古事記をどう読むか2009/12/27 22:11

 昨日から山小屋に来ている。こちらに来るまでは、とにかくやるべき事を済ませないとということで、ほんとに忙しかった。おまけに風邪を引いた。疲れが出たのだろう。休みに入ると風邪を引くというのは恒例だが、今年も繰り返した。ただ、幸い三日ほどで何とか回復。

 一ヶ月ぶりだが、かなり寒い。雪も降った。ただ、八ヶ岳はよく見える。この風景を楽しみながら、私は仕事である。今回は年明けの六日か七日までいる予定なので、仕事の資料などをかなり持ってきた。古事記関係の本と、基礎ゼミテキスト関係のものなどである。

 どういうわけか年明けそうそう締め切りで古事記神話の編纂者について文章を頼まれた。古事記偽書説や序文の偽書説について文章を書けということのようだ。何でこの私がと戸惑ったが、要するに古事記についてまだ色がついていない研究者ということで、依頼が来たようだ。三浦之編『古事記を読む』(吉川弘文館)で、ヤマトタケルについて書いたので、その関連らしい。

 古事記偽書説はないとしても、序文偽書説は簡単には決着が付かない。最近三浦さんが強固に主張しているということもあって、これをどう考えるか、ということになるだろう。この問題には、日本書紀の編纂が国家事業としてすすめられているのに、何故、同時期に古事記を作ったのか、という疑問に誰も明解に答えられていないということにある。

 古事記は天武の皇統を高天原の神から一貫した血筋としてたどるものである。一方、日本書紀は必ずしもそうではなく、呉哲男によれば王朝交替も可能であるかのような書き方になっているという。何故なら中国の歴史の思想がそうだからで、それを模倣した日本書紀はそうならざるを得ないからである。

 そこで、当然、日本書紀では当時の天武王権にとって不満であるから、天武の私的な歴史書として古事記が作られたという見解になる。だいたい現在のところこんなふうな説明が主流である。

 が三浦さんは、それにしては、古事記には王権をはみ出す神や英雄の物語が多く、また古事記のみに出雲神話が差し挟まれる理由は説明されないという。古事記は、王権とは距離を置いたところで語りとして伝わった伝承を中心にまとめたもので、九世紀初めにそれでは具合がわるいので権威付けに序文をねつ造した、というのである。

 この間の週刊朝日に、最近の歴史は面白いという特集があって、すでに古事記の序文は偽物であるというのは定説になっている、という記事が出ていた。思わず、いやまだ定説では… と突っ込みを入れたが、さすが三浦さんの影響力はすごいと感心した。

 さて、私は、よくわらないという立場である。どっちの立場をとってもそれほどの根拠があるわけではない。ただ、今まで序文を偽物であるという立場をとってきてなかった、というより、そういうことを考えたことはなかった、者としては、今回このことを考えるきっかけになったことはよかったと思っている。

 私が興味を抱くのは、古事記の文学性である。文学性という言い方はこちら側からの評価だが、少なくとも現代のわたしたちにそういう評価を与えるのは何故か、という疑問は、たぶん、古事記の文学研究者が答えなければならない問であろう。古事記を天皇の私的な歴史書とみなすのはそれはそれで日本書紀との違いはわかるとしても、それなら、私的ということは表現にどういう内実(自己表出性)を持つものなのか。そこまで説明しえないと、つまらないのである。

 これはわたしがヤマトタケル論を書いたときに抱いた問いである。歴史や制度論の側で古事記は確かにどのようにも性格づけられよう。だが、古事記という書物が持つ、物語性や抒情性といったものの由来を、どう説明するかは、天皇の後宮のために作られた読み物説、あるいは、語りものとする三浦説以外には、あまりないのである。

 それを解き明かしたいというのがわたしの古事記へのスタンスだが、そのスタンスから古事記の編纂の問題をどう語るのか、というのが、わたしの原稿の趣旨ということになろうか。 

    樹々眠る山眠る頃思案せり

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