朱蒙2008/10/09 00:29

 今日の民俗学の授業はビジュアルフォークロア製作の「神と語る人々」というシャーマニズムの映像作品を見せた。バリ島のシャーマニズム、台湾のタンキー、韓国のムーダンとあって、なかなかよく出来た作品だ。反応もいい。かなり衝撃的だったらしい。確かに、人間が神懸かる映像だから、こういうのは余り見たこと無いだろうし、ある意味で人間が異常になっていく映像だろうからショックだったろうと思う。

 けっこう「怖い」という反応が多かった。女の子らしいなとも思うが、たぶんこの「怖さ」は防衛機制だろうと思う。つまり、自分がその世界に引きずり込まれて傷ついたり引き返せなくなる事への防御反応だということだ。それだけ感じやすいということだ。

 私は自分で少数民族のシャーマンの取材もしていることもあってこの手の神懸かりの映像はたくさん持っている。「憑依の文化論」と称する民俗学の授業では、まず神懸かりの映像をたくさん見せて、こういう文化が現実にこの世にあることを見てもらうことにしている。拒否反応もあるが、まずは、好奇心の刺激から入るのが私の授業のやり方だ。

 帰ってBSフジで「朱蒙」を見る。いきなり15年後になっていた。朱蒙とソソノは結婚し、朱蒙は大王になった。二人の息子がいて、それぞれ第一王子、第二王子となっている。朱蒙の本来の妻イェソヤと息子のユリは死んだと思われているが、何とか無事朱蒙の住む都に戻る。が、その時朱蒙とソソノの結婚式の最中であった。二人は新しく建国した国の分裂を防ぐために結婚したのである。それにしても何というすれ違い。イェソヤは夫の結婚式を遠くから眺め涙を流しながらひっそりと去る。涙、涙である。

 今回突然15年経って、イェソヤは国境の村でひっそりと生きている。朱蒙の息子は成人し密貿易に手を出す悪党集団のボスになっている。ところが、国境の村にやってきた朱蒙の部下がイェソヤを見かけてしまう。それを朱蒙に知らせる。さあどうなる、来週のお楽しみである。こういうようにあらすじを話すのはまだ見ていない人には気の毒なのでここいらへんで止めておこう。

                     犬には犬のさみしさ秋の暮れ

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