サンマの茶漬け2008/06/22 00:39

 今日はオープンキャンパスに研究会。昼に個人相談コーナーで志願者との面談。2時間ほどひきりなしに話をする。英語コースの希望が多かった。志願者が増えてくれればありがたい。

 最近、授業に対する学生の声をよく聞くようになった。学生の声を聞く様々な機会が増えたことによるのだが、中には厳しい意見もある。教員はみな頑張っているとは思うが、学生に必ずしもその熱意が伝わるとは限らない。あるいは、疲れている教員だっているかも知れない。

 が、だからといってそういう学生の声を無視することはできない。私は、時と場合によっては、教員に対して授業の改善をお願いすることもある。もし私に問題があるなら、私に対しても改善指導をしなければならない。そういう立場なのである。それにしても、他人に文句を言うのはあまり愉快なことではない。

 優れた管理職の条件は、誰にでも(例えば自分より年上であっても)、その人にとっては聞きたくないことを、冷静にしかも相手に嫌な奴だと思わせないように言えることである。最近つくづくそう思う。これはかなりの人間修行がいると思う。そんな人間はたぶんいないだろうなあと思う。私にはとても無理だ。が、それでも、そんなことは言っていられない。

 そういうときの言い方は、決して権威的にならないこと。「私も同じだ、だが、努力はしている、完璧にはいかないかも知れないが、それでも何とか努力して改善して欲しい」という姿勢で臨むこと。要するに、私が他人から指導されたときどういう言い方だったらそんなに不愉快にならないかと考えれば、そういう言い方になる。

 そういう些細なことでその人の人間性が試される。人と人とが関わり合って生きる社会とはそういう所だ。どんな立派な論文を書いたって何の役にも立たないのだ。面倒だがそういう社会に生きているのだ。

 午後は研究会だった。白族の碑文を根気よく読んでいくのと、詩経国風をこれも根気よく読んでいく研究会で、若手が中心なので、話を聞いているだけの私は気楽である。会が終わって神保町の居酒屋で飲み会。靖国通りの一本裏の道にいかにも安そうな居酒屋があってそこに入った。サンマの蒲焼きでおにぎりを巻いたメニューが珍しく、それをお茶漬けにして食べるというものだがこれが美味であった。鯛茶漬けならぬサンマ茶漬けである。今日の収穫は、このサンマの茶漬けであった。
 
入梅や他者(ひと)との距離が縮まらぬ

緑の旗2008/06/23 00:58

 散歩していると近所の家で、玄関や垣根に緑の小さな旗を掲げている家が多い。最初これがどういう意味の旗なのか分からなかった。近所の全部の家が掲げている訳ではない。何か、宗教に関係しているのだろうか、それにしては多いよな、とか、どうしてここらあたりだけなんだろうとか、いろいろなことを考え、奥さんと不思議がっていた。

 今日その疑問が解けた。私のマンションの目の前は広大なNTTの敷地になっていて、研修センターなどの施設がある。敷地の周囲は緑地帯になっていて、特に野川沿いは国分寺崖線(はけ)の一部である。どうやら、このNTTの広大な敷地に大規模マンション建築の話が持ち上がっているらしく、この緑地帯を守れ、というマンション建築反対運動のシンボルとして緑の旗を掲げているらしいのだ。

 確かに、今時これだけの緑地帯と森林を持っているのは貴重なことで、環境問題を優先させるなら、緑を守るべきだろう。その緑があるので私などはここに引っ越してきた訳であるから、無くなると、それはまずいとは思う。

 NTTは利益追求を優先する民間企業になってしまったから、こういう広大な土地をただ眠らせておくことも出来ないということらしい。とすれば、自治体がある程度買い取って環境を守るべきだが、借金だらけの自治体にそれが出来るはずもない。とすれば住民運動で守っていく、ということも大事な方法である。

 が、そういう運動は先に快適な環境を手に入れたものが、まだ手に入れていないものたちにここに来るな、と言っているのと同じである。だからこういう運動は難しい。私のマンションの近くの、とある大きい住宅に、集合住宅反対、四棟分割反対、という貼り紙がある。

 ここいら辺の家の敷地は最低百坪以上あるから、相続などで土地を手放すと、不動産屋はマンションを建てるか分割して建売を建てる。そういう建築は街自体の品位を落とすので反対というわけである。高級住宅街ではよく聞く話しである。

 環境問題というのも実はそういう反対とそんなに変わらない。エネルギーを大量に消費して便利で快適な生活を手に入れた先進国の人間が、まだ手に入れてない発展途上国や貧しい国のもの達に、環境はもう持たないからあなたがたは我慢しろ、そういう生活も悪くはないよ、と言っているようなものである。

 さて、私の周囲での話に戻れば、やはり、大規模マンションが出来るのは、せっかく借金してまで引っ越してきた身としては、気分のいい話ではない。だから、それへの反対運動には反対はしない。

