せめて明るく2007/03/14 00:01

 昨日はB日程の入試で朝から一日仕事であった。短大はどこでも大変だが、おかげさまで私のところはそれなりに志願者がいるので、少しは倍率があり、不合格者を出さなくてはならない。定員の1.3倍をオーバーすると補助金を減らされるので、たくさん入れるわけにはいかない。入学試験とは誰かを落とすことを前提にしているのだから、不合格者には他所の大学に合格すること願うしかない。

 この時期の入試は、何処でもそうだが、他大学のA日程もしくは一次試験を受けて落ちた受験生がほとんどで、一応、最後の滑り止めとして受ける。要するに、第一志望で受ける受験生はほとんどいない。が、逆に、優秀な受験生も多い。ただしそういう人は、実力はあるが、受験に弱い人である。

 この時期の入試は面接があるので、会って話をすると、落ち込んで暗い顔をしている受験生が多い。面接なんだから嘘でも明るくふるまって欲しいのだが、どこか、自棄になっている気持ちが伝わってきてしまう。そりゃあ希望の大学に落ちたのだから、暗くなる気持ちは分からないではないが、人生いつもうまくいくわけではないし、とりあえず前向きに、という姿勢も大事だ。

 せめて面接試験の時ぐらいは、前向きであってほしいなあと思う。暗い顔と明るい顔の二人のどちらか一人を合格させなければならないとしたら、誰だって明るい方を選ぶ。むろん、暗い顔だって大事だ。明るいだけというのも困る。ただ、どう話かけていいのかわからないような暗さは、やっぱりまずいだろう。何かを秘めた暗さではなく、ただ後ろ向きなだけの暗さは困るのだ。

 今日は会議日。一日会議があって、少し早めに帰る。夕方6時に川越で、奥さんや友人等と待ち合わせ、川越のスペイン料理の店「スペイン市場」に行く。ここのオーナーは、スペインのパエリア世界大会とやらで連続優勝した人で、一時期テレビによく出ていた人だ。一人3千円ほどの手軽なコース料理だったが、量もあってなかなか美味しい。最後に出たパエリアはさすがにうまかった。

    三月や暦通りに淡々と

卒業式2007/03/16 00:57

15日
 今日は卒業式だ。天気は曇りだったが、本当のハレの一日であった。共立講堂での卒業式(学位授与式)は、短い式だが、こういう儀式はあってもいいといつも思う。壇上で学生の顔を見、なんとなく肩の荷が下りた気がするのは、それなりに教員らしくなってきたということか。

 今年は卒業生の謝辞で、総代として壇上で読み上げた学生が感極まって涙ぐんだ。こういう謝辞は初めてだ。たんなる形式的な儀礼だが、それでも涙ぐむ感性がまだ残されていることにちょっと感動した。ただ、後ろの会場の卒業生たちは、ええっ、何で泣いてんのー、てな調子でけっこうざわざわとしていたが。

 卒業証書を渡し、校舎の前でみんなで卒業写真を撮る。いつもの光景だ。合間合間に学生達と並んで写真を撮る。鬱病で卒業の危ぶまれた学生が、何とか卒業できて、とってもうれしそうにしていた。鬱病も治ったようだ。よかったよかった。一人ひとりいろいろある。4月になると、そういういろいろを忘れてしまう。そして、また新入生を迎えて、一人一人のいろいろに悩まされる。そういうことの繰り返しに少しは楽しいと思うことができれば教師としてやっていける。私は今のところかろうじてだが大丈夫そうだ。

 夜は、私たちの専攻の送別会。銀座にある和食の店に行く。ライオンビルにある和食の店で、雰囲気はよかった。高そうだけど。ここのところ疲れが溜まっているせいか酒が飲めない。ちょっと飲んだだけでふらふらになる。あまり飲まずに帰る。有楽町駅まで行き有楽町線で帰る。座れたので川越までほとんど熟睡した。 

    教室の扉を閉めて卒業す

14日 
 相変わらず会議。でも、平成18年度の教授会は今日で終わり。明日は、卒業式。明後日は、卒業パーティ。20日からは中国。休みはない。とにかく、今、万葉の歌の「心物対応構造」の検討作業をやっていて、これで毎日遅くなり睡眠時間がとれない。中国はたぶん調査というより休養にしたい。むろん、行ってしまったらそういうわけにはいかないだろうが。

 今日学会の連中が発送作業で私の職場に来た。午前中は手伝ったが、昼からは会議の連続で手伝えなかった。昼にタイ料理屋で昼飯とビールを飲んだらしい。うらやましい。こっちはローソンで買った弁当を10分で食べて昼食。

 入試もすべて終わって、合格者も決定して、後は新入生がくるのを待つばかり。ほんとは一年のなかでいつものんびりした期間なのだが、さすがに管理職の仕事と、原稿が集中したのと、学会事務と、これだけ重なると、めまぐるしい。

