶持を探すということであった。

 だから、良い就職口がないからとあきらめたりするということなどなかった。高度成長時代でそれなりに働き口があったということもあったが、でも、そういう働き口はほとんどは零細か中小企業だった。それでもみんなそういうところで働いた。

 今の学生をみると生きるために働くというのがない。それはそれで良い時代になったという見方も出来る。みんな自分の夢の実現のために企業を選ぶと語る。それはそれで良いのだが、選べないとすぐにやる気をなくしてしまう。競争の時代に勝てる勝ち組になれというのではない。勝ち組でなくても、たくましく生きることは出来る。人生は長いのだから、とりあえず生きるために働き、徐々に夢を追いかければいいのである。

 最近、短大の推薦入試などで面接をするのだが、どうして短大を選んだのと聞くと、親の経済的な理由をあげ、早く就職して親を楽にさせたいから、と話す学生がすこしずつではあるが増えてきた。けなげな子たちである。そういう言葉を聞くと、思わず目頭が熱くなったりするのだが、生きるために、というたくましさがまだ消えてなかったのだと、安心するのである。

                      蜻蛉のふと休みし世を生きてゐる

高峰温泉へ行く2010/09/11 12:15

 山小屋に来てもうすぐ一週間になる。明日は東京に戻る。来週は雑務で出校しなければならない。後期もいよいよ始まるという感じである。

 山小屋に来てまずやったことは、ベランダの防腐剤塗りで、それが終わったら台風が来た。防腐剤を塗るのが遅れていたら面倒なことになっていた。

 8日から9日にかけて高峰温泉に行ってきた。恩師であるN先生夫妻と知人との五人で出かける。チビは家で留守番。一泊だがチビは初めての留守番である。近所の人に餌と散歩を頼んでおいた。夕方の散歩はさすがにチビは外へはでるがすぐ近くまで行くと帰りたがって結局散歩にならなかったという。次の日の朝の散歩は何とか散歩らしいものだったが、それでも、やはり落ち着かなかったという。さすがに、知っている人とは言え、いつもと違う人との散歩にチビも戸惑ったのだろう。慣れだとは思うが、少しは我が家の犬のようにはなってきたらしい。

 高峰温泉はなかなか良いところである。小諸の駅前から浅間連峰の高峰山に向かって、一直線に上っていく。小諸から車で40分ほどである。尾根を上ったところにスキー場があり、その近くに高峰温泉がある。ランプの宿を売りにしている。昔の湯治宿だが、今は、評判の温泉宿だということだ。確かに、浅間連峰の尾根にあるロケーションで、海抜が2000メートルある。眺望がとても良い。宿としても、サービスが行き届いて、賑わっている理由が良くわかった。平日だが、ほとんど満室であった。リピーターが多いという。http://www.takamine.co.jp/

最近作ったという雲上の露天風呂というのが売りである。(ホームページより写真を拝借しました。)


 星空がよく見えるので、夜は星空観察会というのがある。あいにく雲がかかってみえなかったが、一瞬雲が切れて天の川が見えた。あんなにきれいに天の川を見たのも最近はないことである。次の日の午前中は、近くの池の平湿原ハイキングで、宿泊客へのサービスである。ガイドが三人付き、宿のマイクロバスで湿原まで行き、そこから約二時間半ほど散策する。浅間連峰の尾根筋なので、八ヶ岳から北アルプスまで眺望がよく、しかも小さいが湿原もあって、つかの間であったが、高原の散策を楽しめた。

 旅の目的は、いつも世話になっている恩師夫婦へのお礼の旅行で、山が好きなので、評判の温泉に招待したというわけだ。だいぶお歳(もうすぐ80歳)なので自分たちで車を運転して出かけるということが出来なくなってきている。夏は蓼科の山荘に暮らしているので、誘って出かけたというわけである。池の平湿原ハイキングへの参加は先生夫妻が提案した。私たちは、そんなつもりもなく山歩きの格好もしていなかったが、先生たちはちゃんと準備してきている。さすがである。

