人間はやっかいだ2007/10/09 00:15

 今日は体育の日らしいが月曜の講義日確保のため出校。わが職場は休みではない。昨日の疲れがだいぶ残っていて通勤の電車ではほとんど寝ている。この睡眠時間の確保は馬鹿にならないと思うのだが、いったいどれほど身体の休息になっているのだろう。

 授業の準備にと早めにいったのだが、いろろいと用事はある。体調を崩している学生が増えている。あれもこれもやらなきゃと頑張りすぎて、その結果不安になって体調を崩すらしい。時折相談に乗るが、休んだらと言うと授業を落とすのではないかと心配し、かといって、そのまま無理しないでマイペースで、といっても、そのマイペースが難しいから体調を崩したわけだ。思い切って休んだら、とも頑張れとも、マイペースでとも簡単には言えない。なかなか適切なアドバイスは難しい。私にはどうもカウンセリングは無理なようだ。でも、きっと、そのうち自分と上手く付き合っていく方法を見つけるに違いない。

 気分転換の大切さというものを教えてあげられたらいいのだが、私自身あまり気分転換が上手くはない。何か心配事があるとそれを引きずりながら生きてしまうタイプだ。体調をそれほど崩さないのは、身体そのものが鈍感に出来ているせいだろう。その意味で助かってはいるが、逆になかなかエンジンがかからないという短所もある。

 どんな辛いことでも三日経つとけっこう忘れてしまうものだ、と私は時々学生に話す。ところが、人間という者は、辛さを忘れたくないのだ。辛いことを忘れるのは身体の生理だし、精神の本能とも言える健全な働きだろう。が、一方で、辛さに執着して生きたいという精神もまた併せもつ。人間とはやっかいである。

 失恋に何時までもこだわるのは、失恋という辛さこそがその時の自分を満たす価値そのものであるからだ。その価値を失って新しい価値を捜すことは大変な作業だから、今ここにある価値に執着する。それもまた人間であることの本質だが、生物としての身体や精神はそのような生き方を許容するほどには歪んではいない。だから、拒否反応を起こす。その拒否反応は人間を病にする。私は病系の人間だが、幸運なことに、身体に逆らうほどに精神が強くないので、病が長続きしない。ある意味では寂しいことだが、そのことで何とか生きられていることは確かだ。

 今日の「自己開発トレーニング」は、先週の他己紹介があまり面白くなかったので、その人となりを知るための質問を考えようという課題を与えた。例えば「生まれ変わったら何になりたいですか」といったような、質問をたくさん作ってみようということである。ある意味では心理テストみたいな質問項目を作る作業でもある。グループに分けてみんなに作ってもらった。次回はこれをまとめてみんなに答えてもらう。けっこういろんな質問をみんな考えた。次回が楽しみである。

       身に入むや渺茫たる空言葉なき地