下社の御柱で死者が…2010/05/08 23:55

 週末は再び山小屋へ。下社の御柱を見るためである。今日から下社の里曳きで、明日は帰るので今日見に行った。今日は春宮の境内に向かっての木落しと、春宮の建て御柱である。昼前に春宮に着いたが、すごい人で、境内には入れなった。今回の御柱は、入場制限が厳しく、警備がかなり厳重である。境内から木落としを見ようと思っていたが断念。中山道側に上がって、境内の坂上まで曳いてくる御柱を見に行く。

 春宮の一の御柱がちょうど木落としの最中で、二、三、四は中山道で待機中である。秋宮の四本の柱もその後に続いていた。木を落とす上の方も氏子以外は入れないように制限していた。何とか回り込んで、春の二の柱が坂から落ちるところを柱の後ろの方から見ることができた。少しづつ、柱が坂の上にせり出していき、瞬間、柱の後ろの部分が高く跳ね上がり、そのまま前へ滑り落ちて消えていった。ここの木落としは、山出しの木落としほどすごいものではないが、けっこう角度もあり、迫力はそれなりにある。

 下社の柱を担当する地区は順番で決まるということだ、上社は籤引きである。上社なら本宮の一の御柱、下社なら秋宮の一が一番大きい。従って、どこの地区も一の柱を曳きたがる。一番注目を浴びるから当然であろう。籤引きできまる上社は地区の総代が籤を引くが、これがまず大変なのである。一番目立たない柱、前宮の四を引いたら、その総代は地区の人たちから非難される。かつて四を引いたために総代が夜逃げしたという話を聞いた。今回も、四を引いた総代の家のガラスが割られたとかゴミを撒かれたという話が飛び交っている。

 下社の御柱の、春宮境内での木落としをとりあえず見ることができたので、これで帰ることにした。立て御柱を見たいが、とにかく境内に近づけないし、中に入れないのである。つまり、見ること自体が不可能だということがわかったので、あきらめて帰ることにした。

 ところが帰ってテレビをつけたら、春宮の一の御柱で二人の死者が出たという。私たちが見ようと思っていた建て御柱だった。柱を垂直に立てていったとき、支えていた一本のワイヤーが切れ、その振動で柱のてっぺん辺りに乗っていた何人かが落下したらしい。一番上に乗るのは名誉であり、命綱もつけない。最も危険な木落としで死者が出るのではなく、建て御柱で死者が出るとは…

 御柱のシンポジウムでは、アジアの御柱の儀礼では、柱に供物が捧げられるという話が出ていた。インドのある町の柱建てでは、近くを通った妊婦が犠牲となって神に捧げられたという。柱を神と見立てる儀礼は荒々しい祭りになる、というのは諏訪だけではないということだ。

 柱を立てるという儀礼は、神との関係がかなりダイレクトである、ということなのではないか、と思う。本来、神(自然)と人間の間には断絶がある。その断絶を克服するにはかなりの代償を人間の側が払う必要がある。それが供犠であると言えるだろう。つまり、神とダイレクトにつながろうとすればするほど、その代償もまた大きいということだ。

 死者がでたということにショックを受けたが(自分がそれを見ていたかもしれなかったし、危険だとわかってはいたが実際死者がでるとやはりショックである)、やはり御柱は、危険な祭りであるということが実感としてわかった。考えてみれば死と紙一重の場面が何度かある。死者がでないほうが不思議だという位の祭りなのである。が、その危険さもまた神とつながるための贖いの一つなのであろう。安全な御柱祭りは、神へのつながりを遠ざけるということなのかもしれない。

                           御柱老若男女の声響く