何とか書き終える2007/10/20 23:59

 何とか五十枚ほどの原稿を書き上げた。体調のよくなかったことが幸いした。原稿が書けなくなるほどには悪化せず、外に出る程の元気がない。だから原稿を書くしかない。おかげで、何とか書き終えた。

 歌垣論なので、書き慣れている内容ということもある。私は中国少数民族の歌垣調査をもう十年もやっている。論文もかなり書いている。これだけ仕事をすれば、頭の中に私なりの歌垣モデルは出来あがっている。あとは、そのモデルを日本の歌垣論としてどのように役立てていくかである。だが、この使い方が難しい。単純な比較になってはいけない。

 中国少数民族の歌垣といっても多様だし、日本とは時代も文化も違う。それでも比較が成り立つのは、そこには同じ歌があるからである。歌というものの力は、より本質的に語ればそれほど違わなくなるはずだ。それを根拠にして比較をしていく。

 昼間原稿を書いていたら、笛と太鼓の音がして、町の人達が小さな山車を引いている。そうか今日は川越祭りで、あちこちの町内から山車が出るのだ。御輿も出る。私の住む町内からでも出るのだろう。見に行きたいがそれどころではない。

 夜は原稿を書き終えたこともあって、「パッチギ」の第二作を見る。やっぱり前作の方が面白い。前作の沢尻エリカは良かった。今度のは、井筒監督のイデオロギーがちょっと全面に出過ぎている。それが、映画の物語性を消してしまっている。全体として集中力に欠けた映画になっている印象だ。

 それにしても沢尻エリカと亀田一家はあんなに簡単に謝るべきではなかった。沢尻エリカには「別に」と言い放つ鬱々たる内なる感情があったのだろうし、亀田一家にも、ボクシングがなければ世間から相手にされないもの達のやはり鬱々たる感情が渦巻いていたはずだ。外側から勝手に見て思うに、そういう鬱々たる感情こそが彼等の大きな力だったのではないか。その力を、簡単に捨ててしまったのが今回の謝り方のように思える。もうちょっと図太く生きてもいいのではないか。ただ周囲は迷惑だろうが。

 昔江川が空白の一日問題で世間から猛烈なバッシングを受け、記者会見にのぞんだとき、江川は、記者達に、落ち着いてと制していた。まだ22・3歳の若者であったときだ。あの図太さに感心したものだ。その江川がCMで交換トレードに出された小林と対談をしている。時の経つのは早い。

 明日は少し外出して川越祭りを見に行こうかと思うが、その元気があるかどうか。

           秋深し力を抜きし野の仏

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