『憲法九条を世界遺産に』を読んだ2006/10/07 00:19

ある雑誌を読んでいたら、企業で出世するための条件としてストレス耐性があるかどうかだということが書いてあった。つまり、仕事で失敗をした後にそれに落ち込んで立ち直れない奴は企業社会では生きていけないということだ。なるほどと思ったが、ストレス耐性があるかどうかは企業だけではなく現代社会ではあらゆる場面で必要とされる資質だろう。

この私にストレス耐性があるのかどうか。あんまりないという気はする。失敗したときはけっこう落ち込むし、元気に立ち直ったという記憶はあんまりない。ただ、あんまり引きずった記憶もない。私の場合、ひどく落ち込むがだいたい三日経つとそのことを忘れるように出来ている。これもストレス耐性なのだろうか。だから、落ち込んだときはまあ三日我慢すれば何とかなるだろうと思うことにしている。むろん、三日経って忘れないときも多いのだが。

ただ失敗は多い。いつも失敗ばかりしている気がする。これは、たぶんに反省というものをきちんとしないからだ。自分の嫌な部分を直視したくないのは誰でも同じで、私の場合忘れるのは得意だが、それに向き合って克服するなんていう前向きの対処は不得意だ。その意味で不経済な生き方をしている。最初失敗したときにちゃんと学習しておけばこんなに同じ失敗を繰り返さなくてもすむのに、と思いつつ、いつもまたそのままほうっておく。

まあ人生そんなもので、「しょうがない」のだ。「しょうがない」は私の口癖で、とりあえずしょうがねえなあとつぶやきながら自分の失敗や他人の失敗をやり過ごす。怒ったりはしない。とりあえずこんなやり方で何とかうまくはいっている。

中沢新一と太田光の『憲法九条を世界遺産に』(集英社新書)はけっこう面白かった。確かに憲法九条は思想信条によって護る対象ではなく保護もしくは保存の対象なのだ。九条を消去した憲法改正はバーミヤンの遺跡をダイナマイトで爆破するようなものなのだ。その後にくる精神の荒廃に日本人は耐えられるのか?とこの本は問うている。耐えられるとは思うがやはり空虚感が漂うだろうなあ。

その空虚感の由来を中沢新一は近代が切り捨ててきた生命原理のような古代性の喪失に求める。憲法九条は純粋であるが故に神話であり、神話であるが故に、発展していく世界の欲望の対極にある本質なのだと言うのだ。そこまで言うか、という感じだが、分からないことはない。太田光の方は、理想と現実のせめぎ合いの中で身動きの出来ない良心の、いわば、捨て身の戦略といったらいいか。どうせ神話なら、もうすでに日本人のアイデンティティそのものと化したバイブルなんだと神話を徹底化し、しかもその日本人はドンキホーテみたいなもんで、このドンキホーテを笑う奴はいても馬鹿には出来ないんだと言っているのだ。

さてこの憲法九条、わたしたちはこれを保持していくしか「しょうがない」んじゃないか。九条は、戦後のどさくさに奇跡のようにして出来た条項だが、この奇跡には、世界戦争で何千万と死なせてしまったことに後ろめたさを持つ世界の人々の無意識のバックアップがあったろう。そして、解釈改憲の侵略に耐えながら生きながらえてきたのは、やはり、荒唐無稽な神話を憲法に持つ国が一つくらいあってもいいという世界の国々の暗黙の了解がある、と考えてもいい。

とすれば、この九条の破棄はなかなか勇気がいることだ。ドンキホーテが幻想を失ったら、普通の人になるのではなく廃人になるしかない。だから本の中でも触れられていたが、冷静なサンチョパンサとともにドンキホーテ日本人はこの憲法を、世界遺産として守っていくしかないのだ。憲法九条が無くなると世界が悲しむだろう。その前に日本人が廃人になる危険性がある。

世界が憲法九条のあまりにお人好しな荒唐無稽さを日本に託してるかぎり日本の安全保障は保証されると思われる。無防備でありたいと宣言する国を侵略する勇気を持つ国は、今の世界にはいない。ドンキホーテと本気になって喧嘩する奴がいないようにだ。

