血圧を測る2008/10/02 00:46

 日曜の夜のトイレの修理は夜中の一時半までかかった。こういう水回りの配管修理は、二十四時間受付ている業者がいて、電話をするとすぐ来てくれる。どうやら、長いこと掃除をしていなかったのが原因で、パイプの継ぎ目のところが汚泥で詰まっていたらしい。たぶん10年から20年は掃除していなかったのではと言われた。なんせ30年もののマンションだから…

 ということで3万円もかかって一見落着。この修理費安いのか高いのか。とにかくトイレが使えるようになったのだから、安いと思わなきゃ。

 今日は午前中に医者に行く。いつもの血圧や痛風やコレステロールの薬をもらう。大岡昇平の『成城だより』に出てくる近所の医院なのだが、いつもにこにこして親切な老人の院長さんが診てくれる。診てくれるといっても血圧を測るだけで、その他は何も診ない。はい薬ね、と明るく言ってくれてそれで終わり。

 今朝、自宅で出がけに血圧を測ったら、下が97で上が150を越えていた。驚いてもう一度計ったら下が90に下がっていた。とにかく低くはないのでこれは薬をまだ飲まにゃいかんなと思って院長さんに血圧計ってもらったら、下が70で上が120、何の問題もないですねえ、と明るく言われた。さっきは高かったのですが、と言ったら、そういうのはよくあるんですよ、で終わり。この医者ほんまにだいじょうぶかいな、とやや疑念が湧いた。

 いずれにしろ、トイレのパイプとおなじで、わが血管はコレステロールという汚泥でつまり気味らしいのである。それで血圧が高いというわけだ。血管は簡単に掃除する訳にはいかない。最近流行りの血液サラサラの食事を心がけるしかない。それと運動。やれやれである。

 アジア民族文化学会の秋の大会(10月25日)の準備で大変である。ほとんど一人でやる。200枚の封筒に印刷した案内を折りたたんで入れていく。それに宛名シールを貼ってと、今週中にやらなくてはならない。

 とにかく、10月は超忙しい。いつも忙しいが…

   たましいがあればいいんだ秋の空

ボランティア2008/10/03 23:49

 アジア民族文化学会の案内の発送を今日終了。私は10時前に来て封筒詰めの作業。E君や会員の大学院生にも来てもらって手伝ってもらう。ポスターの発送は月曜である。午後は教養教育の人材養成目的の文書を作成する会議。この手の会議が今週は続く。

 今週はさすがに疲れた。どこも同じだとは思うが、私の学科もご多分にもれずいろんなトラブルを抱えていて、その解決やら後始末やらで奔走した一週間であった。管理職というのはこういう時のためにあるのだと痛感。こういう時に私がその職にあることの不運さを嘆くしかない。

 教育の場は、たくさんの人間の将来が投資されている場である。一方で厳しい競争の場でもある。当然、教育される側は競争の結果順位づけられ、何人かは傷つく。教育する側はそういう厳しさを肯定しながらも、同時にその傷をどう癒やしどう立ち直らせるか考えなければならない。

 一方、教える側だって大いに傷つく事がある。教える側もまた競争の原理はあり、みんながうまくいっているわけではない。教育する側はみんな大人であるので、こっちが傷つくとやっかいである。傷ついているのに傷を見せまいとするからである。大人はおおむね素直ではない。

 ところで私は傷ついてばっかりで素直でないから、ストレスがたまるばっかりである。ただ、人よりはストレス耐性はあるらしく、今のところ何とか無事である。この先はわからないが。

 私はこの一週間に、何人かの人に学生や大人も含めてだが、相手が落ち込むような内容の話をし、また私が落ち込むようなことを話された。バランスはとれているのだが、個人的なことではなく仕事や教育上のことではあるがつらい一週間であった。

 私は常々仕事というのは半分(3分の1でもいいが)はボランティアなんだと言っている。というのは、どんな仕事でもそこに人が関わる以上、そこには他者への奉仕という部分が必ず発生する。それを給料に換算したら、とてもじゃないが仕事なんてやってられなくなる。つまりどうしてもそれは給与以外の仕事であるのに、給与労働とは切り離せないものなのである。

 とすれば、そういうのはボランティアで、仕事というのはこういうボランティアはつきものなんだと覚悟するしかない。そう思わないと、これっぽっちしか給料もらってないのに何でこんなにみんなのために働らきゃならんのだと不満が出てくる。そうするとストレスだらけの毎日になる。
 
