何とか書き上げる2008/05/01 00:48

 何とか連休に間に合ったという感じだ。昨夜(29日)、4月末締め切りの原稿を何とか書き上げて送った。約5000字の原稿だがこ、二晩で何とか書き終えた。引っ越しの準備と体調を崩したこともあって、大丈夫かなとは思ったが、何とかなるものだ。ただ、さすがに書き終わったら胃が痛くなった。寒さもあると思うが、突然集中してものを書いたせいか、胃がついていけなかったらしい。風邪には強い胃なのだが、原稿を書く仕事には弱いようだ。

「かしはばやしの夜」は歌に満ちた童話である。農民の清作はかしはばやしの方から、調子外れの変な声で「鬱金しゃっぽのカンカラカアンのカアン」という声を聞く。その声に誘われるように、かしはの樹の精霊たちが織りなす歌の祭に入り込むのである。

 この「カンカラカアンのカアン」が、この物語の重要なポイントになっている。歌の祭が終わって、この世の世界に戻る清作は遠くで「カンカラカアン」と叫ぶ声を聞く。どうやら、異界に入るときにそして戻るときに聞こえる不思議な声であるようだ。

 そうなのだ。「かしはばやしの夜」は、このような変な声や、オノマトペの羅列のような変な歌のオンパレードで、これらの声が主役なのである。

 宮沢賢治については「銀河鉄道の夜」について書いたことがある。論らしきものを書くのは今度で二回目だが、書く機会をもらったことに感謝しなくては。

 今日は、基礎ゼミナールの授業のみ。わたちしたちの学園の始まりの歴史について学ぶ。パワーポイントを使って、いろいろと説明。やはりパワーポイントはこういう一般常識的なことを語るときには重宝する。

 授業が終わって、奥さんに車で来てもらいそのまま山へ向かう。本を詰めた段ボール箱を6箱運ぶ。研究室にあって中国の書籍も一箱分運ぶ。研究室には一昨日宅配で送った本が2箱届いた。研究室ももう本の置き場所がない。が、とにかくどこかに本の置き場所を確保しないと、どうしようもないのだ。

 末期癌で入院中のE君からメールが来る。家族以外面会謝絶になったそうだ。文面では元気な感じだったが。こういうメールははじめてだから返事のメールが難しい。昨日、Y君の家に友人3家族で訪問。この時期毎年の恒例の行事である。特に、Y君は今新居を建築中である。建て始めてからすでに1年経つがまだ出来ない。大工が、自分の芸術作品を作るように手間暇かけて建てているのが原因らしい。北山杉の太い大黒柱がすごかった。その印象をE君にメールで送る。

         夏めくや観音菩薩の肌ひかる

そろそろ新緑2008/05/02 23:30

 今日の午前中は、山小屋の敷地内で伐採したままになっている数本の樹を片付ける。薪にするために、チェンソーで適当な大きさの丸太に切り、それを薪置き場に運ぶのである。山の斜面での仕事なので、けっこう骨が折れる。丸太はけっこう重いのである。だが、これをやって置かないと、伐採されたままの樹はただの倒木になり腐っていくだけである。

 こういう肉体労働が出来るようになったのはそれなりに体力が回復したからだろう。が、今度は奥さんが風邪を引いて熱を出した。まあこんな風にいつも交替で熱を出す。両方一緒に熱を出すわけでないところが助かる。

 午後は早めに山小屋を出て川越に帰る。天気は下り坂で中央高速で帰ったが、相模湖あたりで激しい雨になった。

 明日からは日本全国連休である。が、私は明日は学会のシンポジウムで出校。私の勤め先で行うので。4日から6日までは引っ越しの準備。この休みに本格的にやっておかないと、本当に引っ越しができなくなる。本はまだほとんど整理出来ていない。今年の私のゴールデンウィークはもう終わったのである。

