いよいよ連休2010/05/01 00:53

 29日は授業だったが30日は学校は休み。ということで、長い連休に入る。1日は勤め先で学会のシンポジウム。といっても、今度は私はパネラーではなく、準備を手伝うだけ。気が楽である。

 連休は山小屋に行き、御柱の里曳きを見る予定。書かなきゃならない原稿もあるにはあるが、連休は構想をねるくらいになるだろう。去年は柳田国男の論文を確か書いていた気がするが、毎年、何かしら原稿を抱えている。悪いことではないが、書きすぎている気がしないではない。人にも言われていることだが、もう少し自分のテーマをじっくりと熟成させないと。というわけで今年は紀要論文を書くことにした。紀要論文は、依頼ではないので自分の好きなテーマで、枚数もあんまり気にせずに書けるところがいい。

 ただ、夏には、雲南省で神話のシンポジウムがありそこでも発表しなくてはならない。その原稿を夏までに書くのと、「七五調のアジア」の原稿、御柱のシンポジウムの原稿と、結局、もろもろ併せると、今年も論を四・五本書くことになりそうだ。やっぱり書きすぎである。

 去年の連休は柳田関係の本をたくさん山小屋に持っていった。去年のブログを読むと、連休をはさんで原稿を50枚書いている。去年は大変だったのだ。それから、新型インフルエンザで、学校がいつ閉鎖されるかわからない状況だった。そういえば、閉鎖になったとき、学会の大会の会場をどうするのか、というので近くの教育会館を借りたのを思い出した。結局、余分な心配だったがおかげで会場費を余分に払ってしまった。今年は、インフルエンザ騒ぎもないし、穏やかな連休になりそうである。

 去年の学会で出会った大学院生が、貴州省のプイ族の調査をしていて、男女がそれぞれ30分もの歌を交互に歌って掛け合いをするという話をしていて、それに驚いたと去年のブログに書いたが、実は、その大学院生の調査の発表を今度の6月の学会の大会にやる。こんど発表してよと去年頼んで、やっと発表にこぎ着けたというわけだ。普通歌のやりとりは、短歌謡の掛け合いが普通だから、数分で終わる。ところが一人30分も歌う場合があり、それが掛け合いになるのだというから、これは新しい掛け合い歌の報告になる。歌垣とはこういうものだという概念はいつもこうやって覆される。だから、おもしろいと言えるのだが。

 明日、学会のシンポジウムが終わって、懇親会に出て、夜遅く帰ってから山小屋に出かけるつもりである。夜中に出発するのは、高速道路の渋滞に会わないためである。

                          遠来の客も帰りぬ春深し

御柱に参加2010/05/05 10:48

 連休は山小屋で、というのは例年どおりだが、今年は御柱がある。山小屋のある別荘地は定住組が結構いて、一応北山地区の氏子ということになっている。北山は、本宮の四の柱が担当で、その柱を曳きに行っている人も多い。私たちは、上社の本宮の建て御柱に参加することにした。

 午後にたてるということなので、昼過ぎに出かけたのだが、まず駐車場が遠くて、本宮に20分ほど歩く。暑くてさすがに参った。本宮の四の柱は、神社の裏山に立てる。この場所は、一般の見物人は入れない。社務所の脇の階段を上っていくのだが、警備が出入りをチェックしていて、私たちはだめと言われた。北山の氏子ですと言っても、法被を着ていないので許してくれない。それで、中に入ってる知り合いに電話して、確認をとってもらうなどして何とか入れてもらえた。裏山は、確かにきつい斜面が多く、氏子以外の人が入ると危険ということなのだろう。逆に見物人が少ないので、じっくりと見ることができる。

 私は一の柱を見にきたのだが、知り合いがみんな四の柱の所にいるというので、四の柱を見ることになった。山から柱を大勢で曳いてきて、今日ここに立ててこの祭りが終わる。考えて見れば、とても単純で、大がかりな祭りである。とにかく人がいないと成立しない祭りだ。戦国時代、柱の曳きてである人たちが戦争にかり出され祭りができなくなるということがあり、戦争を中止して戻ってきたという話があるそうだ。

