無縁社会2010/02/01 00:55

 今日のNHKの特集でやっていた「無縁社会」はなかなか考えさせる番組であった。今、身元不明として扱われる死者は一年で3万6千人になるという。国はこの身元不明の死者を「行旅死亡人」と呼ぶ。万葉の時代、行き倒れの死者を「行路死人」と呼んだが、今も呼び方は同じなのだ。

 身元引受人がいない孤独な死者を調べると、実は縁がないわけではない。ホームレスの人が路上で行き倒れたというのと違って、それなりに一人暮らしをしていた人たちのことである。親族もいることはいる。ただ、そういう縁と切り離されているというだけである。縁があっても、その縁が機能しないものもいるし、あるいは、拒絶されているひともいる。つまり、無縁というわけではなく、現代の社会では縁というものの力そのものが失われてきたというこであるようだ。

 教会やお寺などの宗教施設はそういう人たちの避難場所でもあったが、むろん、そういう施設が機能している社会ではない。誰も孤独に生きることを望んでいるわけではない。だが、様々な条件で一人で生きざるを得ないという人が増えている社会なのだ。

 こどもが一人で寂しくしていればだれかが声をかける。が大人がそういう状態でも誰も声をかけない。大人はその人の生き方の問題とされてしまう場合が多い。何かにうまくいかなかったとき、たまたま誰にも声をかけられなかったら、こんなものだと思って閉じこもりがちになる。が、そのとき誰かが声をかけてくれれば、そうはならない。その差はほんのわずかであり、そのちょっとした違いが、人を孤独にしたり明るくしたりする。そういうものだと思う。

 わたしたちの社会はそういう、声をかけるようなおせっかいさを無くしてしまった社会である。むろん、積極的に人とつきあい縁を作るべきだと言うのは簡単だ。が、そういう言い方というのは、それが出来なければ生きる資格はないよ、と言っているのと同じになる。秋葉原の無差別殺傷事件は、無縁社会に放り込まれることを極度に恐れた若者の暴走だった。他者を道連れにして死ぬしか、縁を結ぶ方法を見いだせなかったのだ。その背景には、縁を作れない奴は生きる資格はない、という無数の声の圧力があるからだ。

 縁は作るものではない。作られてしまうものだ。とりあえずそれを認めること。それを認めないことに自分のアイデンティティなどを決して求めないこと。腐れ縁も少しは引きずった方がいい。孤独を恐れること。孤独に強いなどと誇らないこと。それは無駄な努力である。だからちょっとした縁があればそれを大事にした方がいい。ただ、それでも人は「行旅死亡人」になる可能性はある。私だってわからない。ただ、そうなっても、それは自分が選んだことじゃない、いつのまにかこうなっちゃった、という開き直りが出来ればいいのではないか。孤独になりたくないが、それを避けられない場合もある。それもまた認めないと。

 それでも、やはり「無縁」は寂しい、というのが結論だ。

                         縁あってこのものたちと冬を越す

御柱シンポジウム2010/02/02 23:54

 授業も終わり、採点の時期に入った。一方来年度に向けての様々な雑務も毎日のようにある。忙しいのだが、これから4月の新学期に向けての期間は、今年書く論文のことや、学会の企画の準備やらで、とにかく勉強の時期である。授業が始まると、何も出来なくなるので、この2月・3月が勝負なのである。

 特に今年は、4月に御柱があり、諏訪でシンポジウムをやる。諏訪博物館と共催なので、このシンポジウムを何とか成功させなければならない。そのためにはまず勉強である。シンポジウムは、「変身する樹木」でやろうと考えている。樹木は不思議な存在で、それ自体自然物でありながら、同時に、聖樹と言われるように幻想的な存在である。一方、樹木は、切り倒され加工される。柱になったり楽器になったり様々な事物に変身する。が、むそこでも、やはり、幻想をまといつづける。

 「御柱」は、聖樹という幻想上の存在であり、柱という文明の事物となり、あるいは神の依り代か、曳かれていく行くときは蛇のような神体として幻想されもする。とにかく、自然が人為的に加工されて変身していくプロセスに、様々な幻想が付加されていく、そのところがこの祭りのおもしろさである。