 山の方はまだ芽吹いていない。が、下へ降りるにつれて新緑が山を彩る。いい季節である。蓼科聖光寺の桜が満開であった。

 夕方、チビの散歩に出たが、チビがお腹を壊している。心配である。何か変なものを食べたようだ。とにかく何でも拾い食いする癖がある。この癖はなかなか直らない。食に関する癖は本能にすり込まれてしまったようなものだから、直すのは無理だろう。人間とて同じだ。

 夜、録画しておいた朱蒙を見る。いよいよ朱蒙は独立して王国建設に着手し始めた。とにかく高句麗の建国者の物語だから安心して見ていられる。韓国時代劇シリーズはいくつか見たが、「海神」の最後はひどかった。良いもんが最後にみんな悪いもんにばったばったと殺されて終わる。今まで良いもんは何度も殺されかけては助かるの繰り返しだった。それなのに、ここまでひっぱってきてこの最後はないだろう、と思わず叫んだくらいである。

 このドラマは最悪の悲劇だったのだ。それを最初から言ってくれれば見なかったのに。それにしてもこんな後味悪い終わり方はめったにない。脚本家もどう終わっていいかわからなくてそうとうやけっぱちになったのではないか。そう思わせるぞんざいな終わり方であった。朱蒙もそうならないことを祈るばかりだ。ちなみに「海神」では、朱蒙を演じる俳優は、良いもんの主人公を殺す敵役として出てくる。私が好きなのはもう一人の敵役「ジャミ夫人」である。この夫人のファッションと、良くない知らせが届いたときの「モヨ」(何?)というセリフは毎回楽しみであった。

            新緑になってしまうのだ樹々たちよ

「建立」ということば2008/05/05 01:04

 3日は学会のシンポジウム。「仏教と神話」というテーマでの発表と討論であった。「霊性」というのが大きなテーマではあったが、このテーマはなかなか論じにくい。というのも、近代的な意味性をもってしまっている概念だからで、つまり、西欧的な一神教哲学の限界を乗り越える期待が与えられている。

 日本で使われたのは中世からだというのがO氏のとらえ方で、当然、中世での霊性というのは、われわれが使うのとは違う。だから中世の概念として限定すべきだという。確かに古代まで遡って「霊性」をあてはめれば近代的な意味において使いがちである。

 古代ではかつて「呪性」という概念がよく使われたし現在でも使われる。それでもこの学会が「霊性」にこだわるのは、超越性において呪性では役不足だからであろう。律令国家や王権による神話作りや儀礼を貫く精神には、確かにアニミズム的なベタな呪性があるだろうが、それだけではなく、そこには人間や神を抽象的にとらえる神秘的な思想とも言うべき観念があるはずだ、ということだ。

 折口信夫はあると考えて敗戦後、日本の自然宗教的な神観念における「霊性」をキリスト教に負けない普遍性にしようとした。

 たぶんこの「霊性」という概念には、古代の問題と古代に何かを期待するわれわれの問題とが溶け合っていて、O氏はそこに危惧を感じて中世に限定するべきだと言ったのだろう。

 ただ、一方でO氏がもっと時代を超えて広げて使ってもいいのではと言う「建立」という概念については、今度はO氏が同じ轍を踏んでいる。確かにこの「建立」は面白いことばで寺院の建立から、曼荼羅の建立、和歌の建立といった使われ方をしていてO氏の言うように、可能性を持つ操作概念として現代の思想タームに取り入れたいという期待はわからないではない。

 寺院も和歌も「建立」というのは、何かを作り上げていくプロセスがその概念の価値になっているということであるらしい。むろん、中世という歴史のなかでの限定的な使われ方であったであろう。が、そうであったとしても、ことばや概念は時代を超えうるはずだから、その超えうる何かを考えるのは面白いかも知れない。

 「霊性」より「建立」というタームに対する共感の声が多かったのは、「建立」が、方法的な概念でしかも最初からかなり抽象性を強いられた使われ方をしているからだろう。O氏に言わせれば、中世の僧は「霊性」を物質のようなものとして考えていたというから、「霊性」はそれほど抽象化されていなかったのだ。