 ボランティアだと思えば、ボランティアが嫌いな人でも仕方ねえなあで気持ちの整理がつく。好きな人なら、楽しく働けるというわけだ。ちなみに、私はボランティアは好きではない。こうやって生きている事がすでにボランティアみたいなものだから、今更ボランティアなんてやりたくないという気分なのである。だから、仕事が抱え込むボランティア活動は、まあこれが俺の人生なんだとあきらめている。

 言っておくがボランティアというのは給与を払う資本家に施すものではない。他者と関わらない仕事はない。そうすれば助けたり助けられたりする関係が嫌でも成立する。その関係は労働価値に換算されないはずだ。が、それなしに労働が成立しないとすれば、その価値は、無償の労働価値であり、ボランティアとでも呼ぶしかないものである。

 もう一つ言っておけば、生産のための労働価値を否定してここでいうボランティアのような無償の労働を価値として独立させるのは、ほとんど宗教である。だから独立させてはいけない。人は生活するために働いているのであって、他者に奉仕するために生活の糧を得ているわけではないからだ。

 低い給与で過酷な労働に人が耐え得るのはこのような無償の労働価値があるからでもある。その意味ではボランティアは資本家を利するものであるが、しかし、だからといってそれを無くしたら、労働それ自体を非人間的なものへと疎外する。

 難しい話になってきたが、要するに、たかが仕事のために人の足を引っ張り合って自分の品格をおとしめるより、みんなで助け合いながらわいわい楽しく仕事をした方がいいだろう(たとえ楽しそうな仕事でなくても)ということである。楽しく仕事をするにはある程度のボランティアが必要だということだ。

 さて私は、今、楽しく仕事をしようと必死になっているのだが、どうもうまくいかない。私のボランティア精神はどうも空回りしているらしい。私がボランティアが嫌いだと言うことをみんな気づき始めたらしい。

                     落ち葉を踏みしめて踏みしめていく

私の年金問題2008/10/07 00:36

 最近いい話は少しもない。これは私の気持ちの持ち方なのだろうかと反省。世界経済と同じで少し暗いトンネルに入ってる気分である。原因は忙しいという一言に尽きる。その忙しさは論文を書く忙しさでなく全部雑務である。授業や研究のための忙しさなら苦にならないが雑務は苦になる。

 年金かいざん問題で社保庁の課長が、自分たちの責任をいかに回避するかという見え見えの話し方で記者の質問に答えていたが、雑務の仕事は時にこの課長のような仕事ぶりになる。つまり、今ある組織とそこで働く人間をいかにうまくまわすか、言い換えれば、いかにうまく延命させるか、という目的のために働くということである。社会的な使命感で仕事をしていないのだから、責任は感じているのか、と問われても戸惑うだけだろう。雑務をやっているとそういうことがよくわかる。

 むろん、それが悪いということではない。仕事は仕事のためにあるいは生活のためにやればいいわけで、そこに変な理想を入れる必要など無い。が、それだけで満足しないというのも人間で、人間とはやっかいである。私はもともとルーティンワークが嫌いなのでこういう仕事をしているわけだが、別に好きな人がいてもいい。 

 その私が雑務ばかりをやるようになるなんて思ってもみなかった。世の中上手くいかないものである。ただ、私は少しうぬぼれていてこの程度の仕事などなんてこと無いという態度を示すものだから、つい引き受けてオーバーワークになる。実はなんてことはあるのだ。

 ついでに言うと年金かいざんなんて昔から常識として知られていたそうだ(奥さんの話によると。奥さんは健康保険組合にいたのでこういうことには詳しい)。つまり、中小企業は従業員の年金の半額を負担できないので、年金自体を払わないケースがかなり多かった。それで救済策として給与の額を減らして年金額を落とすことで年金が途絶えないようにと画策したらしい。年金がストップするより額が減っても続けた方が結果的には従業員にとってもいいという判断で、そういうケースが多かったらしい。つまり、社保庁が年金実績を上げるためにやったというのは少し社保庁を虐めすぎだということである。まあ今までの仕事ぶりからして虐められたとしても仕方ないと思うが。 

 ところで、私は20代に8年ほど働いていて厚生年金も払っていた。今は私学共済だが、私の年金記録がどうなっているか、たぶん無くなっているんじゃないかと心配である。年齢的にそろそろ年金特別便とやらが来る時期なのだがまだこない。あの社保庁じゃ信用おけない。自分のことになるとやっぱり不安である。