 ここのところ、風が強く寒くなってきた。桜の開花予想を間違ったといって気象庁が訂正。北では雪が舞う。

 帰りの電車でニューズウィーク日本版を読む。世界ではアキバ系が流行していて、「萌え」が有名になっているという。外国では、オタクは自己表現として市民権を得ているが、日本ではどちらかというと差別されていると書いてある。差別されたり、どこか危ういところがないと、文化は生まれないということだ。何となく、人と眼を会わさないで、早口で、うつむき加減で、太り気味で、そういうオタクの、情けなさが妄想と紙一重の想像力になる。文化とは面白いものだ。

   ものの芽の頭押さえる風強し

卒業パーティ2007/03/17 01:59


 今日は卒業パーティ。デイズニーシーのホテルミラコスタが会場。デイズニーランドにはまだ行ったことが無い。いつも卒業パーティでデイズニーのホテルに行くだけだ。といってもこれが二度目だが。

 デイズニーのホテルが卒業パーティや謝恩会に人気なのは、なんといってもミッキーマウスが会場に来てくれて一緒に写真に写ってくれるからだ。だから、この時期はあっちこっちの大学がディズニーのホテルで謝恩会を開くのである。

 ただ、ホテル側もこころえたもので、ある程度の人数でないとミッキーを出さない。その目安は60人だそうだ。つまり、60人集まらないとミッキーは来てくれないのだ。われわれの卒業パーティは実は集まらなかったのだが、そこはそれなりの上乗せがあって、何とか来てくれたというわけ。幹事のみなさんの苦労のおかげです。

 謝恩会というのは教師として重たすぎるから卒業パーティにして教員からも会費を取るようにしようと決め、何年かまえから卒業パーティという名前になって教員も会費を払って参加するようになった。ただ、自由参加だから、卒業の学生を集めるのはとても大変になる。毎年幹事役の学生が苦労する。でも、こういう企画を立ててみんなと協力しながら実現させていくのはいい勉強だ。世の中思うようにいかないことがわかるし、一生懸命やれば何とかなるということもわかる。

 ミッキーとミーニーちゃんのペアが会場に現れるとみんな盛り上がった。ホテル側の演出もなかなかうまい。いい卒業パーティになった。一人ちょっとお酒を飲んだら貧血気味になり転んでしまった娘がいて心配した。会場の外のいすで横になっていたが、会場で抽選が始まると我慢できなくて起き上がって復帰した。せっかくがんばってきたのに商品があたらなくて残念だった。でもよかったよかった。私も、仕事の帰り酒を飲むと帰りの電車で貧血気味になることがよくある。気をつけなきゃと思う。

 終わって、新宿に出る。新宿から特急梓に乗って茅野に向かうのだ。ところが、中央線が人身事故で遅れている。それでも20分遅れほどで茅野に着いた。さすがに寒い。テレビではホリエモンが実刑判決を受けたとのニュース。裁判官の心証が相当悪かったらしい。わかる気はする。でもホリエモンはそのままで行くしかないだろう。日興コーディアル証券の粉飾のほうが悪質と言われているのに誰も逮捕されていない。こっちのほうが権力に近いからだ。ホリエモンは権力に利用されるだけされて見せしめにされたというわけだ。

 マネーゲームの世界は、とても刺激的だが、空しさも想像以上だろう。諸行無常を悟ったのではないか。これからどうするのだろう。それが見物だ。

   春の日や諸行無常となりにけり

タラバガニを食う2007/03/18 23:39

 昨日今日と山小屋は寒かった。天気は良かったが、春はまだ遠いという感じだ。一週間前に降った雪が道路際にかなり残っていた。

 昨日今日と、万葉集歌の心物対応構造について考えをまとめるために、文章を書いてみた。4・5日前からの分をあわせて原稿用紙40枚分くらい書いたか。実際に論文にするわけではないが、書いてみると、細かな分析や論理の筋道がいろいろと見えてくる。何かを考え始めるととにかく書いてみる。いつもそうやって考える。

 お蔭で、原稿を書くのはとても速くなった。考えてそれを言葉にするスピードがたぶん人より速いためだ。これは訓練のおかげである。ただし、緻密な論理構成になりにくいのが欠点。考えるスピードと書くスピードが近づくと、ほとんど頭で会話していることを書いていることに等しくなる。

 会話というのは、論理構成をあまり考えない。直感で思い浮かんだことをしゃべるものだ。従って、同じことを繰り返したり、途中で論旨が変わってしまったりと、そういうことがよくある。だから、何度も読み返して書き換えないと論にならない。結局は時間がかかるというわけだ。

 昨日は蓼科ビレッジの知人が函館でタラバガニを買ってきたというので、そのご相伴にあずかる。タラバガニをたらふく食べた。原稿書いて運動せずにカニを喰うとは、通風やコレステロール過多に最悪である。

