藤野芸術村 ― 2009/06/01 10:05

土曜は午後古代の会。新しいメンバーも加わったので、久しぶりに「詩経」を読んだ。帰りは飲み会。私は午前から高校教員説明会で疲れていたので、遅くならずに帰宅。
昨日の日曜は久しぶりに一日空いた日で、奥さんとチビと藤野町に出かけた。美大を出てガラス工芸をやっている奥さんの姪が相模湖ちかくの藤野で行われている陶器市に自分が作ったガラスのオブジェを売っているというので、陶器市を見に行こうとなったのである。
高速を使うと藤野駅まで45分でついてしまった。そこで奥さんの妹を拾い陶器市に出かけた。藤野町は今芸術村を作ろうとしているらしい。山道を上ると変な彫刻のオブジェがあちこちにある。芸術家が多く住んでいるのでそれを町興しにと始めたらしい。陶器市もその一環のイベントということだ。
清風舎という陶房があって、その一角で姪の作品が売られていた。清風舎主宰の陶芸作家が作った白磁の作品展なども見学し、ガラスの水差しなどを買ってそこを後にした。歌手のウーアがいたらしい、と奥さんの妹が話していた。何でもこの近くに住んでいるということだ。子供のためらしいなどと話していた。
相模湖の周りの山のあちこちに陶芸などの工房があってそこで作品展などが行われている。帰りに五日市に住んでいる奥さんの妹を送る。何しろ日曜は高速料金が安いので遠回りしてもいいやという気になる。五日市で今度は糸屋という織物の作家の作品等を展示販売している店を見に行く。竹林の中にあるアトリエ風の店である。
妹を送り届けてから帰宅。帰り、八王子から調布インターまでは大渋滞。府中で降りて、甲州街道を行かずに多摩川沿いの道を通って狛江まで帰る。けっこう早く着く。複雑だったがこれは使える道である。ナビもこういうときは役に立つ。
陶器市はなかなか賑わっていた。姪もそうだが、陶芸やガラス、織物、人形とか職人とは一味違う芸術家が、けっこうたくさんいるものだと実感した。みんなちゃんと食べていけるのだろうかと心配だが(姪もその一人なので)、何とかなっているのだろう。
夜、NHKで韓国特集をやっていた。古代の任那は日本の支配化にあったという説はすでに覆されていて伽耶国のことであることは知っていた。が、伽耶国に日本人が傭兵として雇われていたという説もあるらしい。当時、日本には鉄は無かったので、鉄のあった朝鮮国家より強いということはなかった。伽耶国は日本人を雇い、武装させて他国と対抗していたということだ。
百済との交流とかいろいろ話は展開していたが疲れていて私は途中で眠ってしまった。
古代の墓六月の夜夢うつつ
短大はどうなる… ― 2009/06/05 01:44
今週もいろいろと忙しい。授業のことより、来年の学会の企画などを考える時間が無くて気ばかりあせっている。会議は相変わらず多い。来年の御柱に合わせてアジア民族文化学会では諏訪でシンポジウムを開くことになった。これについての企画をどうも私が考えなくてはならないようで、いろいろと思案中だ。それから、アジアの歌の音数律のシンポジウムを単行本にする企画案もそろそろ出さなくてはいけない。今年の秋の古事記をめぐるシンポジウムの案内も出さないと、ととにかく考えることばかり多い。
今日は課外講座で学外者である市民向けの万葉集の講義があった。毎年10名前後なのにどういうわけか26名も受講者がいる。これだけ来てくれると資料などの準備にも力が入る。来週は一回だけだが、カルチャーセンターでの中国の神話についての講座がある。その準備もしなくてはならない。
今日夜久しぶりに昔の仲間との飲み会に顔を出す。二人の知りあいと35年ぶりに会った。お互い歳を取ったなあと挨拶。一人は、大きな某病院の副院長で精神科医。私が彼と最初に会ったとき、確か、高校生だった。高校生で学生運動していた。田舎から出てきたばかりの私は東京の高校生はすげえなあと驚いた覚えがある。
もう一人は私と話しながら頭はだいぶ薄くなったがそれ以外は変わらないなあと言う。それはないだろうと言ったが、そう見えるというのはどういうものか、まだ若く見えるということか、それとも成長していないということか。若く見えるという方をとりたい。
今日自己評価報告書の件で偉い人と話す機会があり、短大はどうなるかという話になった。話が弾まなくて困った。偉い人は短大の教員は四大に改組したいと思っているのでしょう、とおっしゃったが、私は、短大に属してそこで仕事をしている以上、短大の生き残る可能性を追求するのがわれわれの役割、と答えた。
教員であり研究者である以上、やはりレベルの高い学生に教えたいというのは当然だろう。ほとんどの教員は、短大での就職口しかなくて入ったという経緯だろう。その意味では、四大に改組したいと思ってはいるだろうが、現実は厳しい。
が、短大が沈みゆく船なのだとしたら、ここで頑張っても将来は暗い。要は、短大が社会から必要とされているかどうかだが、私は必要とされていると思っている。短大に入ってくる真剣なまなざしの子たちを見ると、何とかしてやりたいと思わずにはいられない。専門学校であろうと、短大であろうと、そこで自分の将来を託そうと思って入ってくる人たちがいる限りは、わたしたちの存在理由は充分にあるのである。
本当はここは自分が勤めたい場所でないと思ってしまったら、たぶん、仕事はつまらなくなるし、つまらない日常生活になるだろう。たとえ沈み逝く船でも、どうしたら沈まないように出来るか、楽しく工夫しながら働くというのが一番いい。たとえ沈んでも、次につながる。まあうちの短大はそう簡単には沈まないが。
紫陽花に降る雨のように物憂く
今日は課外講座で学外者である市民向けの万葉集の講義があった。毎年10名前後なのにどういうわけか26名も受講者がいる。これだけ来てくれると資料などの準備にも力が入る。来週は一回だけだが、カルチャーセンターでの中国の神話についての講座がある。その準備もしなくてはならない。