                       秋声や目を瞑りてさがしけり

アジアの歌の音数律2008/10/07 23:48

 今日の会議はすごかった。朝の10時半から始まって、終わったのが7時。6つの会議に出た。1日の会議としてはたぶん新記録だ。

 実は朝4時頃チビが寝ぼけたのか突然私の寝床に潜り込んできた。それで抱きかかえてチビを自分の寝床に戻したのだが、それからいろいろ考え事が頭の中を廻って眠れなくなってしまった。お蔭で睡眠不足。それなのに会議の連続で、夕方私は意識を失わないようにするので精一杯であった。

 これだけ会議が続くといったい今日は何を聞いたのかほとんど頭に残っていない。まあ半分は儀式みたいな会議だからそれでいいのだけど。

 アジア民族文化学会の2008年秋の大会の案内を送ったのだが、出欠の返送ハガキに、2007年とあるが2008年の間違いですねと書いてあった。いかん、またやってしまった。急いでい仕事をすると時々こういうポカをやる。去年の原稿を手直しして使うものだから2007年を直すのを忘れてしまった。でも、1年前の2007年に行う案内が来ているとは思わないだろうし2008の間違いだと気付いてくれるだろう。他の文章にはきちんと2008と入っている。そうやって自分をなぐさめた。

 今度の大会は10月25日である。アジアの歌の音数律の第二弾である。出来ればこのテーマで本を出したいと思っている。音数律という視点からアジアを眺めてみようという面白い企画である。日本の和歌は5・7音の音数律だが、この5・7音はアジアの少数民族に割合共通する。それが何故なのか、そもそも歌にとって音数律とは何なのか、ということを解き明かしたい。

 歌と言っても、声のレベルの歌から文字を読むというレベルの歌までいろいろある。あるいは短い歌の長い歌ではまた違う。そういう違いを前提にしながら、音数律とは何か、アジアにとっての音数律とは何か、といったことが見えてくれば相当面白いだろう。

 今日家に帰ったら、日本人3人がノーベル物理学賞を受賞したとのニュースでお祭り騒ぎであった。素粒子理論の開拓者3人にノーベル賞が贈られたということだ。

 テレビのキャスターが、素粒子理論は私たちの生活にどんな意味があるのですか、と解説者に真面目に聞いていた。確かに、聞いてみたくなる気持ちはわかる。これは、アジアの歌の音数律が私たちの生活とどうかかわるのかという質問と同じである。解説者は、素粒子理論は文学ですと答えていた。なるほどそういう答え方があるのか。でもアジアの歌の音数律は文学じゃ当たり前すぎる。

 世の中に役に立たない知識なんてない。ただそれが何時どのように役に立つのか説明できる知識なんてほんの一握りなんだ、とここでは答えておこう。

                     嗚呼秋の雨に打たれてるニュースよ

朱蒙2008/10/09 00:29

 今日の民俗学の授業はビジュアルフォークロア製作の「神と語る人々」というシャーマニズムの映像作品を見せた。バリ島のシャーマニズム、台湾のタンキー、韓国のムーダンとあって、なかなかよく出来た作品だ。反応もいい。かなり衝撃的だったらしい。確かに、人間が神懸かる映像だから、こういうのは余り見たこと無いだろうし、ある意味で人間が異常になっていく映像だろうからショックだったろうと思う。

 けっこう「怖い」という反応が多かった。女の子らしいなとも思うが、たぶんこの「怖さ」は防衛機制だろうと思う。つまり、自分がその世界に引きずり込まれて傷ついたり引き返せなくなる事への防御反応だということだ。それだけ感じやすいということだ。

 私は自分で少数民族のシャーマンの取材もしていることもあってこの手の神懸かりの映像はたくさん持っている。「憑依の文化論」と称する民俗学の授業では、まず神懸かりの映像をたくさん見せて、こういう文化が現実にこの世にあることを見てもらうことにしている。拒否反応もあるが、まずは、好奇心の刺激から入るのが私の授業のやり方だ。

 帰ってBSフジで「朱蒙」を見る。いきなり15年後になっていた。朱蒙とソソノは結婚し、朱蒙は大王になった。二人の息子がいて、それぞれ第一王子、第二王子となっている。朱蒙の本来の妻イェソヤと息子のユリは死んだと思われているが、何とか無事朱蒙の住む都に戻る。が、その時朱蒙とソソノの結婚式の最中であった。二人は新しく建国した国の分裂を防ぐために結婚したのである。それにしても何というすれ違い。イェソヤは夫の結婚式を遠くから眺め涙を流しながらひっそりと去る。涙、涙である。