現代世界のように、核のバランスによって先進国の国家間の均衡が成り立つ限り、先進国への武力侵略は起こり得ない。もし起こったらそれが世界戦争になりそれが引き起こす結果(最終戦争)を誰もが知っているからだ。言い換えれば、そのような戦争の不可能さの上に、この九条は起き上がりこぼしのように生きているのである。アフリカの血で血を洗う国家間抗争のただ中にあるような国には九条は成立しないのである。

つまりドンキホーテが幻想を追いながら生きていられる根拠はそれなりにあるということだ。言い換えれば、日本が世界の核の均衡の一部に組み込まれているからこそ、九条は輝きを帯びているのだ。核を否定する平和思想ということではなく、核という絶望によってしか平和を保持出来ない人間のだめさかげんや、言いしれぬ不安を時に癒してくれる象徴として、憲法九条はあるのである。この癒しを失った人間は荒廃していくしかない。武力による均衡によって平和というものは成り立つ、それがリアリズムなのだとうそぶいていられるほど人間は強くはないのだ。

だから、わたしたちは「しょうがなく」憲法九条を世界遺産のように保護していくしかないだろう。九条があることによって引き起こされる不安より、それを無くすことによって引き起こされる不安の方が遙かに大きいからだ。

少し真面目に考えた2006/10/13 23:15

どうも毎日通勤していると、教員という感じがしなくなる。授業するのではなく、学校へ行って会議と書類作りばかりだからだ。ようやく秋らしく空気はひんやりとしてきたのに、ちょっとこれは違うなあと思う毎日だ。

秋はイベントの続く日々で、川越祭りは明日から、共立では学園祭。供犠論の研究会が日曜にあって仙台に出かける。28日はアジア民族文化学会の秋の大会。今年は、長野県富士見町の井戸尻考古館で縄文の文様についてのシンポジウムを開く。懇親会は泊まりがけだ。

締め切りの原稿は、三浦さんの幻冬舎から出た本の書評を東京新聞に書くことになっている。これ位で、少し気が楽だ。

世間の話題は北朝鮮の核実験でほぼ埋め尽くされている。将軍様の狂気沙汰という論調だがよく考えれば将軍様は極めて冷静だということがわかるはずだ。北朝鮮のねらいは自国の安全保障だ。国民を餓えさせても体制を保持したいのが独裁国家の思考パターンだ。戦後の歴史を見ればわかるが、核保有国がテロ以外に他国から攻め込まれたことはない。核を持てば少なくともどんな悪さをしようと他国からは攻め込まれない、というのは冷厳な事実だ。

逆に言えば、核を持たなければ、攻められる危険がある。特にならずもの国家はそうだ。良い例がイラクである。ならずもの国家イラクは核を持っていなかったが故にありもしない嫌疑をかけられて攻め込まれフセイン体制は崩壊した。この出来事を見て、肝を冷やした不良国家は北朝鮮だけではないだろう。そして不良国家はみな共通の思いを抱いたはずだ。やばい!核を持たないといつかやられる、と。

イラク戦争はその意味で核拡散のきっかけを作った記念碑的な戦争になるだろう。イランも北朝鮮も核開発の動きがイラク戦争をキッカケにしていることは明白だ。考えてみればこれは皮肉な話なのだ。本来イラク攻撃は、大量破壊兵器を所有していることを名目としていた。つまり、核や生物化学兵器の保有を疑いその拡散を防ぐという目的の戦争だった。それが逆に大量破壊兵器を拡散させることにつながったのだ。

でも冷静に考えれば、現実をきちんと分析せずに、イデオロギーや思い込みで動けば大抵うまくいかないというこれは見本である。ブッシュやネオコン達のイデオローグは、イラクの現状やテロが発生する理由をきちんと分析せずに、武力でひと思いにやっつければ問題は解決すると信じ込んだ。そう信じ込ませた理由が、彼等のイデオロギーへの過信と、武力そのものへの過信であったことは間違いないだろう。