今日夜久しぶりに昔の仲間との飲み会に顔を出す。二人の知りあいと35年ぶりに会った。お互い歳を取ったなあと挨拶。一人は、大きな某病院の副院長で精神科医。私が彼と最初に会ったとき、確か、高校生だった。高校生で学生運動していた。田舎から出てきたばかりの私は東京の高校生はすげえなあと驚いた覚えがある。
もう一人は私と話しながら頭はだいぶ薄くなったがそれ以外は変わらないなあと言う。それはないだろうと言ったが、そう見えるというのはどういうものか、まだ若く見えるということか、それとも成長していないということか。若く見えるという方をとりたい。
今日自己評価報告書の件で偉い人と話す機会があり、短大はどうなるかという話になった。話が弾まなくて困った。偉い人は短大の教員は四大に改組したいと思っているのでしょう、とおっしゃったが、私は、短大に属してそこで仕事をしている以上、短大の生き残る可能性を追求するのがわれわれの役割、と答えた。
教員であり研究者である以上、やはりレベルの高い学生に教えたいというのは当然だろう。ほとんどの教員は、短大での就職口しかなくて入ったという経緯だろう。その意味では、四大に改組したいと思ってはいるだろうが、現実は厳しい。
が、短大が沈みゆく船なのだとしたら、ここで頑張っても将来は暗い。要は、短大が社会から必要とされているかどうかだが、私は必要とされていると思っている。短大に入ってくる真剣なまなざしの子たちを見ると、何とかしてやりたいと思わずにはいられない。専門学校であろうと、短大であろうと、そこで自分の将来を託そうと思って入ってくる人たちがいる限りは、わたしたちの存在理由は充分にあるのである。
本当はここは自分が勤めたい場所でないと思ってしまったら、たぶん、仕事はつまらなくなるし、つまらない日常生活になるだろう。たとえ沈み逝く船でも、どうしたら沈まないように出来るか、楽しく工夫しながら働くというのが一番いい。たとえ沈んでも、次につながる。まあうちの短大はそう簡単には沈まないが。
紫陽花に降る雨のように物憂く
道行きの歩き方 ― 2009/06/08 00:33
昨日(土)は古代文学会のシンポジウム。これがあるので私は学校へ。わが校がいつも会場で、その準備は私がするからだ。おかげで今週も月曜から土曜まで出校。
シンポジウムはなかなか面白かった。道行きと邂逅というテーマで、古代と中世の女性の道行きの物語を扱ったものだ。私の興味は、女性が抱え込んだ情念を浄化するような道行きがあり、その到達点で聖化されるような展開になっていることで、突然それと同じようだが全く逆の道成寺縁起の話が頭に浮かんできた、思わず、どう考えますか、と質問してしまった。
道成寺縁起は、僧に裏切られた寡婦が激しく恨んで僧を追いかけ、大蛇に変身するというものだが、激しい情念と、大蛇(異界の神)への変身という展開が、似ていると言えば似ている。浄化する道行きというのとは違うが、激しい情念は異界的なところへと行き着かないと決着しないという展開においてよく似ており、そして、その主人公はやはり女性でないと、というところも同じである。
激しい情念と異界的な世界への落としどころまでにはタイムラグがあり、そのタイムラグを道行き的に物語化したのが、絵巻物としての道成寺縁起なのだというのを阿倍泰郎氏が解説。つまり、最初の法華験記では裏切られるとその場で死んでしまいその後蛇になって追いかけるという展開だが、絵巻物ではその追いかけるプロセスを変身譚に変化させた。それは絵的に面白いのと、熊野詣での道行きの逆の意味での反映ではないかと言う。さすが、阿倍さん、と何でも答えてくれる阿部さんに感謝した。
変身譚は私の好きなテーマ。授業では仮面祭祀の講義を毎年やっているが、仮面もまた変身する。物語とはほとんど変身譚である。外面的に変身するか内面的に変身するか、その違いだけだ。
ところで、道行きとはあの世とこの世を移動する時の移動の仕方だ。神がこの世を訪れるのは巡行という道行きだし、人があの世に行くのもあるいは聖地を廻るのも、道行きである。何故道行きというのか、たぶん真っ直ぐに、つまり直線的に行かないからあるいは行けないからである。あっちこっち寄りながら移動する。だから道行きという。心中の道行きは、それこそすんなりとは進めない。あっちの土地に寄りこっちの土地に寄り、あの世へと向かう。
神の巡行は、あっちこっち寄ることに意味がある。神楽に「へんばい」という足で地を踏む所作があるが、あれはもともと足の悪い兎王の歩き方である。道教では、北斗七星のの形に足を踏む歩き方があり、それが兎王の歩き方として流布され、天に到るための歩き方だと信仰された。その歩き方が呪術的な所作として日本に入ってきた。興味深いのは、それが、真っ直ぐには歩けないという歩き方であることだ。おそらく道行きの歩き方なのではないかと、思う。
六月や女の道行き足行かず
シンポジウムはなかなか面白かった。道行きと邂逅というテーマで、古代と中世の女性の道行きの物語を扱ったものだ。私の興味は、女性が抱え込んだ情念を浄化するような道行きがあり、その到達点で聖化されるような展開になっていることで、突然それと同じようだが全く逆の道成寺縁起の話が頭に浮かんできた、思わず、どう考えますか、と質問してしまった。
道成寺縁起は、僧に裏切られた寡婦が激しく恨んで僧を追いかけ、大蛇に変身するというものだが、激しい情念と、大蛇(異界の神)への変身という展開が、似ていると言えば似ている。浄化する道行きというのとは違うが、激しい情念は異界的なところへと行き着かないと決着しないという展開においてよく似ており、そして、その主人公はやはり女性でないと、というところも同じである。
激しい情念と異界的な世界への落としどころまでにはタイムラグがあり、そのタイムラグを道行き的に物語化したのが、絵巻物としての道成寺縁起なのだというのを阿倍泰郎氏が解説。つまり、最初の法華験記では裏切られるとその場で死んでしまいその後蛇になって追いかけるという展開だが、絵巻物ではその追いかけるプロセスを変身譚に変化させた。それは絵的に面白いのと、熊野詣での道行きの逆の意味での反映ではないかと言う。さすが、阿倍さん、と何でも答えてくれる阿部さんに感謝した。