 木遣りや、ラッパをふきならず楽隊も、戦争の進軍とよく似ている。基本は同じであろう。巨大な柱を曳き、それを立てるのだから、統制がとれていないと動かないしけが人もでる。一方、上品に曳いていたら柱は動かない。共同体の秩序と普段共同体から外れそうな荒ぶる連中がうまく一体化しなければならない。ある意味では、祭りとは、そうやって、共同体を活性化していく。その機能がこの祭りにはよく現れている。

 柱の上に若い者が鈴なりに乗り、柱はワイヤーで徐々にあげられていく。柱には足場が着いているので人は落ちることはない。垂直に立つと、中金子村の人たちがやってきて、柱の根本を固める神事を行う。これは中金子村衆の仕事である。

 柱が立って、神事が終わると、垂れ幕が掲げられ、フィナーレとなる。御柱の演歌が大ボリュームで流されたのには笑ってしまった。餅や景品が氏子の人たちにばらまかれて終わる。私は餅を拾うことができた。

 シンポジウムでは、聖樹信仰についてかなり話をした。柱は聖樹の変化した姿だが、山から切り離され里に引き出されるということは、実は山の神にとってはそれは不本意なはずだ。その不本意さをどう解決しているのか、というテーマでもあった。

 御柱の壮大な行列と群衆の力は、ある意味で、山の神への威嚇ではないか。むろん、山の神とのつながりを失っているわけではない。それを引きずりながら、山の神を従える、人の力の顕示、そこに、この祭りの意義があるようにも感じる。七年に一度繰り返すのは、そうしないと山の神に負けてしまうからである。コンクリートの柱を立てないのは、自然と断絶していないことを確認するためであり、自然に負けていないことを示すためであろう。その意味では、縄文以来の人と自然のつきあい方が、ここにはまだ残っている、ということなのではないか。

                         御柱名残惜しげな山の神

下社の御柱で死者が…2010/05/08 23:55

 週末は再び山小屋へ。下社の御柱を見るためである。今日から下社の里曳きで、明日は帰るので今日見に行った。今日は春宮の境内に向かっての木落しと、春宮の建て御柱である。昼前に春宮に着いたが、すごい人で、境内には入れなった。今回の御柱は、入場制限が厳しく、警備がかなり厳重である。境内から木落としを見ようと思っていたが断念。中山道側に上がって、境内の坂上まで曳いてくる御柱を見に行く。

 春宮の一の御柱がちょうど木落としの最中で、二、三、四は中山道で待機中である。秋宮の四本の柱もその後に続いていた。木を落とす上の方も氏子以外は入れないように制限していた。何とか回り込んで、春の二の柱が坂から落ちるところを柱の後ろの方から見ることができた。少しづつ、柱が坂の上にせり出していき、瞬間、柱の後ろの部分が高く跳ね上がり、そのまま前へ滑り落ちて消えていった。ここの木落としは、山出しの木落としほどすごいものではないが、けっこう角度もあり、迫力はそれなりにある。

 下社の柱を担当する地区は順番で決まるということだ、上社は籤引きである。上社なら本宮の一の御柱、下社なら秋宮の一が一番大きい。従って、どこの地区も一の柱を曳きたがる。一番注目を浴びるから当然であろう。籤引きできまる上社は地区の総代が籤を引くが、これがまず大変なのである。一番目立たない柱、前宮の四を引いたら、その総代は地区の人たちから非難される。かつて四を引いたために総代が夜逃げしたという話を聞いた。今回も、四を引いた総代の家のガラスが割られたとかゴミを撒かれたという話が飛び交っている。

 下社の御柱の、春宮境内での木落としをとりあえず見ることができたので、これで帰ることにした。立て御柱を見たいが、とにかく境内に近づけないし、中に入れないのである。つまり、見ること自体が不可能だということがわかったので、あきらめて帰ることにした。

 ところが帰ってテレビをつけたら、春宮の一の御柱で二人の死者が出たという。私たちが見ようと思っていた建て御柱だった。柱を垂直に立てていったとき、支えていた一本のワイヤーが切れ、その振動で柱のてっぺん辺りに乗っていた何人かが落下したらしい。一番上に乗るのは名誉であり、命綱もつけない。最も危険な木落としで死者が出るのではなく、建て御柱で死者が出るとは…

