緑の旗2008/06/23 00:58

 散歩していると近所の家で、玄関や垣根に緑の小さな旗を掲げている家が多い。最初これがどういう意味の旗なのか分からなかった。近所の全部の家が掲げている訳ではない。何か、宗教に関係しているのだろうか、それにしては多いよな、とか、どうしてここらあたりだけなんだろうとか、いろいろなことを考え、奥さんと不思議がっていた。

 今日その疑問が解けた。私のマンションの目の前は広大なNTTの敷地になっていて、研修センターなどの施設がある。敷地の周囲は緑地帯になっていて、特に野川沿いは国分寺崖線(はけ)の一部である。どうやら、このNTTの広大な敷地に大規模マンション建築の話が持ち上がっているらしく、この緑地帯を守れ、というマンション建築反対運動のシンボルとして緑の旗を掲げているらしいのだ。

 確かに、今時これだけの緑地帯と森林を持っているのは貴重なことで、環境問題を優先させるなら、緑を守るべきだろう。その緑があるので私などはここに引っ越してきた訳であるから、無くなると、それはまずいとは思う。

 NTTは利益追求を優先する民間企業になってしまったから、こういう広大な土地をただ眠らせておくことも出来ないということらしい。とすれば、自治体がある程度買い取って環境を守るべきだが、借金だらけの自治体にそれが出来るはずもない。とすれば住民運動で守っていく、ということも大事な方法である。

 が、そういう運動は先に快適な環境を手に入れたものが、まだ手に入れていないものたちにここに来るな、と言っているのと同じである。だからこういう運動は難しい。私のマンションの近くの、とある大きい住宅に、集合住宅反対、四棟分割反対、という貼り紙がある。

 ここいら辺の家の敷地は最低百坪以上あるから、相続などで土地を手放すと、不動産屋はマンションを建てるか分割して建売を建てる。そういう建築は街自体の品位を落とすので反対というわけである。高級住宅街ではよく聞く話しである。

 環境問題というのも実はそういう反対とそんなに変わらない。エネルギーを大量に消費して便利で快適な生活を手に入れた先進国の人間が、まだ手に入れてない発展途上国や貧しい国のもの達に、環境はもう持たないからあなたがたは我慢しろ、そういう生活も悪くはないよ、と言っているようなものである。

 さて、私の周囲での話に戻れば、やはり、大規模マンションが出来るのは、せっかく借金してまで引っ越してきた身としては、気分のいい話ではない。だから、それへの反対運動には反対はしない。

 が、緑の旗を掲げるかというと、なかなか難しい。私だってマンションに住んでいるわけだし、マンションとしては30年前の古いものだが、それでも、それ以前の環境を壊してマンションを建てたわけである。つまり、私は、否応なしに、快適な環境を奪い合うゲームのささやかな勝者であるわけで、敗者になりたくないという意志を露骨に示すのは、どうも気が引ける。

 それなら、みんなに平等に緑を削って家を建て、平等のために環境を悪化させるのか、と問われるなら、それもおかしいと答えるだろう。よい環境に住みたいという人間の欲求を抑圧することもおかしい。が、その欲求が、人間がどこかで守っているある一線を越えて、人間の欲望の醜さを露呈してしまうのは避けなければならない。 

 こういう場合、なるべく緑を守りながらマンションを建てればいいんじゃないの、というように解決していくしかない。高級住宅街が中級になるくらい、たいしたことではない。私はその方がむしろ気楽である。緑の旗がいくつかの家に立っているのは、環境を守りたい私にとってもありがたいことだが、ただ、どの家もみんな緑の旗を立てたら、何となく、それはいやだよ、と思う。そういう感性は失いたくはない。

         緑陰に妻と犬とが休みけり