ペースメーカー2008/06/09 01:29

 土曜のシンポジウムはなかなか異色の組み合わせで面白かった。テーマは平田篤胤と南方熊楠。普通、平田篤胤と並べるなら、折口信夫か柳田国男を持ってくるのが普通だが、熊楠を持ってきたところがミソ。

 共通するのは、どちらもトンデル人達であるということか。熊楠は博物学的な思考法を駆使する。体系的に整序するのではなく何でもマトリクスにしてしまう。その意味では民俗学的方法ではあるが、それを最後にまとめていく秩序的思考を持たない。こういうのは最近では脱構築と言われているのだが、明治のこの時期に、こういう思考法が出現するのは異例なのか、それとも、ある知の必然なのか、興味のあるところだ。

 篤胤は、むしろ体系的に神話を語ろうとするが、その体系そのものがトンデモ系本のぎりぎりの危うさに近づいている。そこが面白い。両者とも知に対する貪欲さという点では共通するのだろうと思う。篤胤あたりから出発した近代が、熊楠、折口、柳田の時代に完結するのではないかとは、熊楠を論じるパネラー安藤氏の言。もう一人のパネラー山下氏は、篤胤は、このトンデモ系の神話を語るところで終わってしまうと言う。それ以降の篤胤はナショナリズム的な言説にとらわれていくのだという。そして、このトンデモ系的篤胤は、潜在し、熊楠、折口、柳田のところで浮かび上がってくるのではという。それぞれ、興味深い指摘である。

 シンポジウムが終わって飲み会となり、私は、梓の最終にのって茅野へ。山小屋に着いたのは夜の12時頃であった。

 日曜日の午後、恩師である蓼科のN先生の元を訪れる。夫君のN氏は、心臓が悪くペースメーカーをいれる手術をしたということで、心配をしていた。冬は伊豆の方に住んで、五月頃に蓼科に戻られるのだが、今年は五月になっても来ていない。どうしたのだろうかと心配していたが、私の方は忙しくて連絡も余り出来ずにいた。戻ってきたという連絡が入り訪れることにしたのである。

 旦那さんは至って元気。ペースメーカーが動いている限り、心臓は動くので俺は生きなきゃならんのだ、と言う。力仕事などはできなくなったが、山歩きは大丈夫なのであっちこっち歩き回っているとのこと。お墨付きの障害者になったそうで、これで奥さんであるN先生と二人で旅行する時は、旅費は一人分でいいのだそうだ。つまり、付き添いの一人はただになるということだ。ところが、俺が一人で旅行する時には割引はない。一人で旅行できるから割引はないということらしい。変な話だと言っていた。高速料金も半額になるのだと言っていた。

 今のペースメーカーはよく出来ていて、携帯の電波で狂わされることはほとんど無いそうである。胸に埋め込み、電線を静脈を通して心臓に伸ばし、先端の電極で心臓に刺激を与えるらしい。ペースメーカーにはチップがあって、心拍数が記録されるので、どういう運動をしたのか後で把握できるらしい。心拍の間隔も制御できるらしい。例えば、起きているときと寝ている時とは心拍数を変えたり、運動する人は心拍数を上げるようにもできるらしい。いろいろと勉強になった。

 先生の家を出て帰路につく。中央高速は渋滞。何とか家に着く。ここに越してきてから初めての山小屋往復である。

蝸牛宇宙の際で思案せり