作者とは何だろう2010/11/01 01:27

 ブログも久しぶりである。相変わらず忙しい一週間でブログを書く暇がなかった。第三者評価の報告書を書き上げ、そして、今週から始まったアカデミーの万葉集講義の準備をして、そして週末には、短歌時評の原稿を書く、ということで、いつもの一週間の作業に以上の作業が加わって、さすがにくたびれた。

 とくに、市民講座であるアカデミーの授業は下調べがけっこう大変で、時間がかかる。おかげで好評なのだが、調べでいるとついあれもこれもと調べはじめていつもしゃべりきれない量の資料になってしまう。反省すべき所である。

 短歌時評の方は、山田消児『短歌が人を騙すとき』の感想を述べながら、作者とは何かということについて論じた。ある歌人が18歳の少女を装って新人賞に応募し、新人賞を受賞したということが話題になった。作者詐称ということで、この時かなり批判された。この批判によって作品があまり読まれないという不幸なことになったが、このような嘘がつきつけたものは、結局作者とは何だということになろう。

 28日の朝日新聞夕刊に「消えゆく作家像」という記事が出ていた。最近作家が小説を別の名前で書いたり、複数の作家が一つの作品を共有のペンネームで書いたりする事があるということが話題になっていて、近代以降の文学における作家の自明性そのものが疑われ始めているとその記事は書いている。

 ライトノベルの世界で確かにそのような事態は起こりつつある。ここいらのことは東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』に詳しい。作者の自明性は近代以降の自然主義的リアリズムが支えてきたといえるだろうが、確かにそのようなリアリズムが失われつつあるとは言える。つまり、自我の大きな物語を作れない作者は、それこそ個々の小さな物語の中に閉じこもるしかないわけで、そういった個々がみんなで共有のファンタジーを作るか(セカイ系のように)、それとも、個々の小さな居場所をただ確認するしかない作者のささやかな存在証明程度に、作者像を後退させるか、というところにある、といえよう。

 一方、笙野頼子のように、自分の存在証明を神話のような荒唐無稽の言説そのものに重ねるところまでくると、現代において作者像を担保することは、一種の憑依といえるまでに言葉に自分を賭けないといけないのだなと思わされる。つまり、作者像を明確にする分かりやすい物語などもう成立しないということだ。

 その意味で短歌というのは、そもそも言葉に賭けるしかないところでの表現行為でなりたっているところがあるから、作者というものに本来まどわされなくていいのだが、それでも、近代以降の自然主義リアリズムの影響は大きく、やはり作者というのは表現を支えるリアリズムの保証として欠かせないものだったのだ。が、そろそろ作者などと云う存在への関心は低下していくと思われる。

 と以上のような事を今日書いたのだが、さすがに疲れた。

 今週は遠方から卒業生が来訪。うれしかった。また30年も前の、二部の学生時代の同級生から連絡が突然あり、私が書いた小論文の参考書を送って欲しいと言って来た。早速送った。二部の同級生は皆私より十歳下だからもう50歳にはなっていよう。みんな年を取ったものだと思う。

秋雨やたまには良いことだってある

文化の日に映画を観る2010/11/04 00:13

 文化の日、天気が良くて出かけたいところだが、授業の準備でそれどころではない。奥さんは稽古事で留守。日曜に本番があるそうでけっこう練習に忙しい。午後まで明日の万葉集講義の準備。それが終わって、近所といっても遠いがツタヤに行き、DVDを借り、それから西友によって夕方の買い物。ツタヤでは、四本千円なので、新作を一本と旧作三本を借りる。全部は見られないが、千円だから。

 夜、新作を観る。「オーケストラ」という映画で、ソ連時代のボリショイオーケストラを当局ににらまれて解雇された天才指揮者は30年後そのオーケストラの劇場の掃除夫をしている。パリからオーケストラ宛の招聘のFAXを見た指揮者は、かつて一緒に解雇された仲間を集めて、自分たちがパリで演奏しようと画策する。

