何となく正月 ― 2010/01/05 00:51

新年あけましておめでとうございます。遅ればせながらの挨拶です。
正月は三人の幼子を連れたS夫婦が来て、一緒に山小屋で紅白を見て新年を迎える。紅白が終えると近くの村のお寺にいつも除夜の鐘をつきにいって、ついでに初詣というのを恒例にしていたのだが、今年は雪がけっこう降って夜中に車を出すのは危ないというので、除夜の鐘は取りやめた。
正月はほとんどチビの散歩と、古事記関係の本を読んだりしながら過ごす。ただ雰囲気が仕事モードになっていないので、頭はあまり働かない。2日は別荘地の新年会。これも恒例である。つきあいというものがあるので顔を出す。ここの別荘地は定住者が多く、自治会がある。またオーナー会という組織もあっていろんなイベントをやっている。我が家はもう古顔なのでイベントにはお手伝いで参加することにしている。奥さんは、知り合いが来るというので小淵沢に迎えに行ってしまったので、私一人で参加した。どうもこういう会は苦手である。
三日は奥さんの友人を送りがてら、韮崎の「韮崎大村美術館」に寄る。女性画家の作品を多く収集している美術館のようだ。著名な作品はないが、景色のいいところで、小さな良い美術館だった。隣は白州温泉施設があり、温泉と美術館という組み合わせも面白い。
今日は客もいなくなり、ようやく静かになった。早速本を読み始めたが、能率は上がらない。それでも何とか神野志隆光『漢字テキストとしての古事記』を今日読み終わり、大和岩雄の『新版古事記成立考』を拾い読みなどして過ごした。
神野志隆光の『漢字テキストとしての古事記』は、面白く読んだのだが、何となく不満の残る本であった。この人の本はいつもそうなのだが。結局、古事記は文字によって書かれ、伝承とか口承の世界とはレベルが違うのだからそういったものと関わらせて論じるべきではない。あくまで文字で書かれた世界として考察されるべきだ、という姿勢で一貫させている。不満はそこにある。つまり、文字が抱え込むはずの非文字もしくは無意識、当然口承の世界等、そういったことへの回路を一切閉ざしたかたくなさがそこに感じられてしまうのだ。
そこには、論じる手掛かりのないものは存在しないとおなじことだ、というある種の合理主義があるように思えてならない。むろん、文字で書かれることによって例えば口承性といった世界は再発見されるといった論じ方はあるとしても、こういう書かれた文字による表現への還元的思考は、結局、見えるという意味でのことばや意味にこだわることになってしまう。
つまり、それらは見える世界を論じるしかない。だから、そういった論じ方は、制度論か国家論しか論じられないということになる。文字が抱え込む無意識や口承も文字も等しく抱え込む「ことば」というものへどう開いていくのか、そういう可能性があってこそ、文学と呼ぶところの、ことばの不思議さへと踏み込めるのではないか。同じことばの問題についてこんなに論じながら、ことばが本質的に持つ不思議さには決して至らないだろうという予感だけは明瞭に感じてしまう本なのだ。
名も知らぬ神に挨拶初詣
正月は三人の幼子を連れたS夫婦が来て、一緒に山小屋で紅白を見て新年を迎える。紅白が終えると近くの村のお寺にいつも除夜の鐘をつきにいって、ついでに初詣というのを恒例にしていたのだが、今年は雪がけっこう降って夜中に車を出すのは危ないというので、除夜の鐘は取りやめた。
正月はほとんどチビの散歩と、古事記関係の本を読んだりしながら過ごす。ただ雰囲気が仕事モードになっていないので、頭はあまり働かない。2日は別荘地の新年会。これも恒例である。つきあいというものがあるので顔を出す。ここの別荘地は定住者が多く、自治会がある。またオーナー会という組織もあっていろんなイベントをやっている。我が家はもう古顔なのでイベントにはお手伝いで参加することにしている。奥さんは、知り合いが来るというので小淵沢に迎えに行ってしまったので、私一人で参加した。どうもこういう会は苦手である。
三日は奥さんの友人を送りがてら、韮崎の「韮崎大村美術館」に寄る。女性画家の作品を多く収集している美術館のようだ。著名な作品はないが、景色のいいところで、小さな良い美術館だった。隣は白州温泉施設があり、温泉と美術館という組み合わせも面白い。
今日は客もいなくなり、ようやく静かになった。早速本を読み始めたが、能率は上がらない。それでも何とか神野志隆光『漢字テキストとしての古事記』を今日読み終わり、大和岩雄の『新版古事記成立考』を拾い読みなどして過ごした。
神野志隆光の『漢字テキストとしての古事記』は、面白く読んだのだが、何となく不満の残る本であった。この人の本はいつもそうなのだが。結局、古事記は文字によって書かれ、伝承とか口承の世界とはレベルが違うのだからそういったものと関わらせて論じるべきではない。あくまで文字で書かれた世界として考察されるべきだ、という姿勢で一貫させている。不満はそこにある。つまり、文字が抱え込むはずの非文字もしくは無意識、当然口承の世界等、そういったことへの回路を一切閉ざしたかたくなさがそこに感じられてしまうのだ。
そこには、論じる手掛かりのないものは存在しないとおなじことだ、というある種の合理主義があるように思えてならない。むろん、文字で書かれることによって例えば口承性といった世界は再発見されるといった論じ方はあるとしても、こういう書かれた文字による表現への還元的思考は、結局、見えるという意味でのことばや意味にこだわることになってしまう。
つまり、それらは見える世界を論じるしかない。だから、そういった論じ方は、制度論か国家論しか論じられないということになる。文字が抱え込む無意識や口承も文字も等しく抱え込む「ことば」というものへどう開いていくのか、そういう可能性があってこそ、文学と呼ぶところの、ことばの不思議さへと踏み込めるのではないか。同じことばの問題についてこんなに論じながら、ことばが本質的に持つ不思議さには決して至らないだろうという予感だけは明瞭に感じてしまう本なのだ。
名も知らぬ神に挨拶初詣
忙しい日々戻る ― 2010/01/09 01:41
今日から初仕事。午前中歯医者に行き、昼家に戻りチビの散歩をして学校へ。今日は奥さんが新年会の連チャンで午前中から夜まで家にいない。午後早めに夕方の散歩をわたしがしたというわけだ。
入試関係の仕事で学校では珍しい肉体労働の雑務であった。私は20代ずっと肉体労働をしていた。当時は体力にも自信があった。植木を扱う農協に勤めていたとき、一番大変だったのが、大型トラックに山ほどの藁で編んだ薦を倉庫に運ぶときだ。たぶん一束20キロはあったろう。がさ張って持ちにくい。トラックの荷台から手かぎでひっかけ肩に担いで倉庫に積み上げていく。積み上げると7、8メートルの菰の山が出来る。夏の暑いときは全身汗だくで、体中が藁まみれになった。