変身譚は私の好きなテーマ。授業では仮面祭祀の講義を毎年やっているが、仮面もまた変身する。物語とはほとんど変身譚である。外面的に変身するか内面的に変身するか、その違いだけだ。
ところで、道行きとはあの世とこの世を移動する時の移動の仕方だ。神がこの世を訪れるのは巡行という道行きだし、人があの世に行くのもあるいは聖地を廻るのも、道行きである。何故道行きというのか、たぶん真っ直ぐに、つまり直線的に行かないからあるいは行けないからである。あっちこっち寄りながら移動する。だから道行きという。心中の道行きは、それこそすんなりとは進めない。あっちの土地に寄りこっちの土地に寄り、あの世へと向かう。
神の巡行は、あっちこっち寄ることに意味がある。神楽に「へんばい」という足で地を踏む所作があるが、あれはもともと足の悪い兎王の歩き方である。道教では、北斗七星のの形に足を踏む歩き方があり、それが兎王の歩き方として流布され、天に到るための歩き方だと信仰された。その歩き方が呪術的な所作として日本に入ってきた。興味深いのは、それが、真っ直ぐには歩けないという歩き方であることだ。おそらく道行きの歩き方なのではないかと、思う。
六月や女の道行き足行かず
小動物との共生 ― 2009/06/10 00:16
自己点検評価報告書の提出時期が近くなり、完成へ向けて追い込みとなった。文章の書き直しや訂正が山ほどあり、その作業にここんとこかかりきりである。私は一応文章のプロだとは思っているが、この手の事務的な文章は苦手で、私が書いた文章も事務方に結構直されている。まあ仕方がない。名文を書く必要は無いし。ただ私の場合口語的な文体になりがちなので、そういうところが指摘されるようだ。
今日の夕方は、新宿の工学院大学というところへ行ってきた。そこで孔子学院のカルチャーセンターが開かれていて、私が一日だけ講師として呼ばれたのである。初めて入ったが、高層ビルの中にあるそれこそ高層ビルの大学である。
私の話すテーマは「中国西南地域の神話」で、洪水神話の話や、怒江流域の創世神話、そしてワ族の神話について話をした。年輩の方が多く、みなさん熱心に聞いてくれた。
ワ族の神話は、去年の夏取材したものを用いた。シガンリという神話だが、この神話で面白いのは人間と小動物との共生が語られる点だ。例えば、人間はシガンリという洞窟に最初入れられていたが、蠅と雀のおかげで洞窟から出ることができる。また、洞窟の出口で虎が待ち構えていて人間を食べてしまうのを、鼠のおかげて虎から逃れる事ができる。このように小動物のおかげでワ族の先祖はこの世に現れたというわけだ。だから、蠅には食べものの残りにたかることを許し、鼠が倉庫でお米を少し食べるのも仕方がないと考え、雀がお米を啄むのも許している。
ワ族は、収穫のために人間の首を狩っていた民族だが、こういうようにとても優しい民族なのである。普通はこういう小動物は害虫として駆除の対象にしてしまうが、ワ族は共生の道を選ぶ。お互い様だからという説明を神話ですることで。
こんなに優しい神話を持っているのに、人間の首を狩るのである。文化とは不思議なものである。
優しいといえば今日のニュースステーションで、足利のこころみ学園の「ココ・ファーム・ワイナリー」特集があった。私が好きなところで、何度か訪れている。知的障害者の学園だがワイナリーを経営し、そこで作るワイン、特にスパークリングワインは極上である。確かこのブログでも紹介した記憶がある。
ここの知的障害者たちもすでに80歳を過ぎたお年寄りになっている。でもみんな元気だ。そして優しい顔をしている。川田園長も88歳になっていた。車椅子で、とてもいい顔のお年寄りになっている。こころみ学園の知的障害者のお年寄りの顔とそう変わらない。これは誉め言葉である。知的障害者の若いときの顔はやはり健常者とは違うが、お年寄りになってくると、しかもとても幸福そうなお年寄りだと、みんな同じ顔になる。ああ人間というものは上手く出来ているなと思った。私もあんな風に歳を取れたらいいのにと本当に思った。
蠅だって誰かのために飛び回る
今日の夕方は、新宿の工学院大学というところへ行ってきた。そこで孔子学院のカルチャーセンターが開かれていて、私が一日だけ講師として呼ばれたのである。初めて入ったが、高層ビルの中にあるそれこそ高層ビルの大学である。
私の話すテーマは「中国西南地域の神話」で、洪水神話の話や、怒江流域の創世神話、そしてワ族の神話について話をした。年輩の方が多く、みなさん熱心に聞いてくれた。
ワ族の神話は、去年の夏取材したものを用いた。シガンリという神話だが、この神話で面白いのは人間と小動物との共生が語られる点だ。例えば、人間はシガンリという洞窟に最初入れられていたが、蠅と雀のおかげで洞窟から出ることができる。また、洞窟の出口で虎が待ち構えていて人間を食べてしまうのを、鼠のおかげて虎から逃れる事ができる。このように小動物のおかげでワ族の先祖はこの世に現れたというわけだ。だから、蠅には食べものの残りにたかることを許し、鼠が倉庫でお米を少し食べるのも仕方がないと考え、雀がお米を啄むのも許している。
ワ族は、収穫のために人間の首を狩っていた民族だが、こういうようにとても優しい民族なのである。普通はこういう小動物は害虫として駆除の対象にしてしまうが、ワ族は共生の道を選ぶ。お互い様だからという説明を神話ですることで。
こんなに優しい神話を持っているのに、人間の首を狩るのである。文化とは不思議なものである。
優しいといえば今日のニュースステーションで、足利のこころみ学園の「ココ・ファーム・ワイナリー」特集があった。私が好きなところで、何度か訪れている。知的障害者の学園だがワイナリーを経営し、そこで作るワイン、特にスパークリングワインは極上である。確かこのブログでも紹介した記憶がある。
