藤野芸術村2009/06/01 10:05


 土曜は午後古代の会。新しいメンバーも加わったので、久しぶりに「詩経」を読んだ。帰りは飲み会。私は午前から高校教員説明会で疲れていたので、遅くならずに帰宅。

 昨日の日曜は久しぶりに一日空いた日で、奥さんとチビと藤野町に出かけた。美大を出てガラス工芸をやっている奥さんの姪が相模湖ちかくの藤野で行われている陶器市に自分が作ったガラスのオブジェを売っているというので、陶器市を見に行こうとなったのである。

 高速を使うと藤野駅まで45分でついてしまった。そこで奥さんの妹を拾い陶器市に出かけた。藤野町は今芸術村を作ろうとしているらしい。山道を上ると変な彫刻のオブジェがあちこちにある。芸術家が多く住んでいるのでそれを町興しにと始めたらしい。陶器市もその一環のイベントということだ。

 清風舎という陶房があって、その一角で姪の作品が売られていた。清風舎主宰の陶芸作家が作った白磁の作品展なども見学し、ガラスの水差しなどを買ってそこを後にした。歌手のウーアがいたらしい、と奥さんの妹が話していた。何でもこの近くに住んでいるということだ。子供のためらしいなどと話していた。

 相模湖の周りの山のあちこちに陶芸などの工房があってそこで作品展などが行われている。帰りに五日市に住んでいる奥さんの妹を送る。何しろ日曜は高速料金が安いので遠回りしてもいいやという気になる。五日市で今度は糸屋という織物の作家の作品等を展示販売している店を見に行く。竹林の中にあるアトリエ風の店である。

 妹を送り届けてから帰宅。帰り、八王子から調布インターまでは大渋滞。府中で降りて、甲州街道を行かずに多摩川沿いの道を通って狛江まで帰る。けっこう早く着く。複雑だったがこれは使える道である。ナビもこういうときは役に立つ。

 陶器市はなかなか賑わっていた。姪もそうだが、陶芸やガラス、織物、人形とか職人とは一味違う芸術家が、けっこうたくさんいるものだと実感した。みんなちゃんと食べていけるのだろうかと心配だが(姪もその一人なので)、何とかなっているのだろう。

 夜、NHKで韓国特集をやっていた。古代の任那は日本の支配化にあったという説はすでに覆されていて伽耶国のことであることは知っていた。が、伽耶国に日本人が傭兵として雇われていたという説もあるらしい。当時、日本には鉄は無かったので、鉄のあった朝鮮国家より強いということはなかった。伽耶国は日本人を雇い、武装させて他国と対抗していたということだ。

 百済との交流とかいろいろ話は展開していたが疲れていて私は途中で眠ってしまった。

                          古代の墓六月の夜夢うつつ