彼等のお蔭で、イラク戦争は泥沼化し、核は拡散し始めた。20世紀的イデオロギー過信がまだ続いている、ということだ。その実現の方法によっては自らを否定しかねないという法則を含まない理想主義は危険である、というのが、20世紀の教訓だった。その教訓がいかされずアメリカの大統領によって最悪な形で実践されてしまったことが今の世界の不幸なのだ。

軍事力の脅威を背景に理想主義を押しつけていく戦略がなりたたないことはすでに自明であろう。国連はとりあえず何でも話し合いに持ち込み曖昧な決着をはかることで武力衝突を回避を模索してきた。だがその枠組みを否定したアメリカ方式は、結局、北朝鮮の核実験を準備させたのである。そして、イラク戦争に、何の注文もつけず唯々諾々と従った日本もその責任を担う。

そう考えていったとき、北朝鮮をそのように追い込んでいったことについての反省が日本に一つもないというのは、おかしなことである。日本が世界から与えられている期待は、武力の脅しに頼らない問題解決の枠組みの提示であろう。少なくとも国連重視の日本はそういう政策で一貫して来たのだが、小泉首相から変わってしまった。

世界は今日本がいつ自らの核武装を言い出すか注視している。安倍首相は日本の非核三原則は見直すこともあり得ると以前発言している。北朝鮮の核実験を喜んでいる日本のタカ派は多いはずだ。北朝鮮の脅威を利用すれば日本は軍事的にも独立出来ることになるからだ。

北朝鮮の核実験は、一つのゲームの始まりにすぎない。中国ですら評価は二つに割れている。北朝鮮の核保有はアメリカへの防波堤になるとする考えと、逆に北朝鮮は核を楯に中国に無理難題を押しつけ脅してくるに違いないとする考えだ。つまり、北朝鮮は核を落とす相手を中国にする可能性は充分にある。

武力に頼る秩序維持はゲームをより複雑化する。対岸で見ているのは面白いが自分の問題となるとそうもいかない。日本はこのゲームに参加して振り回されるのか、それとも、別のゲームを用意するのかそれが今問われている。その時、役立つのが、憲法九条になるかも知れない。

俳句日誌2006/10/18 22:46

10月18日

 実は、今日は奥さんの誕生日。わたしとは一日違い。今日韓国から帰ってきて、空港で岩井俊二と会ったなどと騒いでいた。が、腹痛を起こして、最悪の誕生日だなどと嘆いている。どうやら知りあいと釜山の映画祭に行ってきたらしい。言葉も分からずによく外国の映画祭に行くものだ。  それにしても今年は暖かい。蠅は山小屋にも川越にもいる。彼等もいつになったら活動を止めたらいいのかとまどっているだろう。チビは虫と遊ぶ、というより虐待するのが好きだ。弱っている虫がいると突進していたぶる。逃げられるときゃんきゃん吠える。虫も可哀相に。  明日から仕事だが、三浦さんの「古代文学入門」の書評を今週中に書かなくてはいけない。それなりに忙しい。むろん明日、明後日と会議がある。明日は夜に「供犠論」出版の打ち合わせ。帰りは遅くなりそう。そういえば、十月は神無月。神々は出雲で会議なのだろうか。

    八百万(やおろづ)の神も所用の神無月

10月17日

 今日17日には私の誕生日である。この歳になると実に嫌な日である。もう後がないよなあ、と知らされる日だからだ。もともと誕生日の儀礼など子どもの時から無縁に過ごしてきたので、何の感慨もないのだが、ただ、数字で人間の人生を数えてしまうということは、あまりよいことではないという気はしている。数字が一人歩きすれば、余命後何年と常に言われているような人生になってしまうだろう。それを忘れられる若い時はいいが、もう若くなければあと何年という数字は重い。  学園祭の後は後かたづけや創立記念日で休みになる。チビを連れて山小屋に来た。紅葉がきれいだ。奥さんは今頃韓国だ。久しぶりに恩師の中山先生を訪ねる。春から秋にかけて蓼科にすみ、冬は暖かい伊豆に移るという生活だ。私の理想である。夕飯をごちそうになる。久しぶりにのんびりした。  今年は暖かいせいか、蝿が家に入り込んできて、たたくとあっけなく死んだ(川越での話)。いつ生まれたのか知らんが、時期を間違えている。