三〇代になって大学院にはいるので仕事を辞め、肉体労働をしなくなったらとたんに太り始め、いっきにメタボ体質になった。それ以来、私の身体は私に対して職業の選択を間違っているという信号を送り続けている。しかし、今更肉体労働にもどれはしない。
6日に山小屋近くのスキー場で2時間ほど滑ったのだが、その後遺症か、体中が痛い。情けない。かつては早朝一人で苗場まで車で行き、一日滑って日帰りで帰ってきたというのに。今それをやったら私の身体は一週間は使い物にならないだろう。スキー場で半日のリフト券を買ったのだが、料金表にシニア割引というのがあった。ためらったが安いのでつい何歳からかと聞いたら55歳からだという。アラ還世代の私は立派なシニア割引の対象なのだ。見栄を張ることもなくシニア割引にした。それにしても、最近このシニア割引が目立つ。
東京に帰ってからメールなどを整理していたら、1月5日締め切りの短歌時評の原稿があることがわかった。そういえばそんな依頼のメールがあったのを思い出したが、年末年始は山小屋のパソコンでウェブメールで対応していたので、以前にもらったメールをチェックできず、締め切りをずっと先のことだと思っていたのだ。実は、古事記の方の締め切りは20日である。こっちばかりが頭にあって、別の方を忘れていたというわけだ。
急いで書き出す。間に合うわけ無いけど。でもこれくらいの遅れはいままでもあることで、連休中に書けば何とかなるだろう。
ブログを書いているところじゃないのだが、何枚かの年賀状にブログ読んでますと書かれていたりするので、こっちもおろそかには出来ない。そんなこんなで、忙しい日々が戻ってきた。
ついにもう仕事始となりにけり
入試関係の仕事で学校では珍しい肉体労働の雑務であった。私は20代ずっと肉体労働をしていた。当時は体力にも自信があった。植木を扱う農協に勤めていたとき、一番大変だったのが、大型トラックに山ほどの藁で編んだ薦を倉庫に運ぶときだ。たぶん一束20キロはあったろう。がさ張って持ちにくい。トラックの荷台から手かぎでひっかけ肩に担いで倉庫に積み上げていく。積み上げると7、8メートルの菰の山が出来る。夏の暑いときは全身汗だくで、体中が藁まみれになった。
三〇代になって大学院にはいるので仕事を辞め、肉体労働をしなくなったらとたんに太り始め、いっきにメタボ体質になった。それ以来、私の身体は私に対して職業の選択を間違っているという信号を送り続けている。しかし、今更肉体労働にもどれはしない。
6日に山小屋近くのスキー場で2時間ほど滑ったのだが、その後遺症か、体中が痛い。情けない。かつては早朝一人で苗場まで車で行き、一日滑って日帰りで帰ってきたというのに。今それをやったら私の身体は一週間は使い物にならないだろう。スキー場で半日のリフト券を買ったのだが、料金表にシニア割引というのがあった。ためらったが安いのでつい何歳からかと聞いたら55歳からだという。アラ還世代の私は立派なシニア割引の対象なのだ。見栄を張ることもなくシニア割引にした。それにしても、最近このシニア割引が目立つ。
東京に帰ってからメールなどを整理していたら、1月5日締め切りの短歌時評の原稿があることがわかった。そういえばそんな依頼のメールがあったのを思い出したが、年末年始は山小屋のパソコンでウェブメールで対応していたので、以前にもらったメールをチェックできず、締め切りをずっと先のことだと思っていたのだ。実は、古事記の方の締め切りは20日である。こっちばかりが頭にあって、別の方を忘れていたというわけだ。
急いで書き出す。間に合うわけ無いけど。でもこれくらいの遅れはいままでもあることで、連休中に書けば何とかなるだろう。
ブログを書いているところじゃないのだが、何枚かの年賀状にブログ読んでますと書かれていたりするので、こっちもおろそかには出来ない。そんなこんなで、忙しい日々が戻ってきた。
ついにもう仕事始となりにけり
「聴くことの力」を読む ― 2010/01/10 01:51
今日は後援会主催の学校の新年会と二つの学会が重なった。学科長として新年会は毎年出ていたが、今回はパス。二つの学会のうち大きい方に出た。発表者が京都から出てきたM氏で、彼はアジア民族文化学会の代表なので、夏のシンポジウムのことで打ち合わせなどをしなければならなかったので、参加したわけである。
彼の発表は宴における贈答歌で、文字レベルでの歌がやりとりされていた万葉の時代の宴で、歌垣でみられるような声の即興における歌のやりとりのテクニックが見られることを指摘したものである。オーラルな歌の水準と文字で書かれたり記録されたりする歌の水準とは違うだろうが、一方で、それらは歌の場によっては同時に成立するということもある。特に、万葉ではそういう機会は多かったはずだ。たとえばそれが宴の場である。
宴では、文字の歌をやりとりしたはずではない。声で歌いそしてその歌に即興に近い形で声で応答したはずだ。ただ、すでに文字で歌が書かれたり記録されたりする時代であり、歌の水準は文字の時代のものである。文字を持たない民族の歌の掛け合いの事例とかさなるような歌のテクニックが見られるが、一方で、やはりちょっと違うというところもある。そういう微妙な違いをどう腑分けしていくかが課題であるとのK氏の発言があったが、その通りだろう。
ただ、声の歌が古く、文字で書かれた歌が新しい、という区別の仕方をあまりに自明に述べているところが、気になった。間違ってはいないが、歌の大事な問題、というより、言葉の大事な問題が見えなくなってしまうという危惧を感じる。
文字で書かれたものの方が新しいし表現として価値がある、という近代的思考を批判したのが柳田である。一方、この柳田的批判に対し、逆に文字の側からオーラルな表現を価値化するものだという逆批判もあるが、声対文字という対立軸ではない、ことばの問題を照らし出す形で、たとえば今日のM氏の発表があってもいいのではないかと聞きながら思った。
鷲田清一 『「聴く」ことの力』読了。聴くことは、自分のアイデンティティを損なう客を迎える行為であり、同時に自分が迎えられる行為でもある、という論理を一貫させるこの本は、まさに、コミュニケーションというものの、不全を前提にして成り立つコミュニケートの可能性を開示している。聴くことは徹底した受け身でありながら、他者にひらいていくというパラドックス、そこに表現の本質もある、とする。それを具体的に介護やカウンセリングなどの事例として語っていくところがまさに現在的である。
他者と出会うということ、それは表現するということ、それらは実は、ある決まった目的や関係や場のルールなどから外れてまったく無防備な状態で、さらされる(傷つく)ことだ、と述べる。が、それを受け入れられる(つまり他者との出会いが成立する)というところに、生きていることの意味があるのだと言う。
いつも漠然と考えていることをこの本はうまく説明してくれる。自分が考えている方向はそれほど間違ってはいないということを教えてくれたという意味で、とても助かった。
