三日坊主理論2007/06/30 23:55

 ここのところさすがにブログは毎日書けない。ブログを書いている暇があったらこの仕事をしろ!とでも云う声が聞こえそうで、何となく落ち着かないのだ。といっても、家に帰ってきて、いつもがむしゃらに本を読んだり論文書いたりしているわけではない。とりあえず脱力の時間を作る。そのうちそろそろ仕事をしないとやばいぞという気分になってきて、机に向かうというわけだ。

 昔予備校で教えていたとき、三日坊主理論っていうのを予備校生に語っていた。何をやっても長続きしない人、心配はいらない。さあやるぞと初めたことを三日坊主で辞めてしまっても、それも長続きはしない。だから、三日過ぎたら又始める。それも続かないが、どうせ又始めるのだ。計算すれば、ある期間の半分は何かを一生懸命やっていることになる。それってけっこう効率悪くないじゃないか、という屁理屈である。

 やる気がなくなったらとりあえず辞めてみて、気分が乗ってきたらまた始めればいい。そういうだらだらなやり方で長続きさせる方が、必死に頑張って途中で力尽きてあきらめてしまうよりはいい。その良い例が私なのだ。私は、あきらめが悪いので持続力だけはある。一応それを糧にして研究生活を未だ続けている。

 だから忙しい忙しいとやたらに書いたり言ったりしているけれど、ほんとに死ぬほど仕事をしている人ほどではない。適当に力を抜くところは抜いているつもりだ。ただ、世の中甘くは無いときもあって、力を抜けないときや、力の抜き方を間違って余計に忙しくなる事がままある。そういう意味では、そんなに要領が良いわけではない。

 昔(二十代前半)、文房具の配送の仕事をしていたとき、注文の伝票を見て商品を揃えそれを箱詰めしてトラックに積んで、配達に出るのだが、私が一番早くそれを自慢していたりした。どうも、そういうところに妙に頑張る癖がある。今忙しいのはそういうところに原因がある。反省しなくては。

 金曜に先週の大腸検査の結果が出た。ポリープは良性であるということで、一安心。しかしどうして毎年出るのかと聞いたが原因はわからないとのこと。コレステロール値が基準値より高いので食事に注意して運動するように言われた。そんなこと、検査を受ける度に医者に言われ、毎日のように奥さんに言われている。努力もしているが、これ以上、値を下げるためには、運動や食事に人生の目的を賭けなきゃならない。そんなことに人生を誰が賭けるものか。 

 今日は、岩波の古代文学特集企画の座談会の打ち合わせ。私の研究室というよりはオフィスに集まった。一応管理職なのでオフィスがあるのです。テーマは八世紀の文学。それぞれ時代区分毎に担当して話そうと言うことになり、私の担当は八世紀中期の家持の時代になった。一月後まで私は勉強しなきゃならない。けっこう大変である。終わってから、神保町のビヤホールランチョンでビールを飲んで帰る。なるべくつまみを食べないように注意した。明日は、また別の会合で、夜は飲み会になる。当分メタボに悩まされそうだ。
  
     形代でさする仕草や夕の刻