私の年金問題2008/10/07 00:36

 最近いい話は少しもない。これは私の気持ちの持ち方なのだろうかと反省。世界経済と同じで少し暗いトンネルに入ってる気分である。原因は忙しいという一言に尽きる。その忙しさは論文を書く忙しさでなく全部雑務である。授業や研究のための忙しさなら苦にならないが雑務は苦になる。

 年金かいざん問題で社保庁の課長が、自分たちの責任をいかに回避するかという見え見えの話し方で記者の質問に答えていたが、雑務の仕事は時にこの課長のような仕事ぶりになる。つまり、今ある組織とそこで働く人間をいかにうまくまわすか、言い換えれば、いかにうまく延命させるか、という目的のために働くということである。社会的な使命感で仕事をしていないのだから、責任は感じているのか、と問われても戸惑うだけだろう。雑務をやっているとそういうことがよくわかる。

 むろん、それが悪いということではない。仕事は仕事のためにあるいは生活のためにやればいいわけで、そこに変な理想を入れる必要など無い。が、それだけで満足しないというのも人間で、人間とはやっかいである。私はもともとルーティンワークが嫌いなのでこういう仕事をしているわけだが、別に好きな人がいてもいい。 

 その私が雑務ばかりをやるようになるなんて思ってもみなかった。世の中上手くいかないものである。ただ、私は少しうぬぼれていてこの程度の仕事などなんてこと無いという態度を示すものだから、つい引き受けてオーバーワークになる。実はなんてことはあるのだ。

 ついでに言うと年金かいざんなんて昔から常識として知られていたそうだ(奥さんの話によると。奥さんは健康保険組合にいたのでこういうことには詳しい)。つまり、中小企業は従業員の年金の半額を負担できないので、年金自体を払わないケースがかなり多かった。それで救済策として給与の額を減らして年金額を落とすことで年金が途絶えないようにと画策したらしい。年金がストップするより額が減っても続けた方が結果的には従業員にとってもいいという判断で、そういうケースが多かったらしい。つまり、社保庁が年金実績を上げるためにやったというのは少し社保庁を虐めすぎだということである。まあ今までの仕事ぶりからして虐められたとしても仕方ないと思うが。 

 ところで、私は20代に8年ほど働いていて厚生年金も払っていた。今は私学共済だが、私の年金記録がどうなっているか、たぶん無くなっているんじゃないかと心配である。年齢的にそろそろ年金特別便とやらが来る時期なのだがまだこない。あの社保庁じゃ信用おけない。自分のことになるとやっぱり不安である。

                       秋声や目を瞑りてさがしけり

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