 御柱のシンポジウムでは、アジアの御柱の儀礼では、柱に供物が捧げられるという話が出ていた。インドのある町の柱建てでは、近くを通った妊婦が犠牲となって神に捧げられたという。柱を神と見立てる儀礼は荒々しい祭りになる、というのは諏訪だけではないということだ。

 柱を立てるという儀礼は、神との関係がかなりダイレクトである、ということなのではないか、と思う。本来、神(自然)と人間の間には断絶がある。その断絶を克服するにはかなりの代償を人間の側が払う必要がある。それが供犠であると言えるだろう。つまり、神とダイレクトにつながろうとすればするほど、その代償もまた大きいということだ。

 死者がでたということにショックを受けたが(自分がそれを見ていたかもしれなかったし、危険だとわかってはいたが実際死者がでるとやはりショックである)、やはり御柱は、危険な祭りであるということが実感としてわかった。考えてみれば死と紙一重の場面が何度かある。死者がでないほうが不思議だという位の祭りなのである。が、その危険さもまた神とつながるための贖いの一つなのであろう。安全な御柱祭りは、神へのつながりを遠ざけるということなのかもしれない。

                           御柱老若男女の声響く

ツェねずみ2010/05/12 11:05

 歯の治療中ということもあってアルコールの飲めない状態が続いているのだが、もともとそんなに飲めるわけではないので、そのことが苦痛というわけではない。むしろ、からだにはいいのかもしれない。ただ、歯の方は深刻で、たぶん20年以上も前に治療し金属をかぶせた歯の根本が炎症を起こした。医者の話では、神経の管をきちんと除去していなかったのでそこに菌がはいりこんで炎症を起こしたのではないかという。治療法は、抗生物質か、それで効かなければ抜いた方がいいという。また歯が一本消えていくというわけだ。こうやって確実に年寄りになっていくわけだが、今はインプラントもあり、抵抗の術はある。ただ金がかかるが。

 連休も終わり授業や研究にと集中しなければならないところである。『七五調のアジア』の原稿が集まり始めている。ただ、一般向けのわかりやすいという目論見とは大分違ってきている。それが不安ではある。考えてみれば、一般向けというのはなかなか難しい。書き手は研究者だから、論理的であることや資料を通して論じることが染みついている。つまり分かりやすく論じることを優先させることに慣れていない。私は、評論も書いているので、分かりやすく論じることは慣れているが、なかなか研究者にそれを要求するのは難しい。集まってきだ原稿を読んでそれを痛感した。レベルの高さをアピールして、何とか刊行できるようにしていくしかないだろう。売れなくても刊行する価値のある本だというところまで持って行ければいいのである。むろん、売れればそれにこしたことはないのだが。

 問題は冒頭のまとめの文章をこれから書かなきゃいけないことだ。連休中に書き始める予定だったが、やはり御柱を観に行ったりしてそんな暇がなかった。時間がうまくとれればこの仕事はそんなに問題ではない。ただ、問題なのは、次に控えている。夏に雲南省で兄妹始祖神話に関するシンポジウムが控えている。わが学会と共催で、それに出席して発表もしなくてはならない。何を発表するのか、これが問題なのである。少なくとも6月末には概要を書かなきゃならない。アイデアはないことはないのだが、それを調べてまとめるには時間が足りないがそんなことも言っていられない。文科長でなくてほんとによかったと今思っている。

 火曜日の授業は朝1限で、9時からである。1年生対象のゼミで、「宮沢賢治」を読んでいる。集英社文庫の『注文の多い料理店』を読んでいるのだが、ここにでで来る話は、どうも情けない奴とかどうしようもない奴が主人公の話ばかりで、つまり、宮沢賢治の皮肉や悪意が感じ取れる話ばかりで、最初は選んで後悔した。編集は安藤恭子で非常勤で来ていただいた先生である。あえてそういう作品を選んだと書いている。例えば「ツェねずみ」は、みんなに親切にしてもらうのだが、うまくいかないと親切にしたもののせいにして「償ってください」としつこく繰り返す。それでだんだんと友達を失っていく。最後に、みんなに嫌われ者のねずみ取りに親切にされ、罠のえさを食べさせてもらえる。親切でやっているので、罠にかかるわけではない。ところが、ある時そのえさが半分傷んでいたので、ねずみは、ねずみ取りに文句を言った。ねずみ取りは抗議されて怒ってしまいその拍子に、ねずみ取りの蓋が閉まってしまった。ねずみはあえなく最後となつたのである。