 今回突然15年経って、イェソヤは国境の村でひっそりと生きている。朱蒙の息子は成人し密貿易に手を出す悪党集団のボスになっている。ところが、国境の村にやってきた朱蒙の部下がイェソヤを見かけてしまう。それを朱蒙に知らせる。さあどうなる、来週のお楽しみである。こういうようにあらすじを話すのはまだ見ていない人には気の毒なのでここいらへんで止めておこう。

                     犬には犬のさみしさ秋の暮れ

アニミズムと素粒子2008/10/11 00:17

 今年の物理学ノーベル賞を受賞した益川・小林両博士の発言はなかなか面白い。今日、K氏と勤め先の大学の近くの出版社に行き、アジア民族文化学会のシンポジウムの成果を本にしようと交渉してきたのだが、その席上でK氏は小林氏の発言が面白いと何度も強調していた。

 小林氏は、日本で物理学の特に素粒子理論が世界的に優れている理由について、日本は西欧と違って一神教ではないから、と述べている。それがすごいというのだ。つまり、根源の根源のような素粒子の存在をイメージするときに、一神教は、ある固定的な前提(真理)にとらわれてしまう。多神教であるアニミズムの日本ではそういう真理にとらわれないから自由に発想できる、ということだろう。

 確かに南部博士の対称性の破れなんていう発想は一神教からはなかなか出てこないアイデアかも知れない。われわれはアジアの歌文化や神話を研究しているとどうしてもアニミズムに回帰するところがある。というより、アジアの歌文化も神話もアニミズム文化なのである。そういうアニミズムへの親近感がノーベル賞の物理学者によって語られた、というのでK氏は感激したようだ。今度出す親書本の後書きにさっそくこのことを書いたと興奮気味にしゃべっていた。

 今度出そうと思っている本は、学会で今企画している「アジアの歌の音数律」なのだが、出す方向でまとまりつつあるが、いくつか越えなければならないハードルがある。最大のハードルは売れる本を作る、ということである。専門家向けの本は出さない。一冊1万円で2・300冊しか刷らないというような本になってしまうからだ。

 しかし、それほど一般受けする企画ではない。が、企画自体は今まで誰も試みたことがないテーマである。面白いはずだと思うのはそれを研究しているわれわれだけなのだが、しかし、一般に好奇心を掻き立てるやりようはいくらでもある。そういうプレゼンテーションの能力も今は必要なのだ。 

 それから、タイトルを何とかしてくれと言われた。「音数律」なんていうことばは学術的過ぎて誰も振り向かないというのである。確かにそうだ。私としては内容そのものをずばり表すタイトルだと思っているが、本として売るには、そういう発想は捨てなくてはならないのである。まさに、私が、一神教的な発想でなくアニミズム的なアイデアを出さなくてはならないということだ。

 果たして売れる本にすることか出来るか。論集だから、それぞれの執筆者に(私も執筆者だが)いかにも論文らしい書き方でなく、分かりやすい好奇心を満足させる文章を書いて欲しいと頼まなくてはならない。これが一番難しい。私はある程度こういう書き方は得意なのだが(そのかわり専門的な論文は苦手だが)、専門の研究者にはなかなか難しい注文である。

 それから値段の問題もある。高いと買ってくれない。値段を抑えるためには部数を増やすのと、本の頁数を増やさないことである。この本の売れない時代、ましてや文学関係の研究書がほとんど売れない時代に、さらに何枚でも原稿を書いてしまう研究者が書くのである。このハードルはかなり高い。が、これを越えなければ本は出ない。

 とにかくもう一度詳細に検討してまたご相談ということで今日は終わりにした。企画は通ったが、本にする為にはまだ詰めが必要だということである。

 明日は研究会なので、K氏と別れ帰宅。どうせ明日研究会の後飲み会になる。ところが明日は午前中、私の住むマンションの住人の親睦会があってバーベキューをやることになつている。実は、私どもはその親睦会係なので準備をしなければならない。それで研究会には間に合わなさそうだが、何とか途中で抜け出して行くしかない。奥さんはマンションの住人としょっちゅう会って親しいのだが、仕事で忙しい私はほとんど知らない。だから明日は、マンションの住人への私の顔見せでもある。どうなることやら。