ここの知的障害者たちもすでに80歳を過ぎたお年寄りになっている。でもみんな元気だ。そして優しい顔をしている。川田園長も88歳になっていた。車椅子で、とてもいい顔のお年寄りになっている。こころみ学園の知的障害者のお年寄りの顔とそう変わらない。これは誉め言葉である。知的障害者の若いときの顔はやはり健常者とは違うが、お年寄りになってくると、しかもとても幸福そうなお年寄りだと、みんな同じ顔になる。ああ人間というものは上手く出来ているなと思った。私もあんな風に歳を取れたらいいのにと本当に思った。
蠅だって誰かのために飛び回る
松岡正剛の日本論 ― 2009/06/12 00:42
今日も会議で疲労困憊。3時半から教授会、ほとんど私の報告事項だけで、一時間しゃべりっぱなしでさすがに声が涸れた。その後7時まで教養教育の会議。長い会議であった。
帰って食事して、半分眠りながら借りてきた韓流時代劇テジョヨンを観て(最近テジョヨンにはまってます)、それからしばらく仕事して寝る、というのがいつものパターンだが、ここんとこさすがに夜中にそれほどの仕事が出来なくなった。それだけ疲れているということだろう。
こういう時はなかなか重たい本は読めないのだが、軽めの本は読んでいる。松岡正剛の『方法日本Ⅰ 神仏たちの秘密日本の面影の源流を解く』(春秋社)を読了。松岡氏の話を聞く連塾という講演会での講義録である。松岡氏の本は、知識がチャート図のように並べられていて、あまり考えずに読めるのがいい。時々面白い知識を発見することがあるし、その知的好奇心の傾向は私と似ているところがあるので、親近感もわく。
帯に「衝撃の日本論」とあるが、それは言い過ぎだろう。勉強になるのは、古代から現代まで、宗教、思想、科学、美術、哲学というあらゆるジャンルから、日本文化を語るキーワードを取り出してきて、それを繋げながら日本文化の見取り図を作っていくところだ。とにかく、見取り図をつくるのがうまい。さすがに編集工学研究所所長だけある。どんな異ジャンルもキーワードを繋げた知の見取り図の中で関連づけられ、それを読むこちらが何か世界が上手く見えた気になってしまう。
結局、松岡正剛が言っていることは、日本というのは“あいだ”の文化なのだということのようだ。あいだとは、異質なものが反発せずに混じり合う猶予の場所である。凹凸ではなく、凹と凸とが混じり合ってバランスをとる、ということだ。凹という価値にも凸という価値にもなびかず、常に漂うという意味でそれはまた「うつろい」でもある。こういった切り口であらゆるものをチャート図の中に描き混んでしまう快感、その快感を堪能出来る、というのがこの本を進めるとしたらその理由ということになろうか。
さてそのチャート図の中にJポップがでてくるのだが、サザンの歌の「愛の言霊」の歌詞が紹介されている。
生まれく抒情詩(せりふ)とは 蒼き星の挿話
夏の旋律(しらべ)とは 愛の言霊(ことだま)
宴はヤーレンソーラン
呑めどWhat Cha Cha
焔魔堂は 闇や 宵や宵や
新盆にゃ丸い丸い月も酔っちゃって
由比ケ浜 鍵屋 たまや
童っぱラッパ 忘れ得ぬ父よ母よ
浮き世の寂しさよ
童っぱラッパ 名も無い花のために
カゴメやカゴメ 時間よ止まれ
エンヤコーラ!
和風と英語風の言葉との混淆が見事。これぞ「言霊」と松岡は誉めている。この歌を知らなかった私はこりゃあ面白いと感心した次第である。ちなみに椎名林檎の歌も取り上げている。椎名林檎の歌詞の面白さについては私もよく知っている。
梅雨に入り言霊なども湿りけり
帰って食事して、半分眠りながら借りてきた韓流時代劇テジョヨンを観て(最近テジョヨンにはまってます)、それからしばらく仕事して寝る、というのがいつものパターンだが、ここんとこさすがに夜中にそれほどの仕事が出来なくなった。それだけ疲れているということだろう。
こういう時はなかなか重たい本は読めないのだが、軽めの本は読んでいる。松岡正剛の『方法日本Ⅰ 神仏たちの秘密日本の面影の源流を解く』(春秋社)を読了。松岡氏の話を聞く連塾という講演会での講義録である。松岡氏の本は、知識がチャート図のように並べられていて、あまり考えずに読めるのがいい。時々面白い知識を発見することがあるし、その知的好奇心の傾向は私と似ているところがあるので、親近感もわく。
帯に「衝撃の日本論」とあるが、それは言い過ぎだろう。勉強になるのは、古代から現代まで、宗教、思想、科学、美術、哲学というあらゆるジャンルから、日本文化を語るキーワードを取り出してきて、それを繋げながら日本文化の見取り図を作っていくところだ。とにかく、見取り図をつくるのがうまい。さすがに編集工学研究所所長だけある。どんな異ジャンルもキーワードを繋げた知の見取り図の中で関連づけられ、それを読むこちらが何か世界が上手く見えた気になってしまう。
結局、松岡正剛が言っていることは、日本というのは“あいだ”の文化なのだということのようだ。あいだとは、異質なものが反発せずに混じり合う猶予の場所である。凹凸ではなく、凹と凸とが混じり合ってバランスをとる、ということだ。凹という価値にも凸という価値にもなびかず、常に漂うという意味でそれはまた「うつろい」でもある。こういった切り口であらゆるものをチャート図の中に描き混んでしまう快感、その快感を堪能出来る、というのがこの本を進めるとしたらその理由ということになろうか。
さてそのチャート図の中にJポップがでてくるのだが、サザンの歌の「愛の言霊」の歌詞が紹介されている。
生まれく抒情詩(せりふ)とは 蒼き星の挿話
夏の旋律(しらべ)とは 愛の言霊(ことだま)
宴はヤーレンソーラン
呑めどWhat Cha Cha
焔魔堂は 闇や 宵や宵や
新盆にゃ丸い丸い月も酔っちゃって
由比ケ浜 鍵屋 たまや
童っぱラッパ 忘れ得ぬ父よ母よ
浮き世の寂しさよ
童っぱラッパ 名も無い花のために
カゴメやカゴメ 時間よ止まれ
エンヤコーラ!
