田中一村展2010/09/21 00:08

昨日NHKの美術番組で田中一村の特集をやっていた。田中一村については以前から興味があったのだが、なかなか面白かった。今まで、奄美大島で人と接触せずに孤高の絵描きとして人生を送った(そんなに孤高でもなく奄美の人と結構つきあいがあって頼まれてはアルバイトで肖像画も描いていた)。没後脚光を浴びて、日本のゴーギャンとして有名になった、ということくらいしか知識がなく、絵についても、奄美大島で描いたいた晩年の絵を漠然と記憶しているだけであった。

 が、特集でその人生や、奄美大島で過ごした様子などがよくわかった。1908年栃木氏生まれで、七歳ですでに南画をものにしプロの絵描きとして登場する。まさに天才である。芸大の日本画科に入るが二ヶ月半で退学。動機に東山魁夷がいる。すでにその頃彼は南画や日本画で収入を得るプロであったらしく、退学したのは家の事情らしい。

 戦後、院展に応募するがことごとく落選。何でとおもうが、幼い時からプロの絵描きとして、何でもうまく描いてしまう技術をもっていて、その器用さがわざわいしたのだと思われる。

 自信作が院展に落選したのをきっかけに、奄美大島に移住を決意。五十近くのことである。奄美大島に移住してからは、染色工として働きながら、島の神秘な動植物を描き始める。それはうまいというのを通り越して、シュールで神秘で、宗教画のような感じのものである。1977年に亡くなるが、何故無名で居たのかそのことが不思議なくらいである。

 今日、奥さんと千葉市美術館に早速田中一村の展覧会を観に行った。美術館は満員であった。やはり昨日NHKで特集したせいだ。年寄りが多いというのは、どこの美術館でも同じだが。

 幼い時の絵から、奄美大島の絵まで約250点が展示されていて、なかなか見応えのある展示であった。田中一村の仕事が全部展示されていたといってもいい。千葉市に住んでいた頃は、地域の素封家に頼まれてふすま絵などを書いて生計を立てていたらしい。そのふすま絵まで展示してある。

 最後の展示室に、傑作である奄美時代の絵がある。これはテレビでも絶賛していた絵で、さすがにすごい人だかりであった。二時間近く美術館をめぐってきて、最後に此の絵にたどりつく。観客はここで疲れを忘れる。うまい演出である。「不食芋と蘇鉄」(http://www.ccma-net.jp/exhibition_01.html)は生と死の循環を、奄美の聖所からの視座で描いたという。土地の写真家がこの絵をみたら身体が震えて鳥肌がたったと語っていた。

 美術館に行ったのは久しぶりだが、行ったかいがあった。無名で孤高の画家の人生とその奇跡のような絵を味わうことができた。めったにない経験である。

                       秋の空孤高の画家の絵の如く