 同じ自然物でも、石にはそのような変幻自在さはない。樹木は、世界樹として神話的にはこの世の起源として語られる。そして、われわれの住居の柱であり、ついには割り箸にまで変身する。ここまで、ピンキリに変身を遂げる物というのは樹木だけだろう。

 神聖な樹木なら伐ることは罪である。が、伐らなければ人間の生活は成り立たない。つまり、最初から本質的に矛盾的存在なのも樹木なのである。生命は神聖なものだが、その生命を食べなければ人間は生きていけない。こういう矛盾と同じである。絶対的な神は、そういう矛盾を克服しているが、アニミズム的な神は、そういう矛盾そのものの象徴として顕れる。その意味では常に境界性そのものなのである。つまり、樹木とは、境界性そのものとしてのアニミズム的な神である。異界的なモノであり、同時に文明的有用性そのものとしての物であるということだ。

 そういった樹木の不思議さを、具体的な変身の事例などを通して、パネラーに指摘してもらえば、このシンポジウムはなかなかおもしろくなるのではないかと思っている。4月24日・25日に諏訪市文化センターで行う予定だ。私も企画者として何か話さなければならない。その準備もあるので、私は今気分が晴れないのだ。

春待つ樹木黙々と仕事せり

品格って何だ2010/02/05 23:12

 今日は、家で仕事。仕事とは、基礎ゼミナールのテキスト作り、採点、「アジア民族文化研究」の原稿、シラバスの作成、といろいろある。まずは基礎ゼミのテキスト作りをやる。「レポートの書き方」のバージョンアップ編を記述。

 ニュースは朝青龍の話題一色。相撲界にとって朝青龍は必要な存在。彼がいることで相撲界は盛り上がった。が、品格がないという理由で引退へ。しかし、品格を問うなら稽古での暴行で若い命を奪った事件の責任をうやむやにし、理事の選挙で誰が貴乃花に投票したかを追求したあの親方たちも者みな品格はない。

 よくわからない品格を建前としてかかげる相撲界そのものが、たぶん品格とは縁遠い世界である。そして、縁遠いからこそ、相撲界はいまだに生き残っているのであり、盛況だということではなかろうか。むろん、品格は建前でも、無ければ伝統という看板をかかげられないので困る。そして、世間でも、相撲取りはそんなに品格があるわけでもないことをわかっているので、たがを外さないように伝統という縛りをかけているのだろう。

 伝統とか品格というのは、人格のことではなく、土俵の形とか、対戦前の四股の踏み方とか、様式としての振る舞いそのものなのである。その外形的な型そのものを維持することはそこで生活する人にとっての生命線だから、型を守らない行為には厳しい。朝青龍の問題はその型を逸脱してしまうほどに個性を発揮してしまった、ということだ。が、ほんとうの問題は、その型を守ることが、現代の社会の品格から逸脱し始めている、ということなのだが、相撲協会はそれに気づかない。あの理事選がそれをよく物語っている。

 その意味では、朝青龍は、相撲界が本質的に抱え込んでいる時代との乖離というジレンマを隠蔽するためにスケープゴートにされた、という見方も出来ないことはない。相撲界も興行面での収入減を考えれば引退させたくはなかったろう。今一番困っているのは、建前でしかない品格問題で引退まで追い込んでしまった相撲協会だと思うのだが。

 昨日まで二日間で、書籍を15万円ほど買う。学校の個人教研費の図書費が残っていたので、とにかく限度いっぱいまで買った。伝票での注文はすでに締め切りを過ぎていたので、自分で本を買ってその領収書を提出するかたちになった。それで書店に行って本を買い求めたのである。

 こういう時に大学が神保町にあるというのは助かる。新刊でも古書でも、また専門分野の本もだいたいすぐに揃う。買い求めた本は、ほとんどが来年度に授業で必要になる本である。あと、中国関係である。神保町には、内山書店と東方書店があるので、これもだいたい揃う。

