ものもらい2008/10/28 22:48

 どうも右目の下まぶたに違和感があって、また結膜炎かなと医者に行ったら、これは「ものもらい」ですよ、と言われた。子供の頃かかった記憶があるが、この歳でものもらいになるなんて。三浦しをんとの対談が次の日曜だと言うのに、片目を腫らして行くのか。情けないことである。

 医者に抗生物質を処方してもらい、何とか早く直さないと。実は昨日は歯医者に行って虫歯の治療をしてきた。先週、奥歯の神経が化膿しているらしいと言われて、歯肉を切開してレーザーを照射しましょう、などと言われていたのだが、前歯に虫歯が見つかって、こっちが先ですね、と言われて虫歯の治療となつた。

 「ものもらい」は病名は「麦粒腫」と言うらしい。「ものもらい」は俗語で関東圏を中心に広がっている言い方らしい。全国では他の言い方に「 めばちこ」、「めばち」、「め いぼ」、「めぼ」などがある。「ものもらい」の由来は、「三軒の家から米をもらって食べるとなおる」(福島県東白河郡)「よその家へ乞食に行くと、めこじき(ものもらい)が治る」(岐阜県土岐市)などがある。(以上はロート製薬のホームページから)

 乞食に行くと治るというのがおもしろい。おそらく、忌避される、ということにひっかけた由来だろう。つまり乞食はみんなから忌避されるからそのように忌避されて治るようにと、乞食の名がついたということのようだ。推測だが。

 ということは、人に忌避されることをすると治るのかも知れない。抗生物質より効き目があったりして。でもそんなことむずかしい。無意識に行動することで忌避されることはよくあるが、忌避されるように行動するということはかなりの勇気がいる。まあ抗生物質に頼るのが無難だ。

 日曜から丸山健二『水の家族』、大西巨人『神聖喜劇』を読み始める。神聖喜劇は全五巻、一巻がそれぞれ五百五十頁はある。まず第一巻を読み終え、第二巻目に入ったが、さすがに授業の準備や雑務ではかどらない。『水の家族』はすらすら読める。若いときに丸山健二はよく読んだが、最近は読んでない。そうかこういう小説を書くようになっていたのか。『水の家族』は死者の語りで構成された物語だ。

 人知れずに死んで朽ち果てていく屍体となった死者が、霊となって自分の家族の一人一人に寄り添い、家族の一人一人のこの世の姿を語っていく。こういう語りは初めてで、刺激的であった。これはまさに文体の力でなりたつ小説である。

 それにしても『神聖喜劇』はどうする。軍隊という非日常の世界に入り込んだ虚無主義者のインテリが、自分の自意識を全開にして、狂気の日常を微細に描いていく。今週中に読めるか?無理だろうなあ。

                        行く秋や妄想を出で水を飲む