この問題意識を、歌うということとして考えたらどうか。声の歌であろうと文字で書く歌であろうと、無防備で他者にさらされ、それを受け入れていく時に、歌は表現として成立する。その時、声と文字の違いは、たぶん、他者の現れ方の違いだ。
話が難しくまとめようもないのでこの辺で終わりにしておく。
他者に触れ触れすぎて痛い冬の日
彼の発表は宴における贈答歌で、文字レベルでの歌がやりとりされていた万葉の時代の宴で、歌垣でみられるような声の即興における歌のやりとりのテクニックが見られることを指摘したものである。オーラルな歌の水準と文字で書かれたり記録されたりする歌の水準とは違うだろうが、一方で、それらは歌の場によっては同時に成立するということもある。特に、万葉ではそういう機会は多かったはずだ。たとえばそれが宴の場である。
宴では、文字の歌をやりとりしたはずではない。声で歌いそしてその歌に即興に近い形で声で応答したはずだ。ただ、すでに文字で歌が書かれたり記録されたりする時代であり、歌の水準は文字の時代のものである。文字を持たない民族の歌の掛け合いの事例とかさなるような歌のテクニックが見られるが、一方で、やはりちょっと違うというところもある。そういう微妙な違いをどう腑分けしていくかが課題であるとのK氏の発言があったが、その通りだろう。
ただ、声の歌が古く、文字で書かれた歌が新しい、という区別の仕方をあまりに自明に述べているところが、気になった。間違ってはいないが、歌の大事な問題、というより、言葉の大事な問題が見えなくなってしまうという危惧を感じる。
文字で書かれたものの方が新しいし表現として価値がある、という近代的思考を批判したのが柳田である。一方、この柳田的批判に対し、逆に文字の側からオーラルな表現を価値化するものだという逆批判もあるが、声対文字という対立軸ではない、ことばの問題を照らし出す形で、たとえば今日のM氏の発表があってもいいのではないかと聞きながら思った。
鷲田清一 『「聴く」ことの力』読了。聴くことは、自分のアイデンティティを損なう客を迎える行為であり、同時に自分が迎えられる行為でもある、という論理を一貫させるこの本は、まさに、コミュニケーションというものの、不全を前提にして成り立つコミュニケートの可能性を開示している。聴くことは徹底した受け身でありながら、他者にひらいていくというパラドックス、そこに表現の本質もある、とする。それを具体的に介護やカウンセリングなどの事例として語っていくところがまさに現在的である。
他者と出会うということ、それは表現するということ、それらは実は、ある決まった目的や関係や場のルールなどから外れてまったく無防備な状態で、さらされる(傷つく)ことだ、と述べる。が、それを受け入れられる(つまり他者との出会いが成立する)というところに、生きていることの意味があるのだと言う。
いつも漠然と考えていることをこの本はうまく説明してくれる。自分が考えている方向はそれほど間違ってはいないということを教えてくれたという意味で、とても助かった。
この問題意識を、歌うということとして考えたらどうか。声の歌であろうと文字で書く歌であろうと、無防備で他者にさらされ、それを受け入れていく時に、歌は表現として成立する。その時、声と文字の違いは、たぶん、他者の現れ方の違いだ。
話が難しくまとめようもないのでこの辺で終わりにしておく。
他者に触れ触れすぎて痛い冬の日
古事記はやっかいだ ― 2010/01/11 23:55
昨日今日と短歌時評の原稿書き。ここのところ歌集を読んでいないので、抽象的な問題について書いているのだが、前回は音数律論で、今回は定型論である。 時評という性格には合わないのだが、こういうのもたまにはいいだろう、というのが言い訳。
実は、今年の4月に、穂村弘と学会のシンポジウムで一緒に、型といったテーマで話をすることになっている。今回書いた定型論は、その準備の文章みたいなものである。穂村弘は、私がいつも引用したり参考にしたりしている歌人であり評論家である。相手は著名で今多忙な人だから、よく学会のシンポジウムを引き受けたくれたと驚いている。
たぶんこのシンポジウムにはたくさんの歌人が来るかもしれない。私的にはあまり来てもらっては困るのだが、学会としては歓迎だろう。
大和岩雄『新版古事記成立考』を読み進めているのだが、これがなかなかおもしろい。おもしろいというのは、とにかく、古事記偽書説、もしくは序文偽造説についてのほとんとの賛否の論を網羅しているからで、こういうことにあまり興味をいだいてなかった私としては実におもしろく勉強になった。大和氏は、古事記偽書説の論者だが、自説の批判に対してはとにかくしつこい位に徹底して反論している。その批判の仕方も、それなりに論理的であり、読んでいくうちに、古事記偽書説は一つの説として成立するのではないか、とほとんど洗脳されそうになる。
偽書でないとしても、偽書説にしても、結局は、どちらも確証がないということがある。だから、古事記をどう読むか、あるいはどう歴史に位置づけるか、という論者の思想が結局はその説に反映するということになる。確証としての資料がないから、どのような説も推論を含み、従って、反論も推論だろうと攻撃すればいいから容易なのである。
たとえば、大和岩雄は平安初期に多人長氏が、私的に伝えていた原古事記を、それなりに改訂して序文をつけて公にしたものだと言っている。古事記の表記についての、たとえばモの使い分けなどから明らかに古い時代のものだという反論には、多人長氏は大歌所を職掌としていたので、そういう知識はあったろうとする。つまり、原古事記というものを想定すれば、古事記は古いものだとする反論には太刀打ちできる、というわけである。
結局、日本書紀と古事記との二つがほぼ同時に天皇の勅によって作られることの不自然さや、古事記の内容の歌謡物語の多さ、悲劇的な物語、その文学性といった特徴を、どう説明するのか、といったことについて説得力ある説明が出ていないということがあるから、偽書説は出てくる。それらは天皇中心の系図とか私的な歴史を綴ったもの、という従来の説明ではなかなか説明できないのである。
が、偽書説なら説明できるかというとこれもまた難しい。後宮のための読み物だろうという説もあるが、それにしては、天皇中心の神話や歴史が意図されすぎている。国家の側に引き寄せて解釈すれば、悲劇的な物語や、出雲神話等の説明が弱くなる。そう考えると古事記とはやっかいな書物である。
あと一週間で、古事記編纂についての文章を書かなきゃならない。これまたやっかいな仕事を引き受けたものだ。
小寒や推論ばかりのいちにち
実は、今年の4月に、穂村弘と学会のシンポジウムで一緒に、型といったテーマで話をすることになっている。今回書いた定型論は、その準備の文章みたいなものである。穂村弘は、私がいつも引用したり参考にしたりしている歌人であり評論家である。相手は著名で今多忙な人だから、よく学会のシンポジウムを引き受けたくれたと驚いている。