 来年度から演習の授業で宮沢賢治をやることにしたので、宮沢賢治の本をだいぶ買った。宮沢賢治に関しては、私は論文は一本しか書いていないので(それでも一本書いているのがすごい、しかも洋々社の『宮沢賢治研究』に書いている)、あまり詳しくないのだが、とりあえず適当に買い揃えた。この授業どうなることやら、心配である。

 今年度は中国調査に行かなかったので、その旅費を図書費にしたので図書費が増えたということがある。来年度は、図書費の分をパソコン購入費用にまわす予定なので、来年度分の図書費を今年使うという具合になった。

 ただ、本を買うたびに置く場所が無くなるのと、処分する時に大変だろうなあと、心配になる。本の置き場所は、今、研究室と、自宅であるが、山小屋にもかなり置いてある。引っ越しの時にだいぶ処分をしたが、もうどこもすでに満杯で、実際床に山積みの状態になっている。

 地震で本の下敷きになって亡くなった人の記事を読んだのは最近だったような気がする。このままだと私も犠牲者になる可能性がある。かといって読んだから本が消えていく訳ではない。そこがやっかいなところだ。捨てるか売るか、だが、それができていたらこんなに本は貯まってはいない。もう買うまいと思うのだが、仕事柄そうもいかない。悩ましい問題である。

  型通りいかぬことばかり春寒し

弔い2010/02/08 22:59

 先週の土曜日に、かつての同志連中と、去年不慮の死を遂げたMの家へ弔いに行った。場所は青梅線の軍畑という駅で降りて歩いて15分ほどのところにある。多摩川渓谷の橋を渡ってすぐのところで、とても景色の良いところだ。ただ、山間地なので午後には日がかげり、とても寒かった。

 Mは私と同じ歳で、学生運動の時からのつきあい。詩人としても知られていた。50位になってから演劇をやり初め、最近では映画などにちょい役で出ていたという。最近では映画「カムイ外伝」に出ていたらしい。かなりの酒飲みで、ある意味で無頼派を地でいっているというところがあった。普通の死に方はしないだろうと思ってはいたが、その通りになった。行きつけの飲み屋で酒を飲んでいて、騒いでいた客にうるさいと注意したら、相手が悪く、殴られてそのまま亡くなったのである。

 奥さんとは初対面である。こういう人の奥さんは大変だろうなと思った。でも、後でいろいろ話を聞くと、酒は彼にとっての表現の一つだと思ってあまり言わなかったが、それがあだになったかもしれないと悲しそうに語っていた。奥さんも私と同じ歳。うちの奥さんと大学が同じだということもわかった。

 彼の遺影に手向けをしてから皆で立川に出て、飲み会となった。40年前の頃のことが昨日のことのように話題になり、いやはやうるさい飲み会となった。これだからこの世代は嫌われるのだ。40年間いつも同じ話で盛り上がるのだから。まあ、私もその世代なのだが、私の場合は、声高に語るようなことをしていないのでいつもおとなしく聞いている方である。

 帰り私の靴がない。飲み屋ではよくあることである。先に帰った奴が私の靴を履いていってしまったらしい。千葉のSである。何年かに一度会うか合わないかの知り合いで、とりあえず最後に残った彼の靴を履いて帰ることにした。サイズは同じ、しかも私のよりかなり良い靴である。あいつは今頃困っていることだろう。

 日曜は入試で、朝から出校。受験者の数は去年から比べるとかなり少ない。去年が異常に多かったので、その揺り戻しが来た、というところだ。来年度に向けて、何か対策を考えないといけないようだ。まったく頭の痛い問題である。

 今日、ハイビジョンで里山の自然と人との関わりを描く番組をやっていて、思わず見入ってしまった。とにかく良いなあと思う。柳田国男が、こういう風景に日本人の故郷を見いだそうとしたのはわかる気がする。ある意味ではとても贅沢な風景であり生活だ。でも、こういう生活のあり方は、人間の揺るぎないスタンダードとしてあるのではないか。柳田はそう考えたのだろう。そのこともよくわかる気がする。