          秋の蝿わが誕生日に死ににけり

10月16日

 昼頃作並温泉を出て、仙台で1時頃の新幹線に乗り4時には家に着いた。早速ちびを引き取りに行った。私が名前を呼んでも反応がない。近づいても後ずさりする。ところが、どうやらわかったらしく、きゃんきゃんいいながらぐるぐるまわり飛びついてきた。要するに、反応が遅いのだこの犬は。でも、何とか喜んでくれてほっとした。  研究会では、ペットの埋葬を調べている東北大学の大学院生の発表があった。なかなかおもしろかった。私はナナが死んだとき火葬場に行って火葬したが、その時のことを思い出した。動物の供養とペットの供養との対比もあったが、その違いをどう論じるのか、まだまとまってはいないが、テーマとしては面白いと思った。特に、日本人のメンタリティは、モノに感情移入しやすいところに特徴がある。ロボットにも家畜にも名前をつけて感情移入する。肉牛を飼う牧畜農家が牛に名前をつけて呼び、屠殺場に送り出すときには涙を流す。こういうのをわたしはアニミズム的な心性だと考えている。  ペットへの感情移入は現代人の孤独感を埋め合わせるもので、別にアニミズム的ではないが、ただ、日本人の場合どこかにアニミズムはあるのではないか。そこが見えてくると面白い。  作並温泉はよかった。仙台から仙山線で40分のところにある。まだ紅葉には早かったが、渓流に接した岩風呂が特に気持ちよかった。岩風呂は24時間混浴だが、夜と朝の二時間ずつは女性専用になる。つまり、理屈では、女性は24時間入れるが、男性は入れない時間がある。が、現実は、女性は専用の時間にしか入らない。エレベーターや風呂場の入り口に、風呂では異性を好奇の目で見ないで下さいという貼り紙がしてあった。だったら混浴止めたらいいのに。

     岩風呂にただだらしなく秋暮れぬ

10月14日

 今日は学園祭のさなかのオープンキャンパスで朝から坐っていたのだが、わが短大の日本語コースには二人しかこない。まあ、こんなものだ。今時はもうだいたい志望校は決まっているから、指定校推薦で挨拶に来るくらいだ。その後今年開設する心理学コースのAO入試の面談を行う。  心理学コースがどのくらい集まるのかまだよくわからない。そこそこ来てくれるとは思うのだが…  明日うちの奥さんは三泊四日で韓国旅行に出かける。わたしは東北の作並温泉に研究会ででかける。一泊の予定。問題はうちのチビである。仕方なく、奥さんの実家に一日だけ預けることにした。最近やっとなついてきたのに、やっぱりわたしのことなどどうでもいいのねと、元のクールな犬に戻らないかやや心配である。もっともこの八月にわたしの中国旅行と奥さんのフィンランド旅行が重なって一週間チビを預けた(それにしても旅行が重なる)。その時は、4日ほど経ってから実家の玄関の内側に一日中くっついていたらしく、私たちが戻ってこないかと待っていたのではと話していた。可哀想になったが、最初の四日間はそう思わなかったということ。さすがチビである。  さすがに朝も夜も冷え冷えとしてきた。朝飲む水がちょっと冷たい。こうして秋は足を速める。