たぶんこのシンポジウムにはたくさんの歌人が来るかもしれない。私的にはあまり来てもらっては困るのだが、学会としては歓迎だろう。
大和岩雄『新版古事記成立考』を読み進めているのだが、これがなかなかおもしろい。おもしろいというのは、とにかく、古事記偽書説、もしくは序文偽造説についてのほとんとの賛否の論を網羅しているからで、こういうことにあまり興味をいだいてなかった私としては実におもしろく勉強になった。大和氏は、古事記偽書説の論者だが、自説の批判に対してはとにかくしつこい位に徹底して反論している。その批判の仕方も、それなりに論理的であり、読んでいくうちに、古事記偽書説は一つの説として成立するのではないか、とほとんど洗脳されそうになる。
偽書でないとしても、偽書説にしても、結局は、どちらも確証がないということがある。だから、古事記をどう読むか、あるいはどう歴史に位置づけるか、という論者の思想が結局はその説に反映するということになる。確証としての資料がないから、どのような説も推論を含み、従って、反論も推論だろうと攻撃すればいいから容易なのである。
たとえば、大和岩雄は平安初期に多人長氏が、私的に伝えていた原古事記を、それなりに改訂して序文をつけて公にしたものだと言っている。古事記の表記についての、たとえばモの使い分けなどから明らかに古い時代のものだという反論には、多人長氏は大歌所を職掌としていたので、そういう知識はあったろうとする。つまり、原古事記というものを想定すれば、古事記は古いものだとする反論には太刀打ちできる、というわけである。
結局、日本書紀と古事記との二つがほぼ同時に天皇の勅によって作られることの不自然さや、古事記の内容の歌謡物語の多さ、悲劇的な物語、その文学性といった特徴を、どう説明するのか、といったことについて説得力ある説明が出ていないということがあるから、偽書説は出てくる。それらは天皇中心の系図とか私的な歴史を綴ったもの、という従来の説明ではなかなか説明できないのである。
が、偽書説なら説明できるかというとこれもまた難しい。後宮のための読み物だろうという説もあるが、それにしては、天皇中心の神話や歴史が意図されすぎている。国家の側に引き寄せて解釈すれば、悲劇的な物語や、出雲神話等の説明が弱くなる。そう考えると古事記とはやっかいな書物である。
あと一週間で、古事記編纂についての文章を書かなきゃならない。これまたやっかいな仕事を引き受けたものだ。
小寒や推論ばかりのいちにち
世田谷ボロ市 ― 2010/01/15 23:01

明日からセンター試験である。私も明日は朝早くから学校へ行かなくてはならない。今日はその準備ということもあって休校。ただ、仕事はあるので午後出校。奥さんと友達が世田谷ボロ市に出かけるというので、それじゃということで、ボロ市をちょっと見学してから学校へ行くことにした。
ボロ市の名前の由来は、江戸時代の農民が草鞋に布の端切れを編み込むと丈夫になるというので端切れを市に買いに来た。それで布のぼろ切れが売られたというところからボロ市と呼ぶようになったというこらしい。朝テレビで得た知識である。
豪徳寺で降りて世田谷線に乗る。世田谷線にはこのボロ市のときしか乗らない。世田谷線は満員である。市はとにかくすごい人であった。ほとんど中高年以上だろう。全体の服装がさすがにくすんでいる。人のことは言えないが。
奥さんは輪島塗とかいいう塗り椀四セットを2千円で買った。かなり安いが、店の主人は、この椀ケガしているから、と言っていた。傷物ということだが、ケガしているという言い方がおもしろい。少しつきあって、私は世田谷線で三軒茶屋に出て、そのまま半蔵門線で神保町へ。
仕事を終えて帰宅。いつも小田急で帰るのだが、たまたま京王線直通の急行が来たので、京王線でつつじヶ丘まで行く。いつも仙川で降りるのだが、ふとつつじヶ丘から歩いてみようという気になった。仙川から歩くと自宅まで三〇分弱。つつじヶ丘から歩くとどのくらいかかるか試してみようという気になったのである。たにかくメタボの私は歩かないとだめなのである。武者小路実篤記念館まで7分ほど。実は、ここまでは散歩で良く来る。そこから家まで結局時間がかかつて、やはり家まで三〇分弱である。結局仙川と同じである。小田急の成城学園前までは歩いて18分。やはり成城学園前が一番近い。考え方ではどこの駅からも離れているということだ。
今日が締め切りなので、家で来年の授業のシラバス「授業概要」を書き込む。今は、インターネットでウェブ上に書き込むようになっている。私は来年度から学科長をやめるので授業が増える。何をやろうかずっと考えて居た。新しいことを始めるのは、忙しい身にはきついが、でも新鮮さがある。「文学を歩く」という授業がある。文学創作とフィールドワークを合体した授業なのだが、樋口一葉をやることにした。樋口一葉に関わりのある場所を学生と一緒に歩いてみようという授業である。
演習の一つは思い切って宮沢賢治にした。今まで遠野物語をテーマにしてきたがさすがに飽きてきた。ここで宮沢賢治を学生と一緒に読んでいくのも悪くはないと思ったのである。演習なので、何とかなるだろう。大変だが、楽しめそうだ。さて来年学生は集まるだろうか。入試シーズンを控えそれが気がかりである。
手袋は五〇〇円にて売られけり
卒業レポート全員提出 ― 2010/01/18 23:22
センター試験も何とか無事に終わって一安心。なにせ私は試験場責任者とやらをやっていたものだから、何か問題が起きるといろいろと大変な立場だったのである。とりあえず、全国ニュースにのるようなトラブルは無くてよかった。
一日目の一時間目のとき、北海道のある大学が、次の時間のテストの科目の問題訂正を板書してしまったものだから、その教室の受験生は次の科目の問題の一部を知ってしまう結果となり、次の時間まで他の受験生と接触しないように教室に軟禁状態にされた。それが全国ニュースになった。
確かに、あの問題訂正は間違いが起こるのではないかと入試関係者は心配していた。1限と2限目の二科目の問題訂正の紙が二枚一緒に配布されてきたのである。決して間違いないようにとこちらも念を押したのだが、やはり取り違えて板書した者がいたというわけだ。ほんとにうちでなくてよかった。
『古事記』の編纂者についての12枚の文章を何とか書き終え、出版社に送付。別に自説を展開する文章ではないので難しくはなかったが、12枚に、いろいろな要素をまんべんなく書き込んでまとめるのはそれなりに大変だった。ただ、こういうのは書き慣れている。短歌の時評を含めてこういう文章を私は膨大に書いているからだ。そういう意味では私は職人である。