 みんなで朗読して話し合うのだが、むしろ、こういう皮肉なやや暗い話の方が意見を言いやすいことがわかった。こういう奴いる、というように言えるからでもあろう。ツェねずみはクレーマーだということになったが、一番かわいそうなのではないか、案外素直かも、という意見もでた。例えば他のねずみは嫌われ者のねずみ取りには近づかない。が、ツェねずみだけは、警戒することもなく平気で近づく。疑うことをしない。とりあえず相手に依存して、うまくいかなかったら相手のせいにするという生き方をしてきたからである。ひとをだまして最後にしっぺ返しをくらうという生き方とは違うのである。意見を言い合いながら、ツェねずみのそういうところが見えてきた。実は、このねずみ、反転すれば、宮沢賢治なのかもしれない。宮沢賢治は、いつも相手の立場に立つ。これは依存することと裏表である。そして矛盾が起これば自分のせいにする。これも他人のせいにすることと裏表である。そこまで展開するのは、まだまだ先のことではあるが、こういうちょっと悪意のある童話のほうが面白いということがわかってきた。
  
五月みんな宮沢賢治に出会う

アバターを観る2010/05/17 00:28

 今週の土日は奈良で上代の学会の大会なのだが、今年は、学生を連れて歴博見学の日程を入れてしまったために、いかないこととなった。というわけで、土曜は一日家で仕事。「五七調のアジア」の論など読みながら、構想をねっていた。

 日曜は歴博。暑い日である。朝家を出てから帽子をもってこなかったことに気づいた。京成佐倉の駅から歴博まで歩いて行くので、帽子が必要だなあと思ったが引き返すのも面倒だ。学生との待ち合わせは日暮里なので、御徒町で電車を降り、上野のアメ横をぶらついて帽子を買うことにした。朝早かったが、さすがにアメ横、安く帽子が買えた。京成上野で電車に乗り、日暮里へ。毎年この時期に日暮里で集合して佐倉に行くのだが、京成の日暮里に降りたら、どうもホームが見慣れない。こんな駅ではなかったはずだか、とJRの乗り換え改札口まで行くと、いやはや、駅がかなり変わってしまっていて驚いた。

 去年工事をやっていたことは知っていたが、こんなになるとは。乗り換え改札口が二階だとすると、一階が上りのホームで、下りが三階のホームになっている。乗り換え改札口のJR側は、駅ナカ商店街になっている。こんなに変わっていることを学生に言ってなかったので、集合場所がわかるだろうかと不安になったが、何人かが手を振ってれたので安堵した。今年も、何とか歴博見学イベントは出来そうである。ただ、いつも終わった後で食事会をしているのだが、今年は、希望者が少なく断念。まあ仕方がない。夕方バイトという学生もいる。前期の終わりにでも打ち上げの食事会をしようということにした。

 歴博も1年ぶりだが、けっこうリニューアルされていた。今まで近代の展示室で終わっていたが、新しく現代の展示室が出来た。第二次世界大戦や戦後の世相などがけっこう詳しく展示してある。戦争の展示はイデオロギーが入りやすく国立としては難しかった思うが、なかなか客観的になるように工夫してあった。戦後に出来た団地の一室が再現されていたり、ゴジラの人形が展示されていたり、それなりに楽しめた。

 われわれが重点的に見るのは、異界をテーマにしている第四展示室で民俗の展示室である。ここも毎年見ているがそろそろ飽きてきたので、リニューアルして欲しいものである。特に都市の展示が大分古くなっている。都会の異界は時代とともに変化している。展示も変化させるべきだろう。ちなみに、アメ横で買った帽子はとても役に立った。12名のゼミで9名が参加。まあまあである。みんなけっこう夢中になって見ていたので、充実した一日になったろうと思う。

 さすがにくたくたになって帰ってきた。仕事をする気力無く借りてきたDVDを観る。「アバター」である。3Dで観るべきなのだろうが、映画館に行く暇もないので、どんなものなのかとりあえず借りてきたのである。

