俳句日誌2006/10/18 22:46

10月18日

 実は、今日は奥さんの誕生日。わたしとは一日違い。今日韓国から帰ってきて、空港で岩井俊二と会ったなどと騒いでいた。が、腹痛を起こして、最悪の誕生日だなどと嘆いている。どうやら知りあいと釜山の映画祭に行ってきたらしい。言葉も分からずによく外国の映画祭に行くものだ。  それにしても今年は暖かい。蠅は山小屋にも川越にもいる。彼等もいつになったら活動を止めたらいいのかとまどっているだろう。チビは虫と遊ぶ、というより虐待するのが好きだ。弱っている虫がいると突進していたぶる。逃げられるときゃんきゃん吠える。虫も可哀相に。  明日から仕事だが、三浦さんの「古代文学入門」の書評を今週中に書かなくてはいけない。それなりに忙しい。むろん明日、明後日と会議がある。明日は夜に「供犠論」出版の打ち合わせ。帰りは遅くなりそう。そういえば、十月は神無月。神々は出雲で会議なのだろうか。

    八百万(やおろづ)の神も所用の神無月

10月17日

 今日17日には私の誕生日である。この歳になると実に嫌な日である。もう後がないよなあ、と知らされる日だからだ。もともと誕生日の儀礼など子どもの時から無縁に過ごしてきたので、何の感慨もないのだが、ただ、数字で人間の人生を数えてしまうということは、あまりよいことではないという気はしている。数字が一人歩きすれば、余命後何年と常に言われているような人生になってしまうだろう。それを忘れられる若い時はいいが、もう若くなければあと何年という数字は重い。  学園祭の後は後かたづけや創立記念日で休みになる。チビを連れて山小屋に来た。紅葉がきれいだ。奥さんは今頃韓国だ。久しぶりに恩師の中山先生を訪ねる。春から秋にかけて蓼科にすみ、冬は暖かい伊豆に移るという生活だ。私の理想である。夕飯をごちそうになる。久しぶりにのんびりした。  今年は暖かいせいか、蝿が家に入り込んできて、たたくとあっけなく死んだ(川越での話)。いつ生まれたのか知らんが、時期を間違えている。

          秋の蝿わが誕生日に死ににけり

10月16日

 昼頃作並温泉を出て、仙台で1時頃の新幹線に乗り4時には家に着いた。早速ちびを引き取りに行った。私が名前を呼んでも反応がない。近づいても後ずさりする。ところが、どうやらわかったらしく、きゃんきゃんいいながらぐるぐるまわり飛びついてきた。要するに、反応が遅いのだこの犬は。でも、何とか喜んでくれてほっとした。  研究会では、ペットの埋葬を調べている東北大学の大学院生の発表があった。なかなかおもしろかった。私はナナが死んだとき火葬場に行って火葬したが、その時のことを思い出した。動物の供養とペットの供養との対比もあったが、その違いをどう論じるのか、まだまとまってはいないが、テーマとしては面白いと思った。特に、日本人のメンタリティは、モノに感情移入しやすいところに特徴がある。ロボットにも家畜にも名前をつけて感情移入する。肉牛を飼う牧畜農家が牛に名前をつけて呼び、屠殺場に送り出すときには涙を流す。こういうのをわたしはアニミズム的な心性だと考えている。  ペットへの感情移入は現代人の孤独感を埋め合わせるもので、別にアニミズム的ではないが、ただ、日本人の場合どこかにアニミズムはあるのではないか。そこが見えてくると面白い。  作並温泉はよかった。仙台から仙山線で40分のところにある。まだ紅葉には早かったが、渓流に接した岩風呂が特に気持ちよかった。岩風呂は24時間混浴だが、夜と朝の二時間ずつは女性専用になる。つまり、理屈では、女性は24時間入れるが、男性は入れない時間がある。が、現実は、女性は専用の時間にしか入らない。エレベーターや風呂場の入り口に、風呂では異性を好奇の目で見ないで下さいという貼り紙がしてあった。だったら混浴止めたらいいのに。