  黙々と弔いの列冴え返る

立松和平のこと2010/02/11 00:29

 立松和平が亡くなった。まだ62歳である。私の二つ上である。私が中学校一年の時に彼は同じ中学の三年だった。団塊の世代で子供の数が多く、一年性のクラスが17組あり、校庭にプレハブの校舎を作って教室にしていた。あまりの多さに中学校が新設され私はそこに移った。

 福島泰樹との縁で彼とは二度ほど会ったことがあり、その折そんなことを話した記憶がある。それにしても驚いた。彼の小説の代表作はなんと言っても『遠雷』だろう。宇都宮の郊外が舞台で、農村青年の鬱屈した思いや、伝統的共同体が解体していく様子がリアルに描かれていた。一度飲み会で彼が現れたことがある。屋久島から帰ってきたその足で駆けつけたらしく、いつもテレビでみる感じだなあと思ったことがある。

 同郷、彼の方が少し上だが同世代で、学生運動の体験もあり、私などは立松の世界はよくわかった。彼が自然保護などにのめり込むことも、わからないではない。都会に溶け込めないところがやはりどうしてもある。田舎や、伝統的な生活に対して、そこで生活はできないとしても、強く惹かれるところがある。それは、ほとんど本能といってもいいものだ。逆に言えば、都会で生活していながら、本能として、私は都会になじめないということでもある。たぶん、これは近代以降、田舎から都会に出てきた多くの日本人が遺伝子のごとく刻み込んでしまった本能の一つだろう。そういう日本人の、心の物語を立松和平はたくさん描いてきたという気がする。

 同郷だからイントネーションも立松と似ていて、よく立松和平としゃべり方が似ていると言われる。そんなに無茶な生き方はしていなかったと思うが、かなり無理をしていたのだろうか。ご冥福を祈る。

                          生まれてそして帰る如月の頃

神話と心理学2010/02/14 00:46

 今日は朝から時折ミゾレ交じりの冷たい雨。こういう天気も久しぶりだ。学会の例会があったが、一日家で仕事。天気のせいもあるが、昨日、インプラントを二本入れたので、さすがに、外出する気にはなれない。

 やはり一日くらいは、出血もあり、痛みも少しはある。治療と言うよりは手術に近い。静脈注射で鎮静剤を打たれ、結局ほとんど眠っている状態で治療は終わったが、二時間はかかった。

 入れ歯にするよりはと選んだ治療だが、それなりに身体には負担はかかる治療だろう。骨に穴を開けてチタンのボルトを差し込むのだから。初めてではないにしても、大事をとって今日はなるべく家で静かに過ごしていた。

 だいぶ前から時々読んでいた隙間読書だが、北山修と橋本雅之『日本人の原罪』(
講談社現代新書)を読了。「イザナキ・イザナミの神話に示された罪と恥を読む」と帯にある。それにつられてつい買ってしまった。

 北山修の本は以前読んだことがあった。日本の神話をフロイトの心理学で読むというものだったと思う。ユング派の河合隼雄の『昔話の深層心理』より難しく、あまりよくわからなかった。今度の本は読みやすく書かれてはいるが、それでも北山修の文章は難しい。

 その理由は、神話を心理学的に読み込むことでカウンセリング理論として機能させようという意図があるからだと思える。つまり、日本人の原罪の在処とその隠し方を、イザナキ・イザナキ神話に見いだし、そこから、分析するものとされるものとの関係に適応させようとしている。原罪は、分析される者にも時には分析する者にも適応される。それが問題をとてもややこしくしているようだ。河合隼雄のように日本人の文化や深層心理あたりの問題として語れば分かりやすいのだが。

 たとえば、北山は、イザナキがイザナミの「見るなの禁」を破って覗いた行為は、美しいという幻想を打ち砕かれた幻滅体験であって、覗いた罪を問わないことはその幻滅体験を隠蔽することであり、そのことが日本人のトラウマになっているのだという。