 高峰温泉から山小屋までは二時間弱。先生をお送りして帰ってきたのが四時頃であった。チビはわれわれの顔を見て、別にすごく感動するわけでもなく、いつものように寄ってきて餌の催促である。そういえば餌の時間なのである。なんだ感動のない奴だな、とすこしがっかりしたが、それがチビの面白いところである。

   愛犬に留守を頼みて夏の旅

セカイ系の勉強2010/09/14 00:58

 東京に戻り出校し雑務などして過ごす。やはり東京は暑い。参った。家に帰ってから紀要原稿の構想など練りながら過ごしたが、なかなかうまくピントがあつてくれない。結局、最初のテーマが具体性を持って現れてこないということに原因がある。

 私はレポートの書き方というものを学生にいつも講義しているが、そのとき、最初のテーマが肝心。ここでテーマが具体的にならないと、レポートは書けない、と言っているがそのことが今の自分にあてはまっている。困ったものである。

 でもそれなりに苦しんだので少しは光明がさしてきた。だが、実際さらに具体化していくと、やっぱりこの構想じゃ無理かなあということになる。そして、まだ最初に逆戻り。これを何回か繰り返す。時には七転八倒の苦しみになることもある。が、そういう苦しみを味わった方が、結果的にはいい論文が書ける。最近そういう苦しみ味わうことなく書いているので、これも良い経験である。

 必要があって前島賢『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのおたく史』を読む。実は、来年から「アニメの物語学」講座を持つことになり、その勉強ということである。日本のアニメを語る上で、やはり「エヴァンゲリオン」は外せないだろう。物語論という観点からも面白い。セカイ系とは、ゼロ年代(2000年以降の思想状況を語るキーワード)以降のエヴァっぽいアニメを語るキーワードで、この本によると「少年と少女の恋愛が世界の運命に直結する。少女のみか戦い、少年は戦場から疎外されている。社会の描写が排除されている」というものだ。代表作としては「最終兵器彼女」「ほしのこえ」「イリヤの空 UFOの夏」である。

 エヴァンゲリオンは見ているが、セカイ系については知らなかった。エヴァっぽさとは、少年と少女が、何の説明もなく、いきなり世界を救う戦争の責任を負わされる、というものだ。つまり、少年と少女は、いきなり大きな物語のなかの当事者として登場し、その大きな物語は一切説明されることなく、その恋愛や世界を救う戦いの個々の場面のみが極めて詳細なイメージで描かれるだけなのだ。つまり、世界が今どうなっているか誰もわからない。ただ危機的状況にあることだけは確かだ。個々の閉じられた場面でとにかく必死に戦うしかない、という極めて説得力不足の状況をリアルに共有し得る、ということが、セカイ系の特徴だという。

 なんとなくわかる気がする。セカイ系の主人公は、世界を選択できないということだ。宿命のように受け入れることしかできない。それを受け入れる自閉的な自己を中心とした世界が「セカイ」なのだ。考えてみれば、これは、私などが調査している、中国の辺境にいる少数民族とよく似ている。いや、私にだってそういうところはある。大きな物語である時代や社会に属しながら、わたしたちは、その大きな物語を把握できないし、理解することはできない。その大きな物語に翻弄されながら、個々の小さな物語を生きるしかない。が、小さな物語を無視して、大きな物語だけを夢見た思想(イデオロギー)はほとんど潰えてしまった。大会はシンポジウム゛から、今小さな物語のほうにリアリティがある。が、小さな物語は今のこの不安を救うことができるのか。誰にも答えられない。

