目からうろこ本2007/06/19 23:50

 通勤時間で時々本を読むのだが、疲れてくると論文系の本は読めなくなる。そういう時は、週刊誌か、キオスクで買った暇つぶし本を読む。でも多少は知識が増えないとつまらないので、目からうろこ本(これは私の命名です)を読む。いわゆる雑学系の読み物で、駅ナカの本屋に必ずある本だ。
 
 今日、川越駅の駅ナカの本屋で呉智英の「言葉の常備薬」という新書を買って通勤途中に読んだ。呉智英の本は昔から好きなので、とりあえず間違いはないだろうと買ってみた。けっこう面白かった。

 ほとんどが漢字の読みや語源に関する雑学だが、私の研究範囲と重なるものもある。例えば、森と林はどっちが木が多いか、という問い。ほとんど森と答えるだろうが、実は、これは同じことを別の概念で言っているだけだという。例えば、照葉樹林や熱帯雨林、原生林という言い方でわかるように林もまたジャングルや森を意味する。

 森は日本では聖なるイメージでとらえられているが、それは、森が木自体ではなくその土地をも意味するからだという。例えば鎮守の森というようにである。林はたくさん生えている樹木を指す概念。そういわれるとなるほどと思う。

 それから「すし詰め」という言葉の語源。どの辞書にも折り詰めの箱に鮨が隙間無くつまっていることとあるが、これは間違いだという。本来、鮨の始まりはなれ鮨であった。なれ鮨は、壷の中に米麹、塩、魚を交互に隙間無く詰めて発酵させ、何年も保存をしておくものである。それが日本に到来して鮒寿司になり、今の江戸前の鮨になったというわけだ。ぎっしりつまっている状態とは、このなれ鮨の方だというのである。確かに、折り詰めの中の鮨は、多少隙間があいている。だから、傾けたり倒したりすると中の鮨が片一方に偏ってしまう。ぎっしり隙間無くという意味ではないな、と思う。

 今年の3月に雲南省に行ったときに市場でなれ鮨を売っているのを見て感動したのを思い出した。竹の筒の中に魚がぎっしり詰まっていた。やはり「すし詰め」というのはこっちを言うのだろうと合点した。 

 昨日の血糖値の値が基準値をオーバーしていた問題。実は、血液検査の時に食事をしていたことを思い出した。実は、血糖値の標準の基準値は、空腹時のものであって、食事をした後に計ると当然値は上がるのである。それを思い出して少し安堵。でも、元々基準値をオーバー気味だったのは確かで、油断してはならない。

    夏草の繁き思いを探しけり

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