 神話研究者の橋本雅之は、北山修の解釈を受けて、覗いてしまったイザナキの原罪、その罪を引き受けて。イザナミを手厚く弔うことが必要だと述べる。つまり、日本人の心の病は、禁を破ってイザナミをのぞき見、幻滅して、弔わずに逃げ出し、そのまま汚いものを見ぬふりして生きていることにあるのだという。だから、イザナミの死に向き合い、弔うべきだというのである。

 そうすれば日本人は、現実をもっときちんと受け止めることが出来るということなのだろう。

 覗くなと言ったのは、相手である。おそらく、覗くことを承知で言ったのではないか、と思うのだ。とすればこれは罠である。イザナキも、「夕鶴」の与ひょうも、罠にかかったと言えないか。罠とは、異類と人間は決して同じ世界に住めない、という運命を異類の側から悟らせる誘いであろう。それならなぜ逃げたのか、と言う問題が後に残る。が、これは決して卑怯なことではない。ただ。覚めてしまったということだ。そのことを罪というのは酷である。覚めなければ、異類との世界にとらわれることになる。それは幸せなことなのかどうか。幸不幸は、人間の側の問題であり、異類の世界で生きることは、死と同じことになる。つまり、幻想を生きることになる。

 覚めるとは幻想を生きることを回避したということである。その意味では、覗いた後、人間は生きるために逃げなければならないのだ。ただ、そのときに、確かに、悔いが残る。覗いたという悔いであり、なぜ逃げたのかという悔いである。それを原罪というなら確かに原罪である。だが、それは、別に日本人の原罪というわけではない。人間であれば必ず引き受けなければならないものだ。

 確かに、イザナミの死と向き合え、というのはよくわかる。が、フロイトの「悲哀の仕事」を読めば、人はいきなり最愛の者の死と向き合えるものではない。生きているという幻想を抱き、そして悲嘆し、そして忘れる。そう考えれば、逃げることは卑怯なことではなく、立ち直っていくための必要な行為だったのではないか。私はそう解釈する。

 ところで、この本を読みながら、私の学科で、心理学コースがあるのだが、神話と心理学という講座が出来るのではないかと考えた。こういう授業なら学生も興味をいだくのではないか。この本を読みながら、私の頭はほとんど学科長のモードになっていた。 

        浅ましき過去など棄てて余寒かな

終わりがあるから…2010/02/16 00:00

成績をつけ終え、ウェブ上で採点登録。便利になったもので、成績をいちいち学校に提出しなくてもすむのである。ただ、三人でやっている授業があり、その成績は三人がそれぞれ自分の担当の評価をして、それを最後に合算して最終の成績をつける。これは少し面倒であったが、何とか締め切りまでに間に合った。来年度は五人でやる授業がある。一人3回分担する。この成績評価をどうするか、今から頭が痛い。

 朝日新聞に内田樹の記事が出ていて、彼は、神戸女学院で、教務部長やら入試担当の役職もやっていたそうだ。いやはや大変な仕事で、よくやると感心する。その忙しさで、よく本が出せると思うのだが、考えてみれば、ブログを本にしているので、結局、ブログの文章をうまく使って、自分の思考を整理し、それなりの時代へのメッセージを発信しているというわけだ。忙しい人間にはブログはその意味でとても便利な発信ツールである。

 私も、忙しいがブログを書いている。ブログわやめたらほんとうに文章を書く機会が無くなってしまうと不安になるのと、書きながら考え、考えを整理するというのが性にあっているので、これでも時間を無駄にしているつもりはないのである。

 内田樹の言葉に、今大学は新しいことをやらないと学生が集まらない。新しいことの賞味期限は3年である。だから、常に新しい試みを続けていかなければならない宿命なのだ、と語っている。これはその通りである。私の学科では心理学コースを作り、三年を終えた。四年目の今度の入試は苦戦している。去年の反動ということもあるが、新コース新設の賞味期限が切れたのである。

 友人のブログで、和歌の定型の話が例に挙げられていた。渡部泰明の言葉で、和歌は終わりが決まっているからいいのだ、というのが引用されていた。実は、今日、私はやはり渡部泰明の同じ言葉を思い浮かべていた。偶然の一致である。私の場合は、4月にシンポジウムで穂村弘と一緒にパネラーになっていて、そこで何を話すか考えていただけである。友人のブログのように死ぬ時にすべての意味が決まるなんていう暗い話ではないが、明るい話でもない。