 かつての団員たちは、落ちぶれて様々な職業についている。果たして演奏できるのかどうかわからない。とにかくなんとか数を集めて、自分たちがオーケストラだとパリの劇場をだましてパリに行く。リハなしの本番で演奏をやることになる。曲はチャイコフスキーのバイオリン協奏曲。指揮者はソリストに著名な若手の女性バイオリニストを指名。実は、そのバイオリニストはかつてオーケストラを解雇された時の出来事に因縁があった…

 ほんとうに演奏はうまくいくのか。はらはらさせながら感動させるのは、この手の音楽映画の手法で、とりあえずうまくできていて面白い映画です。ソ連の共産党の幹部が狂言回しの役をやっていてこれが笑える。彼は30年前指揮者を破滅させた張本人だが、指揮者の計画に積極的に協力する。後で実はフランスの共産党の大会に参加するためだとわかるのだが、この大会がほんとうにちょぼちょぼの人数で、かわいそうになる。けっこう笑える映画です。

 某国文関係の雑誌から原稿依頼がある。なんと「益田勝実」である。研究史の特集を組むらしい。何で私がと思ったが了承の返事を出す。ちくま文庫から出た五巻の「益田勝実の仕事」は買い揃えてあるので早速読み出す。締め切りは来年だが、今からきちんと読んでおかないと。まず説話関係の論文から読んでいるが、読み出すとけっこう面白い。

 今同時進行で読んでいるのが、加賀野井秀一『メルロ=ポンティ』。伝記兼解説本だが、読みやすくてこれも面白い。やっぱりメルロ=ポンティだよなとつくづく思う。哲学で私が一番一生懸命に読んで、親近感が持ててよくわかるなあと思ったのがメルロ=ポンティである。加賀野井の本はまだ全部読んでないが、もう一度『知覚の現象学』を読んでみたくなった。

                    読み終えぬ本ばかりなり文化の日

縁故ということ2010/11/07 01:12

 今日は実は新任採用教員候補者の実技と面談。複数の候補者と面接をしたが甲乙つけがたい。が、みんなで討議し一人に絞り込む。感想としてはたぶん私一人で選んだらこういう結果になってなかったろあなというもの。やはりこういう選考は何人かできちんと手続きを踏んでやるものだと感じた。

 が、私もそうだが、教員は多くの場合、だいたい縁故採用である。むろん、それなりの業績があってこそであるにしても、最近はこういう採用はかなりなくなってきた。

 ただ、こう思うこともある。どんな職場にも、何倍もの競争の中で勝ち抜くような選考だったら絶対採用されないよねこの人、という同僚が必ずいる。早く辞めてくれないかなあと陰口を言われている人もいる。が、それもまた社会というものの有り様ではないか、と思う。運不運があり、偶然があり、縁故があって、何かの間違いというのもたまにはある。そういつたことによって採用不採用というものが決まる、ということは、ある意味での、わたしたちの社会の人と人との関係の在り方を反映したものである。

 確かに能力があるものがないものより良い待遇の職業につくことは健全であるが、少ない確率で、厳しい競争では勝ち抜けなさそうな奴が、どういうわけかわからないが競争の勝組に紛れ込むというのも、また健全なのではなかろうか。あまりこれを強調しすぎると、自己弁護のようになってしまうが、まあ多少の自己弁護の気持ちで書いてはいる。むろん、天下りのような弊害は困るにしても、何かのいたずらというのが時にはあるもので、それを含み込んで私たちの社会は成り立っているのだと思う。