 「思ふ」という心情語もまたプロセスに価値を置いたことばだ。日本語にはこういう、そのことばが生成されるまでのプロセスに価値を置くことばが多いということではないか。つまり、あることばに対して、辞書的な意味をただ想起して受け止める、というのとは違う受け止め方をしているということだ。「あはれ」もそういうことばで、こころを動かすそのプロセスに価値があるので、表にあられる表面的な意味にはそれほどの価値はない。

 なかなか面白いシンポジウムであったと思う。

 今日(4日)は学会の合評会だったが欠席した。奥さんの体調が悪く、私が頑張って引っ越しの準備を今日しなくてはとてもじゃないが間に合わない。だが、今度は私の体調がおかしくなった。いずれにせよ合評会は行けなかった。熱はでなかったが、疲れが出たのか、日中はほとんど横になっていた。夕方何とか元気になり、チビの散歩。

 電話局に引っ越しの通知をする。引っ越し先の番号が決まる。やたらに5の多い番号で覚えやすい。引っ越し先は東京都下なのに、電話番号は頭に03がつく。03の範囲は、23区よりもやや広いのだということがわかった。

        犬もたじろぐ夏めく草の勢い

シンプルに生きる2008/05/06 23:26

 いよいよ連休が終わるが、引っ越しの準備はなかなかはかどらない。準備と言っても、作業のほとんどんは本の整理が大半であるが、がらくた類の整理も始める。

 しかし、何でこんなにがらくたがあるのか。引き出しの中にこんなものいつ買ったのか、と思うようなものがたくさんあって、とにかく集めると山のようになる。もともと整理の苦手な私は、なにかが見つからないと、さがすよりは買うのが早いとすぐ買ってしまう。奥さんががらくたの整理をしながら、何でケシゴムが10個もあるのよ、と怒っていたが、まあそんな調子である。ボールペンなんか山ほどある。

 がらくたは不燃ゴミなのか、燃えるゴミなのかなかなか分類が難しい。川越では基本的に小さなものはだいたい可燃ゴミなのだが、かといって金属類はそうはいかない。プラスチックも再生のプラゴミなのか、可燃なのか、これも良くわからないものがたくさんある。

 古本の整理を専門とする業者に電話して引き取りに来てもらうことになった。少なく見積もっても700冊以上は処分するようだ。ちゃんとした古本屋でないのでたいして値がつかないだろうが、とにかく引き取りに来てくれるのがありがたい。

 とにかく今よりも狭いところへ引っ越すのであるから、いろんなものを処分しなくてはならない。若いときは、引っ越すときは今よりは広いところへ、であった。アパートや団地に住んでいて、もっと広い所へ住みたいと思っていたから、それは当然だが、今度は狭いところへ越すわけである。ある意味では、初めての体験ということになろうか。

 居住空間のスペースは、その居住者の、快適な生活への欲望の指標であろう。その意味で、若い時に広い空間を求めるのは当然で、快適さへの欲望がとても強いからである。が、この歳になるとさすがに、そういった欲望は衰えてくる。というより、快適さの質が違ってきたというべきか。むしろ、シンプルに生きた方が快適なような気がする。実際はそうでないにしてもだ。

 シンプルに生きるというのは、生きていくうえで必要とする物質的なものの量を少なくしていくということである。量が少なくなれば当然、居住スペースも小さくてすむ。山へ隠遁などどいうところまでいけば、それこそ方丈の住処でいいわけである。

 方丈の空間まで欲望を捨てるなどということはとても無理だが、それでも、こうやって自分の身の回りにあったものを捨てていく作業をしていると、少しは、自分の欲望をそぎ落としていく気になるから不思議である。

       世俗を捨てたように午後新茶飲む

シャングリラ2008/05/09 00:16

 今日は教授会。授業は仮面論で伎楽のビデオを見せる。野村万之丞が伎楽のルーツを訪ね、真伎楽と称して新しい伎楽を創作するその経過を収録したNHKの番組でなかなか面白い。野村万之丞は若くして亡くなってしまったが、仮面にかける情熱はよく伝わってくる。この授業で参考にしている資料は、野村万之丞の書いた「仮面」の本である。