 が、緑の旗を掲げるかというと、なかなか難しい。私だってマンションに住んでいるわけだし、マンションとしては30年前の古いものだが、それでも、それ以前の環境を壊してマンションを建てたわけである。つまり、私は、否応なしに、快適な環境を奪い合うゲームのささやかな勝者であるわけで、敗者になりたくないという意志を露骨に示すのは、どうも気が引ける。

 それなら、みんなに平等に緑を削って家を建て、平等のために環境を悪化させるのか、と問われるなら、それもおかしいと答えるだろう。よい環境に住みたいという人間の欲求を抑圧することもおかしい。が、その欲求が、人間がどこかで守っているある一線を越えて、人間の欲望の醜さを露呈してしまうのは避けなければならない。 

 こういう場合、なるべく緑を守りながらマンションを建てればいいんじゃないの、というように解決していくしかない。高級住宅街が中級になるくらい、たいしたことではない。私はその方がむしろ気楽である。緑の旗がいくつかの家に立っているのは、環境を守りたい私にとってもありがたいことだが、ただ、どの家もみんな緑の旗を立てたら、何となく、それはいやだよ、と思う。そういう感性は失いたくはない。

         緑陰に妻と犬とが休みけり

本が読めない2008/06/25 00:01

 日曜日にS夫妻が来訪。子供二人を連れての訪問である。上の子はもう3歳になるか。「となりのトトロ」のメイにそっくりで、見ていておもわず笑ってしまう。みんなで近くの公園を散歩したが、少し歩き出したら、散歩やだといって一人ごねだした。たぶん甘えているのだと思うが、ずっとごねながらそれでもみんなから遅れて、母親になだめられながら歩いてくる。そのがんこさもメイそっくりである。

 あいにくの雨だったが、家族でキャンプに行くのでテントを渋谷の登山専門の店に買いに行くという。彼等の車に乗せてもらって私たちも渋谷に出ることにした。用賀インターで首都高速に入り30分で渋谷に着く。渋谷に買い物なんてそれこそ二十年ぶりではないか。彼等はテントを買い、奥さんは山歩きの時の熊よけだといってベアベル(熊よけの鈴) を買う。彼等と別れ、私はビックカメラによってインクジェットのプリンターを買った。

 A4サイズのエプソンのプリンターだが、ポイントがあったので8千円で買えた。井の頭線で下北沢に出て、小田急に乗り換え成城学園前まで20分もかからない。家に帰りさっそく転居通知のハガキ印刷を行う。レーザープリンターはあるが、ハガキ印刷はやはりインクジェットでないと無理だ。とりあえず100枚ほど印刷。

 月曜日に大腸検査の結果を聞きに行く。ポリープは良性とのことでとりあえず安堵。来年の検査まではとりあえず余計なことを考えずにいられるということだ。私の腸は人より長いと医者がいう。それでガスが溜まりやすいのではという。つまり、粗食であっても徹底して栄養を搾り取るように出来ている臓器であるということだ。逆に言えば、今のような粗食でない時代には栄養を過剰に取りすぎる。だから、コレステロールも中性脂肪も高いのである。

 今日(火曜)は一日会議。疲れて帰る。本が読めなくて困る。川越にいたときは通勤時間が長かったので本を読む時間があった。が、ここに来てから通勤時間は短くなったが、混雑するのと、私自身いつも眠くて本を読むどころではない。月末までに短歌の時評を頼まれた。そのためには本を読まなくては。

 大学院生から抜き刷りが送られてくる。そこに、私の本の短歌論を読んで心動かされたというようなことが書かれてある。そう書かれるとさすがに書いてよかったと思う。少しは人の心に触れる文章を書いているのだと元気になる。私の短歌論はどちらかといえばマイナーな論である。でも、マイナーだからこそ、率直で正直である。いや、率直で正直だからマイナーなのである。数は少ないが時々感動したと言ってくれる人に出会うことが、私の支えである。 

草刈りや伸びた分だけ還りけり

就職の指導は難しい…2008/06/26 23:22

 じわじわと忙しくなってきている。というのも、短歌時評の原稿の締め切りが近づき、研究会の発表が来月にあるのでその準備、8月は2週間ほど中国調査、9月に入ったらまたまたすぐに「遠野物語」の研究会でその準備、さらに、短大の自己評価というやつを夏にはある程度原稿化しなくてはならない、というように目白押しになってきているのだ。