    瓶の蓋きりっと締まって朝寒し

10月13日

 どうも毎日通勤していると、教員という感じがしなくなる。授業するのではなく、学校へ行って会議と書類作りばかりだからだ。ようやく秋らしく空気はひんやりとしてきたのに、ちょっとこれは違うなあと思う毎日だ。  秋はイベントの続く日々で、共立では明日から学園祭。オープンキャンパスも明日だ。わたしは供犠論の研究会があって日曜に仙台に出かける。28日はアジア民族文化学会の秋の大会。今年は、長野県富士見町の井戸尻考古館で縄文の文様についてのシンポジウムを開く。懇親会は泊まりがけだ。締め切りの原稿は、三浦さんの幻冬舎から出た本の書評を東京新聞に書くことになっている。これ位で、少し気が楽だ。  今日、川越駅から歩いてくると、近くの毘沙門天を祭るお寺の脇に山車を入れる臨時の大きなテントが作られていた。明日から二日間川越祭り。明日も明後日も賑わうだろう。

        毘沙門天何を思うや秋祭

10月12日

 今日は教授会。何とか早めに終えて6時頃に学校を出る。「ニューズウィーク日本版」を読みながら帰りの電車に耐える。市ヶ谷で有楽町線に乗り換えるのだが、川越市行きに乗れたのはいいが座れたのは池袋を過ぎた頃。まあ早めに座れた方だ。市ヶ谷から川越まで各駅停車で一時間弱。立ちっぱなしだとさすがにきつい。  言葉とはおもしろいものだ。「憎いし苦痛」という言葉がある。流行っているかどうか知らないが、「ニューズウィーク」に出ていた。この呪文めいた言葉は実は「美しい国」を逆から読んだ言い方。安倍首相が連発する言葉にさっそくこんな呪文を見つけたものがいる。安倍首相は、どうやら「美しい国」を語る度に何かを呪っているのか、それとも呪われているのか…  わたしは物書きだからこういうのは好きだ。『夜露死苦現代詩』都築響一(新潮社)はその意味でとても面白い言葉の本だ。最近久しぶりに楽しんだ本だった。  この日記は実は俳句日記にしている。最近俳句に凝っている。何でも凝るのだけど…通勤時間で本を読むと寝てしまうし、かといって退屈なので五七五の言葉で遊んでいる。もったいないからこのブログに書いておこうというわけだ。今のところ秋と犬がテーマだが、今日はちょっと変える。  わたしは短歌評論家だが、短歌は作れない。短歌のあの情(ハイテンション)が自分にないからだ。まったくないわけではないが、抑え込んでしまう習性がある。だから評論が出来る。俳句は論じられないが、自分の資質から作れそうな気はする。愛のない自分を省みて生まれた句。

    秋深く身捨つるほどの愛もなく

10月11日

なかなかチビの散歩ができないのが寂しい。朝はどうしても遅く起きるので散歩は奥さんがしてしまう。帰りは遅いからやはり奥さんが散歩をする。休みの日にたまに散歩をするのが楽しみだ。  秋は暑くもないし寒くもないし犬の散歩にはいい季節だ。野の花も咲いているし、田んぼの稲刈りも終わって犬が遊ぶ場所も多い。川越の郊外は一面の田んぼである。新河岸川の土手も散歩コースである。最近、わたしの住む川越が勤め先からの通勤時間が長くて、近いところに越したいと弱音を吐くようになったが、金がないのと、この散歩に適した環境を捨てがたいのとで、すぐに撤回する。  今週の週末は川越祭りである。そうとう賑やかな祭りである。あまりに賑やかすぎて見物にはいかない。ただ、祭りが近づくにつれて近所の神社からお囃子が聞こえてくる。祭りの稽古をしているのである。こういう雰囲気はなかなかいい。