和風と英語風の言葉との混淆が見事。これぞ「言霊」と松岡は誉めている。この歌を知らなかった私はこりゃあ面白いと感心した次第である。ちなみに椎名林檎の歌も取り上げている。椎名林檎の歌詞の面白さについては私もよく知っている。
梅雨に入り言霊なども湿りけり
チビとの散歩 ― 2009/06/14 17:58

土曜日(13日)は今年最初のオープンキャンパス。私は出なくてもいいのだか、学科長ということで、顔を出す。昼前に行ったら、教員の相談コーナーのところか人だかりで、教員は一人のはずが、二人いる。どうやら受験生の相談が多いので学内にいる別の教員を助っ人に呼んだらしい。これはまずいということで、急遽私が相談コーナーに入った。学科長はこういう時の補充員としての役割がある。3時までひきりなしに受験生が訪れた。
オープンキャンパスでいつもこんなに相談する受験生はいないのだが、私どもの学科はそれなりに人気があるということか。ただ、ここんとこ入学者が多すぎるので、今年は、やや控えめに取らざるを得ない。あまりたくさん来てもらっても困るのだが、かといって、来年からがたっと減ってしまうということもあるので、やはり来てもらわないと困る。複雑な心境なのだが、定員確保に必死になっている短大からみたらうらやむ話だろう。
ただ、受験生の印象を聞く限りでは、場所がいい、校舎がきれい、設備がいい、といったことで、教育がいいとか教員がいいと云う話は聞こえてこない。これも困ったことで、入ってから、なあんだこんな授業やってんのか、と不満が出たら困る。教員も気を引き締めないといかん(これは学科長的見解)。
今日は久しぶりの休み。最近、私は週6日出勤なので。午前中、チビと散歩。チビは、草むらかあると必ず寝転がって、背中を地面につけて仰向けになり身体をぐりぐりとくねらす。背中がかゆいのかと最初は思ったがそうではなく、これはチビなりのストレス解消法らしい。とにかく、草むらがあるとそこで動かなくなり、仰向けになってぐりぐりし始める。気が済むまでやらないとダメなのである。こんなことをする犬はそうはいないのでみんなから笑われる。
午後は明日からの授業の準備。来週も忙しい。体調もあまり良くはない。6月は休みのない月で、とにかく乗り切らないと。
誘蛾灯虫死するたび日暮れゆく
最近太り気味のチビ ― 2009/06/19 00:42

チビが成城にデビューして1年が経つ。野川沿いの公園は成城に住む人たちの犬が集まる所だが、このあいだ犬好きな人が写真を取らせてくれとチビのところへ寄ってきて、この犬はこの地域のなかでは一番可愛い犬だな、と言ったということだ。親バカみたいな話だが、我が家では、一応チビは成城で一番可愛い犬だということになっている。
日本人には柴犬の人気が高く、黒柴でしかも小さい豆柴だから、それだけで他の犬に勝てるのだろう。ただ、最近、背中の黒い部分にだんだんと茶色や灰色が混じり始めてきた。どうも歳をとると多少色が変わるらしい。そして最近太り気味でチビデブになりつつある。
ダイエットを試みでいるが、なかなか痩せない。それが気懸かりである。
今日、自己点検評価報告書が何とか出来上がる。ほとんど事務方の努力のたまものだが、責任者としてはほっとしたところだ。とりあえず、最初の関門を越える事が出来た。この後、評価委員の人たちに報告書を送り、評価委員が実地調査に来るのを待つだけである。
今全国の大学は、自己点検評価を行って問題点を洗い出し、問題点を改善していくという努力を不断に行うように義務づけられている。自分で自分を診察して治療し医者いらずの丈夫な身体を作れ、ということである。文科省の方針だが、むろん、これはアメリカの大学のシステムを見習ったものである。
ただ、少子化で受験生が減少していてしかも大学の数が多いのだから、病人は栄養失調状態で、少ない食べものを取り合っているのだから、いくら改善しても根本的なところを治療しないと直すのは無理である。根本とは、受験生の総数を増やすことである。むろん、無理な話ではあるが、留学生を増やすことや、大学進学率を今よりもあげること、移民を受け入れること、等少子化対策以外に出来ることはたくさんある。今、景気対策で金をばらまいているが、ばらまくなら、奨学金に金を使ったほうがいい。ドイツやフランスのように大学の授業料をほとんどただのようにする手だってある。
全国の短大の評価報告書を読む機会があったが、実に立派な報告書をみんな書いている。こんなにみんな改善への努力をしているのだと感動すら覚える。それでも、ほとんどが定員割れなのである。
そういうことを考えると、何か無駄な努力をやっているのかなと思わないことはない。自己点検や改革の努力をするかしないか、という次元でないところで、生き残りをかけた大学の勝敗が決まってしまうように思えるからである。
今私の勤める学校では、父母授業見学という催しをやっている。授業参観の大学版であるが、授業参観と違うのは、どの授業でも見学できることと、教職員も授業を見学出来ることだ。目的は、学費出資者に教育を見てもらうことと、授業評価である。
早速ある父母からある先生の授業は怠慢なのではないかというクレームがついた。私の学科の授業なので、私としてはさてこのクレームをどのように授業改善に結びつけるのか対応を迫られていて頭が痛い。なかなか大変な時代になったのである。
が、この試みは悪くはない。学生以外に授業を覗かれるのは気分のいいものではないが、それなりに緊張感があって、楽しめる。さあ来るなら来いと今日の「民俗と文化」の授業を張り切ってやっていたのだが、来たのは顔見知りの職員二人だけだった。まあ誰も来ないよりはいいのだが。
短夜やただただわが身支えけり
日本人には柴犬の人気が高く、黒柴でしかも小さい豆柴だから、それだけで他の犬に勝てるのだろう。ただ、最近、背中の黒い部分にだんだんと茶色や灰色が混じり始めてきた。どうも歳をとると多少色が変わるらしい。そして最近太り気味でチビデブになりつつある。
ダイエットを試みでいるが、なかなか痩せない。それが気懸かりである。
今日、自己点検評価報告書が何とか出来上がる。ほとんど事務方の努力のたまものだが、責任者としてはほっとしたところだ。とりあえず、最初の関門を越える事が出来た。この後、評価委員の人たちに報告書を送り、評価委員が実地調査に来るのを待つだけである。