 すでに評されているようにテーマもストーリーも古典的だ。自然を破壊する文明人と先住民の抗争に、自らの非を悟った一部の文明人が先住民に荷担するというもの。おもしろさは、現実の先住民に、バーチャル世界のアバターを潜り込ませるという発想であろう。つまり、架空のバーチャルレベルでのこちらの現実と向こうという区分を無くして、本来ならバーチャル上のアバターなのに、そのアバターを現実の側に実体化したということだ。この設定どこかで観たことがあるなあと思ったが、よく考えたら「マトリックス」がそうだ。キアヌ・リーブス演じるマトリクスの主人公もまた、バーチャルの世界とこちら側とを行き来していた。ただ映画「アバター」は、現実の世界のアバターと、現実の操作者のあいだを行ったり来たりするというものだ。

 この設定斬新だとは思うが、アバターの操作者がこちら側の世界に戻ると、アバターがへなへなと崩れ落ちる。これじゃ、脱ぎ捨てられたぬいぐるみか燃料の切れたロボットみたいで、思わず笑ってしまった。もう少し何とかならんかったのか。

 まあそれでも、物語の「期待の地平」は裏切っていないし、ハリウッド映画らしく、死ぬ奴はやっぱりなと思うやつが死んで、死んじゃいけないのがちゃんと生き残る。うまく出来ている。3時間の長い映画だったが飽きることはなかった。

                           夏めく日軽き帽子を求めけり

ノンアルコールビール2010/05/23 18:38

 この一週間はきつかった。月曜から土曜まで出校。授業がない金曜、土曜は、学会の大会案内の発送作業。土曜はそれに研究会。しかも、金曜日には歯を抜いた。根のところが化膿していたところで、いつまでも放置しておけないというので、決断した。

 金曜は歯を抜いて、まだ口内から出血している状態で、発送作業をし。5時からは別の学会の運営委員会。特集号のテーマについて討議。どういうわけか私がとりまとめ役になり、私がテーマを出すはめに。一番年配だということが一つの理由だが、この学会の運営委員をわたしは十年以上も前にやったのだが、今回は、もう私より年配の運営委員は誰もいない。寂しいというより、引き受けるんじゃなかったと後悔している。

 私が書いたテーマ案はかなり批判され、いささか腹が立ったが、まあしかたがないと我慢。批判の理由は、権力への言及がないとか、批判精神が欠如しているとか、テーマの政治性を巡るものだった。この学会時々こういう意見が飛び交うところで、私は、そんな安易な発想はしたくないと反論したが、とりあえず、そういう意見も考慮するということで矛を収めた。テーマ案の文章自体がよく練られていなかったのは確かで、いずれにしろ書き直すべきだとは私も思っていた。

 土曜は、午前中歯医者へ行き、午後は研究会。久しぶりに飲み会につきあい遅く帰る。むろん、私はアルコール抜き。というより、ここしばらくアルコールを飲んでいない。断ったわけではないが、歯の根が化膿していたので飲めなかっただけだ。抜いたのでしばらくしたら飲めると思うが、この習慣しばらくつづけようと思っている。もともとそんなに強いわけではなく、飲んでしまうと疲れが出て仕事が出来ない。ここんところ、アルコール0.00%(最近のノンアルコールはみなこの表示だ。0%じゃだめらしい)のキリンフリーばかり飲んでいて、酔わないから仕事が少しははかどった。それで、キリンフリーをしばらく飲むことにした。

 ノンアルコールのビールを飲み比べてみたが、やはりキリンフリーが一番それなりにおいしい。売れているのもよくわかる。ただ、アルコールやめて、仕事ばかりしていたら結果的に寿命を縮めるだけという気もするが。

 梅原猛『葬られた王朝』読了。実は、この本の書評を頼まれた。なんで私がと思ったが、頼んできたのは知り合いで、誰に書評してもらうか困っていたらしい。どういうわけか私に白羽の矢が立ったというわけだが、頼んだ彼も恐縮していた。つまり、書評しづらい本だということだ。学術系の本ではない。かといって、フィクションで書いているわけでなく、梅原猛はそれなりの確信を持って説いている。