ひとつ家に犬も家内も秋の暮れ

マンションの住人2008/10/14 00:32

 連休は日曜日に久しぶりに家に居て買い物などしただけで、土曜は研究会、月曜は授業で出講と、相変わらずである。身体の疲れもピークに来ているらしく会う人ごとに疲れてますね、と言われる。出版社に行ったとき、担当のTさんが雑談で、管理職になった奴で健康な奴はいないという話になった。それあたってます。

 どうやったら管理職にならないですむか、いい方法がないものか。仕事は半分はボランティアだなどとブログに書くべきじゃ無かったと後悔している。ああ書けば管理職を断る理由がなくなる。

 土曜の午前中に私の住むマンションでバーベキューの懇親会。庭にシートを引いての食事会である。6家族ほど集まった。越して来たばかりの私どもの歓迎会も兼ねている。今時珍しいマンションである。長屋のようなところだ。何でもこのマンションを建てたばかりの頃は、毎週のようにパーティをやっていたがそのうち飽きてしまってやらなくなったということだ。いったいどんなマンションなんだ、と思われるだろう。不思議なマンションである。みんなで出資して作ったコーポラティブハウスであるとは聞いていたが、とにかく住民はみんな仲間みたいなもので、お互いの家のことをよく知っている。もし、私どもが彼等の中に入れなければけっこうきついところかも知れない。でも、中には、他の住人とほとんど会ったことがない著名な物書きがいるそうな。変人もいるそうである。

 15戸のマンションだが、かつては6戸が大学の教員だったということだ。会社の勤め人ではない、そういう職業の人が多いのだという。ポーランド文学の研究者で著名なK氏もこのマンションの住人である。この8月に亡くなられた。この人もけっこう変人だったらしい。私も変人になりたいものだ。

 ちなみにこのマンションの4軒隣に、3軒の建売住宅が並んで建っていてまだ売れていない。実はその敷地は世界的に有名な映画監督の家だったそうだ。けっこう有名人のいるところに私は越してきたらしい。

                           初紅葉吊り広告を眺めたり

友愛の物語2008/10/16 00:11

 ケストナーの『飛ぶ教室』を読む。先日、神田ブックフェスティバルの企画をしている読売新聞の人たちとの打ち合わせ。11月2日に三浦しをんとテレビのコメンテーターで顔を見かける橋本五郎氏と私の勤め先の大学で対談をすることになっているのだが、その打ち合わせである。私の推薦図書はすでにだしておいたが、しをんさんの推薦図書を見て驚いた。

 中井英夫の『虚無への供物』と大西巨人の『神聖喜劇』が入っている。げげっ、『神聖喜劇』は全五巻だぜ。それを読まなきゃならんのか。それにしても、少しは手加減してよ、と言いたくなる選び方だ。その若さで何で大西巨人なんだ…と言いたくもなるが、まあ、そうはいってもしょうがないので、まず推薦された本の中で一番読みやすい少年文学の『飛ぶ教室』から読み始めた。

 1933年のナチスが支配し始めたドイツで書かれたこの少年文学は、涙がでるほど美しい本だ。ケストナーの本はナチスによって焼き払われたが、この本は焼かれずに読まれたらしい。寄宿舎の少年たちと先生たちとの美しい愛に満ちたこの物語は、同じ教育の場にいる私には、ほとんどお伽噺だが、ヨーロッパ教養主義が夢見る理想がよくわかる。

 私の勤める学校の建学の精神の中に「友愛」というのがある。『飛ぶ教室』はこの友愛の実現を描いたものだ。三浦しをんが何でこの少年たちの友愛の物語を選んだのかはよくわからない。まさか、BLの原型を見出したのではないか、などと評したら顰蹙ものだろう。いやここは素直に、私だってこういう少年の友愛世界に感動する魂はまだ持っている、と言っておこう。

 私は教師と言うこともあるが、純粋な教師ものの物語は嫌いではない。そういう映画もよく観る。現実ではあり得ない物語でも、そこには教師という像へのある夢が語られていて、やっぱり、そういう夢は捨てがたいのである。私も少しは理想主義者の部分を持っている、ということかも知れない。

 ただしこういう美しい少年の友愛の物語をナチスに憧れた少年達もまた夢中になって読んだのだということは覚えておかねばならないだろう。例えば同時代にジャンコクトーは『恐るべき子供たち』を書いている。友愛とは対極の子供の世界である。暗い結末のこの本は美しい涙で読み終える本ではないが、むしろこっちを読んでいる自分の方に自由というものがある。理想主義の本は人を不自由にする。それがナチスのドイツに受けいれられた一つの理由だったかも知れない。