今全国の大学は、自己点検評価を行って問題点を洗い出し、問題点を改善していくという努力を不断に行うように義務づけられている。自分で自分を診察して治療し医者いらずの丈夫な身体を作れ、ということである。文科省の方針だが、むろん、これはアメリカの大学のシステムを見習ったものである。
ただ、少子化で受験生が減少していてしかも大学の数が多いのだから、病人は栄養失調状態で、少ない食べものを取り合っているのだから、いくら改善しても根本的なところを治療しないと直すのは無理である。根本とは、受験生の総数を増やすことである。むろん、無理な話ではあるが、留学生を増やすことや、大学進学率を今よりもあげること、移民を受け入れること、等少子化対策以外に出来ることはたくさんある。今、景気対策で金をばらまいているが、ばらまくなら、奨学金に金を使ったほうがいい。ドイツやフランスのように大学の授業料をほとんどただのようにする手だってある。
全国の短大の評価報告書を読む機会があったが、実に立派な報告書をみんな書いている。こんなにみんな改善への努力をしているのだと感動すら覚える。それでも、ほとんどが定員割れなのである。
そういうことを考えると、何か無駄な努力をやっているのかなと思わないことはない。自己点検や改革の努力をするかしないか、という次元でないところで、生き残りをかけた大学の勝敗が決まってしまうように思えるからである。
今私の勤める学校では、父母授業見学という催しをやっている。授業参観の大学版であるが、授業参観と違うのは、どの授業でも見学できることと、教職員も授業を見学出来ることだ。目的は、学費出資者に教育を見てもらうことと、授業評価である。
早速ある父母からある先生の授業は怠慢なのではないかというクレームがついた。私の学科の授業なので、私としてはさてこのクレームをどのように授業改善に結びつけるのか対応を迫られていて頭が痛い。なかなか大変な時代になったのである。
が、この試みは悪くはない。学生以外に授業を覗かれるのは気分のいいものではないが、それなりに緊張感があって、楽しめる。さあ来るなら来いと今日の「民俗と文化」の授業を張り切ってやっていたのだが、来たのは顔見知りの職員二人だけだった。まあ誰も来ないよりはいいのだが。
短夜やただただわが身支えけり
姥捨て伝承 ― 2009/06/23 00:25
土曜日は研究会で出校。白族の「山花碑」を読んでいくという研究会である。「山花碑」は漢詩であるが、白族語の歌を漢語で記述したものらしい。従って、万葉仮名と同じで、漢字の音を優先した字、訓のように白語の音で読む漢字、漢字の音だが白語の意味で解釈する仮借語とか、いろいろある。文字を持たない民族が漢字を用いて自分たちの歌を記録する試みの日本以外の例である。丁寧に読んでいけば、文字を持たない日本の歌文化が文字を獲得してどう変容したのか、何が変わらなかったのか、そういったことが見えてくるかもしれない。
ただ、この研究会はほとんど若手が中心で、私は参加して勉強しているだけである。
終わってから、飲み会があり、その後新宿から梓で茅野に向かう。奥さんが山小屋にいっているので私も山小屋に。知りあいが来ていて、土曜日に更科の姥捨伝承の地に行ってきたという。棚田と月見が有名なところである。昔は更埴市だつたが今は千曲市になったらしい。
今日午前に山小屋から戻り午後出校。5限の授業は「文学とことばの卒業セミナー」で、「遠野物語」の発表。一人は、「デンデラ野」がテーマ。まさに姥捨伝承の話である。ただし、遠野物語の場合は、姥捨てというより、60歳を過ぎた老人たちが、デンデラ野で共同生活をして昼間は里の仕事を手伝ったするというもので、いわば老人ホームみたいなもの。ただ「60を過ぎると」と書いてあるので姥捨伝承の影響はあるようだ。
現代の老人ホームだってホームによっては姥捨てみたいなものではないか、と話をする。
姥捨て伝承は、もともとは中国の親孝行の話が日本に入ってきて広がったもの。60を過ぎた老人を殺せた命じたある国の王がいて、その命令に逆らって父親を隠した息子がいた。隣の国から難題を突きつけられ困った王は解けるものはいないかと国中にお触れを出す、匿われた老人はその難題を見事に解き、王も反省し、親孝行が国を救ったという話で終わる。ただ中国の話が日本に入ってくるとだいたい変化する。
日本ではこれが「姥捨山」の話になる。親を捨てられない息子の情愛の話になったりする。ところで何故「姥」捨てなのか、よくわからない。老人には男だっている。わざわざ「姥」と呼ぶのは、そのイメージの中に「山姥」が紛れ込んでいるか。赤坂憲雄は姥捨て伝承の背後には、供犠があったのではと指摘しているのだが、まさに「姥」を生贄にしたということなのだろうか。
深沢七郎の「楢山節考」や今村昌平の映画を知っているかと聞いたが、誰も知らなかった。まあこの人達の小説や映画を知らないのは仕方がないかなとは思う。
授業で村上春樹の『東京奇譚集』の話をし、その一つの短編を読むように指示。『東京奇譚集』では「遠野物語」ではお馴染みの話が、村上春樹流にアレンジされて出で来る。その意味では、村上版遠野物語なのである。「品川猿」という作品がある。猿が名前を盗んでしまうという話だが、この猿は遠野物語に出てくる「猿の経立」なのではないかと、私は思っている。そんな風に比較する面白い。この授業、異界がテーマなので、村上春樹は必読なのである。
単衣着て村上春樹を一くさり
ただ、この研究会はほとんど若手が中心で、私は参加して勉強しているだけである。
終わってから、飲み会があり、その後新宿から梓で茅野に向かう。奥さんが山小屋にいっているので私も山小屋に。知りあいが来ていて、土曜日に更科の姥捨伝承の地に行ってきたという。棚田と月見が有名なところである。昔は更埴市だつたが今は千曲市になったらしい。
今日午前に山小屋から戻り午後出校。5限の授業は「文学とことばの卒業セミナー」で、「遠野物語」の発表。一人は、「デンデラ野」がテーマ。まさに姥捨伝承の話である。ただし、遠野物語の場合は、姥捨てというより、60歳を過ぎた老人たちが、デンデラ野で共同生活をして昼間は里の仕事を手伝ったするというもので、いわば老人ホームみたいなもの。ただ「60を過ぎると」と書いてあるので姥捨伝承の影響はあるようだ。