 昨日今日とへとへとになるくらい原講を書きながら考えをまとめていた。そうしないと20日からの中国へ安心して行けないからである。29日に帰って来て31日には、心物対応構造の歌を手がかりに抒情の成立について研究会で発表をする。今、まとめないとたぶんこの発表は無理だ。

 今日は八ヶ岳がよく見えた。ベランダには野鳥がひまわりの種を食べにやってくる。珍しいことにアカゲラが来ていた。昼の日差しが暖かくなったのせいか、窓ガラスの向こうに白い羽の蛾が弱々しく飛んできてガラスにぶつかり落ちた。冬を越した蛾であろうか。

 今日は3時半頃に山小屋を出発し、川越に戻る。途中、関越は事故渋滞。それで、本庄インターで降りて下の国道254を走ったがここも渋滞。仕方なく花園でまた高速に乗り、途中食事などして家に着いたのが8時半であった。疲れた。

     冬を耐え春陽を浴びて蛾は生きん

明日から中国2007/03/20 00:41

 今日は明日からの中国行きの準備。10日間ほどの旅だが、取材もあるのでビデオとか録音機とかの用意もする。録音はむかしながらの小さなテープレコーダー。今はほとんどデジタルだから、もうアナログの録音テープも生産中止になるかもしれないなあ、などと思うが、操作が単純なのでいつもこれを使う。それに、テープがなくなったとき、これだと中国のどんな田舎町でも手に入る。けっこう便利なのだ。

 実は、ビデオカメラも8ミリテープのアナログと、デジタルとの二機種を持っていて使い分けている。8ミリは失敗が少ないし、映像もきれいだ。撮ったテープをすぐにDVDにダビングしてしまえば劣化も防げる。ただデジタルはカメラがコンパクトで軽い。それが利点だ。最近は、すこしでも小さくて軽い方がいいのでついデジタルを持っていく。

 何を着ていっていいのか悩む。シーサンパンナの天気を見ると、最高気温30度最低気温13度とある。本当か?昆明は最高気温23度最低9度だ。最高と最低にかなり落差がある。昼と夜の温度差が大きいのだ。昨年の三月に弥勒県に調査に行ったときは寒くてまいった。ただ、あの時は三月初めで、しかも寒波が来ていたということだった。

 昼はシャツ一枚、夜はセーターに上着が必要なようだ。今回は村にはあまり入らなくて、町の市場などを中心に取材して歩く。研究テーマは同僚が発酵食品の研究で、私は食物などの起源伝承の調査。要するに主として雲南省の納豆を蒐集して歩くというものである。私としては、ただついていくだけの取材になりそうだ。楽と言えば楽だが、せっかく行くのだから何らかの歌や神話などの言語文化の記録も取りたいとは思う。

 今回は、羽田発、関空乗り換えで、関空から昆明までの直行便である。出発時間も羽田が12時45分でだいぶ楽になった。以前は9時発なものだから、羽田近くに一泊したものだ。3年ほど前は直行なのに上海経由だった。今度はそういうことはないと思うが。

 帰ってきたら息もつけないほど忙しいことは覚悟している。なるべくなら、よき休暇にしたいが、そうならないだろうと思っている。中国の田舎は、まだ休暇気分を味わえるほどやわなところじゃない、それに、全行程車である。一日中車に乗っているときもある。そして、毎日朝から晩まで中華料理だ。4日目くらいには油にやられる。

 まあ、それでもなんとかなるだろう。こんな調子でもう10年も中国に行っているのだ。というわけで、このブログも当分(29日まで)休みになります。

   菜飯喰ひ中華の国へいざ行かん

帰ってきました2007/03/29 23:53


 何とか無事に帰ってきました。さすがに疲れました。しかし2キロ程太りました。9泊10日の旅でしたが、毎日車で移動移動、運動せずに脂っこい料理を毎日食べ続けていたのだから、太るのが当然で、太らなかったらどこか身体が悪いということです。

 でも、これから忙しいからすぐに痩せると思います。今回は、雲南省の南の方をまわってきました。ラオスの国境沿いの町も見てきました。同僚は発酵食品の研究がテーマで、町へ着くと、市場に行って、豆豉(トウチ)を見つけてはその製法を聞くということを続けた旅でした。お蔭で少数民族の豆豉の作り方に詳しくなりました。

 元陽の棚田を見るこことが出来ました。さすが世界遺産に申請しているだけあってすごい光景です。とりあえず写真を載せておきますが、わかるかどうか。街道沿いの田舎食堂によると必ず犬が寝そべっています。子犬がかわいかった。 とりあえず、今日は、無事に帰ってきたことの報告です。