 考えていたのは、どうもわたしたちは、表現された言葉の意味よりも表現に至るプロセスをより深く評価しようとする傾向がある、ということだ。言い換えれば、感動というものを説明しようとすると、それは意味として理解されるところにはなく、その意味がことばとしてどうたちあがってくるのか、そこを説明しようとする。つまり、感動するというのは、意味を共有することではなく、意味としてたちあがるまでのそのプロセスを共有できたことにある、ということのようだ。

 これはわからないではない。言葉に感動するとき、わたしたちは、その言葉は、その言葉の担い手(表現者)という次元を越えてどこか別のところから来ている、ということを直感している。とすれば、それは、表現者が位置づけられている意味の体系的世界とは別次元の世界であることになり、それをわたしたちが共有出来ているから、直感できるということになる。だから、それを知ろうとすれば、その言葉がどう立ち上がってきたのかそのプロセスを知りたくなるし説明したくなる。

 つまり、ある必然性の元に発せられる言葉を、偶然性や神秘性の側に変換させることをわたしたちは無意識に行っているということになるが、実は、この変換の仕組みは、和歌という定型の仕組みなのである、と論じているのが、渡部泰明なのである。

 彼は和歌という定型は、言葉を運命の予感に満ちた言葉にする、と言う。つまり、定型に投げ込まれた言葉は、表現者の意図や必然性に操られて言葉ではなく、それとは別次元の、運命的な言葉、つまり、神の如き何かに操作されているとでも言うしかない言葉に変換されるということだ。

 終わりは決まっている。が、決まっているということは、表現者がその終わりまで描いた言葉のイメージとは違う、別の何かによる終わり方を強いられている可能性を抱え込む、ということでもある。その終わり方は意味づけられないという意味で、未知であり、ある意味では神秘なのでもある。「終わり良ければすべてよし」というのはそういうことではないかと、思う。つまり終わりが決まっているから、わたしたちは、意味ではなく意味にいたるまでのプロセスを共有していることに気づかされるのだ。

                       終わりなきことばなどなし余寒かな

冷や汗もののスピーチ2010/02/22 00:27

 土曜は教え子の結婚式が午後にあった。午前中空いていたので、国立博物館に「土偶展」を観に行った。礼服を着ていたがコートを着ていたのでそんな変なかっこうではなかったように思うが。

 国宝の土偶が一同に会するのは初めてだそうだ。よく知っている土偶の本物が観られるので、観に行くことにした。金曜にKさんが学校に寄って、土偶展に行ってきた、日曜までだから早く行った方がいいと言われたこともあるが。

 私が観たかったのは、一つは仮面土偶である。10年前、茅野の中ッ原遺跡から発掘された、仮面をつけた土偶で、私の仮面祭祀の授業でもまずこの仮面土偶の紹介から始まる。実は、この遺跡は私の山小屋の近くで、よく通るのだ。遺跡には発掘場所が再現されていて、レプリカが置いてある。まだ本物は観たことがない。今回やっと観ることができた。会場入り口のすぐのところにあって、やはり土偶のスターという扱いであった。

 同じ茅野から出土した、国宝縄文のビーナスも初めて本物を拝むことができた。同じ国宝の、合掌する土偶もなかなかいいものである。

 観て感じたことはやはりデフォルメのすごさで、このデフォルメは、縄文人の世界が、アニミズムの世界だったことを強く語っている。人間の身体のデフォメは、精霊の側で捉え返された身体であって、それは人の身体でありながら精霊の身体になっている、ということだろう。つまり、精霊が、縄文人にはよく見えていたということである。その姿形は間違いなく土偶の姿形だった。そう考えられる。

 今年、私の演習をとっている学生が、遠野物語のレポートを書くために、彼の車で、土日に遠野まで行って、河童を見たことがるあるかと遠野で聞き回ったという。高速の割引で往復2千円で行けたと言っていた。若いときに直接見たという人が2名ほどいたそうだ。見たという人を知っている、という割合は少なくなかった。