 その説とは、大筋を言えば、出雲王朝が存在したこと。その王朝を大和王朝が滅ぼし、記紀は出雲王朝を滅ぼした大和王朝の鎮魂の書で、藤原不比等が中心に編纂した、ということである。鎮魂という視点は、いかにも梅原らしい読み方である。かつて梅原猛は「神々の流竄」で、出雲王朝は存在せず、出雲神話は大和王朝の話を仮託したものだと書いた。が、その後、出雲から銅鐸や矛などが大量に出土し、自分の考えが誤っていたことを反省し、出雲王朝は存在し、大和王朝に滅ぼされたオオクニヌシの顕彰のためにこの本を書いた、と述べている。御年85歳になる氏のそのエネルギーにはほんとに頭が下がる。

 言わば梅原猛の独特の歴史物語だと言ってもいいだろう。そのことを史実だとか史実でないと批判することは無粋というものである。読んでいて面白いことは面白かった。とにかく素直にその面白さを伝える書評であればいいのではないか。そう思うことにした。後は、文体の問題だけである。一応某新聞に掲載されるので、いい加減には書けない。気軽に引き受けたものの、なかなかこれは大変だぞ、というのが今の心境である。いつも引き受けてから後悔する。

                       たそがれの五月雨や烏鳴く

善徳女王2010/05/28 00:20

 梅原翁の書評を書き終え新聞社に送る。短い書評だが、けっこう難しかった。さすがに説得力のある文章で自説をぐいぐいと語るのだが、その論拠はそれほど確かなものではない。歴史上の新説というのは、考古学上の発見がない限りは、だいたいが状況証拠を重ねての推論で、どこかで大胆に飛躍する。この本も同じであるが、でも、歴史研究者の本ではないので、そんなことは読者もわかっていて、むしろ、その飛躍をたのしむというところもある。そこまで読者から受け入れられるのは、著者が大家であるからである。大家とは、何を語っても読者が許してくれる人だ。そういう人の本の書評は難しい。まともに本当かどうかと批判するのは野暮だからだ。むしろ、そういう自説を執念を持って追いかける著者自身のルポルタージュとして読むべきだ、というのが、私の書評の姿勢である。

 昨日今日と今度は学会の大会ポスターの発送作業である。先週印刷を頼み、今日出来上がる。授業と会議の合間に封筒に入れる作業で夕方に。そうだ、今日は7時から「善徳女王」がある。それに間に合うように帰らねば、ということで封筒に入れる作業を、E君に託して帰る。

 韓流時代劇は最近「善徳女王」にはまっている。新羅の実在の女王の話であるが、いつものようにほんとかいなと思うような筋書きで、はらはらさせながら引っ張っていくのはさすがである。王に双子の女の子が生まれる。王の血筋を絶やす不吉な出来事として一人は侍女に託して捨て子にしてしまう。敵対する悪女のミシル(この悪役がたまりません)は持ち去られた王女を追いかける。捨てられた女の子は、侍女を母親として育ち、ミシルの追っ手に捕まりそうになるが、逃れて、新羅へ戻ってくる。なんと、男の子として、しかも、新羅で花郎という兵士になるのである。

 そこからいろいろあって、男装が最後にばれて、もう一人の双子の王女と仲良くなって、そして、王女がミシルに殺され、主人公は自分が王女になる決意をする。王女となった主人公はミシルと対決していく、というストーリーである。ある意味で奇想天外なのに、引き込まれるのは、テンポのよさもさることながら、いろんな登場人物たちが複雑に絡まり合い、一回見逃すと敵と味方逆転したり、関係なかったはずのものが意外な関係だったり、とにかく、めまぐるしいのだ。

 今私が唯一テレビの時間に帰らなきゃと思う番組である。だけどいつも帰れないのだが。今日は何とか間に合った。今日も意外なことが明らかに。主人公(トンマン)を助けたあの不良青年が実は、あの人の捨て子だった…。ここまで引っ張ってきて、また話をややこしくする。いかにも韓流ドラマの手口である。

 書評が終わったので、今度は今週末までに短歌時評を書いて、そして、来週からは、「七五調のアジア」の原稿、御柱シンポジウムの原稿、夏の雲南のシンポジウムの原稿と、書かなきゃならない。これはもうアルコールは飲めないなと覚悟している。

                          韓流のドラマ終わりて新茶飲む