 仕事を終えて、夕方私が運営委員をやっている学会の大会に顔を出す。今日は国語教育の大会で、実は知り合いの哲学者がゲストででているので、挨拶に行った。場所は日大。

 彼とは予備校の時の同僚で、彼が京都の某大学に勤めて先進的な文章表現教育を始めたのを聞いて、話を聞きに行ったことがある。何冊も本を出している。小田急沿線の町田近くの大学に移ったという話を聞いていたが、肩書きを見ると医系の大学になっている。話を聞いたら、かなりこき使われて身体がぼろぼろになってしまったのを、見かねた友人がうちにこないかと誘ってくれたらしい。良い友人がいてうらやましいと思わず言ってしまった。これも縁故採用で、公正な競争による採用だったら移れたかどうかわからず、彼は前の大学に潰されていたろう。縁故採用もみんな悪いとは言えないのである。

 懇親会は出ずに、桜上水に出て電車に乗ったら、動かない。芦花公園で人身事故らしい。結局一時間止まったままだった。何とか仙川に出て、バスで帰った。
 
あれこれと縁でつながる秋の暮れ

ユタの身体地図2010/11/10 00:57

 日曜の学会の大会は知り合いのSさんが発表者ということもあって、楽しみにしていた。発表は、これまでの研究テーマを整理しながら、沖縄のユタが沖縄の政治的社会的な痛みを身体の痛みとして感受する、ことを、身体地図としてイメージ化することができるというものである。例えば、沖縄本島を人間の身体の図にして、真ん中のお腹の部分に普天間がある。ユタは普天間をお腹の痛みとしてあらわす。それをSさんは身体地図に読み替えていくのである。ユタが身体地図をイメージしているわけではない。イメージするのはあくまでSさんなのだが、ユタの聞き書きから身体地図をイメージするという試みの面白さを、どう伝えるのか、そこがうまく伝えることが出来ていなかった気はするが、いろいろ考えさせられる発表ではある。

 加賀野井の『メルロー=ポンティ』を読んだところだが、結局、Sさんの言う身体地図とは、メルロー=ポンティの言う、世界内存在における身体の在り方によく似ていると思う。メルロー=ポンティは、身体とは世界に対して開かれた外延であって、身体の知覚は、意識とは別に外延的世界を構築するという。例えば、車を運転をしていると身体の外延は車のボディと分かちがたくなる。道具を使っているとき、道具はいつのまにか手の延長となる。これは意識としての知覚とは別の身体による世界の把握の仕方である。

 身体という知覚は、知の把握とは違う世界了解の仕方を持っている。それは、言語化される前の無意識の領域と重なるものだろう。ユタの現実の社会に対する感応を、政治的あるいは社会的な記号としてとらえて解読したとしても、そこには象徴的な記号が並ぶだけで、解読者のイデオロギー的言説を繰り返すことになってしまうのがおちだ。が、それを、身体の知覚のまま伝える知の工夫があるならば、それはユタの世界の把握に近づけるのかもしれない。Sさんの身体地図は、そういう可能性を持っている。

 そんなことを考えていたのだが、もう一つ気付いたことは、人間と自然との関係を、対立や共生といった手垢のついたタームで語らない方法はないか、とここのところ考えていたのだが、Sさんの言う「痛み」はなかなかいいのではないかと思ったのである。環境と文化というテーマで来年シンポジウムを考えているのだが、どうしても、二項対立的な構造から抜け出せない。が、「痛み」を入れてみると、環境と文化、つまり、自然と人間もいいが、その関係は、かなり違って見えてくる、という気がしてきたのだ。

 大会が終わって思わずSさんに、来年のシンポジウムにお呼びするかもしれない、と言ってしまつた。まだちゃんと企画も立てていないのにである。とにかく収穫の多い大会であった。
 
   冬めく日からだの痛みを地図にする

一葉ゆかりの地2010/11/15 23:26

 休みのない日々が続く。先週の土曜日は補講である。秋田に公務で出張したのだが、その補講である。2コマやったが、一つのコマは、僅少コマで、人数が少ない。用事のある人は出なくてもいいよ、といったら、出席者はたったの一人。覚悟はしていたが、さすがに広い教室で一対一は寂しかった。でも、出席した学生は欠席が多かったので、欠席した授業の解説をしてあげた。