現代の老人ホームだってホームによっては姥捨てみたいなものではないか、と話をする。
姥捨て伝承は、もともとは中国の親孝行の話が日本に入ってきて広がったもの。60を過ぎた老人を殺せた命じたある国の王がいて、その命令に逆らって父親を隠した息子がいた。隣の国から難題を突きつけられ困った王は解けるものはいないかと国中にお触れを出す、匿われた老人はその難題を見事に解き、王も反省し、親孝行が国を救ったという話で終わる。ただ中国の話が日本に入ってくるとだいたい変化する。
日本ではこれが「姥捨山」の話になる。親を捨てられない息子の情愛の話になったりする。ところで何故「姥」捨てなのか、よくわからない。老人には男だっている。わざわざ「姥」と呼ぶのは、そのイメージの中に「山姥」が紛れ込んでいるか。赤坂憲雄は姥捨て伝承の背後には、供犠があったのではと指摘しているのだが、まさに「姥」を生贄にしたということなのだろうか。
深沢七郎の「楢山節考」や今村昌平の映画を知っているかと聞いたが、誰も知らなかった。まあこの人達の小説や映画を知らないのは仕方がないかなとは思う。
授業で村上春樹の『東京奇譚集』の話をし、その一つの短編を読むように指示。『東京奇譚集』では「遠野物語」ではお馴染みの話が、村上春樹流にアレンジされて出で来る。その意味では、村上版遠野物語なのである。「品川猿」という作品がある。猿が名前を盗んでしまうという話だが、この猿は遠野物語に出てくる「猿の経立」なのではないかと、私は思っている。そんな風に比較する面白い。この授業、異界がテーマなので、村上春樹は必読なのである。
単衣着て村上春樹を一くさり
やっぱり教員は大変… ― 2009/06/25 00:58
今日のニュースゼロで、北九州市のある公立中学校をありのまま見せます、というタイトルで学校の長期取材特集をやっていた。おそらく全国の公立中学というのはどこでもこうなのだろうな、という授業風景が映し出されていた。荒れてはいないが、とにかく、授業中に椅子に座らない、寝るといった、生徒が映し出される。
つまり生徒に集中心がまったくない。先生たちはテレビに映っているということもあるが、実に忍耐強く指導している。教育に関わる身として、思わず見入ってしまった。そして、こういう所の教師でなくてよかったと思った。私がこういう学校の教師になれるのかどうかよくわからない。なれるかも知れない。しかし、生活のために働かざるを得ない、という以外ではこういうところの教師にはなりたくはない。まあ、この学校の先生達もそうだろうが。
集中心を欠く原因は楽しくないからである。楽しくないのにそこにいることを拒否出来ないからである。私だって、やりたくない仕事を無理矢理やらされていれば集中心をもとうとも思わない。それだけ原因が分かっていても、人の心は簡単には矯正も治癒も、そして教育も出来ない。そこがやっかいなところなのだ。
集中心を持とうとしない彼等に共通するのは、今生きている事がめんどうくさいと思う気持ちである。たぶん将来に靄がかかっていて、その靄は自分の努力で簡単に晴れるほどなまやさしいものでないこともわかっている。この世界では自分などたかが知れていることをすでにわかっていて、本当に自分が集中すべきところはこんな場所じゃないこともうすうすと分かっている。だが、ここで何年か我慢して勉強する振りをしないと、たぶん本当に集中すべきところと出会えないことも分かっている。
集中しないのは、集中しないと将来ろくな職に就けないぞ、といった大人の威しへの抵抗でもある。だからといって、確信犯なのでもない。やっぱり人間集中して生きた方がいいよな、という率直な気持ちを失っているわけではない。この、自分ではどうにもできない自分の中途半端さ、そして誰のせいにも出来ないのに、誰かのせいにしなくてはやってられない将来の見通しのなさ、それらを上手に忘れさせてくれて、集中心を持てるように導いてくれる先生がいたら… たぶん、みんなそう思って、ふてくされて学校に来ているのだ。
そういう先生になるのは大変である。ものすごい忍耐力と、人に関わることへの根っからの明るい好奇心がないとだめである。私は好奇心はあるが忍耐力がない。私の指導にうまく反応してくれないと、すぐに、自分はダメなんだと投げ出したくなる。それを何とか押さえて教師をやっている。教員を辞めない忍耐力だけは少しはあるようだ。
他者に影響を与え、その他者を変えていく(よく言えば成長させていく)ことを目的にする職業とは大変である。よくやってられるなあ、と時々自分に感心することがある。集中心の切れかかる私を上手く指導してくれる教員がいたらありがたいのだが。もう遅いか。
切れかかるわたしを見てて梅雨の午後
つまり生徒に集中心がまったくない。先生たちはテレビに映っているということもあるが、実に忍耐強く指導している。教育に関わる身として、思わず見入ってしまった。そして、こういう所の教師でなくてよかったと思った。私がこういう学校の教師になれるのかどうかよくわからない。なれるかも知れない。しかし、生活のために働かざるを得ない、という以外ではこういうところの教師にはなりたくはない。まあ、この学校の先生達もそうだろうが。
集中心を欠く原因は楽しくないからである。楽しくないのにそこにいることを拒否出来ないからである。私だって、やりたくない仕事を無理矢理やらされていれば集中心をもとうとも思わない。それだけ原因が分かっていても、人の心は簡単には矯正も治癒も、そして教育も出来ない。そこがやっかいなところなのだ。
集中心を持とうとしない彼等に共通するのは、今生きている事がめんどうくさいと思う気持ちである。たぶん将来に靄がかかっていて、その靄は自分の努力で簡単に晴れるほどなまやさしいものでないこともわかっている。この世界では自分などたかが知れていることをすでにわかっていて、本当に自分が集中すべきところはこんな場所じゃないこともうすうすと分かっている。だが、ここで何年か我慢して勉強する振りをしないと、たぶん本当に集中すべきところと出会えないことも分かっている。
