恒例の餅つき2009/12/21 00:55

 今日は、北川辺の友人宅での恒例の餅つき。友人は塾を経営していて、その塾の生徒とこの時期餅つきをするので、われわれも手伝いに行って帰りにおお餅をもらってくる。今年は、小さな子供が多かった。S夫婦が三人の子供を連れて参加。狭山の友人が三人の孫を連れて参加。近所の子供たちもいれるとどういうわけか幼子が多くて、ここだけは少子化とは縁のない地域だった。

 彼の塾もなかなか生徒が集まらなくて困っているそうだ。テレビでは家庭教師のプロを派遣しますとか、というように、今は小さな私塾よりはそのような全国展開の塾や予備校が激しい競争をしていて、地域に根ざした個人塾はどこも苦戦している。最近の勉強は、脳をいかに効率的に使うか、というようなものばかりで、彼の塾のような人と人との触れあいの上に成り立つ教育というものが顧みられない。そこが、同じ教育に関わるものとしても、悲しいところである。

 昨日(土)は研究会で忘年会。その前日(金)は課外講座の人たちに招かれての忘年会。水曜は、日文協の運営委員会でその後懇親会。いやはや、飲み会やらいろいろと続く週であった。

 土曜の昼に原稿20枚を書いて出版社に送る。文芸誌『月光』の原稿だが、金曜の夜から土曜の昼まで何とか仕上げる。雲南の文化論を連載で書いているのだが、今回は首狩りの文化論といったテーマで、扱うテーマはこれまで書いた事のあるもので目新しさはないものの、ワ族の首狩りという習俗を文化論として考えてみようという試みである。

 正月を終えると、古事記の原稿の締め切りがある。だから、これからその原稿に向けての勉強である。大山誠一氏からいただいた『天孫降臨の夢』(NHKブックス)を読了。彼は10年前に聖徳太子捏造説を唱えた歴史研究者だが、さすがにその説も浸透してきて、今では学校の歴史教科書では聖徳太子が実在したというようには載っていないということだ。

 この本ではさらにエスカレートして、推古天皇の実在していない、蘇我氏が大王であったとか、天孫降臨神話は藤原不比等によって構想された神話である、と説かれている。あり得ない話ではないが、まだ推測が多く細かなところは省かれているので、これからどのように証明していくのか楽しみである。

 土曜の研究会の後の忘年会で、K氏から健康に気をつけて長生きしなくてはけいないときつく諭される。私がいつも疲れ果てたような顔をしているのと、健康を維持することに全力でないことへの苦言である。それなりの努力をしているのだが、効果があらわれないと言うと、プロの指導を受けて計画的にやらないとだめだと叱られた。

 ここ数年、学科長で忙しいということもあったが、人に対してあまり元気な態度を見せていないことや、鬱々とした生来の傾向などが顕著であったので、心配したのであろう。まあ私なりに努力はしているのだが…

                       年の暮れ波瀾万丈でないけれど

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