    刈田原犬は駆け込み尿をする

10月10日

今日は会議日である。朝10時半から理事会、学部学科長会議と続いて、午後には科長主任会議と続く。終わったのが夕方の五時半。いやはやである。まあこれも仕事だ。今は来年の時間割や予算編成、学年歴など決めなければならないことが多い。こういうことを誰かがやらなくてはいけない。やりたくはないが、世の中自分の意志でどうにもならないこともある。ただ、嫌々やるのは消耗だから、何でも今やっている仕事は天職だととりあえず思って仕事をする。そうすれば、楽しみも見いだせるというものだ。残念ながら、今の学科長という役職に楽しみは見いだせていないが。  世間では北朝鮮の核実験でもちきりだ。自暴自棄になっているのか、計算尽くなのか、どっちもあたってそうだが、確かなことは、これもアメリカのイラク攻撃の副産物だってことだろう。イラクはアメリカにテロ国家とみなされ確かな根拠なしに攻め込まれた。それを見ていた北朝鮮が、イラクは核を持っていなかったから攻撃されたと思ったのは確かだろう。そう思ったのは、北朝鮮だけではないはずだ。核を持てば、一時的に経済制裁を受けようと、いろいろ因縁つけられて武力攻撃されることはないと思った不良国家はたくさんいたろう。そう考えればイラク戦争の影響はかなり大きい。イラク戦争は核を拡散させるキッカケを作ったと言えるからだ。  結局、国連の枠組みを無力化し、武力で問題の解決を図るアメリカのやり方は核の拡散を助長するだけだということだ。そのアメリカのやり方に追随する日本は、結局憲法九条を持ちこたえられなくなる。不良国家は軍事力で脅せと言う発想に与すれば、さすがに九条は邪魔になるだろう。  北朝鮮も困ったものだが、アメリカに対して軍事力の脅しを背景とはしない問題解決の枠組みを提示できないタカ派な日本も困ったものだ。  私が忙しくても、北朝鮮が核実験をしてもチビは変わらない。丸くなって寝て、ソファーの端をかじって、きょとんと世の中を眺めながら一日を過ごす。犬だけが平和ということはないのだが、でもチビは平和なのだ。

           犬眠り号外飛び交い秋うらら

10月9日

今日はとてもいい天気だ。奥さんは友人との食事だと言って出かけ、私は家で仕事だが、つい、メールを覗いてみたら中大に編入した臼井さんからマイミクシィの登録の連絡が来ていて、それで、いろいろとブログを直し始めた。仕事がしたくないときはこうやっていつも遊ぶ。臼井さんは元気そうでなによりだ。  チビは、ベランダでひなたぼっこ。ニュースでは台風のような低気圧で人が大勢死んだと報じている。今日は身体のリハビリと、掃除もして、本を贈ってくれた人に礼状を書かなきゃ。授業の準備もしなきゃ。いろいろあるけど結局何にもやらずにチビの散歩をしてぐたっとなって一日が終わるのだ。それもよしだ。

     犬だけが空を見ている秋日和

他者を知ることが大事2006/10/20 01:02

 今日は来年度予算の説明会、そして授業。授業では雲南の少数民族文化を紹介している。「地域文化論」という授業だが、なかなか難しい授業だ。異文化を教えるということの意味が、実は、かなり難しい問題だからだ。異文化を学ぶという論理はたやすいし、あるいは日本文化との比較も面白い。が、比較してどうするのかと問われるととたんに答えられなくなる。

 異文化は優れているところもあるし欠点もある。日本の文化がそうであるようにだ。何故異文化を学ぶのか。そのことに普遍性があるからだという答えしかない。他者と出会うということは学ぶことでもある。相手がどんなに欠点をもとうともだ。まなぶことは相手を賞めることでもないし、けなすことでもない。強いて言えば、普遍的なレベルで、わたしたちとそうは違わないことや、あるいは違うことを「知る」ことだ。
 「知る」ことでわれわれはこの世界に深くかかわることが出来る。北朝鮮はわれわれから見れば欠点だらけの国だろうが、それでも、われわれと同じであったり違ったりしていることを「知る」ことが大事だ。

 だが一番やっかいなのは、経済的な格差に直面することである。異文化を論じるとき、この経済格差に対して、豊になるべきだという意見と、このままでいいという二つの意見に誰もが引き裂かれる。豊になれば固有の文化を失うからだ。
 豊かになって固有の文化を失わなければいいのだ。が、そうは上手くいかない。どうしたらいいのか、これは学生に考えてもらう。