     岩風呂にただだらしなく秋暮れぬ

10月14日

 今日は学園祭のさなかのオープンキャンパスで朝から坐っていたのだが、わが短大の日本語コースには二人しかこない。まあ、こんなものだ。今時はもうだいたい志望校は決まっているから、指定校推薦で挨拶に来るくらいだ。その後今年開設する心理学コースのAO入試の面談を行う。  心理学コースがどのくらい集まるのかまだよくわからない。そこそこ来てくれるとは思うのだが…  明日うちの奥さんは三泊四日で韓国旅行に出かける。わたしは東北の作並温泉に研究会ででかける。一泊の予定。問題はうちのチビである。仕方なく、奥さんの実家に一日だけ預けることにした。最近やっとなついてきたのに、やっぱりわたしのことなどどうでもいいのねと、元のクールな犬に戻らないかやや心配である。もっともこの八月にわたしの中国旅行と奥さんのフィンランド旅行が重なって一週間チビを預けた(それにしても旅行が重なる)。その時は、4日ほど経ってから実家の玄関の内側に一日中くっついていたらしく、私たちが戻ってこないかと待っていたのではと話していた。可哀想になったが、最初の四日間はそう思わなかったということ。さすがチビである。  さすがに朝も夜も冷え冷えとしてきた。朝飲む水がちょっと冷たい。こうして秋は足を速める。

    瓶の蓋きりっと締まって朝寒し

10月13日

 どうも毎日通勤していると、教員という感じがしなくなる。授業するのではなく、学校へ行って会議と書類作りばかりだからだ。ようやく秋らしく空気はひんやりとしてきたのに、ちょっとこれは違うなあと思う毎日だ。  秋はイベントの続く日々で、共立では明日から学園祭。オープンキャンパスも明日だ。わたしは供犠論の研究会があって日曜に仙台に出かける。28日はアジア民族文化学会の秋の大会。今年は、長野県富士見町の井戸尻考古館で縄文の文様についてのシンポジウムを開く。懇親会は泊まりがけだ。締め切りの原稿は、三浦さんの幻冬舎から出た本の書評を東京新聞に書くことになっている。これ位で、少し気が楽だ。  今日、川越駅から歩いてくると、近くの毘沙門天を祭るお寺の脇に山車を入れる臨時の大きなテントが作られていた。明日から二日間川越祭り。明日も明後日も賑わうだろう。

        毘沙門天何を思うや秋祭

10月12日

 今日は教授会。何とか早めに終えて6時頃に学校を出る。「ニューズウィーク日本版」を読みながら帰りの電車に耐える。市ヶ谷で有楽町線に乗り換えるのだが、川越市行きに乗れたのはいいが座れたのは池袋を過ぎた頃。まあ早めに座れた方だ。市ヶ谷から川越まで各駅停車で一時間弱。立ちっぱなしだとさすがにきつい。  言葉とはおもしろいものだ。「憎いし苦痛」という言葉がある。流行っているかどうか知らないが、「ニューズウィーク」に出ていた。この呪文めいた言葉は実は「美しい国」を逆から読んだ言い方。安倍首相が連発する言葉にさっそくこんな呪文を見つけたものがいる。安倍首相は、どうやら「美しい国」を語る度に何かを呪っているのか、それとも呪われているのか…  わたしは物書きだからこういうのは好きだ。『夜露死苦現代詩』都築響一(新潮社)はその意味でとても面白い言葉の本だ。最近久しぶりに楽しんだ本だった。  この日記は実は俳句日記にしている。最近俳句に凝っている。何でも凝るのだけど…通勤時間で本を読むと寝てしまうし、かといって退屈なので五七五の言葉で遊んでいる。もったいないからこのブログに書いておこうというわけだ。今のところ秋と犬がテーマだが、今日はちょっと変える。  わたしは短歌評論家だが、短歌は作れない。短歌のあの情(ハイテンション)が自分にないからだ。まったくないわけではないが、抑え込んでしまう習性がある。だから評論が出来る。俳句は論じられないが、自分の資質から作れそうな気はする。愛のない自分を省みて生まれた句。