 日曜は推薦入試の試験。考えて見れば、先週の土日は学会で休みかなく、今週も休みがなく、そして来週もまた推薦入試で潰れる。風をひかぬようにこなしていくしかない。図書新聞から書評の依頼あり。締め切りは12月中旬。引き受ける。何とかなるだろう。ただ、今月中に論文を一本書かなきゃいけないのだが、これも何とかなるだろう。

 今日、天気が心配だったが、学生達を連れて、春日を散策。樋口一葉の旧跡を尋ねる学外授業である。一葉終焉の地、旧伊勢屋質店、菊坂町の一葉ゆかりの井戸の三カ所を巡った。学校から地下鉄で二つ目。学校から出発し、散策して戻るのに一時間。授業時間内に散策が終わる。こんなに近い所に、樋口一葉ゆかりの地がある。学生達も喜んでいた。

 一葉生誕百年の時にNHKで放映された一葉の伝記ドラマ全5話を見せていたので、雰囲気がよくつかめたものと思う。特に菊坂町の井戸のある辺りは、明治の路地の面影が残っていて、一葉の世界を体感できたのではないかと思う。23日は一葉忌なので、赤門前の法真寺にお参りをして、それから、三ノ輪の一葉記念館に行く予定。

 樋口一葉は24歳でこの世を去ったが。長生きしていたらどのような小説を書いたろう。問題は、言文一致の文体で果たして小説が書けたかどうかだ。平塚雷鳥などは、一葉を古い時代の女として批判している。新しい時代の人間、特に女性を描かなかったからだ。が、一葉は、近代という時代の底辺に生きる人間の苦悩を見事に描いている。この人間の描き方を、言文一致の文体で描けたかどうか。何とも言えないが、かなり苦労したのではないか。少なくとも自分がそういう文体に見合う生き方をしなければならなかったはずだ。

 若くして死んだのは、一葉のあの文体で傑作をものする最後の時を生き切ったということだったからかもしれない。あの文体で人間を描ききるのはあそこまでだったということを、「文学界」の青年作家とつきあいながら、一葉はわかっていたと思う。次の新しい文体を身につけるのは、かなりの精神の体力が必要だったろう。それに耐える力を持っていなかったということである。

 しかし、「たけくらべ」「にごりえ」が今なお感動的な作品であるのは、その文体のせいでもある。言文一致ではこのような感動はうまれなかったろう。人間の内面を文語体でこんなにリアルに描いたということは奇跡ですらある。人間を描かざるをえないという時代の到来と、古典的な物語のスタイルを描く文体の退場が、互いに重なり合う時を一葉は生き、そこで奇跡のような作品を生んだということである。

 学生には毎回、幸田弘子の朗読を聞かせて声に出して読むように指導している。身体で読むというのが樋口一葉を読む最適な方法だと思っている。

                            一葉忌菊坂町で物思い

覚悟のようなもの2010/11/22 01:31

 今日21日は推薦入試である。推薦なので面接のみで、一般試験のように試験で合否を決めることはない。ただ、ここ数年受験者が減っていることが気になる。

 特に短大の受験者が減っているが、どうもどこの短大も皆苦戦しているらしい。原因は、リーマンショック以降の不況による就職難である。ここのところテレビは、就活特集をあちこちでやっている。特に大学は今の時点での内定率が50%台なのでこれは大変と取り上げている。短大は30パーセントを切っているということだ。こっちのほうが大変である。

 特に就職難は女子大を直撃している。いわゆる一般職の募集を企業がかなり減らしている為で、短大生にはとても痛い。わが短大は就職の内定率はそんなに悪くはないのだが、やはり、短大は就職が難しそうという一般的イメージが志願者減になっているようである。
教員は教育をやっていればよいと、就職対策などにほとんど関心を持たなかったが、さすがに、こういう事態になるとそうも言ってられなくなった。