 教授会は一時間ほどで終わる。私が司会をしてから早く終わるようになった(たぶん)。進行が早いということもある。みなさんに意見を聞いても発言がないと、早々に切り上げて、それではこれでいいですね、と提案する。また意見がないと、それじゃこれでいいということで次、というように進行していく。ちょっと早すぎかなと時々反省する。

 午後我が家では、古本屋が古本の引き取りに来ていた。1000冊以上はあったはずで、全部運んでくれて、しかも紙ゴミにしようとして積んであったこれも相当数の雑誌類ももっていってくれた。買取値段はほんとに僅かなものだが、でも、これを自力で処分するのはとてもじゃないが無理だと滅入っていたところなので、もう大助かりである。

 夕方はE君とテレビ局の人二人と少数民族を扱う番組についての話し合い。といってもこちらがいろいろと聞かれたことに答えていく、というもので、タイ族やモソ族、ナシ族についていろいろと話をする。ナシ族の署神を祭る儀礼に興味をしめしたようだ。番組は、女優が少数民族の村に入って彼等の生活に触れ、少数民族の人達の心に触れていくというものらしい。シャングリラが一つのテーマになっていて、演出担当のその人はどうしたらいいものか悩んでいた。

 私は、シャングリラはほとんど観光用に作られたものにすぎないが、でも、少数民族にとっては、そのようなものであれ、自分たちが外部に開かれる大事な機会であって、しかも、厳しい環境の中で生きている少数民族にとって、シャングリラという命名は、彼等が自分たちをとらえかえす方便ともなり得るのだと話をした。あちこちで真のシャングリラは自分たちの地域だと名乗っているが、観光用ではないかと馬鹿にするのではなく、そこには過酷な環境で生きている少数民族が、その地域で生きて行かざるを得ないことを納得させる一つの方法にもなっていることを見るべきではないかということだ。

 帰り電車の中で週刊朝日を読んでいたら、コラムに徒然草のことに触れてあって、吉田兼好は、ダメなものに、硯に筆がたくさんあるものとか、人と話をしすぎるものとあげてあり、よいものに本箱に本がたくさんあるとか、ゴミ箱にゴミがたくさんあるとか言っていて、そのことに感心すると言う内容であった。

 ダメなものは私のことだとすぐに悟った。今日テレビ局の人を前にけっこう饒舌だった。反省である。たぶん私も硯に筆をたくさん積み上げるタイプだ。ゴミ箱にゴミがたくさんある、というのは悪いことではないらしい。ゴミをきちんと出しているということは、きちんと生活をしているということか。私は今狭いところに引っ越すのでいろんなものをゴミとして始末しようとしている。こういうのは良いもんには入らんだろうなあと思う。

      軽暖の日本で語るシャングリラ

学会の大会を終え…2008/05/11 22:57

 10日はアジア民族文化学会の大会。一応私も発表者で、一応というのは、メインではないからで、メインはブータンの歌の掛け合であるツォンマについて発表したI氏である。I氏は研究者ではないが、実は、研究者の間では昔からよく知られていた人である。

 K氏は15年前からI氏と何とか連絡をとろうと努力を重ね、やっと連絡を取ることが出来た。それで、今回発表していただくことになった。発表後の質問で、会場からやはり中国の研究者Tさんが、20年前から会いたかったがどうしても連絡が取れず、今日お話が聞けてとても嬉しいと語った。ブータンについての文章をあちこちで書いていたらしいのだが、研究者ではないので、何処へ連絡してもいいかわからず、論文を掲載した大学の研究所に手紙を送ってもだめだったということのようだ。こういう人もいるのだなあ、と感心した。

 話がとにかく面白い。一応研究発表なのだが、下ネタの話が次から次へと出てくる。彼によると、彼が学んだブータン人がすけべだったので、たとえがどうしても下ネタになってしまうということらしい。会場は爆笑の連続であった。