 いつもどうなることやらと言いながら何とか乗り切ってきてはいるのだが、今度もどうなることやら、である。

 今日は昼休みに読書室委員に集まってもらって学園祭の打ち合わせ。学園祭に古本市を開き売り上げを寄付するという企画である。何とかみんな頑張ってくれればいいが。

 教授会の後、就職進路課との懇談会。わが学科の就職状況を聞く。短大の就職活動は1年の夏からすでに始まるのだという。1年の夏から筆記試験対策講座を受け、秋から活動を開始、年が明ければもう内定が出始めるという早さだ。短大生はなかなか就職活動にエンジンがかからない、そこが悩みだという。でも、入学していきなり就職活動に本腰を入れろ、と言われてもなかなかその気にならないのは分かる気がする。

 もう一つ言われたのは、自分の就職したい企業や業種に最後までこだわって、結局は最後まで内定がとれずに卒業を迎えてしまうというケース。これも多いのだという。自分の理想の追求は悪いことではない。やはりやりがいのある仕事に就きたいのは当然だろう。が、現実はそんなに甘くはない。そこに入れなければ、まず生きる糧として就職そのものを目的とするしかない。そのためには、理想にとらわれずいろんな企業や業種にあたって就職活動をすることも必要だろう。とりあえず生活を安定させたから、自分のやりたいことに少しずつ近づいて行けばいいのだ。ところが、なかなか自分の理想にこだわって、就職活動を広げられないらしいのだ。

 私の若いときは、食って行ければいいやと考えていたし、ヒッピーやボヘミヤン的生き方も流行っていたから、就職することにそんなにこだわらなかったが、今は時代が違う。派遣やフリーターなると抜け出すのが難しい社会である。自立とは、夢の実現というより生活の確保ということを意味することになってしまった。

 入試の面接の時に、将来の夢について聞くとみんな出版社に勤めたいとか、夢を語る。それってまず無理だよな、と思ってもそれは言ってはいけない。就職活動を通して、その無理さを自分で悟り、その上で就職をどうするのか自分で考える、というのが、まずは自立の一歩なのである。が、そのように自立を促すのは大変難しい。夢はきっと実現するよだから努力すべきだ、とやはり言ってやりたいからだ。就職進路課に話を聞くと、そういうように地に足のついた自立を促すことの出来るベテランの講師がいるそうである。就職ガイダンスでそういった話をしてくれるそうだ。

 もうひとつ、私の学科の学生はすぐに考え込んでしまうので、積極性に欠けるように見られてなかなか内定がもらえないということである。文学好きな学生が多いのだから、考え込むのは当たり前だ。でも、それで内定もらえないというのは辛い。会社の面談は時間が短い。その短い時間のなかですぐに反応してはきはきと答えないと、まずだめだということだ。そういう積極性とは、本人の性格の深いところにかかわることで、嘘でもいいから演じろ、とか積極性を装えと言ってもまず出来ない種類のことである。

 ということで、社会に出て生活していくということは実に大変なことである。その入り口に学生達は今佇んでいるのだが、今のうちに学生生活を充分に楽しめ、と言えないところが辛いところである。

                   わが犬は網戸の向こう夜を見つめる

お祝い2008/06/29 00:01

この週末は久しぶりに山小屋である。今日、N先生夫妻からわたしたち夫婦と霧ヶ峰に住む友人のHさんとが食事に招待されていて、そのために来たというところである。今日
を外すと、私は7月はまず来られない。奥さんの方は畑があるので、一人で(チビと一緒)来る予定。

 場所は蓼科の和食の店。かなり高そうなところである。藍染めがシンボルの店だ。奥さんは今年で六十歳。還暦だというので還暦祝いという理由で招待された。そんなこと何にも考えていなかった。思えば歳を取ったものだ。ちなみに、私は来年ということになる。

 奥さんはHさんからあかね色の草木染めマフラーをもらった。N先生夫妻はもう七十七歳になるという。私がN先生の授業に出たのはもう25年前のことだ。あの時は先生も私も若かった。

 N先生の家に行く途中に霧ヶ峰高原をまわってレンゲツツジを見に行く。今が丁度見頃の時だ。ただ、霧が巻いていて、ツツジの赤い色の斜面が時々見えなくなる。でもそれはそれでなかなか美しかった。

 出かける時間まで山小屋で中国語と格闘し、鶴慶の漢調に関する論文の翻訳。鶴慶という街は白族と漢族が互いに交流している。従って。そこでの歌の掛け合いは、曲は白族調たが、歌詞は漢語という、独特のものである。つまり、異民族同士が互いに歌を掛け合うことが出来るように、互いに共通となるような歌の形式を作ったわけで、なかなか面白いのである。大筋では分かるが今の私の中国語の力では細かなところの意味が的確につかめない。翻訳がなかなか進まない。

 N先生やHさんをそれぞれ車で送り届け、家に帰ってきたのは、10時頃であった。家で一人留守番していたチビが興奮して飛びついてくる。前はこういうことはなかった。だいぶうちの犬らしくなってきた。

天穹は夏人どもよ悩むな!