書いていて気づいたことは、古事記を文学的に読もうとすると、編纂者という存在は邪魔になるということである。というのは、編纂者は、古事記をその時代の国家なり制度の枠組みの中に整理する存在だからで、従って、古事記の読みをある方向に誘導する存在である。が、自由に、それこそ文学として読むものにとっては、編纂者などという存在はどうでもいいし、いなくてもよい。古事記偽書説を唱える研究者は、どちらかと言えば、国家以前の「語り」をそこに読もうとするものが多いが、これもある意味での文学的な読みであろう。
今日、卒業セミナーの授業。今日が卒業レポートの締め切り。19人いるが、最低8000字のレポートである。ウェブ上で受け取れるが、直前までウェブで送ってきたのは4人。正直心配になった。苦労して指導したのに、提出出来ない者が何人いるだろうか、と不安な気持ちで教室へ。
が、なんと全員提出。思わず私は一人で拍手した。みんなそれなりに力作である。来週までに卒業レポート集として冊子にして、みんなに配る予定。とりあえず、よかった。
やきもきはらはら教師の初仕事
一日目の一時間目のとき、北海道のある大学が、次の時間のテストの科目の問題訂正を板書してしまったものだから、その教室の受験生は次の科目の問題の一部を知ってしまう結果となり、次の時間まで他の受験生と接触しないように教室に軟禁状態にされた。それが全国ニュースになった。
確かに、あの問題訂正は間違いが起こるのではないかと入試関係者は心配していた。1限と2限目の二科目の問題訂正の紙が二枚一緒に配布されてきたのである。決して間違いないようにとこちらも念を押したのだが、やはり取り違えて板書した者がいたというわけだ。ほんとにうちでなくてよかった。
『古事記』の編纂者についての12枚の文章を何とか書き終え、出版社に送付。別に自説を展開する文章ではないので難しくはなかったが、12枚に、いろいろな要素をまんべんなく書き込んでまとめるのはそれなりに大変だった。ただ、こういうのは書き慣れている。短歌の時評を含めてこういう文章を私は膨大に書いているからだ。そういう意味では私は職人である。
書いていて気づいたことは、古事記を文学的に読もうとすると、編纂者という存在は邪魔になるということである。というのは、編纂者は、古事記をその時代の国家なり制度の枠組みの中に整理する存在だからで、従って、古事記の読みをある方向に誘導する存在である。が、自由に、それこそ文学として読むものにとっては、編纂者などという存在はどうでもいいし、いなくてもよい。古事記偽書説を唱える研究者は、どちらかと言えば、国家以前の「語り」をそこに読もうとするものが多いが、これもある意味での文学的な読みであろう。
今日、卒業セミナーの授業。今日が卒業レポートの締め切り。19人いるが、最低8000字のレポートである。ウェブ上で受け取れるが、直前までウェブで送ってきたのは4人。正直心配になった。苦労して指導したのに、提出出来ない者が何人いるだろうか、と不安な気持ちで教室へ。
が、なんと全員提出。思わず私は一人で拍手した。みんなそれなりに力作である。来週までに卒業レポート集として冊子にして、みんなに配る予定。とりあえず、よかった。
やきもきはらはら教師の初仕事
価値の転換 ― 2010/01/20 23:55
今年は不況の影響もあって就職も入試も厳しい。特に短大はかなり影響を受けている。これから入試本番を迎えるが、是非たくさん受けて欲しい。このブログもやや営業モードにはいらざるを得ない。
魅力ある学科にしようといろいろ努力しているのだが、なかなかうまくいかなんあ、といったところだ。今日は「千字エッセイ」や「リテラシーポイント」の優秀者の表彰状を作成。15枚ほどをパソコンで作成した。賞状用紙はちゃんとしたものを買ってきて、そこにパソコンでいかにも筆で書いたもののように印刷するだけである。賞品も私が選んだもので、音の出るハート型のペーパーウェイトである。こういった試みは、第三者評価委員による外部評価でも評判は良かった。問題は学生がどう思うかで、こっちが一生懸命な割には学生はそれほどでもないというのが、だいたいこういう試みの常である。そろそろそういう傾向が見え始めたのではないかと思っている。対策を立てねばと考えている。
天災というものがそうだが、百年に一度の大不況と言われたリーマンショックも、こつこつと続けてきた努力の成果を洪水の如く押し流してしまう。まあ人の世なんてそんなものだ、とも言えるが、それを虚しさとして受け取るか、また一から始めるかで受け止めるかでは大きく違う。できればリセットという発想でいきたいものである。
ハイビジョンで、ベトナムの雑貨を日本の女優が求め歩く番組をやっていた。米兵の軍服に刺繍しておしゃれな服にすることが話題になっていたり、伝統的なものを今風にアレンジするのは当然だが、共産国のスローガンをあえておしゃれなデザインとして商品化したり、となかなかおもしろかった。それを見ながら、現代は、価値の創造ではなく価値の再配置もしくは価値の転換の時代なんだろうと思った。
それは私の専門分野の文学研究もまた同じだろう。ベトナム人が自分たちに銃を向けた米兵のアーミー服に刺繍をしてデザインとして楽しむといった、重たい歴史を転換させて楽しむほどの余裕やセンスが、問われているということだ。毛沢東のバッジが古道具屋に並べられている中国とはちょっと違うセンスだなと感じた。
政権交代もまた価値の転換だが、こっちは小沢問題でどうなるかはわからない。が、価値の転換は確実に起きている。大学とかアカデミズムはこの変化に気づくのがだいたい遅い。この先どうなるのか、誰もわからない。確かなことは、もう何もしないで穏やかに過ごせるということはないということである。疲れるが、リセットのしがいのある時代なのかもしれない。
雪降りて行きたき路の消えにけり
魅力ある学科にしようといろいろ努力しているのだが、なかなかうまくいかなんあ、といったところだ。今日は「千字エッセイ」や「リテラシーポイント」の優秀者の表彰状を作成。15枚ほどをパソコンで作成した。賞状用紙はちゃんとしたものを買ってきて、そこにパソコンでいかにも筆で書いたもののように印刷するだけである。賞品も私が選んだもので、音の出るハート型のペーパーウェイトである。こういった試みは、第三者評価委員による外部評価でも評判は良かった。問題は学生がどう思うかで、こっちが一生懸命な割には学生はそれほどでもないというのが、だいたいこういう試みの常である。そろそろそういう傾向が見え始めたのではないかと思っている。対策を立てねばと考えている。
天災というものがそうだが、百年に一度の大不況と言われたリーマンショックも、こつこつと続けてきた努力の成果を洪水の如く押し流してしまう。まあ人の世なんてそんなものだ、とも言えるが、それを虚しさとして受け取るか、また一から始めるかで受け止めるかでは大きく違う。できればリセットという発想でいきたいものである。