 現代でも河童という精霊を見たという人がいる。縄文時代は、むしろ精霊など見たことが無いという人の方が珍しいということになるだろう。

 午後は、皇居がよく見えるKKRホテルで結婚式。10年前の卒業生だが、卒業後も飲み会などでよく会っているので、呼ばれたのであるが、私に一言祝辞を述べて欲しいと頼まれた。軽い気持ちで引き受けたのだが、会場に来てみて、一言というような祝辞ではなく、乾杯前の新郎側と新婦側の祝辞で、けっこうきちんと話さなくてはならないことがわかった。会場で他の教え子から、先生の祝辞期待してますから、と言われ、これはやばいとあせってしまった。

 というのは、一言だから3分くらいで簡単に話せばいいやと思っていたのだ。インターネットで調べたが、結婚式の祝辞は3分くらいがいいと書いてあったので、そのつもりでいたのだが、どうもそういう祝辞とは違うようだ。

 最初に新郎側の祝辞があったが、新郎は国家公務員なので、上司のお役人が、いかにも官僚らしくよどみなく流暢に部下の仕事ぶりや、結婚生活のアドバイスを語る。10分くらい話していたのではないか。いやはこれはまずいぞと思い、直前にいろいろと何をしゃべろうかと考え、柳田国男の『妹の力』をネタにすることにした。

 『妹の力』の序で、柳田は近代の女性は、さかしさとけだかさを回復すべきだと述べているが、これがどういう意味なのかなかなか難しい。今日はこの女性の力を、おおらかさとやさしさというように読み替えてみたい。やさしさは、他者の痛みを自分の痛みとして受け止める力。だから、相手に気遣いができる。しかし、これが行き過ぎると相手は息苦しくなってしまう、そこでおおらかさが求められる。おおらかさとは、あいてが少しぐらい悲しんだり、痛がったりしても、一緒に痛がるのでなくそんなことたいしたことないと言って笑い飛ばしてしまう力。これは、優しさとは矛盾した力であるが、この両方を併せ持つことが必要で、この矛盾した二つを兼ね備えているのが女性の力ではないか。男にはこの二つを兼ね備えることは出来ない。

 というような話をして、新婦はこのやさしさとおおらかさの両方を兼ね備えた女性だと思うと、褒めてスピーチを終えた。何とか6分まで伸ばせた。とっさに考えた話だが、新婦の同級生には受けていたようだ。特に、司会の(たぶんプロの人)の女性が、気に入ったらしく、後の式の中でおおらかさとやさしさという言葉を繰り返していて、式が終わったとき、とてもよかったと褒められた。まあ、何とか恥をかかずにすんでよかったというところである。

 もう一つうれしいことは、教え子で、今源氏物語の研究者になっているSさんが隣の席だったことで、つまり、Sさんが新婦と同年代で友達だったということを初めて知ったのである。短大を出て、研究者になる学生はきわめて稀でその意味でもとても気にしていた。今日大で助教をやっているが、何とか専任になれるといいねというような話をした。

 当然だが、なかなか良い結婚式であった。新婦がとても明るいので、その雰囲気がよく出ていた。結婚式に招待されるのはうれしいのだが、スピーチというのはこれからは勘弁して欲しい。講義はさすがにもう冷や汗はかかないが、結婚式のスピーチは冷や汗ものである。

                         婚礼の祝辞をよそに春眺む

ぐじゃぐじゃな時代に…2010/02/24 00:26

 昨日はある学会の運営委員会である。委員のメンバーと委員会終了後飲み会になった。この委員会、いろんな専門分野の人たちが集まってくるので、話を聞いているとおもしろい。委員長のHさんが挑発的に議論をふっかけるものだから、酒の酔いもあって、けっこういろんな議論が飛び交う。