集中しないのは、集中しないと将来ろくな職に就けないぞ、といった大人の威しへの抵抗でもある。だからといって、確信犯なのでもない。やっぱり人間集中して生きた方がいいよな、という率直な気持ちを失っているわけではない。この、自分ではどうにもできない自分の中途半端さ、そして誰のせいにも出来ないのに、誰かのせいにしなくてはやってられない将来の見通しのなさ、それらを上手に忘れさせてくれて、集中心を持てるように導いてくれる先生がいたら… たぶん、みんなそう思って、ふてくされて学校に来ているのだ。
そういう先生になるのは大変である。ものすごい忍耐力と、人に関わることへの根っからの明るい好奇心がないとだめである。私は好奇心はあるが忍耐力がない。私の指導にうまく反応してくれないと、すぐに、自分はダメなんだと投げ出したくなる。それを何とか押さえて教師をやっている。教員を辞めない忍耐力だけは少しはあるようだ。
他者に影響を与え、その他者を変えていく(よく言えば成長させていく)ことを目的にする職業とは大変である。よくやってられるなあ、と時々自分に感心することがある。集中心の切れかかる私を上手く指導してくれる教員がいたらありがたいのだが。もう遅いか。
切れかかるわたしを見てて梅雨の午後
なんたる偶然… ― 2009/06/28 00:29
今週の週末は久しぶりに家で過ごす。会議や研究会がないので、家で仕事である。といっても、なかなか仕事する気力がわかない。どうも恒常的に疲れが溜まっているのか、家にいるとすぐに眠くなる。やっぱり原稿の締め切りなどで切羽詰まらないと身体が動かないようになってしまっている。研究や仕事を学校の研究室でなるべくすませている教員がいるが、その気持ちはよくわかる。
私も学校にいるときはとにかく動きっぱなしで何かやっているので、仕事ははかどる。が、授業の準備などはいいが、原稿などを書くのはやはり家でないとまずい。何故なら、書けないとストレスが溜まるからで、寝っ転がったり、テレビを見たり、チビと遊んだりして、頭を休めてまた書き始める。学校ではそれが出来ない。
金曜日に国立の病院に奥さんと行く。大腸検査の専門医で、7月に入って内視鏡で大腸検査をすることになっているのでその事前検診だが、奥さんは胃の方を検査してもらうということで一緒に行くことにした。終わって国立駅前に出た。奥さんが美容院に行くというので私はどこかで時間を潰すことにした。国立駅近くにはKさんの住むマンションがある。訪問して時間を潰すのも手だが、忙しいだろうしいるかどうかもわからない。ただ、いれば中国の調査の話や、来年の御柱のシンポジウムのことなど話すことはある。が、今日は止めておこうというなどと考えていたら、目の前を、Kさんが横切るではないか。
なんたる偶然。颯爽と早足で歩いていく。慌てて呼び止めた。Kさんも驚いたらしく、何でここにいるの、というような顔をしていた。
ということで、K夫妻と私どもの夫婦で、Kさん推奨のアジアン風レストランに入ってお茶を飲み、四方山話。奥さんは美容院に行くのを中止。Kさんは明日、高校の同窓会の集まりで古事記をテーマにした講演をするという。日曜にはテレビ局のディレクターが来て、中国少数民族の歌垣番組の事などを話す予定。展開次第では、わたしも今年の夏に何度か調査に行った雲南省に行くことになりそうである。
それにしてもこういう偶然はあるものだ。今日は、午前中、アジア民族文化学会の運営委員宛の文書を作り発送する。午後は授業の準備でいろいろ調べ物をし始めようとしたが、つい眠くなり横になったら夕方近くになっていた。そこで、奥さんと車でチビを連れて砧公園に行って、チビの散歩をしようということになった。
砧公園はさすがにとても大きな公園である。だが、車の音がうるさい。還八と東名高速の際にあるためだろう。確かに散歩にはいいが、ただ、ファミリーパークという広い敷地には犬を連れて入れなかった。蚊に何カ所かさされ早めに切り上げて帰ってきた。
明日からは少しエンジンをかけて仕事をしないと、と思いながら暑い一日をぐたぐたと過ごした。
ぐたぐだと生きておればの暑さかな
私も学校にいるときはとにかく動きっぱなしで何かやっているので、仕事ははかどる。が、授業の準備などはいいが、原稿などを書くのはやはり家でないとまずい。何故なら、書けないとストレスが溜まるからで、寝っ転がったり、テレビを見たり、チビと遊んだりして、頭を休めてまた書き始める。学校ではそれが出来ない。
金曜日に国立の病院に奥さんと行く。大腸検査の専門医で、7月に入って内視鏡で大腸検査をすることになっているのでその事前検診だが、奥さんは胃の方を検査してもらうということで一緒に行くことにした。終わって国立駅前に出た。奥さんが美容院に行くというので私はどこかで時間を潰すことにした。国立駅近くにはKさんの住むマンションがある。訪問して時間を潰すのも手だが、忙しいだろうしいるかどうかもわからない。ただ、いれば中国の調査の話や、来年の御柱のシンポジウムのことなど話すことはある。が、今日は止めておこうというなどと考えていたら、目の前を、Kさんが横切るではないか。
なんたる偶然。颯爽と早足で歩いていく。慌てて呼び止めた。Kさんも驚いたらしく、何でここにいるの、というような顔をしていた。
ということで、K夫妻と私どもの夫婦で、Kさん推奨のアジアン風レストランに入ってお茶を飲み、四方山話。奥さんは美容院に行くのを中止。Kさんは明日、高校の同窓会の集まりで古事記をテーマにした講演をするという。日曜にはテレビ局のディレクターが来て、中国少数民族の歌垣番組の事などを話す予定。展開次第では、わたしも今年の夏に何度か調査に行った雲南省に行くことになりそうである。
それにしてもこういう偶然はあるものだ。今日は、午前中、アジア民族文化学会の運営委員宛の文書を作り発送する。午後は授業の準備でいろいろ調べ物をし始めようとしたが、つい眠くなり横になったら夕方近くになっていた。そこで、奥さんと車でチビを連れて砧公園に行って、チビの散歩をしようということになった。
砧公園はさすがにとても大きな公園である。だが、車の音がうるさい。還八と東名高速の際にあるためだろう。確かに散歩にはいいが、ただ、ファミリーパークという広い敷地には犬を連れて入れなかった。蚊に何カ所かさされ早めに切り上げて帰ってきた。
明日からは少しエンジンをかけて仕事をしないと、と思いながら暑い一日をぐたぐたと過ごした。
ぐたぐだと生きておればの暑さかな
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