善徳女王2010/05/28 00:20

 梅原翁の書評を書き終え新聞社に送る。短い書評だが、けっこう難しかった。さすがに説得力のある文章で自説をぐいぐいと語るのだが、その論拠はそれほど確かなものではない。歴史上の新説というのは、考古学上の発見がない限りは、だいたいが状況証拠を重ねての推論で、どこかで大胆に飛躍する。この本も同じであるが、でも、歴史研究者の本ではないので、そんなことは読者もわかっていて、むしろ、その飛躍をたのしむというところもある。そこまで読者から受け入れられるのは、著者が大家であるからである。大家とは、何を語っても読者が許してくれる人だ。そういう人の本の書評は難しい。まともに本当かどうかと批判するのは野暮だからだ。むしろ、そういう自説を執念を持って追いかける著者自身のルポルタージュとして読むべきだ、というのが、私の書評の姿勢である。

 昨日今日と今度は学会の大会ポスターの発送作業である。先週印刷を頼み、今日出来上がる。授業と会議の合間に封筒に入れる作業で夕方に。そうだ、今日は7時から「善徳女王」がある。それに間に合うように帰らねば、ということで封筒に入れる作業を、E君に託して帰る。

 韓流時代劇は最近「善徳女王」にはまっている。新羅の実在の女王の話であるが、いつものようにほんとかいなと思うような筋書きで、はらはらさせながら引っ張っていくのはさすがである。王に双子の女の子が生まれる。王の血筋を絶やす不吉な出来事として一人は侍女に託して捨て子にしてしまう。敵対する悪女のミシル(この悪役がたまりません)は持ち去られた王女を追いかける。捨てられた女の子は、侍女を母親として育ち、ミシルの追っ手に捕まりそうになるが、逃れて、新羅へ戻ってくる。なんと、男の子として、しかも、新羅で花郎という兵士になるのである。

 そこからいろいろあって、男装が最後にばれて、もう一人の双子の王女と仲良くなって、そして、王女がミシルに殺され、主人公は自分が王女になる決意をする。王女となった主人公はミシルと対決していく、というストーリーである。ある意味で奇想天外なのに、引き込まれるのは、テンポのよさもさることながら、いろんな登場人物たちが複雑に絡まり合い、一回見逃すと敵と味方逆転したり、関係なかったはずのものが意外な関係だったり、とにかく、めまぐるしいのだ。

 今私が唯一テレビの時間に帰らなきゃと思う番組である。だけどいつも帰れないのだが。今日は何とか間に合った。今日も意外なことが明らかに。主人公(トンマン)を助けたあの不良青年が実は、あの人の捨て子だった…。ここまで引っ張ってきて、また話をややこしくする。いかにも韓流ドラマの手口である。

 書評が終わったので、今度は今週末までに短歌時評を書いて、そして、来週からは、「七五調のアジア」の原稿、御柱シンポジウムの原稿、夏の雲南のシンポジウムの原稿と、書かなきゃならない。これはもうアルコールは飲めないなと覚悟している。

                          韓流のドラマ終わりて新茶飲む