 本書の著者はセカイ系とは、そのような批判を組み込みながら展開しているのだという。とりあえず、私もこれから勉強である。
 
       九月には万物の影伸び始む

久しぶりの研究会2010/09/19 10:05

 昨日はAO入試の面談と研究会。まだ夏期休暇だが、入試はすでに始まっている。今のところ応募者は昨年並み。志願者が増えてくれるといいのだが、そう簡単にはいかない。

 研究会は、中国少数民族白族の「山歌碑」解読についてやっている。私はただ参加しているだけだが、10月大会の発表に向けて今資料などを準備中だ。文字を持たない白族が、漢字を用いて自分たちの歌を記した。それが「山歌碑」である。明の時代に造られたものだが、何故注目されるのかというと、日本の万葉の時代もある意味で同じだからだ。自前の文字をもたない民族が、外国の漢字という文字で自分たちの歌を記す。つまり、日本の苦労と同じ苦労を白族もしているのである。その意味で貴重なのである。

 私の勤め先で研究会を行ったのだが、別の学会の企画会議が同じフロアで行われていた。実は私はそちらにも顔を出すべきなのだが、それなりに古手になった私の出番はないと思っているので、参加は見合わせた。来年の企画を決めるそうだが、良い企画が決まればいいのだが。

 紀要論文は結局「遠野物語」で書くことに。今書いている最中。月末までに40枚近く書かなきゃいけない。何年かこれも研究会をしているのだが、まだ自分なりにどう読んでいいのか迷っている。そこで、「神隠し譚」を取り上げることにした。実は、遠野物語や遠野物語拾遺には神隠しの話が多い。しかも、細かく見ていくと様々なバージョンがある。その差異がなかなか面白いのである。

 例えば、神隠しにあった女が何年かたって帰ってくるという話がある。あるいは、猟師が山の中で神隠しにあった女に出会うという話がある。こちらは、異人の妻になっているというのが多い。あるいは、ただ、山をさまよう女に出会ったという話もある。帰ってきた女は、家人に会いたかったと語る。山であった女もそのように語る場合もあり、また誰にも言うなと語る場合もある。一方、ただ山で山姥の様な女に出会うという話もあるが、ある意味でこれも神隠し譚の続きのような話である。何故こんなに神隠し譚には様々な違いがあるのか、これを整理して分析していけばおもしろいのではないか、というのが、今やっていることで、うまくいくかどうかはまだわからない。

 暑さも大分おさまってきて、ようやく人心地といったところである。研究会の帰り飲み会ということになり、そのあと神保町のいつものカフェバーに行ったら、企画会議の連中もいた。彼らと最近のアニメのことなど話し帰途につく。私は来年「アニメの物語学」という講座をやらなければならないので、詳しそうな人に会うと話をすることにしている。これもどうなることやらである。

                        秋の夜のわが更新に手間取りぬ

田中一村展2010/09/21 00:08

昨日NHKの美術番組で田中一村の特集をやっていた。田中一村については以前から興味があったのだが、なかなか面白かった。今まで、奄美大島で人と接触せずに孤高の絵描きとして人生を送った(そんなに孤高でもなく奄美の人と結構つきあいがあって頼まれてはアルバイトで肖像画も描いていた)。没後脚光を浴びて、日本のゴーギャンとして有名になった、ということくらいしか知識がなく、絵についても、奄美大島で描いたいた晩年の絵を漠然と記憶しているだけであった。

 が、特集でその人生や、奄美大島で過ごした様子などがよくわかった。1908年栃木氏生まれで、七歳ですでに南画をものにしプロの絵描きとして登場する。まさに天才である。芸大の日本画科に入るが二ヶ月半で退学。動機に東山魁夷がいる。すでにその頃彼は南画や日本画で収入を得るプロであったらしく、退学したのは家の事情らしい。

 戦後、院展に応募するがことごとく落選。何でとおもうが、幼い時からプロの絵描きとして、何でもうまく描いてしまう技術をもっていて、その器用さがわざわいしたのだと思われる。

 自信作が院展に落選したのをきっかけに、奄美大島に移住を決意。五十近くのことである。奄美大島に移住してからは、染色工として働きながら、島の神秘な動植物を描き始める。それはうまいというのを通り越して、シュールで神秘で、宗教画のような感じのものである。1977年に亡くなるが、何故無名で居たのかそのことが不思議なくらいである。