 打ち合わせの時、読売新聞社の人たちが、紙袋いっぱいに、三浦しをんが推薦した本を詰めて来て私に渡した。要するに読め、ということである。やれやれである。

                          秋の日美しき物語を積む

学園祭の準備2008/10/17 23:54

 今日は明日の学園祭の準備のため休講。ただし、私は会議が三つも入っている。午前は、読書室委員有志が学園祭で古本市を行う準備をするので、手伝い。まずは会場となる教室の机や椅子などを並べ替える。

 古本バサー用の本はけっこう集まった。これだけ集まれば本屋らしい雰囲気が出てくる。それ以外に読書室の本を並べ、読書レポートの中から選んだ文章をパネルにして展示。読書室委員たちの朗読コーナーもある。学生達がどこまでやるかちょっぴり不安だったが、心配は杞憂だったようだ。みんな一生懸命に飾り付けの色紙を切ったり、案内の貼り紙などを書いている。

 飾りつけも終わり、何とか本がたくさんという感じの部屋になった。明日から学園祭だが、盛況であればいいのだが。

 午後は、2時から6時まで会議。さすがに疲れた。最後はFD委員会。授業評価のアンケートを授業改善のためにどう活用するか、というのがテーマ。教員にアンケートの結果が戻ってくるが、それをどう改善するかはだいたい教員の自主的な努力に任される。が、だんだんとそういうのではだめだということになってきて、大学という組織としてどう取り組むのかということが問われている。教員の自主性は信用されていないのである。

 ということで、まずは教員が戻ってきた自分のアンケートの結果を見て、レポートを書いて提出しようという方向で話がまとまった。そのレポートには自分の授業の改善点、つまり努力目標を必ず書く。半期経った後の次のアンケートの時に、その改善点はどういう結果になったのかをまたレポートする。それを繰り返すことで自分の授業の方法や技術を磨いていこうというのである。

 いやはや教員も大変な時代になった。私などどうやったら上手く授業できるのかいまだに悩んでいる。その悩みを意識化することで、授業改善に何とか効果をあげろという提案である。実は提案したのは私で、管理職の立場から提案せざるを得なかった。自分で自分を大変な目に遭わせている。こういう時期に管理職になった私は気の毒である。やれやれである。


 家に帰ったらチビが玄関まで向かえに来て私に向かって吼える。おいおい誰に向かって吼えてる、と言ってやっとわかったらしくすごすごと自分の寝場所に戻っていく。帰ってもいつもは何の反応もない。窓の下の公園を散歩の犬が通ると、ソファーの背に前足をかけて背伸びをし、窓の外を見て吼える。そのポーズ面白いのだが近所迷惑である。

                        天高し背伸びする犬笑う猫

古本バザー終わる2008/10/19 23:06

 学園祭での文科読書室委員有志の古本市が終わった。なかなか盛況だった。試みとしてはユニークだったように思う。読書室委員の学生がアイデアを出して一生懸命にやってくれたので、うまくいったのかなと思う。

 文庫は50円で売ったが、この安さがうけて100冊売れた。でも5千円である。ある人が募金に5千円入れてくれた。みんな驚いたが、100冊売れても結局はその募金額と同じである。が、100冊売れたということは何十人もの人にこの試みが伝わったということであり、これはお金では量れない効果である。

 2日間の本の売り上げは2万円ほどで募金を併せて2万5千円である。たいしたものである。全部ユニセフに寄付する予定。

 残念だったのは朗読会に人が集まらなかったこと。プロジェクターを使ったりなかなか面白かったのに、やはりきちんと宣伝しないとだめなのか。今日、昨日売れた文庫本の補充に、早川文庫のSF作品を10数冊持って行った。本屋では手に入らない古典的な作品である。私のコレクションから吟味して持っていったのだが、あっという間に売れてしまった。さすが貴重本はすぐ売れる。多少後悔の念が残った。

 天気に恵まれたせいか学園祭は盛況だった。都心の学園祭なので、心配であったが、けっこう男の子が多かったのは、女子大の学園祭ならではの光景である。ナンパ目的で来る男子どもも多かったようだ。

 夕方後片づけをして、学生達とイタメシ屋に行って打ち上げの食事会。私は昨日から歯の治療中で抗生物質を服用しているのでアルコールは飲めない。ウーロン茶とライチジュースで乾杯した。この企画どうなることかと思ったが、無事終わった。みなさんお疲れ様でした。

                     君らは豊年の如く火照りけり