縁故ということ2010/11/07 01:12

 今日は実は新任採用教員候補者の実技と面談。複数の候補者と面接をしたが甲乙つけがたい。が、みんなで討議し一人に絞り込む。感想としてはたぶん私一人で選んだらこういう結果になってなかったろあなというもの。やはりこういう選考は何人かできちんと手続きを踏んでやるものだと感じた。

 が、私もそうだが、教員は多くの場合、だいたい縁故採用である。むろん、それなりの業績があってこそであるにしても、最近はこういう採用はかなりなくなってきた。

 ただ、こう思うこともある。どんな職場にも、何倍もの競争の中で勝ち抜くような選考だったら絶対採用されないよねこの人、という同僚が必ずいる。早く辞めてくれないかなあと陰口を言われている人もいる。が、それもまた社会というものの有り様ではないか、と思う。運不運があり、偶然があり、縁故があって、何かの間違いというのもたまにはある。そういつたことによって採用不採用というものが決まる、ということは、ある意味での、わたしたちの社会の人と人との関係の在り方を反映したものである。

 確かに能力があるものがないものより良い待遇の職業につくことは健全であるが、少ない確率で、厳しい競争では勝ち抜けなさそうな奴が、どういうわけかわからないが競争の勝組に紛れ込むというのも、また健全なのではなかろうか。あまりこれを強調しすぎると、自己弁護のようになってしまうが、まあ多少の自己弁護の気持ちで書いてはいる。むろん、天下りのような弊害は困るにしても、何かのいたずらというのが時にはあるもので、それを含み込んで私たちの社会は成り立っているのだと思う。

 仕事を終えて、夕方私が運営委員をやっている学会の大会に顔を出す。今日は国語教育の大会で、実は知り合いの哲学者がゲストででているので、挨拶に行った。場所は日大。

 彼とは予備校の時の同僚で、彼が京都の某大学に勤めて先進的な文章表現教育を始めたのを聞いて、話を聞きに行ったことがある。何冊も本を出している。小田急沿線の町田近くの大学に移ったという話を聞いていたが、肩書きを見ると医系の大学になっている。話を聞いたら、かなりこき使われて身体がぼろぼろになってしまったのを、見かねた友人がうちにこないかと誘ってくれたらしい。良い友人がいてうらやましいと思わず言ってしまった。これも縁故採用で、公正な競争による採用だったら移れたかどうかわからず、彼は前の大学に潰されていたろう。縁故採用もみんな悪いとは言えないのである。

 懇親会は出ずに、桜上水に出て電車に乗ったら、動かない。芦花公園で人身事故らしい。結局一時間止まったままだった。何とか仙川に出て、バスで帰った。
 
あれこれと縁でつながる秋の暮れ