 アジア民族文化学会の学会誌がようやく完成した。納入された学会誌を見た驚いた。分厚いのである。最初の論文は100頁ある。100頁と言うことは、原稿用紙にして400枚である。嘘だろう!と思ったが、ほんとにそうである。枚数は多くでもいいよ、とはいったのだが、ここまでとは。脱帽である。でも、こういうのを載せるのはわが学会誌だけである。台湾の首狩りの論文なのだが、たぶんこの論が決定版となるであろう。

 それにしても、請求書がいくらになるか心配である。実は、会費未納の会員が多くて、残高があまりない。確実に雑誌の印刷代は去年より高くなるだろう。ひょっとしたら払えないかもしれない。それが心配なのだが、まあ、なんとかなるさである。わが学会は最初から金がなかった。だからずっと自転車操業でやってきた。レベルの高い学会誌を出しているという自負があるので、きっと神様が助けてくれると信じている。

 今日は、朝から引っ越しの準備。さすがに疲れてきた。人からもらった抜き刷りや、研究会のレジュメを整理。とにかく20年前のものからとってある。量が膨大なのだ。さすがにもう読まないだろう、あるいは研究しないだろうとおもうものは処分した。

 吉川弘文館から、単行本、三浦佑之編『古事記を読む』が送られてくる。私は「ヤマトタケル」について書いている。ヤマトタケル物語の歴史性や文学性について論じたものだが、われながらまあまあよく書けたのではないかと思っている。

 ほとんど同時に、高岡市万葉歴史館編笠間書房刊『恋の万葉集』が送られてくる。ここでは、私は「歌垣をめぐって」という論を執筆している。思えば去年は死ぬほど忙しかった。これらの原稿を書いていたからだ。今年はそういう仕事がないだけ楽だが、引っ越しという作業が入った。さらに引っ越しまでに歌集評を一本書かなくてはならない。とても書ける状況ではないのだが、引っ越ししたらそれこそ落ち着くまで何も出来なくなる。無理にでも書かなきゃならんだろうなあ。

         鬼のように荷担ぎたる薄暑かな

ついに引っ越しの日なのだが…2008/05/16 00:48

 明日引っ越しである。今家の中は惨憺たる状態である。奥さんも私もさすがに疲れ果てて、体調が良くない。明日の朝には引っ越しの業者が来るというのに、まだ片づかない。

 チビは、自分の寝場所がなくてあっちへこっちへとうろうろしている。まったくどうなることやらである。

 このパソコンも、梱包して運ぶことになるが、向こうで無事に使えるようになるかどうかわからない。いやインターネットが無事につながるかどうかもわからない。

 考えてみれば二人で家財やら本の梱包を全部やるというは無理な話なのだ。が、今さら愚痴っても仕方がない。何とか間に合わせるしかないだろう。

 明後日(土)は奈良へ科研の会議で出かける。次の日の日曜は、午前中から父母懇談会で出校。京都を朝早く出て学校に向かう予定。来週の土、日は、上代の大会で九州へ出かける。要するにほとんど空いている日がない。つまり、段ボールに詰め込まれた本などを書棚に並べる時間など当面ないということになる。

 今日は近所に明日越しますのでと挨拶。みんなに寂しくなるね、と言われる。こっちも寂しい。それなりに隣近所の付き合いはあったからだ。今度はマンションでそういう付き合いはあるのだろうか。

 ここへ越して来てから、向こう両軒三隣りのおばあさんが相次いで亡くなった。隣の子供の成長も、親との喧嘩も、子育ての苦労も見てきた。ここは家の前が路地になっていて、外部から車が入ってこないところなので、隣近所の付き合いが下町的である。

 今度はそういう風にはならないだろうと思う。一応世田谷近くなので(世田谷ではありません)、下町というようなところではない。ただ、もう30年も前に出来た小さな古いマンションで、もともと居住者が出資して作ったコーポラティブハウスとかいうマンションと聞いている。むろん、今では世代が代わって、最初から住んでいる人は少ないだろうと思うが、他のマンションよりは住民同士の結びつきは強いかも知れない。