 今日、奥さんと千葉市美術館に早速田中一村の展覧会を観に行った。美術館は満員であった。やはり昨日NHKで特集したせいだ。年寄りが多いというのは、どこの美術館でも同じだが。

 幼い時の絵から、奄美大島の絵まで約250点が展示されていて、なかなか見応えのある展示であった。田中一村の仕事が全部展示されていたといってもいい。千葉市に住んでいた頃は、地域の素封家に頼まれてふすま絵などを書いて生計を立てていたらしい。そのふすま絵まで展示してある。

 最後の展示室に、傑作である奄美時代の絵がある。これはテレビでも絶賛していた絵で、さすがにすごい人だかりであった。二時間近く美術館をめぐってきて、最後に此の絵にたどりつく。観客はここで疲れを忘れる。うまい演出である。「不食芋と蘇鉄」(http://www.ccma-net.jp/exhibition_01.html)は生と死の循環を、奄美の聖所からの視座で描いたという。土地の写真家がこの絵をみたら身体が震えて鳥肌がたったと語っていた。

 美術館に行ったのは久しぶりだが、行ったかいがあった。無名で孤高の画家の人生とその奇跡のような絵を味わうことができた。めったにない経験である。

                       秋の空孤高の画家の絵の如く

遠野物語論2010/09/23 01:06

 昨日(火)は最初の授業。一限目からである。いきなり朝のラッシュアワーから後期は始まった。しかも、その日は、夕方から某学会の運営委員会。この会合が終わったのが夜の九時半。それから飲み会になって、へとへとになってその日が終わるか終わらないかの時間に帰ってきた。

 Iさんから徳島の酢橘が送られてきた。中国へのシンポジウムにご一緒した方である。私が事務局としていろいろ世話をやいたということなのであろうか。これも何かの縁である。助手さんからも神戸のお土産ですと行ってクッキーをいただく。私はいつも人からもらってばかりで、恐縮するばかりである。

 そういえば、尖閣諸島の事件が一月早かったら、わたしたちの中国でのシンポジウムはなかったろう。危ないところであった。中国は、まだまだ、文化や経済の交流が政治によって直接コントロールされる国なのだ、ということを実感。もう大国なのだから品位ある行動をすべきだと思うのだが、それにはまだ時間がかかりそうである。

 運営委員会では、古代特集の企画の案がいろいろとたたかれ、なかなか決まらなかった。近代から古代までの研究者が集まっている学会なので、テーマを出すと他の時代の研究者からいろいろと突っ込まれる。そのテーマによって読みがどう変わるのかとまで言われる。毎年のように、新しく読みが変わるようなテーマなど出せる訳がないが、批判する方はそこは気楽である。テーマを考えるというのはとにかく大変なことである。

 今日(水)は、午後の授業。民俗学である。憑依の文化論というタイトルでシャーマニズムに関する授業。最初でちょっと力が入って、やはり疲れた。

 紀要論文を何とか書き上げた。50枚前後になった。もっとも、作品の引用が多いので、それほど長い論ではない。神隠し譚を扱った。神隠し譚のいろいろのパターンを集めてみると、結局、この世から出離することの痛切な感情や、あの世の存在になってしまうものに対するこちら側の畏れ、とかが、描かれていることがわかる。

 神隠し譚は断片的な話だが、それを集めてみると、この世から離脱しあの世の存在になってしまうまでの境界状態における人間の様々な葛藤といったものが描かれている。たとえば、それは、古事記神話の黄泉国訪問神話と同じなのである。

 イザナミは夫イザナキとの別れに葛藤する。が、あの世にの存在になってしまうと、今度はイザナキがイザナミを恐れる。遠野物語の神隠し譚は、このストーリーを切れ切れながらも描いているのである。それを遠野物語の物語性として論じてみた。