 就職指導の担当者に聞くと、内定をとれない学生の特徴は、自分をうまく表現出来ない、コミュニケーション能力がもうひとつ、有名な企業ばかり受ける、何回も落ちると途中であきらめる、ということだそうだ。気になるのは、やはり自分をアピールする力が弱いという問題である。大企業の人事担当者が、発展途上国の留学生に日本の学生はとてもかなわない、必死さが違うというようなことをテレビで発言していたが、結局、表現する力は、技術ではなく、生きようとする力の迫力のようなものに最後は帰するのではないかと思う。

 社会に出ていくということは、生きるためには仕事をしなければならない、最後はどんなところでもいいとにかく食っていかねば、という覚悟が必要であるということである。かつての日本人も今の発展途上国の人たちもそういう覚悟で生きて来たし、生きている。実際、現場で仕事をしているものは、仕事の好き嫌い以前に、そういう覚悟をもたなきゃとても仕事というものは続けられないものだ、ということを知っている。人事担当者は、面接で、学生が仕事への希望や豊富を語るのを聞きながら、そんなに甘いもんじゃ無いぞと、たぶん、冷ややかに聞いているはずである。 

 本来、教育とは、様々な個性を持った学生をみんな同じように、元気に自分をアピールできるように改造することではない。確かに自分をアピールするプレゼンテーション技術は教えられるが、その技術は、みんなが同じ声の高さで同じように硬直した表情で、私の長所は~です、と発声する、非個性の同一化の技術であって、ある意味では、人並みのことはできますという能力を教育することでしかない。

 教育などというものにどれほどの力があるかわからないが、学び取って欲しいことは、この社会というのは実に多様な面を持っていて、その多様さにどんな風にも適応可能な柔軟で幅の広い身のこなしを身につけることだ。中小企業でも、農業でも、営業でも、あるいは、夢を持ちながらとりあえず仕事をするでもいい、どういう生き方にしろ、したたかに適応しながら、目標を持って生きればいい。そして、それを持続すれば、そのうちなんとかなる、のである。

 このように考えて、何処でもいいから就職すれば内定率も上がるのだが、現実はそうはいかない。学生はやはり条件のいい会社を選ぼうとする。当然であろう。とすると、人間覚悟があれば生きていけるよ、なんていうのはだめで、プレゼンテーションで人に勝つためにはどうすればいいかということを教えなきゃいけない。従って、結果的には同一化でしかないプレゼンテーション力を磨かせる教育をやっていくしかないのだ。とにかく、この学生は、表現する力がないと思われないために、つまり、そこで排除されずにみんなと同じ競争が出来るところまで残れるようにするしかない。

 最後にものをいうのは本人の、覚悟のようなものである。その覚悟は、とてもじゃないが教育で教えるのは無理である。たぶん、学生は大人から学んでいくものなのだと思う。それを見せられる大人がどれだけいるだろうか。私にあるか、と問われたら、あると答える自信はない。

                        冬めきて樹の覚悟など思いけり

一葉忌2010/11/23 23:38


 今日は一葉忌である。学生を連れて一葉ゆかりの地を回った。一応授業の一環なのだが、祝日なのでみんなバイトで忙しいらしく4名の参加者である。寂しい数だが、逆に、少ない分だけてきぱきと動ける。

 まず、春日の菊坂にある伊勢屋質店に行く。一年で今日だけ中を公開している。けっこう人が並んでいた。なかに入ると、明治の質屋の雰囲気を感じることが出来る。質屋そのものは建て替えられているが、蔵は一葉が通った当時のままだそうてある。

 そこから歩いて10分ほどで当代の赤門前に出る。法真寺では一葉忌の法事が行われていて、ここもけっこうな賑わいである。まさに縁日である。朗読家の幸田弘子さんのサイン会が開かれていて、お顔を拝見することが出来た。学生には、あの人が「たけくらべ」を朗読しているご本人だと説明。授業で幸田さんのCDを聞かせているのである。

 本郷三丁目の大江戸線から上野御徒町駅へ、そこで日比谷線に乗り換えへ三ノ輪に出る。そこから10分ほどで一葉記念館。今日は入場無料である。午後1時から田中優子による講演会があったが、時間が合わず聞くことが出来なかった。残念がっていた学生もいた。