ハイビジョンで、ベトナムの雑貨を日本の女優が求め歩く番組をやっていた。米兵の軍服に刺繍しておしゃれな服にすることが話題になっていたり、伝統的なものを今風にアレンジするのは当然だが、共産国のスローガンをあえておしゃれなデザインとして商品化したり、となかなかおもしろかった。それを見ながら、現代は、価値の創造ではなく価値の再配置もしくは価値の転換の時代なんだろうと思った。
それは私の専門分野の文学研究もまた同じだろう。ベトナム人が自分たちに銃を向けた米兵のアーミー服に刺繍をしてデザインとして楽しむといった、重たい歴史を転換させて楽しむほどの余裕やセンスが、問われているということだ。毛沢東のバッジが古道具屋に並べられている中国とはちょっと違うセンスだなと感じた。
政権交代もまた価値の転換だが、こっちは小沢問題でどうなるかはわからない。が、価値の転換は確実に起きている。大学とかアカデミズムはこの変化に気づくのがだいたい遅い。この先どうなるのか、誰もわからない。確かなことは、もう何もしないで穏やかに過ごせるということはないということである。疲れるが、リセットのしがいのある時代なのかもしれない。
雪降りて行きたき路の消えにけり
文章表現の教え方 ― 2010/01/24 00:28
金曜日に歯を抜いて、その影響か私は少し元気がない。抜いたといっても、ブリッジを支えていた歯がほとんど駄目になっていて、つまり役に立たないほど劣化してしまっていたので、早めに抜いた方がいいということになった。
その後をどうするかだが、入れ歯にするかインプラントにするかという選択がある、と言われて、入れ歯よりもそりゃあインプラントがいいということで、インプラントにすることにした。すでに私の歯は3本がインプラントである。もう10年前に入れた。今のところ、けっこうこれで物が食べられているので助かっている。ただ、入れ歯より値段の高いのがネックだが、こればかりは仕方がない。
昨日今日と、レポートの書き方の本を何冊か買ってきて目を通している。一応参考になりそうなものはあるかどうか読んでいるのだが、なかなか役にたちそうなものはない。今年も基礎ゼミのテキストをを作らなくてはいけない。昨年の改訂版を作ろうと思っているのだが、そのための資料集めである。
私自身、小論文の書き方の参考書を出しているので、別に文章表現の参考書など無くても書けるのだが、やはり、いろんな考え方の教員に使ってもらうためには、それなりに使い勝手のいいものを作らないと、といろいろと思案中である。
昨年のものは、マニュアル本にしたくないので、何故レポートを書くのか、何故序論・本論・結論という構成が必要なのか、という理由を説明するのに多くを費やした。型だけ教えてもつまらないし、基礎とは、ただ型を知ることではなく、型が型であることの理由を知ることだかと考えたからだ。むろん、これには、違うという考え方もある。型は身体に覚えさせるのであって、頭で理解するものではないということだ。確かに、そうだが、何故そういう型なの?、と知りたいと思う知的欲求を満たすのもまた、大事なことだ。どっちみち、レポートの書き方の型を一時間かけて教えたからと言ってすぐうまくなるわけではない。それこそ何度も書いて実践のなかでそれこそ身体で覚えていくしかない。
だが、何故レポートを書かなきゃならないの?ということにごたわったテキストは一部の教員には不評であった。ある者は、幼稚すぎると言い、ある者はこれは教えられないと感想を言う。つまり、何故大学生はレポートを書かなきゃならないのか、という基本的なところから始めることに、そんなことわかっているとか、教えられないという苦情が来たというわけだ。
むろん、良いテキストだと褒めている先生もいるが、参考にすべきは批判的な意見で、とにかく教える先生にとって使い勝手がそんなに良くないということはわかったので、こちらの考え方を貫きながら、どうやったら使い勝手が良くなるか、それをこれから思案していく、ということだ。
文章表現を教える教員は、ある意味では、スポーツ選手のコーチに似ている。型を教えることは難しいことではない。型は常に図式的でその通りに身体を動かせ、と言えばすむからだ。だが、実際はその通りにからだは動かない。何故動かないのか、どうすれば動くのか、実は、その説明はかなり難しい。特に一流の選手になると、身体のある部分の力のいれ具合を微妙に調整していくその説明を、比喩や感覚的なことばで語る。その表現は体系的でないし論理的でもない。イメージであり感覚的である。が、何を言わんとしているか、スポーツ選手同士ならすぐわかる。
文章表現を教えていくことも実はこれと良く似たところがある。テーマがないとか、客観的でないとか、確かにそういう言い方で指導するが、それは、型にあっているかどうかの説明で、型どおり書きたいのだが、どうしても手が言うことを聴いてくれない、というときの本人のじれったさを解決する教え方ではない。書いている本人の思考や書き方の癖や問題点をまず読み取る。そのうえでどこに問題が在るかを察知し、どこをどのように直せばうまく書けるようになるかと説明していくのだが、その時、型を示して型通りに書けという指導は良くない。ここをこんな風に発想したり、こんな書き方をすればうまく書けるようになけるよ、とおのずと型を実践していくようにヒントを与えていくのが良い。その時の説明の仕方は、時に比喩的であり時に感覚的になる。そうなってしまうのである。
とすれば、文章表現のテキストというのは、なかなか難しい。みんながいいテキストだというのは、型を教えるのに教えやすいテキストで、なんとなくわかった気になり、うまく書ける気になるテキストであるが、そんなものでうまく書けるようになるはずはない。ただ、こういう書き方は良くないというルールは身につけることは出来る。
ということで、またまた文章表現のテキストで悩むことになりそうだ。
型破りに生きてみたいよ日脚伸ぶ
その後をどうするかだが、入れ歯にするかインプラントにするかという選択がある、と言われて、入れ歯よりもそりゃあインプラントがいいということで、インプラントにすることにした。すでに私の歯は3本がインプラントである。もう10年前に入れた。今のところ、けっこうこれで物が食べられているので助かっている。ただ、入れ歯より値段の高いのがネックだが、こればかりは仕方がない。
昨日今日と、レポートの書き方の本を何冊か買ってきて目を通している。一応参考になりそうなものはあるかどうか読んでいるのだが、なかなか役にたちそうなものはない。今年も基礎ゼミのテキストをを作らなくてはいけない。昨年の改訂版を作ろうと思っているのだが、そのための資料集めである。
私自身、小論文の書き方の参考書を出しているので、別に文章表現の参考書など無くても書けるのだが、やはり、いろんな考え方の教員に使ってもらうためには、それなりに使い勝手のいいものを作らないと、といろいろと思案中である。