 6時半から、森話社の大石さんと、中村生雄さんと、三浦佑之さんとで、供犠論研究会の論集発行の打ち合わせをする。家に帰ったのが12時。疲れた。
 とにかく他者を「知る」ことが大事なのだということで、生まれた句。


   今日からは他者(ひと)を愛せよ秋の暮れ

深夜割引2006/10/21 02:00

 今日は授業はないが6時半から会議。昼頃車で出る。会議が終わったらそのまま車で山小屋に行く予定。明日、山小屋でADSLのセッティングをしなくてはならない。会議は9時までかかった。その後飲み会に40分ほど付き合って(私は飲まなかったが)、それから出発。小学館の駐車場は、一日2千円。時々使う。高いけど都心だからなあ。諏訪南のインターを出たのが0時5分。何故0時5分かというと、ETCの深夜割引を使うためにあえてその時間にインターを抜けるのだ。八王子から普通だと3400円だが、割引だと2400円になる。けっこう得した気分になる。夜山小屋に着く。誰もいない。空は満点の星だ。鹿が三匹目の前を横切る。まだ子鹿だ。山小屋に入り、ストーブをつけて、この日誌を書く。
 どうも俳句の才能がないせいか、自然や物が浮かばず、自分のことだけが浮かぶ。だから俳句と呼べるものではないようだが、これもまあよしとしよう。

     俺はもう先は歩かぬ秋の暮れ
     秋の深山鹿も横切るまなかいに

紅葉せぬ樹もある2006/10/22 00:42

山小屋でADSLの接続をするが、うまくいかない。プロバイダーに電話したが、よくわからないという。NTTに連絡して調査しないとだめらしい。調査は月曜になるという。おいおい月曜は仕事だよ。まったくしょうがねえなあ。
 まあじたばたしても仕方ない。アナログでとりあえずは接続はできる。遅いけど。
 そんなことより、三浦さんの書評を書き上げなくてはいけない。
 外は紅葉である。よくみると全部が紅葉でもない。紅葉しない種類もあるし、遅れているのもある。いろいろだ。

   頑として紅葉(もみじ)せぬ樹を眺め入る

泣かせる本ばかりだ2006/10/22 23:16


 何とか三浦さんの『日本古代文学入門』(幻冬舎)の書評を書き終え、メールで東京新聞宛に送る。この本で面白かったのは、『古事記』の語り手は敗者の側に寄り添っている、という指摘。改めて指摘されるとなるほどと思う。なぜ、敗者の側に寄り添うのか。泣けるからだ。シンプルにいえばそうなる。あんまに今と変わんないといえば言える。本屋に行って平積みになっているのは、どうだ泣けるぜ、てな本ばかりだ。こういうのは変わってないんだと思う。
 外は紅葉だ。昨日から一人で過ごしている。食事は面倒なので車でコンビニまで行ってレトルトを買ってきて食べる。面倒でなくていい。さすがに近くのコンビニまで車で15分はかかる。山小屋も冬支度なのでいろいろとやることがある。風呂のシャワーから水漏れがしていて止まらない。こういうことばかりだ。
 山から降りると里では刈り取った稲を干している。稲藁を燃やしている田もある。まだ稲刈りをしていないところもある。なんでだか、穏やかだなあと感じる。