 そこから浅草に出て、お昼を食べようということになり、お好み焼きの店に入った。人数が少ないので、こういう時にすぐに食べ物屋に入れるのがいい。人の良さそうな下町の老夫婦がやっている古い小さな店で、もう歳で、腰を悪くしてしまって土日と祝日しかあけてないんだよ、と話しかける。これからどこへ行くんだい、というので、スカイツリーでも見て帰ろうと思っているというと、スカイツリーについていろいろと話をしてくれる。スカイツリーの記事が載っているタウン誌をくれた。これで浅草も元気になるねと語っていた。

 食べている最中に戸を開けて客が来たが、子どもがいたので、おばさんが子どもはだめだよ、と客を追い返した。この間子どもがやけどをしてね、それで子どもは入れないことにしたという。お好み焼きをこういう店で食べるのは実に久しぶりである。なかなかおいしかった。

 東武線で一つ目の業平橋で降りる。まさにそこはスカイツリーの真下である。何処でスカイツリーを見ても真上を見る感じなので首が痛くなる。私は二度目だが、学生達はけっこう感動していた。

 歩いて押上駅に出て半蔵門線で帰宅。朝10時半から3時までだったが、一日なかなか充実していた。学生がもっと参加していたらよかったのだが。これは反省点である。

 帰ってチビの散歩をして、夕方テレビを見たら、北朝鮮の砲撃のニュース。戦争でも起こったかのようにこのニュースばかりである。驚いたが、いつもの北朝鮮の挑発のようだ。北朝鮮もかなり追い詰められているようである。追い詰められていると言えば、菅政権も追い詰められている。自民党のいつもの挑発にあわてふためいている。

 思うのだが、今、日本は、頭と身体とがばらばらに思考している。国民もそうだし政治も経済もそうだ。頭ではこうしたいと思っているのに、身体は言うことを聞かない。勝手に動いてしまう。かつての自民党は頭(理想や理念のようなものと考えればよい)をつかわずに身体に身を任せるところがあった。頭では時々かなり保守的なことを言うが、結局、身体が欲する平和主義に身を任せてきた。これはこれでなかなかうまいやり方だったのだと思う。

 が、バブル崩壊以降、身体が弱ってしまって、身を任せられなくなってしまった。小泉首相は身体を強くしようと、かなり強引に鍛えようとしたが、リーマンショックで身体は悲鳴をあげて、倒れる寸前になり、身体にはやさしい民主党が頭を使う政治を掲げて、政権交代をした。が、身体は回復しないし、頭で考えるとおりに動いてくれない。

 ここで言う身体とは、経済のことではない。人びとの生活意識そのもののことである。そこには利害で動く欲望があり、生への本能があり、互助的な知恵もある。思うに、民主党はこの身体を低く見ているところがある。つまりコントロール出来ると思い込んでいる。だが、そうはいかない。官僚組織だって身体である。簡単にはコントロールできないのである。

 今日本の身体はとても不安定な状態だが、北朝鮮ほど追い詰められているわけではない。これからも短期間で首相を替えたり政権交代になるかもしれないが、それはそんなに追い詰められていないことの現れだろう。頭と身体がばらばらでもなんとかやっていけるのは悪いことではないのだ。むしろ、北朝鮮のように、死に体の身体と空威張りの頭がまったく一体化している方が最悪なのだ。

 今の日本は、政治も経済も外交も、あっちを立てればこっちが立たずの状態で、誰がやってもうまくいかないだろう。こういう時に国民がいらいらして、カリスマ的な政治家を望んで独裁でも何でもいいからすっきりさせてくれ、と願望する時が一番怖い。そう考えれば、今のばらばらでいらいらする政治や経済に辛抱強くつきあっていくことも大切なのだと思うのである。