昨年のものは、マニュアル本にしたくないので、何故レポートを書くのか、何故序論・本論・結論という構成が必要なのか、という理由を説明するのに多くを費やした。型だけ教えてもつまらないし、基礎とは、ただ型を知ることではなく、型が型であることの理由を知ることだかと考えたからだ。むろん、これには、違うという考え方もある。型は身体に覚えさせるのであって、頭で理解するものではないということだ。確かに、そうだが、何故そういう型なの?、と知りたいと思う知的欲求を満たすのもまた、大事なことだ。どっちみち、レポートの書き方の型を一時間かけて教えたからと言ってすぐうまくなるわけではない。それこそ何度も書いて実践のなかでそれこそ身体で覚えていくしかない。
だが、何故レポートを書かなきゃならないの?ということにごたわったテキストは一部の教員には不評であった。ある者は、幼稚すぎると言い、ある者はこれは教えられないと感想を言う。つまり、何故大学生はレポートを書かなきゃならないのか、という基本的なところから始めることに、そんなことわかっているとか、教えられないという苦情が来たというわけだ。
むろん、良いテキストだと褒めている先生もいるが、参考にすべきは批判的な意見で、とにかく教える先生にとって使い勝手がそんなに良くないということはわかったので、こちらの考え方を貫きながら、どうやったら使い勝手が良くなるか、それをこれから思案していく、ということだ。
文章表現を教える教員は、ある意味では、スポーツ選手のコーチに似ている。型を教えることは難しいことではない。型は常に図式的でその通りに身体を動かせ、と言えばすむからだ。だが、実際はその通りにからだは動かない。何故動かないのか、どうすれば動くのか、実は、その説明はかなり難しい。特に一流の選手になると、身体のある部分の力のいれ具合を微妙に調整していくその説明を、比喩や感覚的なことばで語る。その表現は体系的でないし論理的でもない。イメージであり感覚的である。が、何を言わんとしているか、スポーツ選手同士ならすぐわかる。
文章表現を教えていくことも実はこれと良く似たところがある。テーマがないとか、客観的でないとか、確かにそういう言い方で指導するが、それは、型にあっているかどうかの説明で、型どおり書きたいのだが、どうしても手が言うことを聴いてくれない、というときの本人のじれったさを解決する教え方ではない。書いている本人の思考や書き方の癖や問題点をまず読み取る。そのうえでどこに問題が在るかを察知し、どこをどのように直せばうまく書けるようになるかと説明していくのだが、その時、型を示して型通りに書けという指導は良くない。ここをこんな風に発想したり、こんな書き方をすればうまく書けるようになけるよ、とおのずと型を実践していくようにヒントを与えていくのが良い。その時の説明の仕方は、時に比喩的であり時に感覚的になる。そうなってしまうのである。
とすれば、文章表現のテキストというのは、なかなか難しい。みんながいいテキストだというのは、型を教えるのに教えやすいテキストで、なんとなくわかった気になり、うまく書ける気になるテキストであるが、そんなものでうまく書けるようになるはずはない。ただ、こういう書き方は良くないというルールは身につけることは出来る。
ということで、またまた文章表現のテキストで悩むことになりそうだ。
型破りに生きてみたいよ日脚伸ぶ
渡部泰明『和歌とは何か』を読む ― 2010/01/27 23:15
いよいよ授業も最後の週を迎えた。レポート提出やテストの週である。成績をこれからつけなきゃいけないが、来年度の準備もまたしなきゃならない。奥さんに二月の予定を聞かれ、学校も終わったのだから、少しは暇にならないのと言われたのだが、スケジュールはほぼ埋まっていて、土日を含めて三日連続して空いている日はない。会議、研究会、私的な用事を含めてほとんど埋まっている。つまり、山小屋にいく暇はない。2月はいけないから一人で行ってと答えた。
今日は「民俗学」のテスト。シャーマニズム、柳田国男の「妹の力」、フェミニズム、女性性、川上弘美、笙野頼子までかなり幅広く扱った。ついてくるのが大変だったと思うが、テストの内容もそれに応じて幅広く問題を出した。もっとも、前の授業で、授業で扱った内容を10のテーマに分けて箇条書きにし、この内容が授業で扱ったすべて。このなかから4、5問出す。持ち込みは自筆のノートのみ、と言っておいた。要するに、授業でやったことを、ノートにまとめさせておいて、それを書かせているのだから大変親切な問題だった。ただ、配った資料はかなり膨大で、テキストも読まなきゃいけないし、まとめるのは大変だったろう。出来は、まあまあといったところ。
月曜は卒業ゼミの打ち上げで、近くのイタメシ屋に行って、みんなでピザとパスタを食べた。ところが、一人、わたし、チーズとオリーブ油がだめなんです、という学生がいる。おいおいイタメシ屋でチーズとオリーブ油がだめだったら食べるもんないぞ、と困ってしまった。聞くと、偏頭痛持ちでどういうわけかチーズとオリーブ油が良くないらしい。不思議な頭痛で、イタリア人と絶対に結婚できないな、と冗談言ったが、店の人に相談したら、店の人は困ったといいながら、和風スパゲッティを作ってくれた。こういう臨機応変な対応に感謝である。
渡部泰明『和歌とは何か』(岩波新書)読了。とても良い本である。和歌の本はいままで何冊か読んだが、この本が一番おもしろい。ただの解説書ではない。和歌とは何か、という大テーマをきちんと引き受けながら、それに対する自在な定義を披露し、その定義にそって和歌のレトリックをを解説していく。その説明にはどれも納得した。
和歌の言葉は演技である、というのは渡部氏の持論だが、「定型とは一つの運命である。歌を味わいながら。運命に導かれてゆくかのような予感が生まれるのである」と語る。また掛詞を「偶然が必然化するレトリック」と語ったり、「和歌は作者の現在を表すものだ。その現在の一点に収斂させ、共感を得るために縁語がある」と語る。 かつて岩波の『文学』のシンポジウムで対談したときに聞いてはいたが、このように本で読むと、その説明のうまさに感心する。私も万葉でこのように説明出来たらおもしろいのにと刺激を受けた。
運命!とつぶやいてみてコート着る
今日は「民俗学」のテスト。シャーマニズム、柳田国男の「妹の力」、フェミニズム、女性性、川上弘美、笙野頼子までかなり幅広く扱った。ついてくるのが大変だったと思うが、テストの内容もそれに応じて幅広く問題を出した。もっとも、前の授業で、授業で扱った内容を10のテーマに分けて箇条書きにし、この内容が授業で扱ったすべて。このなかから4、5問出す。持ち込みは自筆のノートのみ、と言っておいた。要するに、授業でやったことを、ノートにまとめさせておいて、それを書かせているのだから大変親切な問題だった。ただ、配った資料はかなり膨大で、テキストも読まなきゃいけないし、まとめるのは大変だったろう。出来は、まあまあといったところ。