雲南で北野武を読む2007/03/30 23:52


 元陽の棚田はハニ族が作ったものである。雲南省は山ばかりだから、棚田はいたるところある。が、元陽のはその規模が違う。また、霧が発生しやすいので、雲海が棚田を覆うと風景として格好のものになる。それで写真家が大勢押しかけるというわけだ。

 それにしても、雲南省の棚田や棚畑を見ていると、人間の根気良さに驚嘆する。むろん、何世代もかかって作り上げたものだが、人間の生活力とは凄いものである。雲南省南部は実は茶の生産地である。特に普洱茶の産地である。最近この普洱茶が人気があるので、あちこちで生産している。といっても、普洱茶は、いわゆる普通のお茶の葉をカビを使って発酵させたもので、あのかび臭い普洱茶がそのまま生産されているわけではない。

 茶は換金作物であるからあちこちで生産され、しかも稲や畑作のような手間もかからないから、あらゆる山肌が茶畑になっている。思茅市は普洱茶で有名な都市だが、4月から名前が普洱市となる。中国人は、良いお茶にはいくらでも金をだす。そのくらい茶好きである。普洱茶は丸く固めて円盤状にして売っているものが多い。

 普洱茶は古いものほどおいしいと言われていて、古いものは高値で取引される。それで日付の入った円盤状の普洱茶を壁に飾っておき、何年かしたらそれを飲むというわけだ。百年ものなんてのがあるのである。

 ただ、味にはやや癖があるので、日本人には嫌いなひともいるのでお土産には向かない。が、おいしいのはほんとにおいしい。ワインの熟成した味があるがそういう感じだ。新茶の苦みを好む日本人にはちょっとわからない味だろう。

 そのうち、山という山がほとんど茶畑に変わるだろう。中国人のこういうエネルギーもまたすごい。机以外の四つ足は何でも食べるというあのエネルギーは、貪欲な自然のエネルギーそのものではないかという気さえしてくる。13億とは、もう一つの自然なのかもしれない。

 宿泊したのはほとんど良いホテルばかりだったが、江城という都市のホテルは西洋式便器のないホテルだった。かつてこういうホテルばかり泊まっていた私としては懐かしい感じだった。奥地の招待所に行ったとき、シャワー付きトイレというのがあってなんだろうと思ったら、要するに、便器の頭上にガス湯沸かし器がついていて、便器をまたいでその湯沸かし器のお湯のシャワーを浴びるというものだ。お湯は便器の中に消える。うまく出来ている。むろん、お湯は出なかったが。

 タイ族の村で出会った水路の上のトイレが面白かったのでその写真を載せておく。

 本を何冊か持っていった。佐々木高明『南から見た日本文化』上・下巻、柳田国男全集第14巻(ちくま文庫)、それから空港で北野武著『全思考』を買って、飛行機の中で読んだ。佐々木高明の本も上下とも読了。柳田国男を読み始めたところで日本に帰ってきた。

 北野武の本はなかなか面白かった。北野武は私より二つ上だが、何となく境遇が似ているところがあって、その思考や生き方がよく分かるのだ。武の父親と同じように私の父も職人でよく酒を飲んで暴れていた。子どもの時は貧乏だったし、親が懸命になって入れてくれた大学を勝ってに辞めてしまったのも同じだ。コンプレックスや斜に構えた生き方、目的を見つけられない虚無感、観念を信じないわりに観念が好き、というところも似ている。

 むろん、だいたいわたしたち団塊世代には多いタイプなのだが、武のすごさは、やはり、漫才で行くところまで行ってしまった、つまり、向こう側を垣間見るほどの体験を持ったというところだろう。それがあるから映画を作れる。そういう体験のない私にはうらやましい。

 この本で武は死を多く語る。彼の映画のテーマはほとんどが死である。それは、彼自身がコントロール出来ないほどのエネルギッシュな身体と、常に醒めているしかない意識(眼)とに深く分裂しているからで、それを統合するにはたぶん死しかないないからである。生きるとはそれを避けることだとすると、彼の人生とは、手に負えない身体と苦痛でしかない意識との分裂を抱え込んで生きるということだ。

 映画はその生に逆らう物語だ。だから映画では常に死に近づこうとする。言わば自殺願望を映画にしていると言ったららいいか。だから彼の映画が万人に受けるわけがない。私などは、その境地が何となくわかるから、彼の映画は辛くてあまり熱心には見ない。

 私はどうなのだろう。私にも少しは自殺願望がある。でも、それは人並みよりほんの数センチ多いという程度のものだ。が、私が本を書いたり歌を批評できるのは、この数センチのお蔭である。が、その数センチのお蔭で私は人生をほんとに喜ぶということがよく分からないでいる。が、そのお蔭で、人よりはものを考えて生きている気がする。

 今回の旅は私の調査でないので、こんなことを時折考えながら。中国のエネルギーにただ圧倒されていた。

   雲南の生きる力に春熱し