        秋天に稲藁焼きて腰伸ばし

         刈田道人も案山子も休みけり

岐路ばかり2006/10/24 15:50

 23日の夜FAXで東京新聞の記事のコピーが送られてきた。書評は書いたばかりなのに、と思ったら、歌人の加藤英彦氏が書いたコラム記事だった。癌で亡くなった評論家小笠原賢二特集をした歌詩『月光』の書評記事で、私の事が書いてある。それで、「月光の会」の人がわざわざ送ってくれた。
 私の書いた「小笠原賢二の遺した問い」という文章をいい文章だと褒めてくれていて、かなり力を入れて書いた文章だったので、よかったなあとありがたく思った。褒められるとうれしいもので、やっぱり人のことは褒めなきゃあかん。あらためてそう思った次第だ。
 ちなみに加藤英彦が出した歌集『スサノオの泣き虫』はおすすめ。別に褒められたから褒めるわけではない。最近呼んだ歌集では一番よかった。これはほんと。ところで、朝日新聞のコラムにやはり歌人の藤原龍一郎が評論家は良い歌を褒め悪い歌はきちんとけなすべきだと書いている。うーん、けなすのはむずかしいんだよなあ。だから、評論家って呼ばれるのは嫌なんだ。
 だいたい、私は、確固とした基準をもって生きているタイプではない。右往左往しながら、何となく自分らしさを出していくタイプだ。だから評論も右往左往する。時にはそれがいい場合もある。時にはだが。そのせいか私の人生岐路ばかりだ。

     秋時雨幾代生きても岐路ばかり

人を喰う話2006/10/26 00:46

 今日は車の通勤日。水曜は二部があり帰りが遅いので車で通うことにしたのだ。高速代と駐車料金で4千円近くになるが、去年はホテルに泊まっていたから、それよりは安くつく。
 学校へは首都高速が混雑する。時々CDをかけるが、今聴いているのは浜田真理子。松江で活躍するマイナーな歌手で、だいぶまえにアエラで特集していたので買って聴いてみたら、なかなかよかったので聴いている。
 三浦さんの『日本古代文学入門』の書評は、29日の東京新聞に載るそうである。この本の中で、人が人を喰う話が出ていたのが印象的だった。ほんとに人の肉を食う話である。続日本紀(761年)に出てくる話で、皇族の葦原王は、博打の果てに喧嘩をし相手を刺し殺して、その股の肉を屍体の胸の上に並べてなますにして食ったというのである。葦原王は流罪になる(皇族だから)。8世紀とはじつにすごい社会である。むろん、鬼に食われる女の話もある。8世紀の面白さは前々から強調したかったが、三浦さんの本で改めて強調してくれた。それがとてもよかった。

     人を喰ふ説話を読みて秋深し

身をよじる抒情2006/10/26 20:52

 帰りの電車、シルバーシートの前で立っていたのだが、赤ちゃんを抱いた若い母親が座っていた。その赤ちゃんが大声で泣き出しこれが泣きやまない。周りは、通勤時間だからほとんど男で、シルバーシートはくたびれた勤め人ばかり。わたしもそうだが。母親は必死にあやす。周囲はどうしていいか分からずただ黙りこくるばかり。中には迷惑そうな顔の奴もいる。こんな時間帯に赤ん坊と乗るなと言いたげである。中にはにこやかに母子を眺めている人もいる。わたしはこの後どうなるだろうかと気になりながら川越で電車を降りた。泣き声というものは力のあるものだと感心しながら。

 津田君はブログでハードボイルドな抒情という言い方をしている。その言い方が気に入った。抒情を抜きにはたぶん和歌は語れないだろう。言葉遊びのような言語ゲームのレベルで和歌を見ることも当然有りだが、例えば折口は、そのような言葉遊びそのものの起源に憑依したシャーマンの口調を想定しているのは確かだ。
 ただ、その時に、憑依したシャーマンの身体性に眼を向けるべきだ。そこにはかなりの苦痛が伴っていたはずだ。神の側から言葉をこの世に送り出すときには、それなりの衝撃が伴うのである。
 和歌の抒情はほとんどが悲しみから出発している。それこそ山折哲雄の言う「身をよじる抒情」である。例えば挽歌がそうだ。その悲しみの起源は、身をよじるような身体の衝撃だったはずだ。それこそ、あの世との往来を身体レベルで果たそうとしたこの世の身体の試みである。
 そう考えたとき、抒情はハードボイルドになる。こういう視点で和歌を語れる人はいないものか。山折哲雄はちょっと偉すぎるなあ。難しいところだ。これは来年の古代文学会の企画の話だ。
 
     身をよじる抒情はありや鳳仙花

     末枯れの勤め人らに赤子泣き