価値の転換2010/01/20 23:55

 今年は不況の影響もあって就職も入試も厳しい。特に短大はかなり影響を受けている。これから入試本番を迎えるが、是非たくさん受けて欲しい。このブログもやや営業モードにはいらざるを得ない。

 魅力ある学科にしようといろいろ努力しているのだが、なかなかうまくいかなんあ、といったところだ。今日は「千字エッセイ」や「リテラシーポイント」の優秀者の表彰状を作成。15枚ほどをパソコンで作成した。賞状用紙はちゃんとしたものを買ってきて、そこにパソコンでいかにも筆で書いたもののように印刷するだけである。賞品も私が選んだもので、音の出るハート型のペーパーウェイトである。こういった試みは、第三者評価委員による外部評価でも評判は良かった。問題は学生がどう思うかで、こっちが一生懸命な割には学生はそれほどでもないというのが、だいたいこういう試みの常である。そろそろそういう傾向が見え始めたのではないかと思っている。対策を立てねばと考えている。

 天災というものがそうだが、百年に一度の大不況と言われたリーマンショックも、こつこつと続けてきた努力の成果を洪水の如く押し流してしまう。まあ人の世なんてそんなものだ、とも言えるが、それを虚しさとして受け取るか、また一から始めるかで受け止めるかでは大きく違う。できればリセットという発想でいきたいものである。

 ハイビジョンで、ベトナムの雑貨を日本の女優が求め歩く番組をやっていた。米兵の軍服に刺繍しておしゃれな服にすることが話題になっていたり、伝統的なものを今風にアレンジするのは当然だが、共産国のスローガンをあえておしゃれなデザインとして商品化したり、となかなかおもしろかった。それを見ながら、現代は、価値の創造ではなく価値の再配置もしくは価値の転換の時代なんだろうと思った。

 それは私の専門分野の文学研究もまた同じだろう。ベトナム人が自分たちに銃を向けた米兵のアーミー服に刺繍をしてデザインとして楽しむといった、重たい歴史を転換させて楽しむほどの余裕やセンスが、問われているということだ。毛沢東のバッジが古道具屋に並べられている中国とはちょっと違うセンスだなと感じた。

 政権交代もまた価値の転換だが、こっちは小沢問題でどうなるかはわからない。が、価値の転換は確実に起きている。大学とかアカデミズムはこの変化に気づくのがだいたい遅い。この先どうなるのか、誰もわからない。確かなことは、もう何もしないで穏やかに過ごせるということはないということである。疲れるが、リセットのしがいのある時代なのかもしれない。

           雪降りて行きたき路の消えにけり