 前の居住者に聞いたら、マンションの庭に大きな桜の樹があって、春には住民が花見をするそうだ。前の居住者は花見当番だったということだ。そういう当番なら悪くはないと思う。

 引っ越してからどうなることやら、である。無事にこのブログに戻れるかどうか。

           五月の空の下越して行く雲

去りゆく日2008/05/19 21:42

 引っ越しも無事終了。ただ、荷物はまだ段ボールの中に詰まっていて、その段ボールは開封されないで部屋の中に積まれたままである。私は、次の日(土)科研の研究会で奈良へ出かけた。

 今回は壮族の歌掛けの研究者であるTさんの発表であったが、なかなか面白かった。相互唱が何故消えていくのか、という問題を壮族の現在の歌文化が抱えたテーマである、というメッセージとして発表。そして、日本ではかつてどうだったのか、と問う。

 日本のたぶん8世紀には相互唱(掛け合い歌)は消えたのだろうと思う。手紙によるつまり書字によるやりとりになったと考えられる。そのことによって和歌文化が起こり、相互唱文化はそういう形で継承されたというわけだ。壮族はどういう形が可能なのか、という問いである。

 壮族にも実は恋歌の代筆をする人がいて、手紙で掛け合いをやり取りするケースもあるのだという。Mさんはそれを聞いて興奮し、是非そのやりとりの実態と歌詞を調査してきて欲しいと懇願していた。その気持ちよくわかる。

 日曜は京都を七時半に出て、新幹線で東京へ。学校で仕事である。父母懇談会がある。11時からわが校の産業医で精神科医による、娘の心の問題への対処法の講演。われわれもそれを聞かされたのだが、けっこう勉強になった。心の筋力を鍛えろという。筋力とは余裕を持つことでもあるという。心をハードトレーニングで鍛えるというのとは違うようだ。

 それから、わが学科の学生の父母たちの相談を受けるが、編入への相談が一番多かった。特に心理学コースの学生の親の相談が多い。子供は臨床心理士になりたいというのだが、と親は言う。が、大学院を持つ学部へ編入しないといけないし、臨床心理士は社会に必要とされる職業だが、それで生活は出来ませんよ、ほとんどが派遣ですから、と説明。学生もそこはわかっていて、一年の時は臨床心理士になりたいと書くが、2年になると大半が志望を変える。学生もそれなりに考えている。

 今日は授業だが、とにかく家に帰れば段ボールを開けて本を書棚にしまう作業。さすがに疲れる。

 夜、ケンさんから電話。I君が今朝亡くなったという。思いの他早かった。ケンさんたちは昨日病院に会いに行ったということだ。何とかかろうじて話は出来たらしい。末期癌を宣告されてからこの1年ずっと付き合ってきた。ついにこのときが来た。こうやってわたしたちは一人ずつ去っていくのだ。

        五月のポスト去りゆくものの言の葉

鎮魂2008/05/22 00:35

 相変わらずめまいがするほど忙しい。昨日ある遺稿集についての文章を書きあげ、メールで送ったが、たぶん締め切りを過ぎていたので、載らないかもしれない。締め切りはだいたい守るほうなのだが、今回ばかりはさすがに無理であった。何しろ、新居の部屋はまともにパソコンに向かえる状況ではないし、仕事も暇はないし、土日は研究会等でほぼ埋まっていて、とにかく休むときがないのである。

 私が書かなければならなかった遺稿集の作者は、歌人で、まだ20代の女性だ。実は、婚約者がいて、半年前にその婚約者が急に病で亡くなられた。半年後、自らその婚約者の後を追ったのである。