                         時雨止み菊坂界隈一葉忌

悔やむことばかり2010/11/30 00:38

 先週の土曜は、中村生雄を送る会。場所は立正大学である。中村氏には供議論の研究会に入れていただいて、いろんな勉強をさせてもらった。アジア民族文化学会の運営委員として発足からずっと一緒にやってきた。だから、彼の死はショックだった。死は抗いようもないことだが、でも、やはり、彼のようにまだまだこれからという人の死は、残念である。

 彼の仕事をテーマにして、山折哲雄の講演と分野を異にする研究者等によるシンポジウムが行われた。二次会は中村さんを偲ぶ会で、近くのホテルで行われ、友人や関係者のいろんなお思い出話が披露された。 

 中村さんは私のホームページやブログの文章をかなり早くから読んでいただいていていつも感想を言ってくれるありがたい人であった。奥さんと同じ高校で、二つしか歳が違わないので、一度会って話しでもと言っていたのだが、その機会もなく逝ってしまわれた。

 その前の週の土曜は、私の叔父の納骨式があり、埼玉県の岩槻まで出かけた。どうも二週ほど人を送ることばかり続いた。おじさんは、私がまだ幼い頃、母子家庭だったのだが、母が子ども二人抱えて苦労していたとき、とても世話になった人だ。川口の旋盤工で、根っからの職人である。私は、このおじさんによく似ていると言われている。墓園の法事の会場に入っていったとき、親族が初対面の私の顔を見てひそひそと話し合っていた。後で聞いたら、死んだ叔父にそっくりな人が入ってきたとささやきあっていたらしい。

 親族とはほとんど初対面である。息子さんと娘さんとは彼らが小さい頃に会ったことがあるが、やはり初対面のようなものだ。納骨式に出かけたのは、葬儀の時は仕事で出られなかったということもあるが、昔世話になった人なので、忙しいときではあったが、出ることにしたのである。

 法事の会食の後、私はおじさんの子どもさん達の車に乗せてもらって駅まで送ってもらった。娘さんは、もう50歳近い人だが、子どもの頃、父はとても短期ですぐ母を殴るので怖くてたまらなかった。母がかわいそうだったと親戚に話をしていた。人は好いが話し下手で短気な職人なので、家では傍若無人だったのだろう。北野武の父親みたいな人だと思えばいい。奥さんはもう十数年間前にガンで亡くなっている。

 私は、なんだか、このまま黙って車を降りるのも気が引けて、実は、子どもの頃おじさんにはとてもお世話になった、恩人だと思っています、と娘さんに話した。話を聞いていた親戚もあの人は気が荒いけどやさしいところも有るのよね、と相づちを打ってくれた。私も話をして少し気が楽になった気がした。本当はおじさんに直接言わなければならなかったのだが、生きている時はそのように思わないのだ。亡くなって初めて恩に気付く。だから、みな弔いに集まり死者に手向けをするのかもしれない。生きている時の関係というものは、私もそうだが自分のことで手一杯でみな互いに薄情になる。誰かがいなくなったときにその薄情さに気付く。その時はもう遅い。歳を取ると、こうやって、悔やむことばかりが増えてくる。

 中村生雄を送る会を終えて、最終でそのまま茅野へ向かう。次の日、実は、リンゴ狩りで、契約してある林檎の樹の収穫が終わっていないのである。奥さんが先週行って取ったのだが、まだかなり残っているのだ。収穫しないと腐らしてしまう。かといってなかなか長野に行く暇もない。日曜何とか一日空けて収穫たというわけである。

 脚立に乗って林檎をもぎとっていたら携帯がなった。出たら職場の教員から学校の雑務の連絡。さすがに林檎狩りの最中だとは言えなかったが、こういうときに掛けてくるのはやめて欲しい。

 残りの林檎を収穫し、帰りは関越で坂戸に寄りS宅に寄り夕食を一緒に食べて夜帰宅。くたくたにくたびれたが、明日からの授業の準備をして寝る。

                        林檎齧りつく子等に笑いたり