月曜は卒業ゼミの打ち上げで、近くのイタメシ屋に行って、みんなでピザとパスタを食べた。ところが、一人、わたし、チーズとオリーブ油がだめなんです、という学生がいる。おいおいイタメシ屋でチーズとオリーブ油がだめだったら食べるもんないぞ、と困ってしまった。聞くと、偏頭痛持ちでどういうわけかチーズとオリーブ油が良くないらしい。不思議な頭痛で、イタリア人と絶対に結婚できないな、と冗談言ったが、店の人に相談したら、店の人は困ったといいながら、和風スパゲッティを作ってくれた。こういう臨機応変な対応に感謝である。
渡部泰明『和歌とは何か』(岩波新書)読了。とても良い本である。和歌の本はいままで何冊か読んだが、この本が一番おもしろい。ただの解説書ではない。和歌とは何か、という大テーマをきちんと引き受けながら、それに対する自在な定義を披露し、その定義にそって和歌のレトリックをを解説していく。その説明にはどれも納得した。
和歌の言葉は演技である、というのは渡部氏の持論だが、「定型とは一つの運命である。歌を味わいながら。運命に導かれてゆくかのような予感が生まれるのである」と語る。また掛詞を「偶然が必然化するレトリック」と語ったり、「和歌は作者の現在を表すものだ。その現在の一点に収斂させ、共感を得るために縁語がある」と語る。 かつて岩波の『文学』のシンポジウムで対談したときに聞いてはいたが、このように本で読むと、その説明のうまさに感心する。私も万葉でこのように説明出来たらおもしろいのにと刺激を受けた。
運命!とつぶやいてみてコート着る
折口信夫と台湾原住民研究 ― 2010/01/31 01:23
金曜から山小屋に来ているが、今日土曜日は研究会で、茅野から東京へ往復。明日また東京へ帰る。夜は満月で雪山はほんとうに不思議なほどに明るい。
研究会では中国少数民族「白族」の「山花碑」という詩をを読んでいる。この詩は碑文に刻まれた漢詩なのであるが、実は、白語を漢字であらわした詩文で、漢字の読みだけで読んでいくと本来の意味が読み取れない。そこで、白語がどのように漢字で表されているかを、先行研究の注釈書をいくつか比べながら、文字を持たない民族の言葉を漢字という文字に置き換えたときに、どのように置き換えていくのか、それを勉強しようという研究会である。
当然、それは、日本に漢字が入ってきたときに、文字を持たない日本語を漢字であらわそうとした努力と似たものである。漢字の音と意味をそのまま用いる「音」や、意味を優先して漢音と違う読みをする訓と、というようにである。
この研究会でKさんが、関口浩というハイデッガー研究者の抜き刷りを持ってきた。それは、「折口信夫と台湾原住民研究」という論文で、あることがきっかけでKさんのところへ送ってきたという。そのあることとは、去年、ある学会で、折口論を書いて賞をもらった新進気鋭の評論家A氏を招いてシンポジウムを行ったのだが、その後の懇親会でKさんとA氏がやりあった。
その場にいた私ははらはらしたというようなことをブログで書き、Kさんも私のブログを見て誤解がないようにと自分のホームページでそのいきさつを書いたのである。関口さんはそのK氏のホームページを読んで、論文を送ってきたという。
「折口信夫と台湾原住民研究」は実は、A氏の書いた折口論「神々の闘争」の徹底した批判である。この人ハイデッガーの研究者なのに、実に丁寧に台湾の「蕃族調査報告書」を読み込み、A氏の論がいかに折口の論や台湾の民族についての思い込みと誤読によって展開されているかを一つ一つ批判している。K氏がA氏とやりあったというブログを読んで、何か感じることがあって送ってきたということのようだ。
ブログも、読む人は読んでいるのだなと感じた次第である。その意味ではあまりいい加減なことは書けないが、かといって、思いつきや愚痴を書く場所でもあるので、多少いい加減でないとというところもある。
関口氏の論読んでみたが、なかなか説得力がある。Kさんも指摘していたが、やはり台湾の先住民の文化は、独自に発展を遂げた一種のガラパゴス文化で、流動的な海洋民族の文化とは違っている。そういう意味での台湾原住民文化のアジアの中での位置づけが必要なようだ。それにしても、この論は、A氏の本の評価を変えてしまうかも知れない。
冬の月光満天に行き渡る
研究会では中国少数民族「白族」の「山花碑」という詩をを読んでいる。この詩は碑文に刻まれた漢詩なのであるが、実は、白語を漢字であらわした詩文で、漢字の読みだけで読んでいくと本来の意味が読み取れない。そこで、白語がどのように漢字で表されているかを、先行研究の注釈書をいくつか比べながら、文字を持たない民族の言葉を漢字という文字に置き換えたときに、どのように置き換えていくのか、それを勉強しようという研究会である。
当然、それは、日本に漢字が入ってきたときに、文字を持たない日本語を漢字であらわそうとした努力と似たものである。漢字の音と意味をそのまま用いる「音」や、意味を優先して漢音と違う読みをする訓と、というようにである。
この研究会でKさんが、関口浩というハイデッガー研究者の抜き刷りを持ってきた。それは、「折口信夫と台湾原住民研究」という論文で、あることがきっかけでKさんのところへ送ってきたという。そのあることとは、去年、ある学会で、折口論を書いて賞をもらった新進気鋭の評論家A氏を招いてシンポジウムを行ったのだが、その後の懇親会でKさんとA氏がやりあった。
その場にいた私ははらはらしたというようなことをブログで書き、Kさんも私のブログを見て誤解がないようにと自分のホームページでそのいきさつを書いたのである。関口さんはそのK氏のホームページを読んで、論文を送ってきたという。
「折口信夫と台湾原住民研究」は実は、A氏の書いた折口論「神々の闘争」の徹底した批判である。この人ハイデッガーの研究者なのに、実に丁寧に台湾の「蕃族調査報告書」を読み込み、A氏の論がいかに折口の論や台湾の民族についての思い込みと誤読によって展開されているかを一つ一つ批判している。K氏がA氏とやりあったというブログを読んで、何か感じることがあって送ってきたということのようだ。
ブログも、読む人は読んでいるのだなと感じた次第である。その意味ではあまりいい加減なことは書けないが、かといって、思いつきや愚痴を書く場所でもあるので、多少いい加減でないとというところもある。
関口氏の論読んでみたが、なかなか説得力がある。Kさんも指摘していたが、やはり台湾の先住民の文化は、独自に発展を遂げた一種のガラパゴス文化で、流動的な海洋民族の文化とは違っている。そういう意味での台湾原住民文化のアジアの中での位置づけが必要なようだ。それにしても、この論は、A氏の本の評価を変えてしまうかも知れない。
冬の月光満天に行き渡る
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