      人の縁阿波の酢橘をもらいけり

セカイ系を読む2010/09/26 23:24

 たまたま金曜日に雑用があって出校。帰ろうとしたら知り合いのOさんから電話。近くまで来ているので寄るからという。学校の近くで待ち合わせ、神保町のランチョンに行く。彼には、以前、漢字を学ぶという講座を持ってもらっていた。最近会っていないので、何やっているのとい話にっなった。彼は自由人で、あちこちと面白そうなことがあれが首を突っ込んでいる。未だに何で食べているのか良くわからない人である。

 一時間ほど話をして別れ、神保町の地下鉄に向かって歩き出したら、古代の学会の重鎮Tさんに声をかけられる。今日はなんと偶然が多いのだ。これから、國學院に授業に行くという。それじゃというので、半蔵門線で表参道までご一緒した。表参道から歩いて國學院まで行くという。

 昨日の土曜は、奥さんと中目黒の岩茶房という店に行った。京都の研究者Mさんの紹介で、中国の岩茶を専門に飲ませてくれる茶房があるから是非一度行ったらいいとすすめられたのである。中目黒の駅から歩いて五分くらい。静かな住宅街にあって民家の一階を店にしている。中華のお昼も食べられる。麻婆豆腐を頼んだが、自家製の材料でなかなかおいしかった。おすすめの岩茶を飲み、中国茶を味わって帰ってきた。静かに中国茶を味わい人にはお勧めの店です。http://www.gancha-bou.co.jp/

 帰りに携帯を新しい機種に変えた。何でも今の機種は来年使えなくなるので買い換えなきゃならないらしく、仕方なしに成城の駅前の店で買い換えることにした。あまり多機能でも使わないので安いのでいいと言ったのだが、ただ、中国で使うので、グローバルパスポートがいいというと、安いのはないという。仕方なく、テレビを見られるというのに換えた。

 この二日間で、セカイ系の代表作「最終兵器彼女」(マンガ7巻)と「イリヤの空UFOの夏」(小説4巻)を読む。それからアニメで「ほしのこえ」を観る。基本的にみんな同じである。女子高生(イリヤは中学生)が地球の危機を救うために戦うという設定は同じ。同級生の男の子と恋愛関係にあり、戦う兵器にされ人間性を失いかけるところを、男の子との恋愛でいやしてもらうという設定である。男の子は戦闘から排除され、少女が戦うことの理不尽さを訴えたりそれに耐えるだけである。

 エヴァンゲリオンで使徒と戦う少女が日常の学生生活に戻って自分を取り戻す設定というように言えば分かりやすいだろう。いずれもエヴァンゲリオンの影響を受け、ポストエヴァと呼ばれる作品で、だいたい2000年代初めの作品である。

 なかなか面白かった。何故戦争が起こったのか敵がなんなのかはどの作品でも描かれないのはエヴァと同じだか、戦う兵士にとって戦争は運命であり、死ぬか生きるかでしかない。そこから救われるのは私的な恋愛でしかないという絶望感がよく描かれている。

 ただ、問題はそれを演じるのが兵器となった少女と、その少女の人間性を回復させようとする男の子であるということだ。こ少年少女が世界の中心に位置するのは特にSF日本アニメの基本イメージであり、アニメの世界観を構成していると言ってもいい。特にエヴァ以降はその役割が少女に傾いた。これはどういうことだろう。色んな解釈が可能だろう。地球の危機と闘う少女は突然神の啓示を受けたジャンヌダルクであり、自分の彼女でいるときは、男の子の理想である従順な女の子であるということである。そのギャップのドキドキ感と、その両方に自分だけが関わっている(あるいは所有する)というおたく系の男の子の密かな満足(願望)がかなり入っている、というのは言える。

 セカイ系を勉強し始めたばかりだが、少しわかってきたような気がする。  

蝶蝶が飛んでいかぬか秋の海