 ある意味で痛ましい遺稿集である。その作品には婚約者の死後のことが淡々と歌われている。正直、私はこの遺稿集についてどうにも書けないと思った。

 テーマは鎮魂ということであった。鎮魂というのは、生きている者が死者の魂を鎮めあの世に送るというものである。何故、そうするのかというと、そうしなければ生きている者の生が危うくなるからである。特に若くして死んだ死者はきちんと弔わないと、生きている者に禍を及ぼすと信じられていた。

 葬式とは死者を払う儀礼なのでもある。一方、生きているものが死者を忘れる儀礼でもある。死者を忘れなければその人の生はまた危うくなる。きちんと鎮魂することによって、死者は生きている者と別れることが出来るのである。

 とすれば、この遺稿集の作者は、婚約者の鎮魂を拒否した人である。忘れることを拒んだのだ。その気持ちは分からなくはない。が、死者を忘れるというのは、生きるということが背負う宿命でもある。それを拒否することは生そのものを拒否することになる。

 さて、そういう、鎮魂を拒否した人の遺稿集について、私が鎮魂のような文章を書くなんて出来るはずがない。たぶん作者は、ほっといてよ、と言うだろう。

 だから難しい。とりあえず、鎮魂は難しいということをただ書いた。それしか書けなかったからである。それにしても、ここんとこ私は死者によく出会っている。

          卯の花や鎮められぬ御霊ばかり

福岡へ行く2008/05/26 01:18

金曜(23日)に書棚を組み立てていて腰を痛めてしまった。組み立て式の書棚を購入したのはいいが、これがなかなかうまく組み立てられない。なにしろ、高さが2㍍以上あるのを三本組み立てるのだ。重いし、寸法が微妙に狂っていて説明書の手順通りにやってもなかなかうまくいかない。それでも悪戦苦闘して何とか組み立てたが、結局腰を痛めた。

 が、次の日(土曜)、上代の学会参加のため福岡へ。早朝車で駅まで送ってもらい。羽田から飛行機で福岡空港へ。Yさんが学部長をやっている福岡女学院大学が会場校である。空港から、地下鉄、西鉄を乗り継いで一時間ほどで着く。何とか理事会には間に合った。

 女学院大学は、私の勤め先よりも歴史が古い。創立132年になるという。なんでも日本で初めて女学生がセーラー服を着た学校で、セーラー服起源の学校と言うことだ。短大もあり(英語科のみだが)私のところとよく似ている。

 夕方は大雨になった。福岡市内のホテルで懇親会。この学会の年一度の大会は普段会えない研究者やかつての仲間との邂逅を楽しむという目的があるので、なるべく顔を出すようにしている。20年ぶりに合う人もいる。私と同じに頭も白くなったなあ、と驚くが、向こうも私を見て驚いているだろう。

 二日目の大会は朝から研究発表だが、午前中はさぼって太宰府天満宮と、九州国立博物館を見に行く。天満宮はさすがに混雑していた。観光客の言語が日本語だけではないというのが、さすがにアジアの国際都市福岡だと認識。九州国立博物館では「国宝絵巻物展」の特別展示があるので見学。凄い混雑であったが、けっこう楽しめた。

 昼に会場に戻り研究発表を聞く。興味深い発表が続いたが、引っ越しや、午前中の疲れがどっと出て、とてもじゃないが集中して聞いていられない。ほとんどうとうとしながら聞いていた。それでも内容はだいたい分かったが。

 4時30分に研究発表が終わり会場を一足先に出て、H氏と福岡空港へ向かう。空港には5時30分着。6時まで一緒にビールを飲み、H氏は先に発つ。私は7時15分の飛行機で羽田へ。羽田着9時20分。飛行機も混雑していて出発が遅れた。10時30分には駅に着く。川越でなく成城学園前である。さすがに少しは早く帰れるようになった。そこからタクシーで家の近くのコンビニまで行き、ミネラルウォーターとアイスクリームを買って家に帰る。チビが出迎えというより、何者が来たのかという感じで私を見に来る。

 組み立てた書棚に少しばかり本を並べるなどして、そして一日が終わる。

         夏めきて天神詣での日傘かな