    秋深く身捨つるほどの愛もなく

10月11日

なかなかチビの散歩ができないのが寂しい。朝はどうしても遅く起きるので散歩は奥さんがしてしまう。帰りは遅いからやはり奥さんが散歩をする。休みの日にたまに散歩をするのが楽しみだ。  秋は暑くもないし寒くもないし犬の散歩にはいい季節だ。野の花も咲いているし、田んぼの稲刈りも終わって犬が遊ぶ場所も多い。川越の郊外は一面の田んぼである。新河岸川の土手も散歩コースである。最近、わたしの住む川越が勤め先からの通勤時間が長くて、近いところに越したいと弱音を吐くようになったが、金がないのと、この散歩に適した環境を捨てがたいのとで、すぐに撤回する。  今週の週末は川越祭りである。そうとう賑やかな祭りである。あまりに賑やかすぎて見物にはいかない。ただ、祭りが近づくにつれて近所の神社からお囃子が聞こえてくる。祭りの稽古をしているのである。こういう雰囲気はなかなかいい。

    刈田原犬は駆け込み尿をする

10月10日

今日は会議日である。朝10時半から理事会、学部学科長会議と続いて、午後には科長主任会議と続く。終わったのが夕方の五時半。いやはやである。まあこれも仕事だ。今は来年の時間割や予算編成、学年歴など決めなければならないことが多い。こういうことを誰かがやらなくてはいけない。やりたくはないが、世の中自分の意志でどうにもならないこともある。ただ、嫌々やるのは消耗だから、何でも今やっている仕事は天職だととりあえず思って仕事をする。そうすれば、楽しみも見いだせるというものだ。残念ながら、今の学科長という役職に楽しみは見いだせていないが。  世間では北朝鮮の核実験でもちきりだ。自暴自棄になっているのか、計算尽くなのか、どっちもあたってそうだが、確かなことは、これもアメリカのイラク攻撃の副産物だってことだろう。イラクはアメリカにテロ国家とみなされ確かな根拠なしに攻め込まれた。それを見ていた北朝鮮が、イラクは核を持っていなかったから攻撃されたと思ったのは確かだろう。そう思ったのは、北朝鮮だけではないはずだ。核を持てば、一時的に経済制裁を受けようと、いろいろ因縁つけられて武力攻撃されることはないと思った不良国家はたくさんいたろう。そう考えればイラク戦争の影響はかなり大きい。イラク戦争は核を拡散させるキッカケを作ったと言えるからだ。  結局、国連の枠組みを無力化し、武力で問題の解決を図るアメリカのやり方は核の拡散を助長するだけだということだ。そのアメリカのやり方に追随する日本は、結局憲法九条を持ちこたえられなくなる。不良国家は軍事力で脅せと言う発想に与すれば、さすがに九条は邪魔になるだろう。  北朝鮮も困ったものだが、アメリカに対して軍事力の脅しを背景とはしない問題解決の枠組みを提示できないタカ派な日本も困ったものだ。  私が忙しくても、北朝鮮が核実験をしてもチビは変わらない。丸くなって寝て、ソファーの端をかじって、きょとんと世の中を眺めながら一日を過ごす。犬だけが平和ということはないのだが、でもチビは平和なのだ。

           犬眠り号外飛び交い秋うらら

10月9日

今日はとてもいい天気だ。奥さんは友人との食事だと言って出かけ、私は家で仕事だが、つい、メールを覗いてみたら中大に編入した臼井さんからマイミクシィの登録の連絡が来ていて、それで、いろいろとブログを直し始めた。仕事がしたくないときはこうやっていつも遊ぶ。臼井さんは元気そうでなによりだ。  チビは、ベランダでひなたぼっこ。ニュースでは台風のような低気圧で人が大勢死んだと報じている。今日は身体のリハビリと、掃除もして、本を贈ってくれた人に礼状を書かなきゃ。授業の準備もしなきゃ。いろいろあるけど結局何にもやらずにチビの散歩をしてぐたっとなって一日が終わるのだ。それもよしだ。

     犬だけが空を見ている秋日和

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://okanokabe.asablo.jp/blog/2006/10/18/566204/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。