 そういえば私もかつてはこういう場では中心的な存在だったなあ、と懐かしく回顧。今はどういうわけか聞き役に回ってしまっている。一つは、こういう議論は、現代の社会や思想の状況に疎いと参加出来ない。それから、頭が早く回転しないと議論をリード出来ない。私の場合、今は頭もどうもそんなに回転しないし(歳をとったというよりもこういう場に久しく出ていないせいだと思いたい)、現代の思想などにもそんなに精通していない。

 ただ、こういっては何だが、議論を聞いている限り、時代を見る目はそんなに鈍ってはいないとは感じた。別の言い方をすれば、自分の立ち位置がイデオロギーを別にすれば明確なものなど誰もいないということなのだ。それをわきまえたうえで、そのことに怖じけずに我が道を行けるかが、たぶん、大事なことなのだろう。

 近代文学の研究のことが話題になり、近代の連中が、今は近代は方法論がぐじゃぐじゃで何も見えない状況だ、と言っていた。ポストコロニアルも、カルスタも、もう誰も魅力を感じないらしい。この二つの方法論は一世を風靡したが、寿命は短かったようだ。結局我が道を行くということしかないということのようだ。

 問題の所在はわかっている。文学研究の方法論が、あまりにも国家に向かいすぎたのだ。国家という権力やシステムを暴くということに熱中したあまりに、自分がどっぷりつかつている資本主義の、国家をも相対化してしまう俗的なすさまじい欲望に、いつのまにかあらがう術を無くしてしまったのだ。今、国家は、金融資本主義をコントロールしようと必死になっている。また、その欲望から国民を守るために、互酬的なシステムを構築しようとしている。つまり、福祉国家にならんとてしている。国家自体が揺れ動いているのである。保守主義的な国家主義も、中国を敵視することで愛国を訴えるが、中国の経済なしにやっていけないことを知っている人々には見向きもされない。

 国家に抗うという姿勢の鮮明だったポストコロニアルもカルスタも、国家をも翻弄してしまった現代の金融資本主義の嵐には、何を言うことも出来ない。むしろ、多くの研究者は、事業仕分けで減らされるアカデミズムの予算を復活させないと日本は駄目になると、抗っていた国家に金を出せといわんばかりの声明に荷担し、その減らされた予算が、経済的に恵まれない層への福祉に回されることに想いをいたさない。

 国家に抗してもリアリティがない。資本主義に抗う術も、資本主義以降の展望もない。これが今の思想を取り巻く現状である。ぐじゃぐじゃになるのは当たり前である。抗するに値する確固たる神の如き秩序などないのである。だから、脱構築も成立しない。脱、という姿勢そのものがすでになりたたないのである。

 こう考えると、すべて虚無なのか、と勘違いする人もいよう。が、そうではない。それでも、多くの人は充実して生きている。虚無的だというのは、新しい研究方法が見つからない、というただそれだけのことを、やや大げさに評しているだけである。

 確実に、世の中は、互酬的になってきている。生きるためにそうせざるを得ないのだ。研究もそうだ。言葉もそうだ。互酬的というのは、生活そのものの謂いである。つまり、こういうことである。研究者は生活のために研究方法を探し、生活のために、生活とはかけ離れた言葉を語る。生活のために国家に逆らい、生活のために、国家に自分たちのための予算を要求する。これらすべてを矛盾を感じずにやってこられているのは、互酬的な世界をすでに生きているからなのだ。だから、互酬的になってきている、というのは、この互酬性が、自分にあらわになってきている、ということである。これは悪いことではない。国家に抗する言説を吐いても刑務所に行くことはないし亡命する必要もない、日本のぬくぬく感の根拠を、わたしたちはここいらへんではっきりと知るべきなのだ。

 ただ問題は、この互酬のシステムからはじかれてしまう存在がいるということであり、そういった存在に対する想像力の有無が、問われるということである。新しい研究方法が知りたいのなら、そこにある。そういう存在へ届く言葉をどううけとめどう発するのか。たぶんそれは無意識の、かなりの奥底に届かせるようなことになるに違いない。そういった存在への感受性があるかどうか、これが今の私の、人(研究者です)を見る物差しになっている。
               
              ぐじゃぐじゃに語らう人ども春の雪