墓参り2007/10/08 00:08

 今日は墓参りで宇都宮に帰郷。墓を掃除していたら、チビがさかんに吼える。後ろにある墓石の隙間から蛇が身体の半分ほど出してこちらをじっと見ている。不思議な光景だった。蛇はすぐにいなくなったが、「遠野物語」ではこういうときは何かの前兆として語られる。何の前兆なのだろうか。

 私の父は養父だが、貧しいながら私と弟の二人の子どもを育てた。酒飲みで、私の子どもの頃は、父にはなつかず喧嘩ばかりしていた。今考えれば可哀相だったと思う。晩年親孝行を少しはしようかと思った頃に脳梗塞で亡くなった。亡くなってからもう26年経つ。月日の経つのは早いものである。

 われわれの子ども時代は貧乏が当たり前の時代だった。親の世代は戦中派で、戦後の混乱期に生きるのがせいいっぱいで、けっこう身を持ち崩した者も多かった。私の両親も、実父が酒と競馬で身を持ち崩し、離婚。母親が私たちを育てたが、同じ境遇の家族はおそらくたくさんいただろう。左官屋の職人と母は再婚したが、生活は相変わらず貧乏だった。

 家が貧しく、父親がペンキ職人で酒乱だった北野武の子ども時代の話は、とてもよくわかる。父については同じである。ただ、私の母は、北野武の母親ほど教育熱心でもなかったし、母親も働いていたということもあって、私は勉強はあまり出来なかった。今は研究者みたいなことをやっているが、勉強が出来る、とはいまだ思っていない。

 北野武の弟子で宮崎県知事のそのまんま東の生い立ちをテレビで見てたら、これもうちとよく似ていた。彼の父親は養父で、実父の方はいろいろ事業に手をだして失敗し最後は悲惨な死に方をしたという。私の実父も似たようなものだったらしい。脳溢血で倒れて亡くなったらしいのだが、死後一週間経って見つかったという話を聞いた。

 実父と母親は満州からの引き揚げ者で、最初の子どもは満州から引き上げてくる際に亡くなったという。もし、私がもっと早く生まれていたら、残留孤児になった可能性もある。われわれの親の世代は、まさに時代の激動を生き抜いてきたたくましい世代だが、けっこう悲惨だった世代でもある。その世代が世界一の長寿国のお年寄りとして今元気でいるのは良いことだと思う。もう八十を過ぎて年老いた母親を見ると本当にそう思う。

 母は、近所から猫屋敷のばあさんと呼ばれているらしく、家に10匹近くの猫がいる。ボランティアで野良猫の避妊や餌などを与え、棄てられた犬や猫の引取先を捜すことを今は生き甲斐にしている。母親と一緒に暮らしている弟と、私は、頼むからこの猫たちより絶対長生きしてくれと言い聞かせている。

 墓参りの帰りに、宇都宮大学の大学院に留学している中国の留学生と会い、一緒に食事をした。彼女は、東大の経済学部の大学院に合格した留学生と同級生で、彼女の方は宇都宮大の大学院に進んだのである。宇都宮大の近くにベルモアとかいう巨大なショッピングモールがあって、そこのレストランで食事。二年ぶりの邂逅である。帰りは、北関東自動車道から東北道に入り、一路川越に。二時間で着いた。疲れたが心地よい疲れ方であった。

      蛇もいる墓は動かず秋の風